ドレイクテイル諸島
「憎き神どもよ、俺の望みを聞くがいい!聞かないならば、お前の世界を俺が壊してやる!」
魔法使いの頬はこけ、体も指も痩せ衰えていた。
それでも双眸だけが爛々光り、息は荒く、神経が針を振り切っていることが問わなくてもわかった。
相手が神であろうと魔人であろうと、かまわず喰いかかっていくような。
それを狂気と、人は言うのだ。
雨が降っている。生ぬるく、じくじくと粘つくような天気だった。
『──願いをきこう。何を望む』
相手の応答を捉え、魔法使いは歪んだ笑みを浮かべる。
願いは一つだ。それだけが叶えば、なんでもいい。
魔法使いは願いを発する。
「愛する者の復活を」と。
1
世界中でもっとも色彩が鮮やかだとされる、南の最果て、ドレイクテイル諸島。並んだ島々が「竜の尾」と称される所以は、伝わる世界の成り立ちからだ。
古代に竜と創造主が戦い、敗れた竜が倒れた。竜と旧友でもあった創造主は竜の死を悲しみ、亡骸を大地として残した。
大陸や島、岬や山脈の形が、横倒しになった竜のように見えるのはそれ故で、世界の何処へ行っても知られている伝説でもある。
世界地図には、「竜の亡骸」を意味する単語が各国の言葉で必ず書かれているのがその証拠だ。
竜の亡骸、ねえ。
魔法使いは呟いて、長い年月に晒され乾燥して所々に折皺が寄った古い地図を眺める。風に吹かれるたびに、それはカサカサと音を立てる。
さきほどから目にかかるほどの前髪が、海風に流されてくすぐったい。
ついでに船が波に揺られ、当たり前だがずっと揺れているものだから、視線が定まらず地図に集中できない。
濃い蜂蜜色の髪をした若い魔法使いは、袖のない南国に適した旅装用のローブをまとい、左肩には鮮やかな刺青が入っている。流れるような曲線が集まった肘まで続く紋様は、海の渦潮や夏の雲、はたまた鳥の翼にも似て見える。もちろん魔術的な意味合いの図柄が彫り込まれているのだが、その詳細は本人にも良くわからなかった。
右肩には珍しい色の蜥蜴がぴたりとくっついている。その蜥蜴は躾が行き届いているのか、装飾品を気取っているのか、自ら動こうとしない。それゆえ、出会う人、出会う人に珍しがられ、いちいち説明するのが億劫だった。
船乗りの一人が、船から身を乗り出し、潮の流れを見ている。
つられて魔法使いも視線を船の外に投げれば、いつの間にか水の色は、故郷とは違う、鮮やかで明るい空の色に変わっていた。空と海の境界線が曖昧で、これが「尾に隠した宝石」の国の景色かと思う。
倒れた竜は、尾に類まれなる美しい宝石を隠し持っていたという伝説だ。その宝石が散り、連なる島になった。宝石の輝きに照らされ、南は色彩鮮やかで常に暖かく、恵みが豊かになったと故郷では語り継がれていた。
吹く風は温かく湿り気を帯び、命の気配が濃い。
地図上では国境を越えている。
目的の場所まで、あと少しだ。
2
「あ、白いやつだ!」
黒や茶色の肌の子供が、市場の往来で白い肌の青年を見つけ、嬉しそうに駆けていく。珍しい肌と目の色と、気さくな人柄ですっかり子供たちのお気に入りになってしまった青年は、自らにタックルをかけられそうになって「げ、」と焦った。
「捕まえた!白い兄ちゃんー!」
「どこいくの!?一緒にいくー!」
「おわ!待って待って荷物落とすからマジでッ!」
大荷物を抱えていた青年は、熱烈な子供たちの愛情表現に転びそうになりつつも、なんとか耐える。
南国のドレイクテイル諸島の中で、一番栄えている島の港街は、人通りも多く活気に満ちている。所々に天幕が張られ、その影は黒い紙を切って並べたような濃さで地面に落ちていた。鮮やかな色の魚や果物、珍しい鳥の姿など、極彩色で彩られる市場は目に楽しい。
往来を行く人々の肌は、地面に落ちる影よりかは薄い黒で占められる。
夜のような青味がかった黒から、赤みのある薄茶まで、様々を呈しているが、そこにぽつんと白い肌が混じる。
荷物を抱え、往来を歩いていたその白い肌の青年は、結局何度もじゃれてくる子供の体当たりをまともに受け、バランスを崩して慌てて荷物を置いた。額に吹き出した汗を拭い、眉を下げる。
「ああもう、俺をおもちゃにするなよ。俺仕事中で」
「るっせえ、これ母ちゃんに言われて渡そうとしただけだし!」
子供の群れの中で年長と思われる薄闇色の肌の少年が、腰に巻いていた不自然なほど大きな麻布を外して寄越してくる。他の子供達はまだわーわー言いながら、青年の足元でじゃれている。
「え、なんで?」
「白いヤツはここの光に耐えられねえって、そんなことも知らねーのっ?」
言われて青年は太陽を見上げる。確かに故郷より日差しが格段に強く、肌がジリジリと焼け焦げてしまいそうな感触だった。
「ここは神様の土地だから光も強いんだ、白いヤツは悪魔だから太陽に耐えられないんだ。だから火ぶくれみたいに焼け焦げて、やっつけられるんだよ!」
人種差別が色濃く残る子供の物言いに、青年は眉をひそめたくなるが、表には出さない。子供相手に目くじらを立てては、流石に大人げないだろう。
「でもさ、」
少年がニカリと笑って歯を見せた。黒色の肌に、白い歯のコントラストが眩しくみえる。
「ハリスはいいヤツだもんな、悪魔の肌だけどいいヤツだから焼かれたら困るって母ちゃんに言ったんだ。したら、これ渡しなさいって」
少年は、白い肌が重度の日焼けで痛い思いをしないように、と布を広げた。頭から被せたがっているのを察して、ハリスと呼ばれた青年は腰をかがめる。
ばさっと無造作に布をかけられ、その後は丁寧に、頭から肩、肘までを覆われた。
「もうすぐ正午だから、そろそろ日陰で休めよな。布まいてても全部ふせげるわけじゃねえしー」
ぶっきらぼうな優しさに触れ、ハリスは微笑む。
「ジューラ、優しいね」
「ばーか!俺の名前はジウラだし!ハリス、いつまで経っても名前憶えねえからむかつく」
「君たちの国の言葉は発音しにくいんだもん。あ、ちょっと待って」
日除け布のお礼に、とハリスは手近な花売りから一輪の花を買い、ジウラに手渡した。故郷にはない大輪の、踊り子の衣装のような鮮やかな花。
「君のお母さんに渡して、お心遣い感謝しますって」
「わ、わ、キザー!」
「あたしたちにはー?」
「君たちにはあと十年くらいしたらかなー」
子供に囲まれて、楽しげに白肌のハリスは笑う。子供は好きだ。
どこの国でも、どんな肌の色でも、無邪気で少し生意気で、屈託なく笑う表情は変わらない。大人になってもそういう善き物を失わなければ、世の中は平和なのだが。
「ハリス、これから白いヤツがいっぱい来るってホントかよ」
ジウラの隣にいる少年が訝しげに尋ねてくる。嫌悪というよりも、心配の色が強い。なにしろ、黒い肌の人々が暮らすこの地は、長い間、他国との交流を持っていなかったのだ。
子供からすれば、見たこともない肌や瞳の色の人間が大量に訪れることが、楽しみでもあり、不安でもある。
「俺みたいなヤツだけじゃないよ、」
宥めるように、ハリスは少年の、汗止めの布が巻かれた頭に手を置く。
「赤い肌や黄色い肌、色んな人間が来る。世界中から人が集まるんだ」
「なんで?いみわかんねー」
「会議するんだってさ、国のお偉いさんと魔法使いが集まって、話をする」
「へー、大人って会議会議って言いながら、酒飲んで姉ちゃんにエロいことしようとしたりするだろ。それじゃね?」
「ジウラはよくそんなこと知ってるねー」
洞察力の鋭い子供に、ハリスは苦笑する。酒と妖艶な美女で議題がいつまでも解決を見出さないような、そういった能天気な「会議」ならこちらも楽なのだが。
「そろそろ他の国の奴も到着する頃だな」
ハリスは青い波が打ち寄せる波止場の方向をみやり、子供たちに「またね」と、大荷物を抱えなおしてその場を離れた。
3
錨が沈められ、魔法使いの乗っていた帆船が波止場にて停船する。船を降り、桟橋を渡ればそこは未知の世界だ。
黒い人々、彩度の高い葉の色、強い熱気。むっとするような暑さに、魔法使いは顔をしかめる。この土地は年がら年中この気候なのか、と考えて嫌になる。
自分の住んでいた西の大陸は、このような気候ではなかった。温度の移り変わりは四季としてあり、森に囲まれているため、常に居心地がよかった。
まあ、人間関係の居心地に関しては、良いとは言えなかったが。
「やあ、白い人間じゃないか。初めて見たよ」
市場の物売りから声を掛けられる。差別的な、というよりも、陽気な興味本位の意を汲み取って、魔法使いは笑みを返す。
「僕も黒い肌の人は初めて見たよ。とても魅力的だ」
その言葉に、誇らしげに物売りは笑い、自らの肌を撫でる。
「そりゃあ、太陽に愛されている民だからな。オマエさん見たところ魔法使いだな?」
「うん、そう」
旅装用といいつつ、世界を見てもローブをまとう人間は少ない。ローブは魔法使いの衣裳だからだ。携えた菩提樹の長い杖からしても、自分の身分はわかりやすいだろう。
「ここでは白い肌はな、陽の光に耐えられないと聞くぞ?」
「知ってる、だから防衛で肌に魔術をかけてるよ」
「そりゃあ大層なこった」
物売りは楽しげに笑い、自分の扱っている商品、すなわち南国の果物を勧めてきた。
「あいにくお金はあんまり持ってないんだよ、通貨が違うから」
そう魔法使いが断ると、物売りの男は「大層な魔法使いさんから金をもらったら呪われちまうからな、売る気じゃねえよ」と、果物を投げて寄越す。有難くそれを受け取り、魔法使いは歩き出した。
「どこまで行くんだい」
背中に掛けられた物売りの声に振り向き、魔法使いは答える。
「王宮の大会議までまだひと月も時間があるからね、家探しだよ」
その言葉に物売りは大笑いをする。さすがの魔法使い様も、住居探しは魔術で出来ないのかねえと。魔法使いも、少し皮肉が混ざったような表情で果物を齧る。
「魔術は万能じゃないんだよ」と。
適当な宿か、もしくは貸し部屋を探しながら往来を歩く。スコールが時折襲い掛かってくるだけで、海風もさほど強くないこの島では、建物も、木や藁を組んだだけの簡素な物が多い。
先ほど、また船が到着したのだろう、往来の白い肌の人間の比率は、時間がたつにつれ増えていく。それは供を連れた富豪のような人間であったり、下働きの者であったり、身なりは様々だが、魔法使いらしき者はまだ見えない。
富豪、格調高い身なりの他国の重要人物は、そろって王宮へと向かっている。
この南国の王宮が直接呼出しを行った、宴舞会と大会議だ。
招待状を持っている者はそのまま、会議が開催されるまで王宮に滞在するのだろう。
蜂蜜色の髪の魔法使いも、西の故郷から魔法使いの代表で来ているわけだから、南国の王の印が判されている招待状は持っていた。しかし、どうにも王宮に上がる気にはなれない。自分には疎ましいのだ。
豪華な部屋があてがわれ、贅沢すぎる食事を振舞われ、世話役の美女が張り付き、夜の世話もその美女が。それがひとつきも続く。想像しただけで寒かった。
故に魔法使いは、この旅に同行している者(一応西国の重要人物ではあったが)に自分は城下で過ごすと伝え、現在は一人で歩いている。
魔術を扱う連れが街に残ることに、同行者は少々心細そうではあったが、そこは冷たく押し通した。大の大人が魔法使いに頼りきってどうするんだと。
ふと、麻布を被った人間とすれ違う。大荷物を抱え、それでも軽々と歩いていく姿。妙に気になって声を上げた。
「ちょっと、」
「はいよ」
額に浮き出た汗をそのままに、人物が振り返る。同じ白い肌に、灰色の瞳。
「あんた、何処の国から?」
身なりと、荷物を運んでいる様子から、どうせ下働きの人間なのだろうが。ふう、とその人物は荷物を降ろし、麻布の端で汗を拭う。
「なんなんだよ、魔法使いってのは偉そうだなあ、俺は竜の牙……まあなんだ、北東国から。お前は?」
横倒しになった竜の形をしている大陸や島々。その牙に見える部分から来た青年。どうでもいい情報だが、西国の王宮付き魔法使いにとっては少々気にかかる。
「キナ臭いところから来てるね。僕は西国、竜の腰からだ。あんた、血と肉の焼け焦げた匂いがする」
北東の国は、内乱が絶えず、いつまで経っても血なまぐさい情報しか流れてこない。だからこその「竜の牙」なのだと言われれば、それまでの話なのだが。
「あれ。俺現場には出向いてないよ、傭兵じゃないしな。匂うかなあ、鼻がよすぎじゃない」
「僕じゃなくてこの子がね」
魔法使いが、右肩に張り付いた蜥蜴に視線を移す。ぴたりと装飾品のように張り付いているが、今は顔を持ち上げ、青年を威嚇するように牙を出している。
「彼は平和主義者なんだ」
「へえ、面白いな、蜥蜴使いか」
「たしなみ程度だよ」
魔法使いが指先で蜥蜴の頭を小突くと、蜥蜴は心得たかのようにまた装飾品のように右肩に張り付く。
「そこまで調教できていればたいしたもんだろ、西国は凄いな。蜥蜴を操れる魔法使い殿のお名前は?ああ、通り名でいいよ」
本名を聞く気はないと笑みを浮かべるその男に、「多少の知識はあるようだね」と魔法使いは頷く。
「僕はデューク・ポインター。あんたは?」
「俺はハリスだよ。ハリス・ジャッド」
「本名?」
「おう、俺は魔法使いを警戒するほどの大層な人間じゃないからな」
「ふうん。僕、大会議まで住む部屋を探してるんだ。あんた、いい所知ってる?」
見たところ随分ここに馴染んでいるようだし、と言葉を付け加える。その言葉にハリスは、「なんだよ、大会議関係の人間かよ!お偉いさんなら王宮で接待してもらえるだろうに」と苦笑いした。
「いや、僕はそういうの苦手でね。とりあえずひと月、雨風がしのげればそれでいい。いい場所ない?」
デュークの言葉にハリスは首を捻る。ひとしきり考えた後、こう告げた。
「とりあえず、俺荷物運ばなきゃいけないんだ。それ終わったら、いい場所知ってるから連れて行ってやるよ」
「そう。なら手伝うよ、半分持とうか」
単純な親切心で大荷物の運搬の手助けを申しだす魔法使いに、ハリスは更に苦笑した。
