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勇者の旅は終わらずに  作者: ネキア
最終話
30/35

大陸北西部の町にて:7

 飛び退ると同時に先程まで腰掛けていたベッドが轟音と共に両断される。巨漢と呼んで差し支えない体で素早い挙動、不意を突かれなくても納刀したままでは反撃は間に合わなかっただろう。

 床を転がり振り向くと同時に窓に体を投げ出す。硝子を突き破る一瞬の後に、蹴り飛ばされたベッドの半身が爪先を掠め壁にぶつかって爆音と共に砕け散った。

 投げ出された地面を転がって衝撃を受け流し、立ち上がると同時に剣を抜く。先程自分が飛び出した窓を見ると予想に漏れず奴が飛び出して来ている。その両手に剣を構え、底冷えするような冷たい視線をこちらに向けながら。

 しかし、飛び降り様に切りかかるには随分と距離が足りていない。あれでは4歩近くも間合いを外れてしまう。距離を見誤ったか? いや違う。明らかに間合いの外に落ちるとわかっていながら奴の殺気は些かも衰えてはおらず、その剣を握る腕は異様な筋肉の盛り上がりを見せている。

 そこで気付く。奴は元から私を狙っていたのではない。上空から襲いかかるのに剣を下段に構えているのは道理に合わない。

 剣を手元に引き寄せ、腹部の傷の痛みを気力で押さえ込みながら全力で後退する。兎にも角にも髪の毛先1本ほどでも距離を取らなければ命に関わる。

 なんとか2歩ほど余分に距離を取ると同時に、奴が地面に降りる。だんっと稲妻が落ちるような音を轟かせながら歯を食いしばり。


「はっ!」


 短く力強い咆哮と共に、落下する全衝撃を全て飲み込んだ長剣の跳ね上がりが宿の前の石畳を粉々に粉砕し、大小様々の礫が迫ってくる。その数、負傷し得る大きさ、勢いで体に直撃する物だけを考えても8つはある。

 剣を目前に構え、とりわけ命に関わる頭部へ向かう礫を弾く。それ以外は後ろに飛び退りながら体を丸めてやり過ごすしかない。


「っ、ぅ……!」


 多くの礫は体に当たるすれすれの所を通り過ぎていったが、左肩と右腿に鈍い痛みが走る。特に左肩の礫は打った直後に痺れが走るほどの威力を持っていた。痺れはすぐに肘を伝い指先まで伝播する。

 まずい。この様ではまともに剣を振るう事もできない。

 奴が駆け出そうと重心を移すのが見えた。その瞬間、それに背を向けて全力で走り出す。

 とにかく時間を稼ぐ。最低でも左腕……いや、指先の感覚だけでも取り戻さねばどうにもならない。

 走りながら敵の姿を肩越しに覗き見る。流石に走力においては体や剣の重量の分だけこちらに分があるようで、僅かずつではあるが距離は開いていく。上手くいけば相手をせずともこのまま逃げ切れるかもしれない。

 と、そこで背後の殺気が唐突に鋭くなったからか、あるいは何かが風を切る音が聞こえたからか、とにかく肌が粟立つのを感じて体を硬直させる。その矢先に曲がろうと思った路地の壁が突如として飛来した岩の塊によって爆散した。目と鼻の先を通り過ぎた致命に至るに十分な暴威に首を回して後ろを覗く。そいつは恐らく、腕に手甲でも仕込んでいるのだろう、石壁を殴り崩してその破片をこちらに向かって投げつけた。狙いはこちらというよりも、今から逃げ込もうとした先。

 踵を返し、爆音を背にしながら再び大通りを走り抜ける。当たるかどうかわからない攻撃よりも、意図を読んでの牽制で重圧をかけつつ自分の思うとおりに動かすのを選ぶ辺り中々いやらしい。おかげで全力で走りつつも背後の相手にまで気を配らなければならなくなった。かといってずっと振り向いているわけにもいかない。聴力を限界まで澄ませ、その足取りで動きを読む。

