第3章 猛毒の湿地
アビスはバインドファングに
強化した後、夜遅くに
予定していた通り、沼地へ行き、
毒鳥竜の狩猟に
向かったのだった。
アビスは昨日、予定をしていた通り、毒鳥竜を狩る為にカウンターで手続きを済ませようとしたのだが、1つ、ふとした事に気付く。
数日前に何度か翠牙竜、そして、そのリーダー格の大型の固体を狩猟していたのだ。翠色の鱗を持ち、2本足で歩きながら獲物に対して集団で容赦無く襲い掛かる小型ながらも危険な肉食のモンスターだ。
その牙から分泌される麻痺毒は恐ろしく、下手に噛み付かれ、体内に毒が回れば忽ち動きを封じられてしまう。しかし、その牙自体が武器を作る上で有効な素材になる事にもなるのだ。
牙だけでは無く、麻痺毒を体内から牙へと伝達する麻痺袋さえも溜められており、それを使う事でより強力な麻痺毒を扱う事も出来るだろう。
そして、砂泳竜と呼ばれる、砂の中を優雅に泳ぎ回る魚に後ろ足と鰭《ヒレ》を備え付けたようなモンスターから手に入れた鋭い鰭《ヒレ》も素材として自宅に在った為、それらの素材を使い、自分の愛用の剣を強化しようと考えたのだ。
その素材を、自分の愛用の片手剣≪サーペントブレイド≫と一緒に工房へと持ち込み、そして刀身の役割を果たす牙の部分が更に鋭く、そして、麻痺毒も追加された上位武器≪バインドファング≫に強化する為、早速工房の婆さんに依頼をした。
「あんたかい? この調子だと、完成するのに夜までかかるかもしれんよ。それでも大丈夫なのかい?」
サーペントブレイドといくつかの素材を受け取った緑色の服を着た婆さんは、素材と武器を見渡しながらかかるであろう時間を見積もった。小柄とは言っても、アビスと比較するとその差は激しく、まるで幼児を思わせるような体型をしているのがその婆さんなのだ。
だが、工房の技術だけは人間を遥かに超越しており、そして、鍛える為の体力も腕力も常人を遥かに凌ぐ。
「勿論だよ。って言うか時間がかかるもんだろ? 鍛えるのって」
アビスは武器の小難しさをある程度は理解しているからか、まだ武具を纏っていないその青いジャケットを着た姿で、ズボンのポケットに手を入れながら笑顔で対応した。
時間が余ったアビスは、これから戦う毒鳥竜の生態書を自宅で読み、戦闘の為の対策や、相手の攻撃手段をよく読んでいた。
その毒鳥竜は毒々しい赤の鱗に包まれた2本足で行動する鳥竜である。捕食する獲物に向かって、口から毒を吐き、ゆっくりと獲物を弱らせた上で食す、なかなか狡猾なモンスターである。
そのモンスターの長《おさ》は、体格は勿論の事であるが、紫色のまるで刃を思わせるような鶏冠を備えており、そしてその吐き出す毒の濃度も子分と比較すると格段に増している。
下手をすれば、それだけで毒死するハンターだっているのだ。
気が付けば、既に夜になっており、アビスはすぐに工房へと足を運ぶ。既に防具を纏っており、いつでも狩場には赴ける状態だ。
工房で手渡されたのは、黄色い鱗に包まれた牙が刀身の役目を負った片手剣≪バインドファング≫である。完成し立てであったから、まだ微熱が残っていたが、アビスはこれを持ち上げるなり、1つの喜びが込み上げてくるのを覚えた。
「これって、えっと……確かバインドファング、だっけ?」
持ち上げたはいいが、名称を忘れかけていた為、婆さんの前でその確認を取った。
「そうじゃよ。これを受けた相手は身体が痺れるんじゃよ」
穏やかな表情ではあるものの、婆さんの説明は、狩猟の世界では相当残酷なものがあるだろう。麻痺してしまえば、動けなくなっている間に他のモンスターに襲われたり、逆にハンターに攻撃のチャンスとして狙われてしまう可能性があるのだから、決して無視出来ない要素だ。
「分かったよ、ありがとな婆さん! じゃあ俺はもう行くから!」
辺りが暗くなっていたから、アビスはそろそろ急がなければいけないと感じ、婆さんに手を振りながらカウンターへと走っていった。
そのタインマウスの沼は、ドルンの村に近い場所に位置している為、馬車で行けばそんなに時間はかからなかった。
しかし、夜の沼地は恐怖で埋め尽くされていると言っても過言では無い地帯である。
ようやくアビスはタインマウスの沼に到着し、支給された地図や傷薬を持ち、夜の沼地の奥へと進んでいく。
湿地帯であるから、空気は湿っており、心地良いとは思えない空間でありながら、更には道の傍らでは紫色の液体が気泡を水中から弾かせながら待ち構えていた。
