02 「暖かい旋律」
本当に、信じられない。制服の襟と髪で、薔薇の花びらのようなあざを隠すのに大変だった。どうして、こんなときに絆創膏持ってなかったんだろう。アイロンの火傷ってことでごまかせないかな。あれから、仕方がないから気分が悪いと言って保健室で休むことにした。一種のさぼる言い訳。そうしたら、ベッドの寝心地とお昼寝日和の天気で、結局爆睡してしまったらしい。先生に起こされ、気づいたときには、オレンジ色の日差しが窓から差し込んでいた。欠伸をしながらも、寝ぼけ眼で教室に戻った。ガラガラと椅子を引く音とが誰もいない教室に響く。すぐ鞄の中に入れていたスマホを確認すると、1件のメッセージが入っていた。
「あっ、宗ちゃんからだ。」
思わず声を上げてしまうほど、珍しい人からのメッセージだった。宗ちゃんこと、桜庭宗一郎は天才ピアニストを親に持つピアニストの卵であり、お兄ちゃんの大学の後輩だ。お兄ちゃんと結構仲が良いみたいで、何回か家に遊びに来るようになった。顔を合わせることが多くなったせいか、先輩後輩の関係じゃなくて同世代と変わらない関係になってて気軽に会話もできるようになった。でも、滅多に連絡がこない宗ちゃんからのメッセージでドキドキで胸がいっぱいになったのも嘘じゃない。
「えっと家に行くから、学校まで車で迎えにいきます?」
状況が読めないまま、しばらくスマホの画面を見たまま固まってしまった。ハッと我に返ると、急いで鞄の中に教科書や筆箱をしまい、走って下駄箱に向かった。さっきまで、夕陽で赤く染まっていた廊下は、すこし薄紫のかかった色に変わっている。校舎の中は、休み時間とは違って静まりかえっていた。わたしの足音が軽快よく響いているのがわかるぐらい。下駄箱に着くと、辺りをキョロキョロ見渡している人影が見えた。そこで、わたしは一度足を止め、目をこらす。そして、その影の正体が彼であることを確認するかのようにゆっくりと近づいていった。
「奏さん!!」
「・・・宗ちゃん?」
「よかった。心配したんですよ。他の生徒は帰っているのに、奏さんの姿が見えませんでしたから・・・。」
「ごめんなさい。ちょっと用事があって、えっと、さっきメッセージに気づいて・・・。」
「そうですか。いいえ、無事で何よりです。」
そう言って、にっこり笑う宗ちゃんに、保健室で爆睡してたなんて口が裂けても言えない。心の奥からモヤモヤと罪悪感が芽生えてきた。それを、隠しながら宗ちゃんと言葉のやりとりを数回交わして、自分の下駄箱前まで行った。宗ちゃんと話していると、わたしを取り巻く空気が変わる気がする。自分自身とても落ち着くからだと思う。たぶん、それは宗ちゃんが大人の男性だからなのかもしれない。
「今日は、お兄ちゃんと打ち合わせ?」
「はい。新曲の試聴ですよ。今回は、ピアノを使うみたいですから。」
「ピアノかぁ・・・それって、宗ちゃんが弾くの?」
「律先輩に、聞かないことには何とも言えません。私は、奏さんとやってみたいんですが――。」
宗ちゃんは、わたしたち兄妹の仕事を知っている数少ない人。ピアニストの卵といっても、相当な実力者で、色々アドバイスしてもらっている。宗ちゃんの耳はとてもよく聞き分けられるみたいで、お兄ちゃんが弾いているときには些細な音のズレでも指摘している。音楽に関しては、容赦ないぐらい。
「そっかぁ。わたしも宗ちゃんと創ってみたいなっ。」
自然と笑顔に慣れる存在。大切だからこそ、本当の気持ちはここでしまっておくことにした。会話を続けながら、色々考えていると靴を履こうと片足をあげたときバランスを崩して体が横にグラリと傾いてしまった。あっと思ったときには、次ぎに来る痛みに耐える為に目をつぶった。でも、その痛みは違った形で受けることになる。
ガッダッダンッ!!
