大陸北西部の町にて:8
正面に構えた剣を全身の力を込めて振り下ろす。虚を突くわけでも策があるわけでもない、ただ単純に最も強く速く。相手はその剣閃を剣で受け止め、真横に薙ぐ。気を抜けば腕ごと持っていかれそうなほどの凄まじい圧力に剣を手放しそうになるのをなんとか堪える。その隙を狙い、横に開けた体を肩口から真っ二つにしようと長剣が振り下ろされる。
速さな似たような物だがそれに込められた重さと力はこちらの剣の比ではない。受ければ死ぬ。そう判断し、体勢を整えることを放棄し、むしろ更に体を開いて地を蹴り、真っ直ぐ縦に振り下ろされる剣と直角に立ち位置をとる。
目の前、ほんの間一髪を旋風を伴って剣が通り抜けていく。直後、右手に持っていた剣を後ろ手で左手に渡し、振り下ろされた柄頭を脚で踏み抜きながら逆手に握ったそれを首目掛けて突き通す。あわよくば武器を落とさせようと思った蹴りはその指に込められた剛力によって阻まれるものの、本命の狙い通り振り下ろされた長剣を構えなおすまでの時間を稼ぎ、襟元から微かに地肌が覗き、何も装備していないのが見て取れる首元へ剣先を突き通すのを確かに助けた。が、そいつは剣に添えていた手を片方離し、腕でその突きの軌道を僅かに逸らす。ぶれた剣先は男の耳を僅かに裂くだけに終わる。
足元から聞きなれた筋肉の締まる音が響き、未だ片足を載せ動作を封じたままの剣を片手で振りぬかれた。直前、勢いを利用して真上に飛ぶが剣先が微かに足を掠る。
体が再び宙を舞う。が、飛ばされた方向はほぼ真上、加えてもう左手の力も戻っており、先程のように無様に地面を転がる謂れは無く、剣を手近な木に突き刺してそこに上った。一息つくついでに斬られた足の傷を見る。痛みはするものの、動かすには支障なく出血もさほどではないようだ。
ざん、と轟音が響き、足場が傾く。下で幹を切り倒したのだろう。随分と強引だが、それは予想通りだ。
見る見るうちに地面が近付いていく中、剣を抜いてその木の枝の中、ちょうどいい太さの物をいくつか切り落とし、眼下の敵へと放り落としながらそれに続いて飛び降りた。
それを見た男の顔がやや険しく引き攣る。これが攻撃であり防御であり、同時に目晦ましの役割も持っている事に気付いたのだろう。落ちる枝の重さは無視するには少し辛く、またそれらの影はこちらの位置を覆い隠す。その中に紛れているか、後から追ってくるか、はたまたそれらを置いて自分は別の方へ落ちたか。それらのの判断を一呼吸の内に強要している。
木々の弾幕が男を襲った。果たして男がどう出るか握る剣に力を込めながら観察する。
男は何を思ったか、それらのほとんどを避けずに受けた。肩、腹、剣の腹、中には額に直撃している物もある。そんな状況下で男は、その中で一番太く長い枝を掴み取った。そして同時に、今正に全体重を込めてその喉元を串刺しにしようと剣を真下に突き出すこちらの切っ先をその枝で殴りつけた。切っ先は枝に深く突き刺さり、殴りつける勢いのまま振りぬく腕に引き摺られて狙いを外し、武器を奪ったこちらの体は無防備に、相手が頭上で真横に構えた刃の上へと落ちていく。
この勢いで落ちれば力など込められなくても真っ二つだ。空中で体を捻り、相手の剣の腹を蹴り抜く。剣は微動だにしなかったが衝撃で落ちる方向が変わり、刃を避けて足元に放り出される。
「ぐ……っ」
腹の皮が引っ張られ再び傷が疼き始める。それを噛み殺しながら夢中で腕を振り回し、追撃に移ろうとしたそいつの腕を打ち、その隙に地面を蹴って離脱する。
苦悶を見抜いたか、男は好機とばかりに駆け寄りその勢いを全て吸った壊滅的な威力の突きを繰り出した。頭を伏せるが回避が間に合わず、こめかみが裂かれ、髪が一束地に落ちる。男の剣は背後の木に深々とほぼ半分まで埋まっていた。常識では到底抜くことは出来ないが、この男に限っては精々が一手稼ぐのが関の山だろう。
時間を使いすぎれば粉々に打ち砕かれるのを覚悟で、腰を落とし大きく息を吸い、今用いる事のできる最大威力の剣撃を放つ。狙いは男の首筋。ではなく、そこを守ろうと翳された男の腕だ。
「はぁ!」
「ぐっ」
裂帛と共に放たれた一閃は、一瞬だが確かに相手の非常識な剛力を打ち破り、その腕を弾き飛ばし相手の急所を曝け出させた。その顔は完全に困惑の色に染まっている。自分の守りが破られるとは思っていなかったか? いや、ここまでやりあった相手の力を見誤るような男ではあるまい。ただ前に翳しただけの腕でこちらの全力を抑えきれるとは思ってはいなかったはずだ。ならばその驚愕は、そもそもこちらが全力を用いるとは思っていなかったのだろう。その読みは甘くも軽率でもなく、妥当どころか的確なものだ。現に今、相手の防御を打ち払った両の腕には痺れが走りとても剣を振るう事などできはしない。それどころか、剣を保持するのも危ういほどだ。
ならば何故そうしたか、ならばこれをどうするか。
その問いの至極単純な回答として、私は感覚の薄れた指を全て開き、剣を敵の背後に放り捨てた。その瞬間、こちらの狙いを察するように男が表情を歪めた。