「いや、いい。大会議に召集されている魔法使い殿に荷物なんか運ばせたら、天罰が下っちまうよ」
大木であったであろう木材が柱として何本か立ち、その上に藁葺き屋根が乗った大きな家。市場からの通りを抜けた所にそれはある。
日陰をより多く作るように、風がよく通るようにと風土に合わせて建てられている南国の家は、基本的に平屋が多く二階はない。
しかしその家は、ある程度金を持っている人間が住んでいたため、使用人が住まうための屋根裏部屋があった。その屋根裏も倉庫の様な出で立ちではなく、風の吹き抜けがよく、窓からは明るい色の海が見え、乾いて清潔だった。
そこかしこに椰子の木の影が色濃く落ち、大きく開かれた玄関の前には南国の神の石像が据え付けらられている。
そこに住む老婦人は富豪である家主の元に嫁ぎ、早くして家主である主人を亡くしたという。子はなく、主人の死後、自分の身の回りの世話は自分で出来ると使用人に暇を出し、一人でこの家を生活の場としていた。
『家賃はあまり出せないが、力仕事で困ることがあったら任せてくれよ。俺は手先も器用なんだ。それに、いつでも酒の相手をしてやるし、異国の話もしてやれる』
そう彼が言うと、年老いた明るい茶の肌の女主人は、喜んで屋根裏の使用人が使っていた部屋に住まわせてくれた。進言してきた彼が珍しい白肌の人間で、老婆は特に偏見を持たず、その青年が朗らかで気の良い人間だったからだ。
「……いい場所が此処ってことは、僕もここに住むってことになるのか」
ハリスの住まう屋根裏の部屋を見回し、苦笑しながら魔法使いが言う。その苦笑いを受け止め、言い繕うようにハリスは答えた。
「この国は他国との交流がなかったんだ。だからもともと宿屋なんて殆んど無いし、あったとしても到着した人間の手配で既に埋まってる」
「……まあ、そうだろうね」
「別にいいだろ?使用人部屋とは言うけど、これだけ広いし」
確かに部屋は広かった。
粗末だが、頑丈そうな木材で作られた寝台がいくつも並び、壁には作り付けの棚もある。使用人が繕い物をする為に使用していたであろう、机も用意されているとなれば充分過ぎるほどの待遇だ。
屋根裏とはいえ天井は高く、眩しい太陽を遮る藁葺きの屋根は湿気を吸って、空気はカラリと気持ちが良い。吹き抜ける風は海の塩気と、緑を含んで甘い。昔、南国に旅をした仲間が言っていた「避暑の行楽地」という単語が思い出される。
「ここじゃ不満か?」
「いいや、充分だよ。まあ、そういう風になるとは思わなかったけれど」
含み笑いをする蜂蜜色の髪の、小柄な魔法使いを見、ハリスは言う。
「ま、西国の王宮付きの魔法使い殿からすりゃ、個人部屋じゃないのは嫌だろうさ。駄目だったら他を当たればいい」
「……ここの熱気はあまり好きになれそうも無い。外をまた当てもなくうろつくのは御免だね」
そう言い放って、デュークは杖のほかに抱えていた、少量の荷物を床に置いた。その瞬間を待っていたかのように、魔法使いの右肩の蜥蜴は嬉しそうに飛び降り、床に置いた革袋の中の餌を漁り始めた。無遠慮に革袋の中でうごめく蜥蜴に、ハリスは少々面食らう。
右肩の飾りのように振舞っていた先ほどの様子とは、全く違うからだ。
「……そいつ、腹減ってたの?」
「そうだね、ズキはプライベートな空間では結構わがままなんだ」
笑って、デュークは皮袋に手を突っ込み、「ズキ」と呼ばれるの蜥蜴を引っ張り出す。不満げにギイギイ鳴く蜥蜴を宥め、手のひらの上で食事をさせた。
「西の国の文化って面白いな。蜥蜴をペットにする魔法使いがいるとはね」
がつがつと餌を食べている蜥蜴を嬉しそうに見るハリスに、デュークはちらりと視線を投げる。
「まあ、それはハリスの勉強不足だよね」
その言葉は呟きで、ハリスの耳には届かなかったのだが。
「そういえば、食事の当てはあるの。自炊?」
問いかけたデュークに、朗らかな青年は親指を上げる。
「任しとけ、美味い店があるんだよ」
4
──西の森には入らないほうがいい。
──何故ならそこは魔族の縄張りで、人から外れた者が住まう土地だから。
蜂蜜色の髪をした魔法使いの故郷には、そんな歌詞のわらべ唄がある。穏やかな陽気と、穏やかな四季。国の大半が深い森に覆われている、静かな小国の集まる西の大陸だ。
大陸の中の更に西には、隙間なく巨木が生え、人を受け入れない呈の時が流れる。森は元々、神々の住まう場所だった。
いつしかそこに少数の人間が住まうようになり、魔族と呼ばれる異形が混ざるようになった。
神と呼ばれる者、精霊と呼ばれる者、
人と呼ばれる者、魔族と呼ばれる者、
西の大陸は、さまざまな次元を生きる者たちが、共存とは言えないものの、それぞれに暮らす神秘の場所だ。
事実、世界を見渡しても西の大陸には魔法使いが多い。魔を司る象徴が密集しているのだから、それが自然だ。
しかし、その中で派閥が多くあり、それぞれがお互いを敵視しあっている為、表面上は穏やかでも、魔法使いにとって居心地は良いとはとても言えない場所だった。
西の小国の連なりの中でも力ある国、豊かな自然の恵みの恩寵に預かる場所で彼は生まれた。父も母も魔法使いだが、強力な魔術を扱えるほどのものではなく、小さな占いや、おまじない程度の護符を作り売って生計を立てていた。
その間に生まれたデュークに、素晴しい魔術の才があると知った両親は大いに喜んだ。力のある魔法使いを出した家となれば、周囲から尊敬され、信頼され、当然ながら入る金銭の桁も大幅に変わるからだ。
両親は細々とした生活の中で、少しずつ溜め込んでいた金銭をつぎ込み、デュークを派閥の中でもっとも強い魔術学校に入学させた。
入学試験を楽々と突破し、教師も目を見張るほどの才能を見せたデュークは、「いずれ王宮付きの魔法使いになるだろう」と周囲を期待させる事となり、実際にそうなった。
そして、十八歳の誕生日の折に、一人前と認められ、護符として左肩に刺青を入れられた。それは守護の魔術を皮膚に刻む儀式だ。魔術の世界には誘惑も多い。人と神のはざまで生き恐れられている魔族に付け入られ、命を落とす者も多い。場合によっては利用され、国に甚大な被害を及ぼす。
その証拠に西国の歴史の中で繰り返された悲劇のほとんどが魔法使いがらみだ。
お前に刺青を入れる、と言い渡された際に、面倒だからいいと断ったデュークに師はこう言った。
『刺青を入れることを許可される魔法使いは少ないのだから、光栄な事なのだ』と。
老齢で鋭い力を持つ、師から言われてしまえばそれまでなのだが、やはりいまいちわからない。守護や加護といった恩寵に預かることに興味が無いデュークにとっては、左肩の刺青はただの模様にしか感じられない。
実際は魔を退け、身を守るための魔方陣を発展させた図柄が彫り込まれているのだが、彼にしてみればどうでも良かった。
人とかけ離れた姿の魔族をあまり悪い者だとは思わず、森でたまたま出会い、親しく話をしたこともある。森の神々に対峙したことは無いが、気配を感じても悪い印象を受けた覚えは無い。
デュークが何よりも嫌っていたのは、人間関係だ。
人が人を憎む構図。魔術学校での足の引っ張り合いや、デュークの魔力のおこぼれに預かりたい下心が見え見えで擦り寄ってくる、よからぬ輩。必要以上の期待と圧力をかけてくる両親。
そういったものは自分にとっては煩わしく、そいつら全てを師から授かった菩提樹の杖でぶん殴ってやりたかった。
「散々だよ、この職業。国王って案外馬鹿だしさ」
王宮付きであり、肩書が宰相とほぼ同じ地位に並ぶデュークは、時折王宮を抜け出し、親しい魔族にそう零していた。
5
「ドレイクテイル諸島を束ねる、南国の大王が各国の首脳を集めて大会議、か。デュークは議題が何なのか知っているのか?」
真面目な顔でわざと聞いてみる。本来なら澄ました顔で淡々と語られるか、もしくは一瞥を投げられ返答されないかのどちらかだろう。
けれど、今の瞬間は、彼はどちらも出来ない。そう知ってて問いかける自分も、かなり腹黒いなと思いつつ、ハリスはニヤニヤと意地悪げに笑っていた。
南の島の夜半時、暫く同居する事になった魔法使いと、食堂に来ている。
この国の代表的な庶民食は、肉と野菜を香辛料で煮込んだスープを、小麦粉を練って焼いたものにつけて食べる。一口目は甘く、まろやかに思えるが、だんだんと奥の方から鋭い辛味が襲ってきて、舌が焼けてしまうような熱を覚える、危険な味の食べ物だ。
最初は、辛さに吃驚して水を飲む。そして、こんな物が食えるか、と思う。それで違うものを口にしようと思うのだが、口の中が落ち着くと不思議ともう一口食べたくなるのだから、南国の食べ物はよくわからない。
結構、クセになる味ということだ。
その庶民食である、香辛料がたっぷり入った食べ物を咀嚼しながら、泣きそうになりながら水を飲み、更にまた食べて涙目となっている魔法使いに、ハリスは視線を投げる。
「……デューク、もう止めたらどうよ」
「うるさい。出された物は食べるのが礼儀だ」
「いや、でもお前の激辛よ?」
ハリスがいつも顔を出している小さな食堂で、激辛の料理を注文したのは魔法使いだ。
既に味を知っているハリスと店主が、止めておけ他のものにしろ、と言ったにもかかわらず、「若い魔法使いのお坊ちゃんには耐えられない」と店員に挑発されて、デュークはそれを注文した。
結果といえば、出された物を一口食べただけで魔法使いの顔色は真っ青から真っ赤に変わり、次に白くなった。
毎度、この店名物の激辛料理を頼んで辛さにむせる男達の姿を眺めては笑っていたハリスではあったが、今回は笑うのを通り越して感動した。王宮付きの魔法使いですら参らせる、この店の激辛料理の破壊力と、それに参っている、王宮付きの魔法使いに。
どちらも、そう簡単に見物できる代物ではない。
「おっちゃーん、魔法使い殿に、水追加ー」
厨房にいる店主に声をかけると、「あいよ」と、笑いを噛み殺したような、楽しげな返事が返ってくる。
島の人間が度胸試しで食べるこの店の激辛料理は、ハリスは一回だけ口にして懲りた。それ以来は食べていない。
独自に配合された香辛料が、通常料理の何倍もの比率で入っている激辛料理は、一言でいえば味覚破壊兵器だ。
戦争の時にこっそり敵軍の食料をこの料理にすり替えてしまえば、敵軍はその味にまいって体調不良になり、ロクに戦えなくなること必至。そんな作戦をたてること自体がバカバカしいものの、それも良い案だと思えるくらいの、酷い辛さなのだ。
「げほ、げっほ……」
「デューク、無理するなよ。マジでここの激辛ってヤバいんだ。喉まで焼けるぞ?」
「うるさい」
冷や汗で張り付いた前髪の隙間から、蒼い瞳で睨まれる。本来なら、誰もが凍りつくであろう鋭い双眸だが……色鮮やかな香辛料が振りかけられた皿と向き合い、水の入ったコップを握り締めた間抜けな状況で凄まれても全然怖くない。
右肩に張り付いた、装飾品気取りの蜥蜴のズキも、飼い主の不調にあわせてグッタリしているように見える。
「ほれ、追加の水」
厨房から店主が出てきた。「茶熊」とあだ名をつけられている店主は、そのあだ名の通り、身体が大きく太っている。ぎょろりと大きい瞳は愛嬌があって可愛らしくも見え、その瞳の印象どおり、気の良い男だった。
「魔法使い殿を体調不良に出来る程の料理を作れる、店主の茶熊、諸島にそう広まったら、そりゃあ良い商売になるってもんだがなあ」
わははは、と響くように笑ってから、店主はデュークに、銀皿に盛られた白い粥状のものを差し出した。
「こっちはわしの奢り。乳の実と砂糖と、南穀米で作ったデザートな」
こっちはこっちで甘くしといた、と悪戯気に片目を閉じて見せる。デュークはその表情を見、出された水を一旦飲み干し、大きく息をついた。
「……負けた」
「おお?」
「店主のアンタが作る料理は、西国の王宮付き魔法使いをくたばらせる威力があるって、看板に書いといて」
観念したように残った料理皿を店主に渡し、銀皿の甘粥を受け取る。
「その料理、これ以上食べたら死ぬかも。残して申し訳ないけど」
「はっは、こりゃすごい。嬉しい謳い文句じゃねえか!残すって言ったって、こんなちょびっとじゃないか。悪く思うことはないよ、さっそく女房と看板塗りなおすかねえ」
ゆさゆさと嬉しそうに体を揺さぶりながら、店主は厨房に引き返していく。奥から女の嬉しそうな声が聞こえてきたから、女房にもこの話はまる聞こえだったのだろう。
「流石の魔法使い殿も、撃沈を認めたな」
「そりゃあね」
笑うハリスに、つん、と澄ましてデュークは匙で甘粥をすくう。
「別に料理がどうのこうのって言うのはいいんだけどさ。」
「ん?」
目の前の蜂蜜色の髪の魔法使いは、何か含みがあるように溜め息をつく。言いたい事があるのだろうが、「王宮付き魔法使い」としての仮面があるのだろう、取り繕うように首を振る。
「まあとにかく参ったよ。ここの料理は二度と頼まない」
「激辛にしなけりゃ、結構美味いよ?」
「僕にはこの食堂っていう存在が、既にトラウマだよ」
匙ですくって甘粥を口につける。口に入れ、味覚が脳に刺激を与えた瞬間、吹き出した。
「ブッ!」
「ちょ、おま……、汚ッ!」
吹き出された粥を顔面にまともに受けて、ハリスが声を上げると、厨房から爆笑が聞こえてきた。なにやら、「ひっかかった」と聴こえる。
「ハリス、あの茶熊……殴ってきていいかな」
「なんだよ、粥になんか入ってたか?」
服の袖で顔を拭うハリスに、魔法使いは怨念の篭った声を出す。
「……今度は激甘過ぎて、舌が焼ける」
「あー……」
対する厨房からは、お茶目な店主の笑い声が響いている。
6
「そんなに怒るなよ、南国の奴らはみんな悪戯好きなんだって」
「うるさい」
「ほら、酒奢るからさ」
西国の魔法使いは負けず嫌いで、なおかつ一度臍を曲げるとなかなか直らないらしい。先ほどの食堂でからかわれたのがよっぽど気に食わないのであろう、デュークの歩く足音は荒い。
