大陸南西、国境の町及び戦場にて:終
続けざまに弾頭を排出した銃口から微かな煤けた臭いと硝煙が昇る。
照準、射程、軌道の予測、全てが完璧だった。完全に虚を突いた銃撃は確かに真っ直ぐ人体の急所二箇所に僅かな間すら置かずに、剣撃など比較にならない速さで襲い掛かった。
避けることも防ぐことも不可能。後はただ死ぬまでの僅かな時間を崩れ落ちた床の上でのた打ち回って過ごすのみ。
のはず、だった。
「……冗談だろ」
無意識に喉から掠れた声が漏れる。
そいつは平然と俺の前に立っていた。傷一つなく、血の一滴も流さず、悠然と。右手に持ち直した、鞘にふたつ、小さな鋼の玉をめり込ませた剣を構えて。
「……まっすぐ飛ばないから使い物にならないって、言ってたじゃないですか」
非難めいた声色で、視力の戻り始めた目と、剣先をこちらに向けてくる。
「どうやったんだよ、さすがにそれは尋常じゃないって域すら超えてるぞ」
『嘘は言っていない』、等と軽口を叩く気も起きず、ただただ疑問を投げかけた。手を止め、言葉を投げかける事。それはつまり、戦い放棄したという事だ。それに気付いてか、そいつも答える。
「目の前で空気の弾ける音がしたんで、咄嗟に」
「……銃弾の速さって音とそう変わらないはずなんだけどな」
単純明快、かつ常軌を逸したその答えに思わずはは、と笑いすらこぼれた。ひとしきり笑った後で、次いで負けを宣言する。
「止めだ止め。切札も、全力も、この奥の手まで出し切ってこれじゃいくらやっても勝ちの目なんざ微塵もねーよ」
片手で銃を弄びながら、ようやく足が折れてるのを思い出して壁を背に座り込んだ。相手の理不尽なまでの強さよりも、それに届かなかった自身の不甲斐なさが胸に重い。
「残念ですけど、もし反応できなかったとしても僕には効きませんよ。これ、魔物の体から作った物でしょう?」
そう言いながらそいつは鞘に穿たれた弾丸に触れた。いや、触れたというのは間違いだった。正確には、触れる寸前で弾丸が沸騰するかのように煮え立ち、鞘から零れ落ちて床に落ちるまでの間に灰になって消滅したのだ。理解不能なその光景に思わず眼を見開く。
「こういう体質なんです、僕は」
そいつはそう、何故か少し寂しそうに笑った。
俺はもう笑いすら出てこずにただ溜息をつき、胸中で呟く。これが勇者か。流石にここまで来ると魔王が可哀想になってくる。
「さて、じゃあすっぱり殺って頂戴な」
銃をしまいながらそれを口にする。戦闘中も眉一つ動かさなかったその表情がまた露骨に曇った。戦ってる時もそう解りやすければまだ助かったのに、と溜息をつき、口を開く。
「やりあう前にも言わなかったっけ? あんだけやらかした俺を誰も許そうとはしないし、俺も許されようとは思わない」
「それでも、死ぬことは無いじゃないですか」
「無くはねぇよ。人の命はそんな軽くない」
「ならあなたの命だって軽くない」
「屁理屈言うなよ」
「屁理屈はあなたでしょう」
死なせないの一点張りで、一歩たりとも退いてくれない。いっそ剣があれば自分で首を掻っ切るなりするのだが……いや、無理だろう。目の前にいるのは弾丸よりも速く動く人間だ。この期に及んで不審な動きをすればその瞬間に両手足を圧し折られるくらいはするかもしれない。
「話し合うのも結構だが、ここの兵達がやってきたようだぞ。そいつは元より、私たちも侵入者である事を忘れるなよ」
と、そこでずっと環の外にいた少女が声を上げた。耳を澄ませてみると確かに恐る恐ると近寄ってくる足音が聞こえる。
まずい、もう時間が残ってない。
「頼むよ、俺はここで死んどかないと捗らないんだ。殺すのが嫌なら殺してくれとは言わない。お願いだからここで死なせてくれ」
折れた足を動かし、手を突いて額を床に擦り付ける。狭まった視界の端で、勇者の足が踵を返すのが見えた。
「嫌だ。僕は誰も死なせたくない。どんな理由があっても命を奪っていいはずがないんだ。納得ができないなら、僕がさせます」