その濃い色が非常に毒々しい印象を与えるが、実際に毒が含まれている為、人間は侵入してはいけない場所である。入れば、身体を蝕まれてしまうのだ。
「ここにいるって言ってたよなぁ……。確か毒鳥竜だっけなぁ……。どこいんだろう……」
アビスは、モンスターの姿が見えないその地を、武器を背負ったままの状態で駆け足で進んでいった。
ハンターは、その狩場で採取する事の出来る植物等の素材を集める事がある。単にその素材が珍しいという理由で集める者もいるが、基本的に別の素材と調合し、狩場での行動に有益な道具を作る目的もあるのだ。
例えば、薬を作る事が出来れば、何か自分の身体に異変が起きた時に、それを助ける事が出来る。
毒キノコを採取しながら、アビスはどんどん奥へと歩いていくが、道中で何故か違和感を覚え始めていく。
随分と進んだというのに、モンスターの姿が一向に映らないのだ。普段ならば、草食のモンスターが静かに草を食べていたりしているというのに、今はその姿は無い。
無論、他のハンターを意図的に襲ってくるモンスターの姿も無かった。
姿が見えないとなれば、アビスも緊張感を保つ事が出来ない。気分を緩めながら歩き続けるが、そこに、1つの足音が地に響く。アビスの緊張感は、すぐに復活する。
「あれ? まさかこれって、あいつ?」
アビスは本当に毒鳥竜の長が現れるのでは無いかと思い、すぐに背中からバインドファングを取り、構えた。
しかし、現れたのは、長と呼ぶにはやや小さい、それでも一般的な人間の身長と並ぶサイズの毒鳥竜である。
「あ、良かった……デカいのじゃなくて」
一瞬安堵の表情を浮かべるが、敵である事に代わりの無い相手に向かって、片手剣の先端を向けた。
その1匹に続くかのように、何匹かの毒鳥竜が現れ、そして本能のように、アビスへと襲い掛かる。
アビスだって黙っているはずが無く、向かってくるモンスターに対してバインドファングを振り下ろし、そして狙われたと気付けば、すぐに行動に入り、回避する。
その途中、遠方の茂みが揺れるのをアビスは感じ取った。
「あれ? あれってなんだよ……まさか、ホントにあいつ!?」
手を止める余裕は無いが、驚く余裕はあったらしい。一応手は抜いていないものの、それでも毒鳥竜達はまだ2頭しか倒せていないのだ。
現れたのは、大きな体躯を持った毒鳥竜だ。
赤く毒々しい鱗はそのままに、頭部には例の紫色に染まった鶏冠が備わっている。まさに、長と呼ぶに相応しい姿、体格を誇っている。
しかし、アビスはと言うと。
(あれ……あんなにデカかったっけ?)
毒鳥竜の長の体格は、せいぜい子分の固体の1.5倍程度と生態書では見ていたアビスではあるが、今回出会った毒鳥竜の長は、それを平然と超えており、以前戦った怪鳥と同等の身長を誇っているのだ。
つまり、子分の2倍は平気で越えるサイズだったのだ。
サイズだけを見れば、それはまさに子分を統治する主に相応しい。
きっとその長は、部下達の未熟な攻撃手段に怒りを覚えたからか、自分のライン上にいる子分達を無理矢理どかしながら、真っ直ぐとアビスに向かっていく。
アビスも空気が変わった事を察知し、攻撃の相手をすぐに切り替える。
だが、長の攻撃は非常に激しく、噛み付く為に振り落とされる頭部は、まるで巨大なハンマーを連想させ、そして飛び掛り行為は岩石の落下を連想させる。
決して戦闘経験が豊富とも言えないアビスにとっては、苦痛の一言だ。それに、子分達もまだ全員を倒せている訳では無いのだ。
それだけでは無く、アビスは自分の剣、バインドファングを酷使し過ぎた為に、刀身である牙の部分が欠け始めていた。こうなってしまえば、相手に傷をつけるのが非常に難しくなってしまう。だからこそ、支給されている砥石を使わなければいけない。
しかし、こんな敵だらけの場所で使うのは無理だ。研いでいる最中に噛み付かれるのがオチである。まずは逃げる事が先決だ。
目の前に映る林に飛び込み、毒鳥竜達の目を欺いた。
木々の茂る空間であれば、毒鳥竜達も上手く進めなくなる上に、身軽な人間であるアビスならば、どんどん奥へと逃げ込む事が出来るのだ。毒鳥竜達が足を取られている間に、アビスは逃げていく。
やがて、平地に辿り着き、灰色の胴体を持った4本足の草食竜のいる場所へと辿り着く。そこでは、ゆっくりと草を食している草食竜が映っているが、アビスを敵として見ていないから、アビスも落ち着いている事が出来る。