営業停止にしてやろうかとキレそうになっているデュークを宥め、露店で酒とつまみを持ち帰りで奢ってやり、間借りしている屋敷へ早足で戻っていくデュークを追いかける。
屋敷の主人である老婦人は既に寝静まっているらしく、静かだった。
流石の臍曲がりも、家主の婦人を気遣うくらいの余地はあるらしく、屋根裏への階段を登る足音だけは柔らかな物だが、見えない怒気が怖い。
同居の初日なのに参ったなと、ハリスは肩を竦める。
「そんな怒るなよ」
青年の呼びかけに魔法使いは応えず、暗い屋根裏の中で荷物を漁る。
その中から蜜蜂の集める蝋で出来た、黄土色の太い蝋燭を取り出し、机に据え付けられた燭台に置く。蝋燭に人差し指を軽く向け、何事かを唱える。
打石を使うことなく唐突に火が灯る。一目みたかぎりでは小さな炎にみえた。しかし蝋燭一本の明かりとしてはあまりにも大きく、まるで北国の暖炉のような光量が屋根裏に満ちる。
「お、魔法か?」
蝋燭を覗き込んでハリスが感心したように聞くと、魔法使いは「そうだね」と応えた。いつの間にか魔法使いの右肩の蜥蜴は、机の上に降り、燭台の傍で姿勢よくかしこまっている。「ズキ、今日もお疲れ様。好きにしていいよ」
その言葉を聞いた蜥蜴は嬉しそうにそこらを這いずり回り、ひとしきり屋根裏中を動き回った後、木の枠だけで何も嵌っていない、大きな窓から外へと滑り出て行った。
「あ、おい……お前の蜥蜴、外行っちゃったけど」
「うん、例外がない限り、僕のプライベートな時間にはズキも好きにさせてるんだ。多分南国の蜥蜴仲間に挨拶をしにでも行ってるんじゃないかな」
「へえ……そんなもんか。そのまま戻ってこないかもしれないっていう、心配しないのか?」
「それは有り得ない」
きっぱりと言い放つデュークに、ハリスは首を傾げた。西国独特の魔術様式なのかは知らないが、蜥蜴を使役する話は、故郷でも他の国でも聞いたことがない。不思議に思って、問いを重ねる。
「蜥蜴とお前の間に、信頼関係でもあるの?」
「信頼といえば、そうなるかもしれないね」
曖昧な答えだ。手の内を見せたがらない、魔法使い独特の返し方にハリスは苦笑する。
「ハリス」
「んー?」
デュークがちらりとハリスの手元に眼をやる。
「買ってきた酒とつまみ、激辛とか激甘だったら許さないからね」
ハリスが木目の美しい床の上に酒やらつまみやら、カップやら皿やらを並べている内に、デュークは机の上に様々な物を並べだした。
覗き見れば、真鍮の歯車が噛み合った何かの計量器のようなもの。いくつかの液体の入った小瓶。いくつかの手の平ほどの革袋。
鉄色の小皿に中身を少量取り出し、混ぜる。「竜の亡骸」と書かれている世界地図を開き、壁に糊で貼り付け、杖の先を当て何かを唱える。何かの準備をしているのか、屋根裏を自分の研究室にでも仕立て上げる気だろうか。
どちらにせよ、邪魔するとまた臍を曲げられると思い、ハリスは床の上に直に座って、先に酒を舐め始めることにした。日常生活では決して見ることが出来ない、魔法使いの作業を見ることが単純に興味深かったからだ。
デュークより頭一つぶん小さい魔法使いは、椅子を引っ張り出し、風見鶏と立体の天体模型を併せて逆さにしたような、銅色の物体(何かの計測機だろう)を、いくつも窓の傍の天井から下げようとしている。不気味な物体を扱っているくせに、背が足りなくてわざわざ椅子を動員している姿が、なんとなく面白かった。
「ハリス、水」
謎の物体を下げた後、ぶっきらぼうに指図してくるデュークに、慌てる。
「え、なに、酒じゃ駄目?」
「さっさと水持ってきて」
「あー……はいはい、俺は小間使いってことね」
作業中の魔法使いは、集中しているのか苛立っているのか、怖い。ここは大人しく、小間使いをしていた方が良さそうだった。
「全く、家を紹介してやったのは俺なのに」と、そんなことを思いつつ、ハリスは一旦屋根裏を降り、家主と共同で使わせて貰っている台所へ行き、水瓶に入った水をカップにすくいだす。
南国の熱気と湿気ですぐに腐ってしまう水は、毎朝、遠い井戸から一日に足りる分だけを汲みだしてくる。老婦人には重労働であろうと進言し、水の汲み出しは最近のハリスの仕事の一部になっている。
一日が終わると、病の元となる古い水はすぐに捨ててしまうものなのだが、家主である老婦人はハリスの為に水を残しておいてくれていた。
すくいだしたカップを一口飲み、水がまだ生きていることを確認して、屋根裏へ上がる。
「はいよ、水」
ハリスがカップに満たした水を渡すと、デュークは礼も言わず、カップに囁きを送る。その水を筆で取って、洋紙に陣を描き出した。
小柄ながらも偉そうな態度の魔法使いの作業を、腕を組みながら傍らで眺める。「邪魔だ」と手を振られるだろうと考えていたが、特に咎められることもなく、魔法使いは淡々と筆を動かしていて、肩透かしの気分だ。
ただ、眺めは非常に面白い。ひとつのカップより取り出している水は、同じ水にもかかわらず、魔法使いが筆を振る度に色が変わる。
書き殴る、といった表現が適切に思えるくらい投げやりに筆を動かしている癖に、描かれた文様は精緻で美しく、絵画のようだった。
文字も書き連ねているが、見た事がない字体で、何を表しているのかは当然のことだがわからない。
何枚か書き上げた魔方陣やら呪符やらの紙を無造作に纏め、壁の東西南北に貼りだす。何か手伝おうかと声をかけたが、綺麗に無視された。
他にもいくつかの不思議な作業を終え、最後に魔法使いは杖を携え部屋の中央に立つ。そこに酒瓶が置いてあって蹴られそうになったので、ハリスは酒瓶を抱えて部屋の隅で待機することにした。やはり、作業中のこの魔法使いは怖い。
魔法使いは、杖を床で、コツリと鳴らす。
そして、「……良しとする。指示した通りに動け」と声を張った。
凛として響いた声は、波紋のように屋根裏中に響き、潮騒が押し寄せた様な感覚を覚えた。
蝋燭の光は黄味がかったものから、濃い赤へと転ずる。
異様に静かで、明瞭な空間だ。埃ひとつとして見逃さないような、潔癖さが居座ったかのような。更に、見えない何者かが複数、自分たちを取り囲んでいる気配がして、ハリスは身構える。
部屋に魔術を施し、更に何かを呼び出したのだろうか。
殺気は感じずとも、一種異様な、自然環境にはありえない空気の圧に息を呑んだ。魔法使いは動かない。
しばらくの間があり、
『承知、』と、小さく囁き声が聞こえた。
それと同時に潮騒も引き、蝋燭の光も黄味がかったものに戻る。
目に映る景色は、急ごしらえの、魔法使いの研究所のようになってしまった屋根裏部屋。それ以外に、異常は見あたらず、平常な空間が訪れた。
もちろん景観もそうだが、最後のやりとりで部屋の空気すら一変させてしまった魔法使いの所作に、ハリスは開いた口が塞がらない。これが魔術かと、胸の中で思う。
「……デューク、いまの……すげえな」
唖然とするハリスの足元に、いつの間にか傍に寄った、王宮付きの魔法使いである彼がひざまずく。王に頭を垂れるようなその姿勢に、慌てた。
「え、何してんのお前」
ハリスが離れようとすると、その片足をデュークが掴んだ。
「ハリス。承認する、と」
「は?」
「承認する、と言え」
魔法使いが視線を上げる。蒼く、森の霧のような穏やかさと、氷の鋭利さが同居する瞳。
顎で「言え」と指図してくる言葉の意味がわからず、ただ、言わないと長い杖でぶん殴られそうだとも思い、躊躇しながら言う。
「しょ、承認する……?」
「……ありがたい」
ハリスの疑問系の言葉を受け、跪いたまま礼をする。そのまま勢いよく立ち上がり、小柄な魔法使いはパシパシと手を打つ。
「はい、これで終わり。これだから魔術は面倒なんだよね」
「……はあ?」
「ハリス待たせたね、お酒、飲もうよ」
一仕事を終えた爽やかさで酒瓶を取り上げるデュークに、ハリスは意味がわからないと首を傾げるしかなかった。
南国の酒は透き通って、水のようにサラサラとしている。喉越しも悪くはないが、度数が異様に高い。そのまま飲むと喉が焼けてしまうので、現地民の中では、水か果汁で薄めて飲むのが普通だ。
デュークは、再度ハリスに汲み出させてきた、硝子瓶いっぱいの水を受け取る。指を向け、呪を結ぶと、水はたちまち冷えた南国果実の果汁に変わった。
「うおお、お前ほんとすごいな」
感激して果汁に口をつけるハリスに、デュークは冷たく視線を向ける。
「別に。味を変えただけだよ」
「味変えたって、でもこれグワバだろ?この島で自生してる果物」
「さあ?僕は知らない。ハリスの好みの味に変われって、命令しただけだから」
「へー……」
人の好みまでわかるのかよ、と、それでも嬉々としてハリスは果汁と酒を割り入れたカップをデュークに渡す。ありがと、と短く返事をしてカップを受け取る魔法使いは、その年頃の若さが見え隠れして、好感が持てるのだが。
「そういや、デューク」
「ん?」
「お前、大会議出るんだろ?」
西国の代表として来ている魔法使いが、こんな屋根裏部屋に居座っていることが珍しくて、ついつい問いを重ねてしまう。
「……一緒に来てるのは王室のやつら?」
「そうだね。国王じきじきには訪問できないから、第三皇太子と、宰相が来てる。あとその護衛。今頃、南国の大王様の王宮で、宴でもしてるんじゃないの」
どうでもよさそうな態度で酒を舐める魔法使いに、拍子抜けしてしまう。普通であればそういった情報は表に出さないと思うのだが。
「あっそ……で、なんでお前、ここにいんの?王宮付きの魔法使いがお偉方のそばにいなくていいのか」
ハリスの問いに、デュークは眉をしかめる。
「接待なんて、面倒だから」
その言葉に、少々違和感を覚えてハリスはもう一度口を開く。
「それ、嘘だろ」
「よくわかるね」
言われたことを気にするまでもなく魔法使いは頷き、その後に口の端をあげて逆に問いを返してきた。
「そういうアンタも、北東国の重要人物でしょ。なんでここに居るの?」
ハリスは虚をつかれる。
「え?」
なんでわかったんだ、と言うハリスに、デュークは薄く笑う。つまみである、干肉の切れ端を口に運びながら、応えた。
「最初に会った時からわかってたよ。血と肉の焦げた匂いがするって言ったじゃない」
「ま、まあな……」
機嫌が上向いたように頬杖をつきながらデュークは続ける。
「北東国出身で、血生臭くて、それでも現地に赴いていないって答えるやつ。更に大会議が開催されるかなり前から南国に潜伏しているやつ…そうだね、王宮で軍の指揮を執っている宰相、もしくは反乱軍の参謀か。
北東国の宰相は、約半年から一年前くらいの間で行方不明で、確か死んだって噂が西国にも流れてたかな。反乱軍の参謀も、同時期に行方をくらませている」
蝋燭の火が揺れて、デュークの睫毛の影が頬に色濃く落ちる。
「北東国の宰相と反乱軍の参謀。実はその二人、同一人物なんじゃないかって、僕は思っているよ。
国を守るはずの宰相が、王政を倒そうとする反乱軍の指揮も執る。一見変だけど、宰相が、国内で内乱を起こし、結果国を潰したという事例は歴史上なかったわけではない。……まあ、どちらにせよ、血生臭い奴は、結局血生臭いことをしでかすからね。この国でなにかやらかそうとしているのか、それとも居場所がなくなって逃げてきたのか」
「……参ったな、お見通しか」
デュークの洞察力にやれやれ、とハリスは頭をかく。
「別に白状すれば?ここの部屋、盗聴も遠視も、何も出来ないように結界張ってるから」
「……じゃあお前から白状しろよ。なんで王宮付きの魔法使い殿が、城下で過ごしてるんだ?」
「さあ?ハリスが答えたら僕も白状するよ」
「お前が先だろ、デューク」
「嫌だね」
西国の王宮付き魔法使いと、北東国の重要人物が、ひとつの部屋で腹の探りあいをする。こういう政治的に面倒な部分が、何よりデュークは嫌いだ。肩書きやら、抱えた責任やら、そういったものがあるだけで、どこへ行っても人間らしい扱いをしてもらえない。本音を話してくれる人間は居ないし、本音を言わせてくれる人間も居ない。
『コイツに弱みを握られたらお仕舞いだ』
そう勝手に思い込まれて、脅えたような態度をされる。もしくは『コイツの言う事を聞いていれば大丈夫』と頼りきられて、頼っている人間が、段々と自分の判断能力を無くしていく。うんざりだった。
そしてこの屋根裏で、また同じような状況になってしまって、デュークは段々といらいらしてくる。思わず本音が出た。
「……大体なんなの。僕が何かするたびに、「魔法使い殿は」って皆で言ってさ。王宮付きって知っただけで、震え上がる奴らもいれば、ネームバリューを求めてくる奴もいる」
さっきの店の「茶熊」もそうだった。
『西国の王宮付き魔法使いをくたばらせる程の激辛料理』
その看板を出したくて、店主はデュークにデザートを奢りで出してきたのだ。まだいける、とデューク本人は考えながら食べていたが、そのデザートを出された時点で「茶熊」の意図を読み取った。だからすぐさま降参したふりをして、残りの料理を差し出したのだ。
一人のただの若者であれば、そんな扱いはされないし、料理だって完食できたに違いない。悔しいというよりも、情けなかった。
「魔法使い魔法使いって言うけれど、そんな対したもんじゃないよ」
「……いやー、デュークは自覚がなさそうだけれど、王宮付き魔法使いって相当すごいんだぞ?資質があるヤツは良いけどさ、俺だって魔法使いには憧れてる。なんでも好きにしたい放題じゃないか」
ハリスが気遣うように言ってくる。それに対して、デュークは視線を落とす。
「……なんでも好きに出来るなら、僕は魔法使いを辞めたい」
「そうか……」
魔法使いが先ほど灯した蝋燭の光が、寄る辺のない寂しさを含んでいるようにハリスの目に映った。
「そういえば今回の大会議でさあ、秘蔵の魔道具が出るって噂だよな。魔法使いとしては気になってるんじゃないか?」