「あぁぁ!」
叫びながら相手の体を駆け上がり、無防備な顎を膝を打ち込んだ。続けて即頭部へ回し蹴り、鼻の根元へ前蹴りを叩き込み、その勢いを利用し縦に回転、後頭部へ踵を叩き込む。
「く、おぉ!」
その締めの一撃が到達する直前、男が苦悶とは違う声を上げながら頭を後方に逸らした。
「っ……」
蹴りつけた足に電流が走る。着地に失敗し土の上を転がり、落ちていた自分の剣を拾い上げると膝立ちでそれを未だ背を向ける敵に向けて振りぬいた。が、相手は木の幹から抜いた長剣で背中を庇い、剣閃は軽い金属音を立てて阻まれた。
剣を引き、片足で地を蹴り距離を取る。男が額や口、鼻の出血を袖で拭いながらゆっくりと振り向いた。その様子に重大な損傷は見受けられない。足取りはしっかりと地を踏みしめ、目は未だ光を失っていない。
一方で、こちらの現状は深刻だった。後頭部を狙った意識を刈り取る一撃。それに合わせた敵の後頭部での頭突きによって足の甲の骨がひとつかふたつ圧し折られたようだ。剣を地面につかなければまともに歩く事も難しい。
驚嘆すべきはそれを成し遂げた頭の硬さ、というよりも3度連続で頭を揺さぶられながら瞬時にそのような思考を行い行動に移した脳の頑強さだ。通常の人間であれば首が折れて死んでもおかしくないほどの力で蹴られながら大した怪我もしないとは、いよいよもって人間かどうかが怪しく思えてくる。
「……どうした? もう攻めてはこないのか?」
男はそう言いながら口内に溜まった血の混じった唾を吐き捨てた。こちらに向ける探るような視線は、恐らく負傷に気付かれているのだろう。剣も構えず首を摩りながら息を整えている。
絶体絶命。互角かそれ以上の相手と対峙してこの様ではそう言っても何ら差し支えがないだろう。攻めにしても退くにしても足が潰れている以上どうにもならない。ならばもう、敵の虚を突く絡め手しかない。
しかしそれは相手も百も承知のはず。どうすれば奴を思い通り動かせるか、それを考え短く少ない記憶の引き出しを掘り起し、それを閃いた。
「先程、自分を覚えているか? と聴いたな」
決着をつけようと一歩を踏み出そうとしていた敵がその足を止める。
「思い出したか?」
「いや、悪いがどうやっても貴様の事は思いだせん」
かかった。
自然と口の端が吊りあがるのが行うべき演技と同調し、剣先で地面を掻きながら言葉を続ける。
「央国が滅びた日で覚えている事と言えば一つくらいだ。私が仕掛けた央国全土を囲む炎の魔法陣。長時間をかけて国中に陣を描いた労力の割には単純に火付けでもした方が手っ取り早かったのであれの苦労と落胆はしっかりと覚えている」
手を止め、視線を下方にずらす。
男はそれだけの挙動でこちらの意図を察したのだろう、その顔を蒼く染め上げた。
「陣の形やそれを縮小して扱うにはどうするかもな」
相手が何か行動を起こす前に、剣を両手で掴んで地面に突きたて魔力を流し込む。流入する魔力は剣先で不規則に掻き散らされた溝に沿って踏み荒らされた足跡まで伝い、紋様の規模からして遥かに過剰に流し込まれた魔力は目も眩むほど強い輝きを発し始める。
が、それだけだ。
ただ光るだけでそれ以上何も起こりはしない。当然だ。闘いの中で刻まれた足跡にただ魔力を流しただけなのだから、それが確たる効果を発揮するはずがない。そもそも陣を用いての術にはそれなりの時間が必要なのだ。いかに深い知識と膨大な魔力を持っていようとそれは覆せない常識だ。
しかし、その常識を知らない相手なら話は別だ。魔道を知らぬ、しかも魔道によってかつて深い傷を負わされた相手となれば、それらしい挙動と言葉だけで十分にそれを真実と見せる事ができる。
陣に魔力を流す前、奴が形相を一片させた時点で策が成るのを確信した。あとはかつての記憶をあてに起こらぬ炎から引き下がる相手を切り伏せるのみ。折れた足の痛みを無視し、渾身の力で踏み込みながら魔力を流す剣を地面から引き抜く。
そして魔力の流入が止まり、元来式も何もありはしないただのでたらめの紋様から発せられる輝きが納まると同時に、そこから現れた剣を振りかざした敵の姿に驚愕する。
いや、違う。驚いたのはそこではない。策を見破られたか、と戦慄した所で、相手もまた同様にその顔に驚愕を露にしているのを見たからだ。それはつまり、この男が策を見破って飛び込んできたのではなく、策に嵌りながらあえて飛び込んできた事を意味する。
一瞬の間に想定を2度裏切られながら放たれた気の抜けた剣は近すぎる敵の肩口をその鍔で叩き、衝撃で手から零れ落ちる。相手はそれに一歩遅れ、しかし肩を襲う鈍く軽い打撃で気を取り直し、接近戦において邪魔なだけの剣を捨てて右拳をこちらの胸元目掛けて撃ち放った。
なんとか避けようと足に力を込めると、折れた足から電撃のような痛みが走り膝が砕け体が固まる。そこに、凄まじい速さで重く硬く力強い拳が捻じ込まれる。
体の奥で何かが軋み折れる音を立て、遂に闘いは決着した。
大詰めだというのに過去回想を今入れるか後にするか構成に迷う今日この頃