そして、そこでアビスは砥石を取り出し、バインドファングの牙を1つ1つ丁寧に研ぎ始める。
するとそこに、何かが現れる。
「俺の獲物をどうするつもりだ?」
突然アビスは誰もいないはずの背後から声をかけられ、そしてその友好的では無い態度のそれを聞くと同時に振り向いた。
「獲物? それってあのどくちょう……!」
事情が分からず、振り向くアビスであるが、目の前に映ったのは、ボウガンの銃口である。顔面に向けられるその脅威に、アビスは思わず声が出なくなるのを覚える。
ボウガンは殻で作られた弾丸を飛ばす仕組みであるが、火薬の力で発砲する為、その破壊力は折り紙付きだ。もしそれを人間が受ければ、防具ごと破壊されてもおかしくない威力である。
元々飛竜の強靭な鱗や甲殻を持ったモンスターを殺傷する為に生み出された兵器であるから、人間が狙われればもうそれは凶器の一言だ。
「毒鳥竜だぁ? 何惚けてやがんだよ? さっき俺が狙ってた標的と戦ってたから今砥石使ってんだろ?」
ボウガンの銃口を向け続けているその赤い鎧の男は、まるでアビスに自分の獲物を取られたかのような物言いでアビスを脅し続けている。
「標的って……何の事だよ? あんたが言ってる標的って誰だよ?」
アビスは呼吸を整えながら、緊張を押し止めて聞き出そうとする。何か勘違いされているのかもしれないし、下手をすれば本当に殺されてしまうから、ここは凄く慎重に行くべきだ。
「毒煙鳥の事だ。お前あそこから来ただろ。だったらあいつん事狙ってたって事じゃねえか。飛んでるとこ見たはずだぜ」
アビスにとっては男の言い分があまり理解出来なかったが、とりあえず1つだけ分かった事は、この男の獲物に手を出したと勘違いをされている事である。しかし、銃口は未だに向けられたままである。
「そう言えば確かに空は……なんか飛んでたけど……」
アビスは毒鳥竜との戦いがあったから、あまり意識はしていなかっただろう。だが、それでも何かが飛んでいたのは一応見ていたらしい。ただ、深く心に残していなかっただけだったようだ。
「なんだ、やっぱ知ってんじゃねえかよお前」
それでも男は銃口を逸らす事をせず、アビスを攻め立て続ける。
「でもあれは俺の上通ってっただけだぞ? 俺その毒煙鳥って奴と戦ってないぞ?」
それは事実であり、そしてここで絶対に言わなければいけない事だ。アビスは見た時の状況をそのまま説明する。
「証拠あんのか? 見せろや」
アビスを疑い続けるその男は、まるでアビスを追い詰めているようにも見えた。
「証拠って言われても……、でも俺やってないのは事実なんだって!」
自分は事実しか言っていないのに、それを受け入れてくれない男に多少苛立ったものの、それでも相手が怖いから本気では抵抗する事が出来ないアビスであった。
しかし、男はそれで許してくれなかった。銃口を僅かにアビスの顔面から逸らし、そして銃弾を発射させたのだ。
飛ばされた銃弾はアビスの横を通り過ぎ、そしてアビスの背後にある木々の中に入って消えていく。
(こいつ……本気か……)
遂に発砲された為、アビスの緊張感も更に上昇する。恐怖と言う形で、全身に震えが走るのを覚える。
「おいおい、人のもん奪っといて逆ギレかおい?」
どうやらこの男はまだアビスを疑っているらしい。次、発砲した時はきっとアビスの最期になってしまうかもしれない。
しかし、アビスはまだハンターになって間もないのだ。こんなつまらない話で命を落とす訳にはいかないだろう。どうせ死ぬなら、飛竜との戦いで死にたいとでも考えているのだろうが、死なない方が良いのは言うまでも無い。
だが、今の状況は厳しかった。
「いい事教えてやる。お前以外にも俺の獲物狙ったアホがくっさる程いてなぁ、そいつらもお前と同じで逆ギレしやがったから、あの世に送ってやったぜ。お前もどうせ反省してねんだろうし、あいつらんとこ送ってやるよ」
一体男は何者なのだろうか。と考えている余裕はアビスには無かった。再び銃口がアビスの顔面へと向けられ、本当に絶望的な状態になってしまっている。
(!!)
もう、アビスは言葉すら出ない。本当にここで終わってしまうのか、それしか考える事が出来なかった。
「死ね」
それで全てが決まると思ったその時だ。
さっきまでアビスを狙っていた毒鳥竜達が茂みから一斉に現れたのだ。随分と時間をかけていたようであるが、このまま黙っていればあっさりと餌食になってしまう。
(今だ!)