 そして、ふと違和感が湧き上がる。歩調はただ走っているだけの物だが、足音が先程よりも僅かに近くから聞こえる。

 速度を落とすのを覚悟で振り向き姿を確認すると、確かにそいつは前よりも近付いてきていた。

 先程立ち止まった分距離を詰められたか? いや、それなら前に振り向いた時に気がつくはずだ。

 それがどうしてか解ったのは、もうしばらく経ってからの事だった。

 息を荒げながら振り向くと、それの姿が更に近付いてきている。その間、何ら特別な事は起こっていない。ただお互いに前に向かって足を進めていただけだ。

 ならば答えは自ずと一つに絞られる。単純に、奴が少しずつ速度を上げているのだ。遅いのは動き出しの初速だけ、一度勢いが着いたならば、後は単純に脚力の問題になる。勿論、巨体を動かし続けるのはそれ分だけこちらよりも余分に体力を使うだろうが、そもそもの体力に差が着いていればその差は無為に帰する。肺に灼けるような熱さを感じているこちらに比べて、後方で追い立てるその男の表情の何と涼しげな事か。

 そもそもの投石も、小難しい理屈などなく直線を走ってさえ居れば必ず追いつくという単純明快な自負によるものだったのだろう。現に今、互いの距離はあと3歩ほどで致命の傷を負わせる事が可能なまでに縮められている。


「っはぁ、っ……!」


 喉から堪えきれない苦渋が漏れ、自覚できるほど体が沈む。限界だ。これ以上こいつの前を走り続ける事はできない。しかし左手はまだ感覚が戻らず、ここで足を止め斬り合えばまず闘いにもならずに殺されるだろう。

 ならば、どうするか。答えは簡単だ。足を止めて斬り合わずに逃げればいい。

 可能かどうかは5分だが、迷っている時間はない。息苦しさを噛み殺しながら最後の力を振り絞り、民家の壁の近くにあった水瓶を飛び越え、空中で前に回りながら剣でそれを砕き散らす。


「む……!」


 水瓶の中身が巻き上がり、その飛沫に左手を翳して顔を庇う。着地と同時に振り向きその頭部に向かって剣を横に薙ぐ。が、片手で振るったとはいえ体の回転の勢いをつけたはずのその一閃は右手一本で構えた長剣の鍔により皮一枚も傷つけられずに止められる。

 軽々と剣を止めたそいつは右足を振り上げる。丁寧に刃と鍔でこちらの剣が下方へ振れないように対処しつつ。

 問題はない。本番はここからだ。振り上げられるその丸太のような足に全神経を集中する。

 できるはずだ。視界と両手を封じれば次に使うのは脚という所までは読めていた。後はただ実行するだけ。できるはずだ。1度、この目で見ているのだから。

 蹴り上げられる脚。その脛の辺り目掛けて踏みつけるように蹴りを放つ。脚にも鉄を仕込んでいたのか踵に硬い手応えが帰ってくるが、問題は無い。これは攻撃ではないのだから。

 脛に添えた片足を突っ張り、蹴られる勢いを利用して背後に飛ぶ。先の砦で勇者と戦ったあの男が見せた回避法だ。見事に上手くやりおおせたものの、心中には後悔しかない。今飛んでいる速さは走っている時と同じ速度で、飛んでいる高さは民家の屋根よりやや低い程度。これで石畳の上を転がされるようならやはり大打撃は免れない。

 絶望に襲われる中、唐突に視界が開けた。何事かと辺りを見れば、どうやら町の外れまで来ていたらしい。周囲には枯れた木々が生い茂っていた。

 幾重にも折り重なった枝が体を叩くと同時にめきめきと音を立てて折れ、背中から地面に叩きつけられる。更にはそこはどうやら坂になっているようで、落ちた勢いで硬直した体は無防備に坂を転がり落ち、何度か地面を飛び跳ねた後に巨木の幹に打ち付けられてようやく動きを止まる。


「っ、が、げほっ、はっ……ぁ!」


 全身を何度も打ち付けられ長々と転げまわった不快感から血反吐の混じった咳と吐瀉物を吐き散らした。それに加えて酷使した肺腑が空気を思うさま吸い込もうとするものだから、口内に残った吐瀉物が喉に詰まりそうになりまた咳を漏らす。