白けてしまった場の雰囲気をどうにかしようと、ハリスは明るい話題を出そうとする。とにかくしょげてしまった蜂蜜色の髪の魔法使いは、ちびちびと酒を舐めていて、一向に話そうとしない。
「なあ、魔法使いなら興味あるんじゃないの?」
「……カウンバルの天秤だね」
耳慣れない言葉を聞いて、ハリスは首を傾げる。
「天秤?」
「多分、そうだとおもう」
ぽつりと呟くデュークの顔色は暗い。先ほどの話の内容を引きずっているのもそうだが、吐き出した単語に嫌悪を抱いている様子だった。
「天秤って、重さを計測するやつだろ。魔道具で天秤って、なにを測るんだ?」
「そのうちわかる。明け方には情報が揃うから」
「はぁ?」
見通しが悪い魔法使いの物言いに、ハリスはとにかく口を開けるしかない。
説明を求めようとしたが、当の魔法使いは酒を一気に煽っていて、聞く耳など持とうとは思っていないようだった。
ひとしきり酒を飲み干し、手の甲で口元を乱暴に拭うと、「さて」と声をあげて立ち上がる。そのまま寝台の方に歩いていくから、もう寝るのかとハリスは首を巡らせる。
「どうした?」
「ハリス、何やってるの。始めるよ」
「……始める?」
「やるんだよ」
軽い口調で着衣を脱ぎはじめる魔法使いに、ハリスの開いた口の幅は更に大きくなる。やっとのことで声を出す。
「……は、お前、何してるの…」
「なにって、準備」
「なんの準備だよ?!」
吃驚して身を引くハリスに、ローブを脱ぎ捨てた魔法使いが近寄る。
鎖骨から肩、肩から腕に繋がる流線の模様が、蝋燭の灯で照らされて一層蠱惑的に映る。
「さっき、承諾するって言ったよね」
顔を近づけながら、デュークが問う。混乱している頭で思い返せば、作業の終わりの時に魔法使いは、自分に跪き『承諾すると言え』といっていた。
その時は雰囲気に気圧されて、『承諾する』と言ってしまったのだが。
「おいおいおい……、さっきの…なんかの契約?」
焦ったハリスは待て、と手でデュークの肩を押しかえした。
呼びに応える、「呼応」という所作は、魔法使いの間でよく使われる。
思考能力のある人間に魔術を施す際には、魔術への許可を求め、対象の人間から「良し」とした応えがなければ、魔術は上手く機能しない。しかし、それを逆手にとって、相手に気取られずに許可を取ってしまう魔法使いもいるのだと、聞いた知識では知っていた。
「契約……うん、まあそんな所かな」
「俺と寝るって?」
「北東国の「牙」であるアンタを、手なづけようと思ってね」
男を抱く趣味は、と聞かれて速攻否定する。そうしたら魔法使いは、口元だけで笑い、肩に置かれたハリスの手を取った。相手の指先を軽く舐め上げ、視線を向ける。
「多分、癖になるんじゃないの、知らないけど」
「うっそ……」
止めろよ、と口に出すまもなく、唇を塞がれて息が詰まった。誘うように吐息を絡め取られて、熱い。
「お前、酒くっせ……」
「酔ってなきゃ出来ないからね、こんなことは」
するりと腕の中に割り込まれて、体重をかけられる。ハリスの脳裏に、「まずい」と直感が走った。この誘いは何かの魔術関係だ。このまま相手の好きにさせていたら、取り返しがつかないことになる。
北東国の青年を床に押し倒し、馬乗りになった魔法使いは、相手の思考を読み取ったかのように笑った。
「ハリス、好きにしていいよ」
布をほとんど纏わず、揺れる華奢で優美な身体。
鋭利な瞳の色だけは変わらず、自分を観察している。まるで、しなやかな豹のようだ。思わず喉を鳴らしたハリスに、魔法使いは応える。
「召し上がれ、」と。
こいつ慣れてるし、こういうの好きなんだな、と最初に思った。絡みつく四肢と、滲む汗。表情のひとつ、仕草のひとつ、全てが自分を誘い、煽っている。
「ん……ぁ…」
馬乗りになったデュークの身体を引き倒して、体勢が変わる。木の床に押さえつけた身体の輪郭を指で辿るたびに、心底気持ち良さそうな声が漏れた。
「……発情してんの?」
「……っ、さあね…」
身体をひくつかせながらデュークが答える。口元は笑っていた。その余裕のある様子にいらついて、首筋に歯を立てる。
「あ、つ……」
「お前むかつく。すげえむかつく」
「むかつく魔法使いに、欲情している人は誰?」
「……俺ですけど」
にやりとデュークに笑われて、ハリスも認めざるを得ない。こいつ色魔かよ、と毒づきたくなる。
そろりと下半身に手を伸ばせば、すでに形あるものが疼いていて「そういや相手は男だ」と苦笑しそうになる。相手は男だが、肌はしなやかで腰も細く、何より色気が酷い。
「ぁ、あ、……んっ…」
「……女みたいだな」
「はっ……、褒め言葉だね」
「で?……ここに入れんの?」
指で、ぐっと秘所を突いてやるといきなりの刺激に驚いてか、魔法使いの身体が一瞬しなる。
「い……ッ、」
「……おい、魔法使い殿」
吐息がかかるほどの距離で瞳を覗き込む。冷たく冴えた色。ただ、今で言えば、蝋燭の灯と情欲が混ざって潤みがある。デュークの瞳に映る自分の瞳を見つけて、ハリスは笑う。自分の眼も、同じように情欲で染まっているようだ。
「……あんまり、俺を甘く見るなよ」
獰猛さを押し出していった言葉に、初めて魔法使いが脅えの色を見せた。
6
気だるい朝を迎えると、既に魔法使いは起きていた。旅装である袖の無いローブをきっちりと着こなしていて、昨夜の出来事など何もなかったかのような風情で呆れた。対する自分は素っ裸だったものだから、なんだか居心地が悪い。
「よう、起きてたのか」
デュークは壁に貼った、茶色く変色している古い世界地図を目の前にして、何事かを考えている。ハリスの呼びかけにも無反応だったので、仕方なく着衣を整え、傍に寄る。
「おはよう」
「おはよ」
視線は相変わらず地図に向けたまま、デュークはハリスを空気のように扱う。
「…なんかあったのか?」
生欠伸をこらえつつ、ハリスが問うと、曖昧に魔法使いは答えた。手にした菩提樹の杖の先を、地図に当てる。
「北国では疫病。すごい人数が死んでいる」
「は?」
「北東国ではご存知の通り、宰相の企みによる内乱。さらに東の東国は、王が倒れて血が流れている」
「へえ……」
「西国では最近地震と地割れが多い。更に土砂崩れで、山の麓の村は全滅だそうだよ」
「……よく知ってるな、最新情報か?旅人の噂にもそんな内容はなかったぞ」
訝しんで顎に手をやると、デュークは振り返ってハリスを見る。少し悲しげにも見えるが、冷静な面持ちだ。
「中央大陸では、害虫の大群が発生および日照り。飢饉が起きて人が死んでいる」
「世界中で何かしら事件が起きているわけだな?」
「こんなに同時に災害が起こるのは、ありえない。今の所、難を逃れているのが……」
「この南国諸島か」
「当たり」
魔法使いは再度地図に視線を投げ、呪を唱える。たちまち地図のそこかしこに、黒い染みが現れ、地図を埋め尽くしていった。染みを逃れてポツンと残ったのは、南の諸島のみだった。
「多分、近いうちに水の災害が起こる。良くて津波、悪ければ島ごと沈没かな」
「……なんでわかる?」
「式を飛ばしたから」
「……式?」
首を傾げるハリスに、デュークはため息をつきながら答える。心底面倒くさそうな所作に、少々苛々するが。
「分かりやすく言えば、僕の支配下にいる形の無いもの。見えない存在ってところ。地脈に潜って、一晩で世界を一周できるくらい早く移動できる」
「もしかして昨日の魔術は、式に命令を与えて飛ばしたのか?」
「そうだね、各地の情報を集めさせておいた。悠長に大会議なんてやっている暇なんてないんだよ。世界が傾きかけている」
「世界が傾くって……」
「カウンバルの天秤が傾いたんだ」
言われて、ハリスはふと顔を上げる。カウンバルの天秤。ここ、南国の秘蔵の魔道具のことではなかったか。
その事について言及しようと思った矢先に、窓から一匹の蜥蜴が滑り込んできた。
口には何か、金属質のものをくわえている。
「ああズキ、おかえり。早かったね」
デュークが声をかけると、ズキはかしこまって机の上にのぼり、姿勢を正す。
「お土産をありがとう。今日も一日お願い」
その言葉に反応し、ズキはくわえていた物を外してデュークの手の平に落とす。そして差し出された右肩にするりと登って動かなくなる。いつもの「装飾品気取り」というやつだ。
「相変わらず、すごいなあ……蜥蜴使いってのは。で、この変な金属、何だ?」
「カウンバルの天秤」
「は?ただの金属の棒じゃないかよ」
ハリスの物言いを嘲笑うかのように、魔法使いは口角を上げる。
「初心者はこれだからね」
「な、なんだよ……というか、それどっから持ってきたんだよ」
「もちろん、南国の大王様の王宮から」
妙な沈黙がおりた。大きく開いた、屋根裏部屋の窓の外には子供たちが駆け回る無邪気な声が聞こえてくる。
「おいおい、冗談だろ……」
明らかにうろたえているハリスを尻目に、デュークは蜥蜴から受け取った、鉄色の棒の切れ端を机にのせる。人差し指と中指をそろえ、棒に向けると、小さく囁く。
「我、魔術を心得る物なり。名はデューク・ポインター。我の呼びかけに応えるならば、汝の在るべき姿に戻れ」
小さく光が弾いて、かたりと音がする。金属は光を帯び、破片が延び絡まり、音を立てながら組みあがっていく。
からくり仕掛けの玩具を見ているような光景だった。
しばらくして、荒い造りの、古びた天秤が現れる。そこかしこに錆びが侵食し、受け皿を引く鎖もきりきりと悲鳴を上げている。
「うわ……なんだこれ、これが秘蔵の魔具だって?ただの古道具にしか見えないが」
「……。」
デュークの背後、頭一つぶん小さい肩越しに「天秤」を覗き込み、声を上げるハリスを綺麗に無視し、魔法使いは言葉を続ける。
「汝、世界の様を示せ」
かたん。
左の受け皿が、机に着地する。完全に斜めになってしまった天秤と、無表情の魔法使いと。ハリスは交互に見る。
「おい、傾いたぞ?」
「見ればわかる」
魔法使いの物言いは、どこまでも冷たい。
「左に傾いたってことは、原因は人間だね」
「え、なに。なに?」
意味が分からずハリスが問いかけると、デュークは再度ため息をつく。
「説明して欲しい?」
「……おう」
きしんで傾いている、天秤を見やる。ある程度予想はしていたものの、天秤の示した結果を残念に思う。
「南国の秘蔵の魔具である、カウンバルの天秤を作ったのは、下位に位置する一人の神」
「え、神って、神様か?」
「大元の創造主である神の下にいる、支部管理の精霊といえば良いかな」
「はあ……、そんなものが世の中にはいっぱいいるのか」
「そうだね。各地で奉られている、土地神だと思えばいい」
名は天秤につけられた名のそのまま、カウンバルといった。竜の尾と称される美しい諸島を守っていた、南国の神。
再生と破壊を繰り返す世界を、彼は途方もない長い時間の中で、それを何度も見つめていた。
自分の守っている美しい諸島も、幾度となく壊され、息を吹き返す。輪廻のようなそれを、心を痛めながら見つめてきた。下位の神であるカウンバルは、破壊を止めることが出来ない。よって、創造主の気まぐれや、または他の何者かに世界を破壊されると知っていても、どうすることもできなかった。
そこに住む動物や植物、何より人間を愛していたカウンバルは、ある日ついに耐えられなくなり、彼らに慈悲をあたえようと、ひとつの天秤をこしらえた。
創造主と、その下で働く土地神が廻している世界の均衡が崩れた際には、その機構が狂い、世界中で災害や争いが起こるとされている。その前兆を計り、均衡の崩れをすぐさま感知し、傾く天秤を人間に与えた。
『右に傾くならば、創造主の意向によるもの。左に傾くならば、罪人によるもの』
創造主の意向によるものであれば、破壊を止めることは出来ないが、災害から逃げまわり、破壊に対しての防衛策を練ることが出来る。罪人によるものであれば、その罪人を突き止め、それを消せば世界は均衡を取り戻して平穏を取り戻すことができる。
そう伝えて、南国を統べる心優しき王に天秤を与え、カウンバルは姿を消した。人間に神の持つ知恵を与えたとして、罰せられるからだ。
天秤を創造主に取り上げられそうだと案じた古代の南国の魔法使い達は、一見、ただの金属片にしか見えないよう天秤に魔術を施した。
しかし、たちまちカウンバルの所業は創造主の知ることとなり、カウンバルは神の地位を奪われることとなる。
そしてその後、カウンバルは創造主によって、海に住む最も巨大な生き物に姿を変えられた。その生き物は、一年の間に、南国の暖かい海と、北国の冷たい海を行き来する。それは、暖かい生まれ故郷が恋しい気持ちと、いまだに創造主を恐れるあまりに、北へ逃げる気持ちの表れだと言われている。
「……あ、それって、南国でよく見れるっていう」
「そう、鯨」
「おー……鯨って神様だったのか」
「元、だけどね。鯨は北国でしか歌わないんだけど、凍った海の底で響く鯨の声は、カウンバルの悲哀に満ちていると言われている」
「へえ……」
世界の土台は海だ。海の上に、創造主と戦った竜の亡骸が横たわり、大地となった。何万年、何億年とも言われる、計り知れない遠い過去の神話時代のことだ。
そして、いつの日か竜の亡骸の上に植物が茂り、動物が上陸し、人間にまで進化した。
しかし創造主は、旧友の亡骸の上に、進化した生き物がはびこることが気に食わないらしい。よって、何千年、何百年かは分からないが、ある程度の周期で、大地をまっさらにしようと何事かを企む。
「……魔法使いの間では、そういう風に伝えられてきた」
「初めて聞いたわ、そんなこと」
「だろうね。実際に今まで数千年の記録では、右側に……創造主の意向で天秤が傾いたことはないんだ」
「左側……罪人で傾いたことは?」
「数百年に、何度かあったらしい」
世界を見守っている創造主、地方各地を守っている土地神、精霊魔族その他。彼らは、彼らの範疇で動き、世界を回している。