アビスは毒鳥竜達に囲まれた隙を狙い、そして、男の気が毒鳥竜達に向けられたタイミングを逃さず、ボウガンを剣で弾く。
逃げる為の隙を作ったアビスは、すぐにその場から逃げ出した。
「あ! くそ! 待てや糞ガキがぁ!!」
逃げられたアビスに対して取り乱すかのように、男は理性も失ったような怒りを撒き散らす。相当怒りっぽい性格であるらしい。しかし、そうしている間にも毒鳥竜に狙われた為、男もすぐにその場から逃げ出した。
遠距離には好都合であるボウガンも、近距離では非常に相性が悪い。だから、男も逃げる選択肢を選んだ訳であるが、逃げる方向はアビスとは別の場所だ。
「まあいいや、あんだけの量ならあいつもただじゃ済まねえだろうし、そんまま死ねや糞ガキが」
男はボウガンを背負うと、毒鳥竜達の視界に入らないよう、岩陰を通り、そして毒煙鳥の場所へと急いで走っていく。
アビスはとりあえずは自分を殺そうとしてきたボウガン使いの赤い鎧の男から逃げ切れた為、1つ安堵の息を漏らすが、まだ毒鳥竜が残っているのだ。ある意味、あの男から助けてくれたとは言え、敵である事には変わりは無い。
そして、もうアビスの武器であるバインドファングは、斬れ味を取り戻している為、戦うには充分である。
向かってくる毒鳥竜達を斬り付け、そして麻痺毒を注入させる事によってその動きを麻痺させる。そして、足止めを食らっている隙を付き、今度は親分であるあの長に斬りかかる。
攻撃をする際に必ずモンスターは反動を加える為に身体に力を込める。それこそが、人間に対して隙を生み出す事にもなる。それに、このモンスター達は基本的に正面しか狙えず、左右を狙う程身体が柔軟では無い為、尚更好都合である。
時折毒も吐かれるが、それもアビスはしっかりと避けている。
もし直撃すればその毒が体内に回り、立っている事すら厳しくなってしまうはずだ。しかし、当たらなければ大丈夫である。
紫色のその塊は、正面にしか吐かれないのだから、正面に立たなければ良いのだ。
毒鳥竜の長は徐々に傷を付けられ、麻痺毒もやがて全身に伝わっていく。そして、遂にその巨体の毒鳥竜が痺れによって動かなくなる。同時に、頭部が垂れ下がり、その時こそ、アビスにとっては一番のチャンスとなったのだ。
「よっしゃ、今だ!!」
身長差の影響で今までは頭部に攻撃出来なかったアビスだが、今ならば攻撃が出来ると、懇親の力を込めて頭部目掛けてバインドファングを振り落とす。
毒鳥竜の頭部からは激しく血が噴き出され、その巨大な長は僅かな呻き声を上げ、地面へと崩れ落ちた。
しかし、まだ戦いは終わっていない。残りの子分がいるのだから、まだ気は抜けないが、長《おさ》を倒したアビスにとって、子分との戦いはそこまで苦痛にはならないはずだ。彼の手際は非常に良いものがあった。
やがて、子分達も殲滅させアビスは剥ぎ取る為の小型ナイフを取り出した。
長からは皮を剥ぎ取った。飛竜とは異なり、甲殻が無い為、切り離すのはいくらかは容易であった。
一方、子分の毒鳥竜からも、皮と鱗を剥ぎ取った。逆に毒の牙を剥ぎ取る事はしなかった。毒腺と繋がっている為、下手に切り離して毒でも自分に付着してしまえば困る事になる。だから、牙の方は諦めている。
因みに、以前集めた翠牙竜の牙は、回収班がモンスターの死体を回収した際に、ハンター自身が剥ぎ取った素材とは別に、報酬として新たな素材を手渡すのだが、その時に牙を手に入れている。
だから、今回もその手で行こうとアビスは考えたのだ。
しかし、帰りの馬車の荷台の中で、アビスはあの男の事が頭から切り離す事が出来なかった。
なぜ、自分を殺そうとしてきたのか、そして、その背景には、多くのハンターが犠牲になっている恐ろしい事実もあるという事があり、徐々に寒気が走ってくる。しかし、今考えた所で、その答が出てくる事は無いだろう。
お久しぶりです。最近多忙や諸事情によって、投稿が遅れてましたが、ここで新作を投稿する事が出来ました。
今はなかなか他の方々の作品も読めない状況でありますが、何とか時間を見つけて皆さんの作品も読んでいきたいと考えてます。
数ヶ月ぶりの新作投稿ですが、これからも宜しくお願い致します。