そう言って、勇者は扉に向かって歩き出す。恐らく本気で、俺を助けるために彼らと話し合うつもりなのだろう。こんな人殺しの助命のために、下げなくてもいい頭を下げ、受けなくてもいい罵倒を受け、背負わなくてもいい悪名を背負ってでもきっとその意思を貫くだろう。それはとても立派な事で、素晴らしい事なのだろう。
だが、不要ないんだ、そんな物、俺には。
ぎしりと奥歯を噛み締める。時間が無い。兵達の気配は既に扉の正面まで移っている。怯えからかそこで立ち止まっているものの、勇者の方から扉をあければ、もうその先はそうなってしまう。
この状況を全て打破できるものが欲しい。きっと、何かあるはずなんだ。なければいけないんだ。
――その時、視界の端にそれが飛び込んできた。よく知っているはずのそれが何なのかしばらく理解できずに思考が止まる。
そして、獣のように口の端を吊り上げ、歯を剥きだしに笑い、ゆっくりと銃を掴んだ。
「……無理だって言ったじゃないですか。それを誰に対して向けても、僕は撃つ前に止められます」
背後でその気配を感じ取ったのだろう。勇者はこちらに背を向けたまま、柄を握る手に力を込めてそう告げる。その言葉はまったくもって大袈裟ではない確かなものだろうが、それでも俺は笑っていられる。
「だろうな。でもこっちなら違う」
そう言って、俺はそれを左手に持ち替え、銃口を部屋の隅っこに転がっている黒い球体へと向けた。瞬間、勇者が振り返り、その意味を理解し、息を呑んで顔を青くする。
俺の銃口の先が捕らえていたのは、俺が持ち込んだ爆薬だった。
「この位置じゃ爆発の衝撃は四方に散って大した威力は出やしない。この倉庫ごと砕くのは無理だ。衝撃は爆炎を伴って弱い方、弱い方へと向かっていく。この倉庫で唯一外へ繋がる扉の方に。んで、今まさにそこからここに入ろうとしてる何の罪もない兵士達にもな」
唯一、俺の手に残った物で人間の命を奪える武器は銃だけだった。だがそれを向こうに向けても弾丸は受け止められ、自殺しようと自分に向けても、致命傷を受けれる場所に向ける間に腕か銃自体を破壊されただろう。弾も銃も、落としてしまえば何の意味もない。だからこそ、勇者は自信と余裕を持っていられた。
だが、こうなれば別だ。形のない物は剣では防げない。ひょっとすれば、彼ならば爆風ですら避けきるかもしれないが、それができるのは彼だけであり、後ろにいる少女は勿論、外にいる至極普通の兵達などには到底できる事ではない。
勇者が飛びかかってこようとする気配を感じ、瞬時に引鉄を落とした。また、何もかも全てが遅くなる感覚がやってくる。そして気付く。これは……少なくとも今回のは、集中等ではないただの幻の類だと。
止まっているはずなのに、あいつの事よく見えるのだ。子供のように純粋なあいつが、悲しみに染まりきった顔をこちらに向けながら少女を抱えて外へ走っていく姿が。
「悪り、ごめんな」
無意識の内に、自分の口から主義に反する言葉が漏れて……。
空気が震え烈火が舞い踊った。
真っ赤に染まった視界が白く濁り、転じてぶつりと闇に染まる。体は凄まじい風の壁に押しやられ、耳は音を失いどちらが上か下かすらわからないまま壁だか床だかに叩きつけられた。折れたか千切れたか、両手と片足は感覚が無く、体の表面と肺には灼けつくような大気が纏わりつく。
よかった。これなら俺は長くは無い。
憂慮が解決すれば、肉の焼ける感覚だけが全身を支配した。その苦痛はあまりに度を越しすぎ、現実感がない。
それでか、ふと脳裏にあの子供の顔が蘇った。誰も彼もみんなが幸せになれるはずだと本気で信じているであろう、誰よりも強く、でも誰よりも脆そうなあの子供。
『最後にひとつ、勇者様の前に長年最強やってたお兄さんがひとついい事教えてやるよ』
喉は焼かれ、音を失い、きちんと言えているかどうかはわからない。そもそもそれを伝える相手すらここにはいない。
それでも、きっとそれは誰かが言ってやらなきゃいけないと思って。
『世界で誰よりも強い程度じゃ、助けられるものなんて案外そう多くないんだわ』
少しずつ薄れていく意識の中でたぶんそれは最後まできちんと言えた……ような、気がした。
ストーリー勧めようとするとgdるのはどうやったら直るのだろうか