動物や植物も、神々によって管理され、絶妙な均衡で食物連鎖や異種生命の共存が成り立っている。それを無自覚に破壊するのが、人間だ。
「単に人間の進化の過程で、環境が破壊されたり弱い種が絶滅したり……っていうのは、神々も了承しているらしい」
文明生物である人間が傲慢になり破壊の度が過ぎれば、それこそ創造主が出てきて、大地をまっさらにしてしまうからだ。その場合は、天秤は右に傾く。
「──厄介なのが、魔法使いなんだ」
「え、そうなの……」
「うん」
神々の叡智、精霊の恩寵、魔族の奥義。そういったものを研究し、聞きかじり、手に入れた人間達がいる。やがてその技術は浸透し、一般的とは言えないものの、職業として成り立つ物になってしまった。
「先読みをしたり、少し天候をいじったり、失せ物を探したり。そういうのは別にいいんだ。お遊び程度だし、影響も少ないし」
「はあ」
「だけど、行き過ぎている奴らもいる」
「……何をしたら罪人レベルになるのか、全然検討もつかないんだが」
「そうだね……人の生死にかかわる事が一番に頭に浮かぶ」
それは、とハリスが声を上げる。
「死んだ恋人を生き返らせたって言う魔法使いがおとぎ話でいなかったか?」
「マーリィ・ベルファウスだね」
「そうそう、あいつ人の生死動かしてるじゃないか」
「……あれはただ単に、死んで抜け殻になった恋人の肉体に、そこらの浮遊していた魂を捕らえて閉じ込めただけ。伝説の魔法使いでも、人を生き返らせる事はできなかった。結局死んだ恋人は戻らず、未浄化の魂で凶暴化した恋人の肉体を、マーリィは自ら破壊しなければならなかった」
「うわ悲惨。俺の知ってる話と全然違うわ」
「魔法使いなんて、所詮そんなものなんだよ」
そこらの魔法使いは、小手先の技術と、悪知恵とハッタリを、上手く連用して「らしく」見せているだけだ。魔術の世界にも算術のような方程式が存在しているが、それを言葉と杖と魔方陣でなぞり、世の仕組みを多少いじる程度のもの。
デュークはハリスを仰ぎ見、問う。
「……で、神の仕事の領域を超えたら、よろしくないのは流石のハリスでもわかるよね」
「まあなー、神様の仕事がなくなっちゃうもんな」
「それだけじゃない。世界の均衡が崩れるんだよ」
例えば時間。生まれたものは老い、死ぬ。それを巻き戻すことは出来ない。
例えば生死。生まれたものを殺すことは出来ても、死んだ者を再び呼び戻すことは出来ない。
なぜなら、それが創造主の取り決めた、世界の約束だからだ。下手に手を出せば、創造主の作り上げた世界を否定することになる。つまり、破壊に繋がる。
「天秤が左に傾いたって事は、誰かが創造主の領域にまで手出しをしたんだろうね」
「へえ?」
「それの反動が、世界中に拡がって軋みを生んでる」
「待てよ、一人の人間が創造主と呼ばれる神の長の領域に手を伸ばしただけで、そんなに悪くなっちまうのか?」
いまひとつ話の内容を掴めていないハリスに、デュークは首を振りながら答える。
「魔術界では、魔術を施した反動は、物質世界にあらわれる。物質に働きかける魔術ならね」
「……ん?なんのことだ?」
「昨夜、水を果汁に変えた。その反動は、大元の水瓶の水が腐ることで解消される」
「え、マジかよ」
「朝、水を汲みに行くお仕事してるんでしょ。見てくれば?ものすごいと思うから」
そう言われて、ハリスは慌てて階下の台所へ駆け込む。据えられた水瓶を覗くと、中の水は黒く濁り腐臭を放っていた。
「うわ、本当だ。やばいなコレは……」
慌てて水瓶を担ぎ、裏庭になっている茂みに汚水を放つ。土に染み込んで、浄化されれば良いのだが。
「ね、本当だったでしょ」
ひょこりと顔を出した魔法使いが、楽しげに言う。まるで悪戯が成功したかのような、生意気な表情だ。
「お前なあ、そういうのは最初から言ってくれよ。家主の婦人が知ったら怒られる」
「別に。その前に処理すればいいわけでしょ。井戸まで行って、水瓶洗って汲みなおしてくれば?」
僕もついていくから、と軽い呼びかけに、ハリスは「はいはい、そうですね」と、苦笑いして水瓶を担ぐ。
南国の往来は、朝市で賑わっている。日差しもまだ正午に比べれば強くはなく、鮮度が命である魚や水気の多い野菜、果物が天幕の中に並ぶ。かごに閉じ込められた雌の鶏は、卵を産む。
雄鶏はその闘争心を利用して、雄鶏同士で戦わせ、現地民の賭け事という娯楽に使われる。
客を呼び込む声、値下げ交渉をする声、様々を呈していて活気がある。朝から城下に活気があるという事は、国が栄えている証拠だ。
その往来を抜け、茂みに分け入り、進んだ場所に井戸があった。
釣瓶を落とし、縄を引き、運んできた水瓶が一杯になるまで、ひたすらくみ上げる。一連の動作でハリスの額には汗が吹き出すが、この仕事には大分慣れたと言ってもいい。
「……さっきの続きだけどよ」
「うん?」
ハリスは額に浮かんだ汗を拭いつつ問う。
「水を果汁に変えたら、大元の水瓶の水が腐っただろ」
「そうだよ」
「ってことは、なんだ。人の生死や時間の軸やらをいじると……、要するに世界の方が腐ってしまうわけか」
問いながら、井戸の滑車についた縄を一気に引く。石造りの簡素な井戸の穴から、釣瓶が顔をだした。それを掴んで、外に引き出す。
「そうだね。世界の成り立ちを侮辱するような真似をすれば、世界に反動が行く。よって、災害が起こる。」
「……その領域っていうのは、そんなに簡単に手出しできるようなものなのか?」
「まさか。相当な魔力と……そうだね、神や魔神を味方につけて、どうにかしちゃえそうな魔法使いは……いるには、いそうだけど」
デュークの脳裏に、歴代の西の諸国の魔法使いが浮かび上がる。清廉潔白であり、国民に人としての道を説きながら、魔術をもって人を救い、国を動かしてきた魔法使い達。
しかしながら同時に、強大な魔力を持ちながらも闇に屈し、魔族と手を組み、己の欲望のみを満たそうとした魔法使い達もいる。
幸い、そういった者達は、世界に影響が及ぶ前に捕らわれ、処刑されていったのだが。
実際に、デュークが西国の王宮付き魔法使いに就任したばかりの頃、西大陸に連なる小国のひとつの中で謀反が起こった。鎮静の為に国境を越えて赴いた際、目の当たりにしたのは、軍事力でもって対峙する人間同士ではなかった。
永遠の命を欲して女子供を殺し、その肉を魔族に捧げ、遂には王を弑逆しようという、血の惨劇を繰り返す魔法使い「だった」者達だった。
西諸国から集められた魔法使いで手を組み、複雑な魔術の罠を連ね、やっとのことで捕縛したその謀反の首謀者は、姿が魔で歪んでいた。
落ち窪んだ眼は血走っているのに白濁し、破れた唇は犬歯が異様に伸びていた。血で肌の色は変わり果て、骨は曲がり、人とは言えない形をしていて、声も悪魔のようなそれだった。
『世界がなんだ、時間がなんなのだ。他の人間なぞ、猿に等しい!神の知恵と魔族の力を知っている我らこそ、永遠に世界を支配しうる存在なのだ!』
血に酔って己を見失い、力こそが全てだと唾を飛ばしながら笑い叫び続ける狂乱の「元」魔法使いに、王宮付きの魔法使いを束ねていた老魔法使いは静かに諭した。
『……聞きなさい、穢れた者よ。魔術を行使する力を持っているからこそ、私たちは人と世界を守らなくてはならない。それを忘れた者は、貴殿のように醜く歪んでしまう』
それに続いて更に吐き捨てるように掠れた、反逆者の声が響いた。このやり取りは、今でも耳に蘇り、チラついて離れない。
『誰がそんな事を決めた?
創世記の神官が書いた古い落書きを、真に受けてるだけの可能性は?
創造主が清廉潔白なのなら、なぜ人間は歪むように出来ている?
神の力と魔族の力を合わせて歪んだオレを、赦すように存在させているのは誰だと思う。
じじい、お前は創造主が本当にいるって、未だに信じているのかよ』
老魔法使いは、その問いに答えなかった。
7
「んで?世界を歪ませた罪人を消せば、世界に平和が訪れるってか。元鞘ってやつか」
ハリスの能天気な言葉に我に返る。見れば、自分が回想に浸っている間に何度も釣瓶を上下させたのだろう、水瓶から溢れる程に水を汲み出しおわった後だった。これを持って帰るのが至難の業なんだよなと、ハリスは呟く。
「……そうだね。その為に今回の大会議があるんだと思う。南国の王が天秤の傾きを知らせて、諸国で怪しい人物がいるかどうか、聞き出そうとしているんだろう」
「正直にいうけどさ、デュークの言う通り、俺半年くらいこの国にいるわけなんだけど」
「うん」
「まるで、世界が傾いてるようには見えなかったぞ」
平和そのものだ、とハリスは両手を広げる。民は朗らかで茶目っ気があり、子供も元気よく走り回っている。半年間、一人の旅人としてこの国に入り込み、下働きをしながら生きていた。
肌で感じる陽気な風土は、自分にとって心地の良い物だったから、尚更意外に思う。
「そうだなあ、言うなれば……俺の故郷とは全然違う」
言って、ハリスは祖国を思い返す。草原に覆われ、国土の真ん中に山脈が走っている北東国。
地平線の遠くに、北国の、常に凍った白い山頂が見える美しい景色。遊牧と、農耕、そして水脈を辿った先にある、栄えた鉱山。足りない物は何も無いほどに、豊かな恵みを預かっていた。
……本来ならば。
「ハリスの国って、どんな感じなの」
尋ねてきた魔法使いに、笑う。
「恵まれた土地でも、政治が腐ってたらどうしようもない。そんな国」
「へえ?」
「もう国王が手の付けようのない馬鹿でさ。圧政しいて、官僚も自分の懐を肥やすのに必死で、国民なんぞ知らんって感じだったな」
へえ、と興味深げにデュークが目を細める。
「それはそれは。僕の所の国王も大分頭足りてないけど、そこまでは行ってないな……」
「まあな。王族と貴族は国庫潰して宴会し放題、国民は食うのも困ってる状態。俺、宰相だったけどすげえ大変だったわ」
「やっと身分を明かしたね、やっぱりアンタは北東国の牙だったんだ」
「まあな……」
どんなに王を諌め、国民に慈悲をかけようとしても、王も臣下も聞く耳を持たない。恵み豊かなはずの資源は食い潰され、国民は冬を越す為の蓄えすら持つことを許されなかった。
次第に、搾取され続け、抑圧され続けた国民から意欲が失せる。酪農されていた牛や山羊は、冬を食いつなぐ為に屠殺され、春が来るたびに数が激減していた。
農地は干からび痩せ衰え、疲弊した農民はそこに鋤きを入れることを諦める。鉱山は次々と閉鎖し、力を失った。
その様を、忍びの視察で知ったハリスは、何度も王に進言し、臣下に命を下した。努力は空しく、終わる。宰相の言葉に賛同し、国を建て直そうと奮起するようなまともな連中は、内政の中にはもはや存在すらしていなかったのだ。
「まあー……俺、中途採用のぽっと出の宰相だったしな。自分より在籍期間が短い宰相の言うことなんか、ききたいヤツなんて少ないのは分かりきってた。国王はやりたい放題だし、官僚も好き放題。世代交代すれば何とかなるかと思ってみれば、皇太子も同じような馬鹿のデブばかり。もう王室が腐ってるから打つ手がなかったわけ」
「……で?」
魔法使いは意味有りげな視線を送る。白状しなよ、といっているようだ。
「それで、革命を起こそうと民を煽った」
「宰相さんが直々に?」
「いや、最初は身分を隠した」
王室と内政に見切りをつけた宰相は、ボロを纏って城下に紛れた。疲れきった国民、ひとりひとりに声をかけ、国を癒す為には謀反を企てるべきだと説いてまわった。
「最初は…武器なんかもってない、王政軍と戦う力はない、そう言われたんだけどな。水面に小石を投げれば、水飛沫がたって波紋が広がる。それと同じように国にも波紋が広がって、次々と小石が投げ込まれるかもしれない……それが国を変える好機だ、そう言ってまわってさ」
最初はひとり、ふたり。内密に噂は広がり、謀反の計画に賛同する人間も増えはじめた。首都だけではなく地方にも足を運び、同じように人々を煽った。
「それで、結束力が固まってきた頃に、身分を明かした」
驚かれたが、国政を統括する最高官職である宰相が味方についていたことを、民は大いに喜んだ。
「で、反乱の手引きをして、反乱軍が王宮へ忍び込めるように警備を調整して、王の軍の指揮も俺の仕事だけど、わざと王の軍が不利になるような作戦立ててさ。最終的には、民に王の首を獲らせた」
「……国の為に民を煽り、謀反を指揮して悪い王を退治する。聞こえは良いけど、ただの人殺しの誘導じゃない。最低だよ」
「お前なーあ、相当お坊ちゃんだな。国っていうのは所詮、血が流れてこそ動くもんなんだよ」
少なくとも、北東国の王座は常に血で穢れている。王座と国は、血が流されるからこそ、変革が起こる。
「捕らえた王室関係の人間はちゃちゃっと処刑なり幽閉なりして、馬鹿な官僚共は締め上げて。国民に選挙権を与えて、国民自らが王を選ぶ時代に誘導して、俺は引退したってわけ。でもなあ…今朝のデュークの「式」の情報を信じるなら、俺が消えた後にまた内乱が起きてるんだろ?ほんと、どうしようもない国だなあ」
ふと魔法使いは疑問に思う。少々腑に落ちない点があって、そのまま聞いてみる。
「……アンタ、見たところ二十代前半だよね。僕も政治に手出ししてるからわかるけど……普通、王への謀反と内乱で、そこまで制定するのには相当な時間がかかると思うのだけど。どうなってるの」
「そこはデュークの勉強不足だよな」
いつかデュークがハリスに聞こえないように言った言葉を、ハリスは聞いていたらしい。同じ台詞を返されて、デュークは鼻白む。
「北東国の王宮には魔術的な仕掛けがあるんだ。そこにいる人間は、年を取らなくなる。長く安定した政治の為に、人事入れ替えがしょっちゅうじゃ困るだろ?だから王宮で働く奴らは、いつまでも若さを保っていられるんだ」
そして、ほぼ老いることを知らない王は、必ず誰かに殺されることによって世代交代する。皇太子や皇女、臣下が、王に不満を抱き、剣を抜く時こそ政権交代が起きる。その為、北東の古い歴史の中では、王が弑逆されることを恐れ、世継ぎが生まれると殺してしまう風習があった。