 ――あの男、よくこんな事をやりながら剣を持ち続けられたものだ。


 全身はまるで粉々に砕けたように痛む。鮮烈すぎるその痛みは失せていた左腕の感覚をも取り戻させていた。

 立ち上がり、そこで剣を手放していた事に気付く。自分の間抜けさを呪いつつも、剣を持って転げまわり自分の体に突き立てるよりはましかと思い直し、痛む体を引き摺りながらそれを捜す。幸い落ちてきた道を少し上るだけで見つかった。枯れ枝を縫うように挿した月明かりが照らし出す場所に落ちていたのは、十分幸運と言っていいだろう。

 それの柄をのろのろと掴み上げ、自分の落ちてきた方向を見上げる。随分と長い斜面に枯れ葉が敷き詰められている。遥か向こうに人影のような物が揺らいでいるが、いかにあの男と言えどもここを走り抜けてくるのは不可能なはずだ。敷き詰められた枯れ葉は腐りかけ、しっかりと踏みしめなければすぐ足を滑らせるだろう。巨体と装備で重量を増している奴なら尚更だ。


「さて、どうするか……」


 選択肢はおよそ3つに分けられるだろう。1つ、とにかく下方へ逃げ距離を取りこちらの姿を見失った隙に隠れる。2つ、斜面を横に逃げ生い茂る枯れ木で剣撃を阻みながら相手が疲労するのを待つ。3つ、動いたと見せかけてこの場で待ち伏せ、油断をさせて背後を突く。

 遠くに見える人影はもう動き出している。悠長に選んでいる時間はない。すぐ決断しなければならない。

 そう、己を急かす言葉すらも悠長であった事を思い知る。

 黒い小さな人影は遥か頭上で地面を蹴った。木々の枝を圧し折りつつも真っ直ぐこちらに向かってくる。唖然とその姿を眺めるこちらと、その視線が絡み合うと同時にそいつは剣を手近な巨木を続けざまに切り落として勢いを削ぎ悠然と地面に降り立った。あれだけの事を行いながら傷一つ無く、息一つ乱していない。

 それは最早、ただ感嘆と共に息を漏らすしかない、余りにも鮮やかな力技だ。

 眼前の敵がゆっくりと剣を持ち上げる。眼前の敵に圧倒されている自分への戒めに唇の端を噛み、口内に広がる血を飲み下しながら腰を落とす。問題はない。体は酷く痛むものの、戦闘を行う為に必要な器官は既に復旧してある。……勝てるかどうかは別としてだが。


「もう一度聞こう」


 静かな、まるで何かを押し殺すかのように不自然すぎるほど静かな声が男の口から漏れ出てくる。


「私を覚えているか? あるいは私でなくてもいい。この服装に見覚えは?」

「すまんが、まるでない。8年前は人間を外見で判断する趣味は持ち合わせていなかったのでな」

「そうか。ならいい。貴様にそこまで望むつもりもない。ただ私が覚えていればそれでいい。そこまで変わり果てても尚あの日と何ら変わらぬそのおぞましく漆黒い瞳の底を」


 それで言葉の応酬は終わりとばかりに、男は全身の筋肉を軋ませる。

 目の前の男に見覚えが無いのは本当だ。だが、よくよく見れば身に纏ったその軍服には覚えがある。かつて暇潰しに読んでいた本に載っていた、伝統ある央国の騎士団の軍服だ。ならば、覚えていないだけで確かにその男とも出会ったことがあるのだろう。その事に多少の申し訳なさを感じながら、左手を剣の柄に添える。

 そして亡国の騎士が牙を向く。押し殺した憎悪と、悔恨と、憤慨と、歓喜と、使命感をその瞳の奥に滾らせて。

 対話は既に終わっている。ならばこれは一方的な宣言だ。


「ようやく貴様を斬れる時が来たぞ、魔王」


 呼ばれなくなって久しいかつての名が、枯れた森の中に響いて消えた。

ようやく触れたけどさんざ引っ張った割にはありがちな設定

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