大きな音が、校舎の中に響いた。しかし、一向に痛みが襲ってこない。その変わりに、暖かくって堅いものに包まれた。
「大丈夫ですか?ケガは?」
ふぅっと肩の力を抜きながら、宗ちゃんが言った。不思議に思ったわたしは、うっすらとまぶたをあげた。目と鼻の先にある宗ちゃんの綺麗に整った顔に、ドキドキしながら見とれていたわたし。宗ちゃんに名前を呼ばれて、一気に我に返るとサッと離れて、コクンっと首を縦に1回下ろす。「気をつけないと」とか色々言われたけど、わたしの心臓の音がそれ以上にうるさかった。だから、きちんと聞いていていなかったなんて言えない。でも、わたしの頭に宗ちゃんが手を乗せたとき、とても重要なことに気づいた。
「宗ちゃん!!手!!ケガしてない?・・・だめだよ。宗ちゃん、ピアニストなんだから・・・わたしが擦りむくぐらい放っておいても良かったのに・・・。」
宗ちゃんの両手を握ると隅々まで検査する。だって、わたしなんかのせいでダメになんかしたくない。必死に、検査するわたしに、宗ちゃんはクスクス笑いだした。そして、握ったり開いたりして「大丈夫でしょ?」といってにっこり笑った。
「そんなに、弱くないですよ?それよりも、貴女にケガをさせてしまったら、私が先輩に殺されかねません。それに――。」
わたしは、お兄ちゃんが宗ちゃんを殺すというフレーズに小首を傾げた。そこまでシスコンだったかなと考えていると、宗ちゃんが話を続けた。
「それに、ケガしたら奏さんに責任を取って貰いますから。」
「えっ?・・・そりゃあ、わたしが出来ることなら何でも・・・。」
宗ちゃんの言葉にびっくりしながらも、もごもごと口を濁らせながら言った。
「では、一生面倒見て下さいね。」
「へっ?」
「クスクス、冗談ですよ。・・・それより、どうしたんですか?その首のあざ?」
宗ちゃんは、わたしの髪をよけてあざの部分に触れた。優しく触れる指は、ゆっくりとそのあざをなぞる。わたしは、いつもと違う宗ちゃんにドキドキしながら自分の手であざを覆って隠した。
「えっ・・っと、虫に刺されちゃったみたい。」
「そうなんですか。私は、てっきり・・・。」
「てっきり?」
「いいえ、何でもありません。車の中に絆創膏があるので、使いますか?・・・そのままだと、誤解されると思いますし・・。」
「あっ、うん。」
少しぎくしゃくしながらもしっかり返事をする。でも、こんな表情をする宗ちゃんを初めて見た。口元は笑っているのに、目が全然笑ってない。すこし、怖い。
「足下に気をつけて、帰りましょうか?」
「うん。」
そう答えると、先に歩いていった宗ちゃんの隣に並んだ。もう、その時は宗ちゃんの表情は普通だったから、いつも通りに話すことが出来たんだと思う。
奏と宗一郎は、車の中でも普通に話していた。ちょうど、会話の途中で奏のスマホに着信が入り、奏はその電話の相手と話している。宗一郎は、さっき自分の心の中に出来た感情の理由について考えていた。その感情は、奏と初めてであったときに心の中で流れた暖かい旋律よりも深く重い音だった。そして、奏の首筋に触れたとき、宗一郎は自分でもどうしてその行動をとったのか分からなかった。どうしてもその時、触れないと、消さないといけない気がしていたのだ。
「嵐の前の静けさのような・・・。」
「何か言った?宗ちゃん。」
「いいえ、何でもありません。電話、大丈夫でしたか?」
「うん、今日の夕飯の話だった。宗ちゃんの好きなもの頼んでおいたよ。」
「さすが、奏さんですね。ありがとうございます。」
さっきまでの感情はどこにいったのだろう。気づいたら暖かい旋律に包まれていた。