皇太子や皇女、臣下もろともが王に賛同し、同じような視線を持っているならば、一人の王で何百年でも何千年でも国政を行うことが出来る上、国は安定する。
しかし、一回でも腐った王朝になってしまえば、死によって王が倒れるという事はないため、苦しい時代が恒久的に続くことになる。
話を聞いていたデュークは感嘆の声をあげた。
「北東国の魔法使いは時間術を応用して、建築までしてたのか。知らなかった。ハリスはいま何歳なの」
「俺?数えてみれば四二歳。お察しの通り、乱を起こして平定するまでに二十年弱かかった。でも見た目は二三、二四くらいに見えるだろ」
魔法使いはちらりとハリスを見る。日に焼けて、少し赤みがかった白い肌。健康そうな顔色に、溌剌とした灰色の瞳の色は、とても四十代の人間の物には見えなかった。
「……ふうん、なるほどね。昨夜、絶倫だった理由が分かったよ」
言われて、ハリスは苦笑する。
「はは、経験豊富ですからね。……だけどな、実は現在の北東国で、時間を操れる魔法使いなんていないんだよ。軍事国家だったし、魔法使いも飾り程度で殆どいない。かなり古い歴史の中の魔法使いが、魔術を込めて建てたのが「城」のみだった。北東国が魔術で誇れるところはソコだけだな」
「うん」
「時知らずの城って言われてたんだけどな。また腐った政治が何百年も続くってことになったら厄介だから、全部潰しちゃってさ。城が欲しければ、また新しく建てるように言い置いてきた。これで北東国に立つ新しい王も、臣下も、普通の人間として政治を行える」
そもそも、よく考えれば、北東国の城は呪いと変わらない。王宮に住むものは良いが、長らく王宮暮らしをしていると、庶民の暮らしを忘れる。
たった十年で子供は育ち、老人は死ぬ。そんな簡単な時間の概念さえ、実感がわかなくなるから、政治が腐る。
呪われた城がなくなり、これからの新王と官僚達が、国民と同じ時を生きるならば、そういったことも少なくなるだろう。今現在で内輪揉めをまだ続けているのならば、平和への道のりは遠そうだが。
「そうか……時間の進みを止めるのではなく、極端に遅くする様に龍脈や方角、装飾を魔術的に計算して建設したなら、『世界の均衡』を崩すような……時間軸を捻じ曲げる領域までにはいかない。上手いこと屁理屈をこねたね……すごい魔法使いだ」
「おう、今思えば、城建てた魔法使いはすげえよ。デュークに言われるまで気付かなかったんだけどな、王宮の庭に何匹も犬や猫を放していてさ。そいつら何でだかわからなかったが、みんな一年やそこらで死んじまうんだ、原因は老衰。ちょっと考えたら、有り得ないことだよな」
「老いを極端に遅くさせた反動は、王宮に暮らしている『人間以外』の生き物に行く」
「そういうことだったみたいだ。植物もすぐ弱っちまう。環境保護と動物愛護の奴らが知ったら、殴られそうだよ」
「もう、原因の城は無くなったし、ハリスもこれからは普通に年取るんだから大丈夫でしょ」
「そうだな」
頬をなでる、柔らかな風が流れた。色々白状したついでに、ハリスは吐息に乗せるようにして呟いた。
「……城を建てた魔法使いは、国の為を思って魔術を施したんだろうが、結果的に……北東国は血ばかりが流れる穢れた国になった。王の首を獲らせた時に、ふとそう思った」
「そう」
「昨夜、お前が愚痴ってた魔法使いを辞めたいって言葉さ、なんとなくわかったよ。城を建てた過去の魔法使いが、たった一つの城のせいでどれだけ血が流れるのか知っていたら……時知らずの城なんて建てなかっただろう。未来を知りつつ、城の建設が王からの勅令で逆らえない事だったとしら、その魔法使いはデュークと同じく、『魔法使いを辞めたい』って言ったかもしれないな」
鳥が一声を上げ、木から飛び立っていく。木の枝と葉が擦れる音。往来と比べ、井戸の周りは静かだ。
「魔術って、俺はすごい憧れているんだけどさ。もしかしたら無い方がいいのかもな」
「……極論だね」
「見ろよ、周り」
言われてデュークは周囲に視線を投げ、一巡りさせる。井戸の周りは、下草の茂みと、大きく葉を広げる南国の木々だ。
「木は魔術なんかなくても、水と光と土と時間で、ちゃんと育つ。育った木は家にもなるし、薪にもなる。鳥の住処にもなる。それで、枯れて倒れた木は、新しい木の苗床になる」
「そうだね、魔術なんかなくても、木は幸せだ」
「木材を即座に大量に欲しがって、木に成長促進の魔術を仕掛けるのは……まあ、人間の我侭ってもんなんじゃないかな。魔術は便利だから俺も色々お世話になりたいけど、ちょっと思ったそんなことを思った」
「僕も……たまにそう思うよ」
陽気な蜜蜂が、花の周りを踊るように飛んでいる。
水が一杯になったひと抱え以上ある水瓶をどう運ぶのか、デュークは興味深く観察する。ハリスは腰に巻いていた幅広で長い麻布を外し、水瓶と自分自身の身体に巻き、くくりつけて立ち上がった。
「おんぶだね」
「結構イケるだろ?この布、近所の子供がくれたんだ」
黒い肌に白い歯の、生意気で可愛らしいジウラ。日除けに、とくれた布は、日除け以上に役に立つ。汗を拭うにも、こうやって物を運搬する際にも。
「まあ、歩くたびに水が零れて、俺ちょっとびしょ濡れになるけどさ。どうせ汗で濡れるんだから同じようなもんでしょ」
「あっそ」
「……そういえば、お前いつも涼しそうな顔してるけど」
「日除けと、体感温度を下げる魔術を肌にかけてる。軽いものだから、目に見える反動は出ないよ」
「……それ、俺にもかけてくんないの?」
「僕は人を甘やかさない主義なんだよね」
「ほんとお前、性格悪いな」
「なんとでも」
井戸から往来へ戻り、屋敷への道を歩く。途中で、ハリスを見つけたジウラと他の黒肌の子供たちがちょっかいを出して来、デュークの蜥蜴を珍しがった。
歩きながら子供たちと話し、子供たちが氷を見たことがないという話題を出し、それを聞いたデュークは腰につけた革袋から小さな水晶をいくつか出し、子供たちに与えた。
「うわすげえ、水が固まったみたいだ。これ、氷?」
「石だよ」
はしゃぐ子供たちを見ながら、鬱陶しそうな顔をしつつも、デュークは笑っていた。
その表情に隠された、魔法使いの柔らかい感情を盗み見て、ハリスも笑う。こういう穏やかな光景が、いつか自分の祖国でも頻繁に見れるようにと、見えない神に願う。
子供たちと別れ、住まいの屋敷の門をくぐると、玄関に家主の老婦人が立っていた。肌は明るい茶、額に赤いしるしをつけている。それは南国の身分の高い女性だけが許される象徴で、魔除けを意味する物だと前に本人から聞いていた。
「ああ、ミーザンさん。水遅くなっちまってすいません!喉乾きました?」
慌ててハリスが水瓶を背負ったまま駆け寄ると、日除けの布を外しながら、老婦人は穏やかに笑った。
「いいのよ、水を待っていたわけじゃないの。お客様がいらしたから……」
「ミーザンさんに?」
「いいえ、貴方たちにご用があるみたい。貴方たちのお部屋に通そうとしたのだけど、屋根裏には入れないって仰って。今、客間で待っててもらっていたの」
老婦人の言葉に、デュークとハリスは顔を見合わせる。一拍置いて、デュークがハリスの耳元に言葉を寄せる。
「……屋根裏に入れないってことは、多分魔法使いだ。それも、高位の」
思いがけない言葉に、弾かれたようにもう一度視線を合わせる。
「……なんでわかる?」
「僕以外の魔法使いは、あの部屋に入ることも、覗くことも出来ないようにしてある。一般人なら気がつかないだろうし、下位の魔法使いなら、無理やり入ろうとして痛い目をみる」
「……お前なあ、あの部屋になに仕掛けたんだよ」
「内緒。とにかく注意して、大体目星はついてるから」
「あ、おい」
ハリスを残して、デュークは屋敷へと入っていく。その際に、老婦人に声をかけた。
「ミーザンさん。ハリスは水が遅れたお詫びに、北東国の料理を振舞ってくれるそうです」
「……あらまあ、嬉しいわ」
「え、ちょっと、こらデュークお前、」
「ハリスは台所へ行きます。僕はお客様に会ってきますので、客間を少し貸しておいてください」
「ええ、良いわよ」
それでは、と老婦人に一礼をし、デュークは屋敷の奥へと消えていった。
残されたハリスは、困ったように老婦人を見る。その表情を見て、老婦人は微笑んだ。
「わかっているわよ、魔法使い同士は内緒話をしたがるものなの。心配なのはわかるけれど、ハリスは台所にいらっしゃい、朝市で買った果物があるから一緒に食べましょう」
8
風通しのよい客間へ入ると、一人の体格の良い男が椅子に座っていた。後姿が見える。黒髪を後ろでくくり、一本の棒のように編んでいる。
その髪型の由来は、首を切り落とされそうになった際に、硬く編まれた髪が邪魔をして、致命傷を防ぐ為の物だ。中央大陸の男の伝統的な髪型だと知識では知っていた。
その髪には鷲の羽根や石、不思議な色合いの紐が編みこまれており、裕福な身柄だと推測できた。
「何か御用ですか」
デュークが声をかけると、男は振り返りもせず答えた。
「カウンバルの天秤が、盗まれたのです。西国の王宮魔法使い殿。」
「そうですか」
デュークは回り込み、男の正面の椅子に座る。瑠璃と螺鈿の細工がされた豪奢な卓をはさんで、向かい合う。
「……返して頂けますかな」
「なんのことでしょう」
デュークはしらばっくれる。もし南国の王宮で、秘蔵の御物が盗難にあったら、普通はその国の者が捜索に当たるはずだ。
赤味がかった濃い色の肌に、深く刻まれた皺と、高い鼻。衣裳は革をなめした上下。目の前の男は、南国出身の者ではない。
「貴方が天秤を奪ったのはわかっている。いや、その蜥蜴が、と言ったほうが良いですかな。南国の蜥蜴とは違う、独特の足跡が残っておりましてね」
心の中で舌打ちをする。ズキに天秤を盗ませたのはそうだが、足跡を残すなと念を押すのを忘れていた。
それでも、デュークは皮肉を言う。
「……お返ししますよ、屋根裏に置いてあります。勝手に持っていってください、既に天秤は傾いているようですが」
「勝手を言って下さるな。あの部屋は複雑な魔術の罠が掛けられている」
「じゃあ、諦めてください」
「……南国側はまだ気付いていない。大会議の直前で御物が盗難され、戦争沙汰になる前に南国にお返ししたい」
「戦争になりますかね、言ったでしょう、『天秤は傾いていた』と」
デュークが再度言うと、男は片眉を上げた。しばらく黙り、口を開く。
「……どちらに傾いていた?」
「左。罪人によるものです」
簡潔に答えると、赤肌の魔法使いは額に手をやる。しばらく考え込んだ後、搾り出すように言った。
「……確かか」
「確かです。各国の状況を調べた所、この諸島以外は大量の人間が死んでいる。明らかに世界の均衡が崩れています。あなたの故郷では、害虫と日照で餓死する人間が多いでしょう」
その言葉に、相手は弾かれるようにして顔を上げた。驚愕の色がとってみれる。
「何故知っている」
「調べましたから」
「西国は諜報が専門なのか?」
「いえ、僕が単独にやってるだけです。王宮は関係ありません」
「では……罪人の場所も?」
「そればかりは、何とも。知っていたらもう動いてます」
デュークは肩を竦める。世界が「罪人」の咎により沈もうとしている今、魔道具のひとつやふたつが失われても、騒ぐ余裕など有りはしないのだ。
まずは罪人のいる「場所」を。そして、罪人が「どのような人物」なのかを。世界の均衡を崩す、どのような「罪に手を染めたのか」を。最終的に、どのようにして「罪人を消す」のかを考えなければならない。
ふと思って、デュークは赤肌の魔法使いに言葉をかける。
「そういえば……天秤が左に傾いた際の、前例は記録にありますか」
デュークが聞くと、男は首を捻る。
「中央国では、記録は文字にしない。すべて口伝なのだが……古き我が魔術の一族が遺した言葉によれば、『強い情念が神を脅す時、神はそれを承知する』と」
「……それだけですか」
「申し訳ない……この言葉が今の状況に当てはまるかどうかですら、定かでは無い。しかしその言葉の後に、我が国では災厄を題材にしたおとぎ話が沢山生まれている」
「なるほど……」
デュークは考え込む。まるで、雲を掴むような話だ。強い情念を持った人間が神を脅し、均衡が崩れるという話は有り得る話だが、場所が特定できなければ意味がない。
「ああ、そういえばもうひとつ」
「なんですか」
赤肌の魔法使いが指を上げる。
「『腐食は一点より起こり、全てを侵食する』という言葉が。これはおよそ五百年前の……、先ほどの言葉と同じ年代にうまれた諺なのだが」
デュークの頭の隅に閃くものがあった。
五百年前。魔法使い。諺。
目が覚めるような感覚を覚える。デュークは思わず身を乗り出した。
「似たような言葉を僕の国でも……『汚濁された水の始まりは、一滴の墨から』と。確か……古い魔術書に、走り書きされていました。書物は自体は六百年ほど前のもの、走り書きの筆跡や古さは更に百年ほど後のものです、ようするに貴方の言葉と同じ年代だ。ただの教訓めいた落書きだと思ってましたが、何か関連性はありそうですか」
「わからないが……他の国の古い言葉で、同じ年代で同じようなものが揃っているのならば、世界の均衡が崩れた原因の罪人を探す手がかりにはなるかもしれん」
「……少し待っていてください」
妙に確信めいた気がして、デュークは席を立ち、屋敷の玄関近くの台所へ足を運ぶ。覗き込めば、ハリスと老婦人のミーザンが、仲良く茶を飲んでいるところだった。
「ハリス」
呼びかけに、ハリスは顔を上げる。
「お、話終わったのか?」
「あんたの潰した時知らずの城って、相当古いよね。建てられてからどれくらい?」
「え、なんだよいきなり」
きょとんとした顔に苛つきを覚えつつも、どうにかこらえて事情を説明する。話を終えると、ハリスはあごに手をやりながらこたえた。
「そういうことね……あー…、多分千年以上前だと思うぞ。すげえ古かったからな」
「何か、教訓めいた言葉や諺、城の中に何かなかった?」
「なんかあったかな……言葉……教訓…」
考え込んでいる北東国の元宰相の言葉を、辛抱強く待つ。これは重要な手掛かりにもなりうる。
「……教訓かどうかは知らないが、『蝙蝠が空を隠すさまも、元の洞窟はひとつ』って、据え付けの玉座に刻まれてたのは覚えている。玉座は城よりも多少新しくてさ、何か大きな乱がおさまった後に入れ替えられたらしい。適当に見積もって五百年くらい前かな。薄気味悪いから、何度も上から塗料を塗って隠そうとしたらしいんだが……すぐまた文字が浮かび上がるんだ。魔術的な言葉なんじゃないかと、王宮では言っていた。俺も何度も目にしてたし、実際国を出るときにその玉座も砕いてきた。この言葉については確かだよ」
ハリスの返答に、デュークはこっそりと拳を握る。五百年前の玉座に教訓。これは質の良い情報と言える。
「多分、「蝙蝠」は災厄を表している。蝙蝠が空を覆うように災厄が世界中に蔓延しても、発生源はひとつって意味だ。
洞窟は、最初に災厄が飛び出した場所を意味していて……要するに、蝙蝠が飛び立つ場所、洞窟を絶てば蝙蝠である「災厄」は散り散りになるという意味だと思う」
早口で呟き、思案を走らせるデュークに、ハリスは訳が分からず首を傾げる。
「はあ?」
「客間にいる中央国の魔法使いの言葉、『腐食は一点より起こり、全てを侵食する』は、「腐食」が災厄を意味している。物が腐るのは一箇所から、最終的には丸ごと腐食が進むという内容。すなわち……最初に腐った場所を探せという意味に取れる」
「あー……何言ってるんだ?」
「ハリスは黙れ。僕の国、西国の魔術書の走り書きにあった『汚濁された水の始まりは、一滴の墨から』は、「汚濁された水」を災厄が蔓延した世界と示していると考える。始まりは一滴の墨から……最初に水を汚染した一滴の墨汁が、災厄の発生源と解釈できるか……」
腕を組んでぶつぶつと呟いているデュークに、ハリスは当然のように突っ込む。
「よくわからんが、全部偶然じゃないのか。突飛すぎるし、都合よく解釈しすぎてるように思えるんだけどな」
「いや、重要な手掛かりだよ。今の三つの言葉は、全て同じ年代の魔法使いが遺した言葉だ」
公式な記録では残っていないものの、噂では数百年に何度か、天秤は左に傾いていると聞く。過去に天秤が左に傾いた時、どう対処したのか。崩壊を止められず、破壊しつくされて、まっさらになった土地を再生させて今の時代があるのか。それとも、何かによって崩壊を食い止めたのか。
現在の世界状況や文明の発達度を見れば、破壊と再生を繰り返したようには見えない。ならば、答えは後者だ。
公式な記録に残せない理由があったとしても、世界の傾きを経験した魔法使いは、必ず次の世代の為に何かを残すだろう。目立たないようにこっそりと、表向きは諺や教訓、何かの走り書きとして、隠して記録を残したと考えれば、納得がいく。
ばらばらのものであれば信憑性も薄いが、年代と内容が同じようなものが、世界中に散らばっているとなれば話は別だ。
今知った、三つの言葉の共通点。腐食、汚れた水、蝙蝠……連想させるのは「悪いもの」、
そして、それの元がひとつであり、最初の場所に意味があるという事。すなわち、災厄が「最初に起こった場所」に、罪人がいる可能性を示しているように見えた。
話の筋が分からないハリスを置いて、デュークは老婦人に目を向ける。老婦人は、今までの話を聞いていたのかいないのか、のんびりと果物の皮を剥いている。
「ミーザンさん、魔術には明るい方ですか?」
「たまに街の魔法使いに占って貰うくらいよ、あまり詳しくはないわ」
「今のハリスが言ったような言葉、南国の魔法使いも言ってませんでしたか?」
いつになく必死な蜂蜜色の髪の魔法使いの姿に、老婦人は首を傾げる。
「そうね……ああそうだわ、実は玄関の神様の石像……カウンバルっていう古い南の国の神様なんだけど」
言って、老婦人はハリスとデューク、そして客間で待っていた赤肌の魔法使いを呼び寄せ、玄関まで案内する。植えられた葉の大きい椰子の木が落とす影は、濃い。
その影と日に彩られ、鯨の尾を持つ神の石像が玄関の門扉の前に据え付けられている。特に磨かれもせず、壊されることもなく、ただただ時を重ねただけの存在だが、妙な厳かさが見え隠れするのは、神を模した像だからだろうか。
「人間に入れ知恵をして鯨にされてしまったというおとぎ話が残っていて。その鯨をこの国では神聖な生き物として見ていてね。今でもこの神様は皆に愛されているのよ」
「……ええ、知っています」
デュークは頷く。
世界を計る天秤を作り出し、人間に与え、鯨にされたカウンバルという神。民間人の中ではおとぎ話で収まる話だが、天秤が実在していると知っている自分たちが改めて話を聞くと、なんだか不思議な心地になる。
「この石像、実は死んでしまった夫の一族が大切にしていたもので……造ったのは魔法使いだといっていたの。主人の裕福な身の上は、代々魔法使いと色々何かをしていたからだったようよ。詳しくは私もわからないのだけれど、この石像は確か作られてから五百年以上のもの。この家の守り神としてここにあるのよ。夫が死んでしまってから魔法使いとのやり取りもなくなって、この石像もずっと放置されているのだけれど……」
「……少し調べさせて貰えますか?」
「どうぞ。私にとっては、親しみ深い神様の古い石像ってだけだから」
「ありがとうございます」
「私は、台所に戻るわね。冷たいお菓子でも用意しているわ」
物腰も柔らかく老婦人は言って、玄関から屋敷へ入っていく。魔法使い同士の秘密主義を知っているのであろう、小さな心遣いが有り難かった。
残されたのは北東国の元宰相、西国の王宮付き魔法使い、中央国の代表である高位魔法使い。三人は石像の前で改めて顔を見合わせる。
「……まるで、大会議の前座だ」
自分を含めた三人の肩書きをすべて知っているデュークは、肩をすくめる。ハリスと赤肌の魔法使いは、お互いの身分を知らないため、図りかねるといった顔をしていたが。
「とにかく、プライベートな空間で、三つの国の代表格が揃っちゃったんだ。今更後には引けないよね。紹介するよハリス、こちら中央国の魔法使い殿。名前は……」
「レイムディア。鷹の英知と、月夜の狼の声を愛する者。王の側近として仕えている」
「はあ、」
よくわからない、といった顔をしたハリスに、デュークが解説をつける。
「……中央国の荒野の魔法使いは、メディスンマンって言うんだ。純粋な魔法使いと少し流派が違う……祈祷師とか、呪術師といったほうが良いかな」
「ああ、土着信仰みたいな感じか……」
「そういった呼び方は好ましくない。我らは大地を母とし、天を父として見ている。世界の全てを愛するが故に魔術を志した、崇高な意思を持つ者だ」
「それは、どうも」
あまり仲良く慣れそうもない二人の会話を聞き、次いでデュークは赤肌の魔法使いに、ハリスを紹介する。
「レイムディア、こちらハリス。北東国の元宰相だ」
紹介されたレイムディアは、北東国と聞いて眉間に皺を寄せる。
「……血で穢れた軍事国。その牙か」
今度はハリスが顔をしかめる番だった。
「そう言われちゃ、何も言い返せないがな……平和になろうと、ウチの民だって必死だったんだ、血で穢されて泣いているのは民そのもの。俺を牙呼ばわりするのはいいが、国を丸ごと軍事国で片付けるのはやめてくれ」
剣呑なやり取りをしている二人に小さく溜息をつき、西国の王宮付き魔法使いは言葉を締める。
「はい、自己紹介はここまで」
パン、と強く手を叩き乾いた音が響く。昆虫の羽音や鳥の声、先ほどまで満ちていた命の囁きが消え去り、張り詰めた静寂が満ちた。
「今、一応だけど遠視も盗聴も出来ないようにした。あまり長く出来ないから、さっさとこの石像を調べよう」
デューク、ハリス、レイムディアの三人で手分けをし、丹念に石像をあらためる。苔生した箇所を洗い磨くと、薄っすらと刻み込まれた文字のようなものが見え、デュークは「よし」と拳を握った。
レイムディアとハリスを呼び、刻まれた文字を示す。
「よく見つけたな……で、この文字はなんて読むんだ?」
鉄の棒と金槌で、粗く彫られた何かの羅列。一通り検分して、ハリスの問いにデュークが答える。
「多分、南国の古い民族の象形文字だね」
「残念ながら、俺はこの南国の言葉の発音も読み書きも子供並みにしかできない。俺にはなんて書いてあるか検討もつかないわ」
では、とレイムディアが言う。
「中央国と南国は、太古の時代に国交があった。中央国は文字を使う文化を取り入れなかったが、南国の文字を刻んだ石版が何枚も国庫に保存されている。わが国に伝書鳥を飛ばそう。問い合わせて石板と照らし合わせれば……」
「そんな時間はない。今すぐわかることだ」
レイムディアの言葉を遮って、デュークが石像から一歩離れる。
「……レイムディア」
「なんだ」
「今から見ること、聞くこと、感じたことを、外に漏らすことを禁じる。言葉でも、あんたの国の文化にはないかもしれないが、文書でもそうだ」
鋭さを伴う言葉に、レイムディアは片眉を上げる。
「……契約か」
「そこまではいかない、魔術的な制約だよ。僕の手の内を見るのはいいが、周りに吹聴されては困るからね。禁を破った際の対価はそうだな、あんたの愛する息子と娘でどうかな」
「……おいおい、何の話してるんだよ、俺、意味わかんないよ?」
頭に疑問符を浮かべながら、交互にデュークとレイムディアを見るハリスに、デュークは告げる。
「魔法使い同士の儀礼的なやり取りだから、気にしないで。」
「あっそ……」
「で、レイムディア。どうする?」
西国の王宮付き魔法使いは、年こそ若いものの、魔術的な技量の差は側に居れば分かる。桁違いに強いのだ。同じ王宮付きとは言え、魔力の圧倒的な差に不利を感じ、赤肌の魔法使いは頷く。
「一族の血を私の手で穢すことは出来ない。承諾しよう」
「ありがたい」
デュークは左胸に手を当て、中央国の礼をとる。その後で、手にした菩提樹の杖を土の上に深く突き立てた。
「ガルジ、出て来い」
『……此処に』
南国の道は、舗装されていない。そして、老婦人の住まう屋敷の庭も、土と雑草が同居している湿った地面ばかりが続いている。そこから、水面から浮かび上がるように、ぬるりと何かが持ち上がった。
ハリスとレイムディアの背に違和感が走る。陽が明るく照らしているにもかかわらず、宵闇を思わせる不安が満ちた。
最初は、背。そして、肩、頭。
上半身を起こすように、何者かが大地から出てくる。
物質的な問題を全て無視した異様な光景に目を見張った。
悲鳴を上げそうな喉を叱咤しつつ、改めて見返すと、淡い銅色をした髪の、女の上半身が大地から生えていた。
水に濡れたような長い髪は、顔や身体に張り付き、その肌は鱗があるかのように薄く光っている。両腕は鳥の翼を呈しているが、同じく粘膜に覆われているようにぬらりとしており、翼本来の機能は無いように見えた。顔立ちは整っているが、両目は堅く閉じられ、眉間にある異様に大きな真円の瞳がこちらを見据えている。
瞳の色は様々な色が混ざり、何色かと聞かれてもうまくこたえられないだろう。
「……さ、西国は蟲を使うのか、」
絞り出したようなレイムディアの声に、西国の魔法使いは鼻で笑う。
「蟲?これが蟲に見えるならあんたは相当馬鹿だ」
ハリスは、違和感を胃の底に無理やり下したあと、目をしばたかせる。恐ろしいような光景だが、親しんだ西国の魔法使いが呼び出した物なら話は別だ。好奇心が刺激されて、聞かずには居られなかった。
「……コイツ何だ。というか、虫って何だ?俺置いてけぼりだぞ」
訳がわからなくて、興奮と疑問で爆発しそうになっているハリスに、レイムディアは答えた。
「蟲とは…低級の魔族の事だ。自我も少なく、力も弱いが……魔法使いの中では蟲を手下にして使う輩が居ると聞く」
「え、こいつ虫なの?」
「……昆虫という意味ではないよ、それは弱い蛆虫という意味。彼女は、全然違うんだけどね」
デュークが静かに訂正を入れ、土から生えた女のような存在に声をかける。
「ガルジ、この文字が読めるか」
石像に刻まれた象形文字を指差す。ガルジと呼ばれた女は、上半身を露出した姿のまま、水面を滑るようにしてそのまま石像に近寄り、真円の額の目を動かす。
『始まりは病、終わりに水。突き進んだ荷馬車は丸ごと海に飲まれる、と。この石像を造った魔法使いは、災厄を経験しております』
静かだが、異様に響く女の声。赤肌の魔法使いは額に汗を浮かべ、硬直したかのように動けない。魔力的な事は何も分からないでいるハリスも、言葉を発しないほうが良いように思えたので、黙って観察している。
「……ガルジ、災厄について詳しく知っているか」
『神々の天秤に関しては、我らの知る範疇ではございません。口添えできることは何も』
「わかった。下がっていい」
『かしこまりまして』
デュークの言葉に、女は身体を倒す。水に沈んでいくように、するりと大地に消えた。背筋に居座っていた、妙な緊張感と違和感も解けた。
それと同時に、レイムディアの腰が砕ける。べたつく嫌な汗と、震えが止まらない。大地に膝をつき起き上がることが出来ないまま、呻いた。
「西国の王宮付き魔法使い……」
「僕の名前はデュークだよ」
「では、デューク殿……お前は……魔族を使役しているのか。なんということを。対価はなんだ!」
魔法使いが魔族と手を組む。それは最大の禁忌だと言われていた。創造主や神々、人間ととは違う次元に存在する魔族は、人を闇に落とし入れ騙し、世界に火種を投げ込む。魔族が呼ぶものは、戦火、災害、恐怖だとされている。
悪の根源を容易く使役する魔法使いを心底軽蔑し、恐れの色が濃い赤肌の魔法使いに、デュークは答える。
「……魔族だから何。彼らは平和主義者なんだ、対価なんてないよ」
「魔族と、信頼し合っているとでも言うのか!」
「信頼……そうだね、そう言えるかもしれないね」
あれ、とハリスは思う。その言葉を、前にも聞いたような気がする。
「とにかく、ガルジが長生きかつ物知りでよかったよ、魔族だから当たり前だけど。おかげで、この石像の言葉で謎が解けた。『始まりは病、終わりは水』という事なら、災厄が始まった場所は疫病の影響が出ているはずだ」
言われてハリスは思い返す。疫病で多くの人間が死んでいると、今朝いわれた国。
「確か…、それって北国だったか?」
「そうだね、終わりはこの南国。どうやら災厄は北から南下しているんだろう。今日か明日か一ヵ月後かわからないけれど、近いうちに水の災害がこの諸島を襲う」
「その後は……その後はどうなる」
やっと立ち上がり、肩で息をしているレイムディアに、デュークは視線を投げる。そんなに恐れることはないのに、と思う。魔族とまともに対峙したことのある魔法使いなど、殆どいやしないのだから、レイムディアの態度は当たり前のものなのだが。
「突き進んだ荷馬車は、そのまま海に飲まれる。その『荷馬車』は世界を表しているんだろう。『海にのまれる』ってことは…ついに竜の亡骸も沈没する事になるんじゃないかな」
重さの欠片もない、淡々とした説明に、レイムディアは呆然とするしかない。それはハリスも同じだ。北東国の宰相として、国のいざこざと何年も戦ってきたが、世界が海に没するという事態は、巨大すぎて受け止めきれない。
「じゃあ、さっさと北国に行って、罪人を消そう。僕は屋根裏を片付けてくる。ハリスはレイムディアに今後の南国の対策を教えてあげて」
そう言い残し、西国の魔法使いは屋敷の中へと消えていった。残されたハリスは、少々困る。
対策。そう言われてみれば、この国でおよそ一ヵ月弱の後に大会議が開かれる。各国の首脳に近い人間が集まっている。そこで水の災害が起こるかもしれないという可能性。
ハリスの脳がやっと回転をしはじめる。
「あー……よし、レイムディア。俺も状況が上手く掴めないんだが」
「ああ」
「とりあえず、俺は北東国の元宰相だが、大会議には関係ない人間なんだよ。北東国は今回の大会議に参加しないし、正直な所……俺は亡命しにきたんだ」
「……北東国はそんなにも荒れているのか」
「その話はいい。とにかく大会議に参加するのはアンタだ。デュークは見たところ、招かれてはいるらしいが、自国の主人も会議も放置して、北国に行こうとしている」
「そのようだな」
「だから、いつ水の災害が起こってもよいように、アンタが対策を練ってほしい。南国の大王様の王宮には、素晴らしい魔法使い殿が大量に居るんだろ?」
世界の均衡の崩れを魔術で防げるものなのか、魔術に疎い自分には想像も出来ない。だが、造船を活性化させ、人々を避難させることや、津波に備えて堤防を築くことは可能だ。
人海戦術で行うのも勿論だが、魔術の助けがあれば容易いだろう。
「今すぐレイムディアは南国の王や首脳の所へ赴いて、危険があると知らせろ。カウンバルの天秤を盗み、世界の傾きを知り、飛び出した奴が居るってこともだ。
デュークが使役した『式』の情報では、北国は疫病、西国は地震、北東国と東国は内乱、中央国は……お前も知ってる通り、飢饉が起こっている。大会議に集まってる連中は、自国それぞれの問題だと思ってるようだが、それは全て一連の問題で、世界の均衡が崩れているが故に起こっている事だと、そう教えてやれ」
「し、しかし……デューク殿に、応援は必要ないのか。一人で罪人を探し、消すのは大任に思えるが」
「さあ……あいつ群れるの嫌いみたいだから単独で動くんじゃないのか。魔族のお友達も居るみたいだし」
「……そうだな、魔族絡みだと知れば……他の魔法使いの混乱も招く」
そこで、とハリスは人差し指を立てる。腰の革袋から出した紙切れに、携帯用の硬筆で何事かを書き付け、赤肌の魔法使いに渡す。
「元とはいえ、俺は北東国の宰相だった。デュークの後援に北東国がつくと言えば話も通るだろう。なんてったって、北東国と北国は近いから、自然だ」
レイムディアは書き付けられた紙切れを見る。
「罪人の処理に、北東国は全面的な支援をする」という簡潔な内容と、北東国、前宰相ハリス・ジャッドと記されていた。
その下に、独特の印が押捺されていた。見れば、ハリスの手元にある硬筆の後部は、印が押せる仕掛けになっている。
「その印は北東国の上層部の人間だけが使えるものだ。人それぞれ印の形が違う。見るものが見れば、俺の正式な書状だとわかる」
「なるほど……有り難い」
小さな紙だが、その重みは計り知れない。レイムディアが南国の王宮に戻り、事の次第を話せば、南国中は大騒ぎになるだろう。数々の事を聞かれ、頼られ、あるいは批判されるかもしれない。その一つ一つに対応し、人々を先導するのはレイムディアだ。
「……レイムディア、出来るか?」
「出来る限りのことをしよう」
「頼りにしてる」
「ハリス殿はどうなさる」
レイムディアに聞かれて、ハリスは頭をかく。そう言われれば、聞かれるまで、自分が今後どうするかは、考えていなかった。デュークが好き勝手に動くから、物珍しくて見物しながら付いてまわったが、自分の考えは全くない。
世界の均衡や、罪人、魔族のことや魔術の世界は、正直よく分からないし実感もないのだ。
「俺ねえ……」
「ハリスは僕と一緒に行くよ」
「え」
唐突な言葉に振り返れば、旅支度を整えた魔法使いが立っていた。小首をかしげ、悪戯気に笑っている。
「デューク殿、西国の代表として向かわれるのか。西国の王はこれの事をどう処理なさる……」
レイムディアの問いかけに、更に魔法使いは笑みを深める。
「残念。僕はもう、西国の王宮付き魔法使いじゃないんだよね」
「え?」
「何?」
同時に言われて、デュークは思わず吹き出した。ローブの内側に入れてあった、南国の大会議の招待状を開いてみせる。
「見て、これが証拠」
魔力をもって作成された書状は、正式に招待された者だけが持つことを許される。他人が王族や関係者に成りすまし、大会議に潜り込むことを防ぐ為だ。招待する者の条件は、各国の首脳部で正式に働いている者。
それ以外の人間が手にすると、白紙になり、使い物にならなくなる。
「おい、これ」
「……白紙ではないか」
西国の王宮付き魔法使いが手にしているならば招待状は有効な筈だが、デュークが開いて見せた紙は白紙。ただ、招待者である南国王宮のサインと印だけが寂しげに残っている。
「実は、昨日の夜から、僕はハリス・ジャッド様付きの魔法使いなんだよ」
「はっ?!」
デュークに、恭しくお辞儀をされ、ハリスは驚く。
「俺のお抱え魔法使い?!」
「昨日、承諾するって言ったでしょ。肉体関係もあるし」
「……ハリス殿とデューク殿が。な、なんということを」
開いた口が塞がらないレイムディアと、変な汗をかきはじめたハリスに苦笑して、デュークは説明を重ねる。
「元々、僕は西国を脱出するつもりだった。縦社会の学歴信仰の世界にうんざりしていたんでね。今回の大会議の折りに抜け出して、主の転換を画策していたんだよ」
「主の転換?」
王宮付きの魔法使いとして召抱えられると、色々と制約が多い。使う魔術は西国の為のものでなければならない上に、上層部の人間の言うことは絶対で、逆らうことが出来ない。それに、どんなに王が間抜けでも進言する権限はない。それは宰相の仕事だからだ。
王に一番近しい魔法使いでも、出来ることは少ない。王や宰相が言う通りの魔術をかけること。もしくは、その魔術の開発を行うこと。そして、王宮に多く仕えている魔法使いの統率を取ること。
中間管理職は神経にくるとよく言うが、魔術の世界でもそうなのだから宮仕えというものは本当に救いがたい。
正式に「西国の王宮付き」、「王の側近」の一人として認定されている身ではどうしようも出来ないが、一定の条件が揃えばその制約が緩むこともある。
まず、仕える自国から遠く離れること。
そして、自分の上長が傍に居ないこと。
その上で、自分の作り上げた魔術空間があること。
新しい主となる人物、今までの主と近い身分の候補が傍にいること。
仕えるという意思に対し、新たな主の候補に承諾を得るという事。
あとは魔術の術式や屁理屈をこねて、色々とでっち上げれば、悲しい王宮雇われの魔法使いでも、自分自身で主を選ぶことが出来る。
「まず南国へ来て、南国の王宮の接待を断った。馬鹿なうちの王室代表らはそれを許して、僕は城下で過ごすことが出来た。これで条件が二つ揃う。それで偶然、北東国の野良宰相がウロついてたから接触して、そいつの部屋を僕の魔術空間にした。コレで条件は三つ。」
得意気にデュークが語る。
「でも、現役の王から、元宰相に主をすげ換えるのは、少し無理があった。主の身分が違いすぎるからね。でもその溝は、親密さで埋めることが出来る」
「お、お前、だから昨日誘ったのかよ……」
「隣にひっそり居て「はいそうですね、わかりました」って言う間柄と、夜を共にする間柄では親密さが全然違う。それに、ハリスは僕の作り上げた魔術空間で僕を抱いたし、何より、僕の問いかけに「承諾する」と言った。これで条件は全てクリアだ」
ハリスは思わず額に手を当てる。昨夜の出来事が全て魔法使いの策略だったとは。なんとなく「何かある」と想像が付いていたが、ここまでとは思っていなかった。なんという策士だ。
「……これも、先ほどの光景と同じように、外部に漏らさないほうが良いだろうな」
脱力した赤肌の魔法使いの言葉に、デュークは肩をすくめる。
「出来ればお願い」
「ていうか、デューク。俺に鞍替えして、どうする気だよ」
「本当なら殺すつもりだった」
軽く言われて、思わず顔を上げる。視線の先には、若く、ずる賢い、「元」西国の王宮付き魔法使い。その表情は笑っている。
「主が王だと、魔術の世界では制約が強すぎて殺そうとしても手が出せない。でも、元宰相……故郷から遠くはなれた亡命志望の旅人だったら話は別。僕の魔力のほうが上だ」
菩提樹の杖を向けられて、身構える。赤肌のレイムディアも一瞬殺気立つ。だが、デュークは茶化した動きで、杖の先でハリスを小突いた。
「でも、僕はハリスを気に入ったし、しかも世界は崩壊一歩手前。ここは上手く協力しあったほうがいい」
「え、何」
「ハリスは僕の尻に敷かれるしね」
「おい、」
言い返そうとしたハリスに、デュークは冷たい視線を投げる。
「僕に文句ある?」
「……いや、その。ないですが」
両手を挙げて降参したハリスに、レイムディアが溜息をつく。真面目に話すことが、なんとなく馬鹿馬鹿しくなってきたからだ。
「……そういう事なら、私は大人しく王宮に戻って、水の災害に備えよう」
「そうしてくれる?僕らは北国へ向かい、罪人を探す」
万が一の為に、とデュークは荷物の中から、対になる小さな碧い玉を取り出した。
「僕と直通で話せる通信珠。使い方はわかるよね。これの事は外部に漏らさず、常に小袋に入れて首に下げておいて」
そう言って、レイムディアに片方を手渡す。
「……承知した」
「よろしく」
重々しく頷きあう二人に、ハリスは慌てる。事が動き出そうとしているのだ。
「そういえばデューク、部屋はどうしたんだ。俺も支度をしないと…」
「もぬけの殻にしておいた」
「ウソ、俺の荷物」
「要らないよ、最低限の財布だけでも持っておいて」
そう言ってハリスに革の財布を投げる。簡素な身なりで、荷物もさほど持っていない魔法使いに、ハリスは声を荒げずにはいられなかった。
「南国から北国まで、世界を縦断するんだぞ。路銀はどうする財布の中身じゃ足りないぞ。ある程度の食料や水や、国境を越える為の書状も必要だろう」
「デューク殿、船で行かれるつもりか」
レイムディアも問いかける。複雑な海流と島々を抜けなければいけない旅路は、陸路と海路を何度も繰り返し、山や谷を越えなければならない。魔術をもってしても、絶対的な距離を縮めるすべはないのだ。
「海と陸を行かなきゃいけないなんて、誰が決めたんだろうね」
不敵に魔法使いは笑う。
「ズキ、君にお願いがある」
魔法使いが呼びかけると、デュークの肩の蜥蜴が地面に飛び降り、屋敷の庭の中央まで素早く地を這う。
「大変だろうけど、僕らを運んでくれるかな」
『……承知した。礼をはずめ』
低い声が厳かに響き、目の前の空間が歪む。眩しさに数回瞬きをすると、伝説の中でしか知られていない、巨大な生き物が翼を折りたたんで三人を見下ろしていた。
銀色の蝙蝠のような翼、青く燐光を放つ鱗、黄金の瞳に、鋼の牙と爪。
「ま、、まさか……竜、だと?!」
赤肌のレイムディアが、恐れをなしたように後退する。思わずハリスも、デュークの後ろに隠れたくなる。
「そんなに驚くことかな」
「驚くだろうが!こいつ竜だろ?!」
竜の牙と呼ばれていた北東国の宰相は、怯えながら目を白黒させている。
たじろぐ人間二人を見て、「ズキ」は目を細めた。やはり人間は、小さくて情けない生き物だと思う。
竜にも魔族にも、飼われる性分はない。しかし主が優秀であれば寄り添う事で得られるものがある。ズキはデュークに向かって静かに頭を垂れる。
「……毎回ズキの元の大きさを見るたびに思うんだけど、竜も随分と小さくなったもんだよね。昔は創造主と喧嘩して、大地になるくらい大きかったのに」
軽口を叩くデュークに、レイムディアは「なんと恐れ多いことを」と呟く。創世記に神と戦った竜は、その神の地位と同格の存在だからだ。
その言葉を無視して、デュークは竜によじ登る。美しい鱗の竜の首を軽く叩き、振り返った。
「なにやってんのハリス、行くよ」
「え、どういうことだよ」
「竜に乗って北国へまっしぐら。そうある経験じゃないんだから早くして」
僕の主なんだからしっかりしてよと言われたが、魔族や竜を軽々と使いこなす魔法使いの主になんて、誰がなりたいものかとハリスは思った。




