03 「バイオリンの女神」
「ねぇ、どうしたの?その頬・・。」
わたしの少し離れたところで、光くんとお兄ちゃんが話していた。お兄ちゃんの頬は、少し赤く腫れていた。思いっ切り引っ張ってつねったからね。それで、今ぷちケンカ中だ。でも、今はそれで助かってる。昨日のことがあって、まだ恥ずかしくて光くんと話せそうにないし、何を話して良いのか分からない。だって自分自身答えがでてないから。
「別に。」
「嘘だぁ!だって、奏ねぇちゃんが戦闘態勢に入ってるじゃん!話しかけづらくって困ってるんだけど。」
「うるさい。」
「あっ!!ついに、シスコンの度を超えて襲っちゃったの?」
ガツンっとお兄ちゃんが光くんの頭を殴った。その音は、鈍く良く響いて殴られてもいない自分が痛いと感じてしまいそうだった。とぎれとぎれでしか話の内容は聞こえないけど、今回は簡単に許さない。お兄ちゃんもお兄ちゃんで、光くんに当たるなら、わたしに言えばいいと思う。
「――っ・・・いてぇ・・・。」
「この、マセガキ。エロガキ。お前こそ、奏になんかしただろ。」
「別に。律さんには、関係ない。」
「ふん。良い度胸だ。」
まさに、一触即発の状態だった。それを、回避するかのように様子を伺っていた社長が、仲裁に入る。
「おいおい、ここでケンカは禁止。空気が悪くなる。やるなら外で!!」
えっ、止めてくれるんじゃないのと心の中で叫びながら社長の判断を待つ。そして、わたしの言葉を、代弁してくれるかのように社長の隣にいた女性が、クスクス笑いながら言ってくれた。
「葉月くん、ダメよ。そちらの子も困っているわ。くすくす、ここはかっこよく止めるべきよ。・・・・ふふふ、初めまして。一緒に仕事をさせていただくことになりました。オキニスです。」
この人がオキニスさん。てっきり外人さんかと思っていた。日本人だったのかとまたまた驚いてしまった。オキニスさんは、真っ直ぐで綺麗な髪を、後ろで1つにまとめていた。右手には、バイオリンの入った黒いケースを持っている。可愛いってよりも綺麗な人だと思う。
「ふふふ、驚いた?オキニスっていう名前を使っているから、外人だとよく思われるの。・・まぁ、もしかしてこの子が・・?」
「はじめまして。“音”です。」
わたしは、さっきの話だとオキニスさんも仕事の名前だと思ったから本名ではなく仕事の名前で挨拶をする。
「やっぱり、楽先輩の娘さんね?じゃ、そっちが律くんね?本当に、楽先輩と初音さんにそっくり。」
お父さんとお母さんを知っているのだろうか。キラキラした笑顔で、わたしたち兄妹と握手を交わしていった。わたしがきょとんとしたまま、オキニスさんの話は続いていく。
「嬉しいわ。尊敬する先輩の子供と一緒に音楽を創れるなんて。ご両親は幸せ者だわ。・・・私もいつか息子と合わせてみたいわ。」
オキニスさんと一緒でバイオリンを弾くのだろうか。先入観なんだけど、バイオリン弾ける人ってすごく繊細で儚げな人ってイメージがある。でも、オキニスさんはそんなイメージを、壊しちゃうぐらいの明るい人だ。
「息子さんがいるんですか?」
今度はお兄ちゃんが、わたしの疑問を代弁してくれた。
「えぇ。今年、18になる息子がいるの。とても大人しくて、泣き虫なんだけれど。」
オキニスさんは、「高校生なのにね。」とクスクス笑いながら言った。わたしと同い年の男の子、どんな感じの子だろうか。やっぱり、すごく繊細で儚げな人それとも、オキニスさんみたいに、明るくて上品な人なのかもしれない。
「そうそう、ピアノの彼はどこ?」
「桜庭くんですか?えーっと、彼は・・・。」
「もう、ピアノに向かっていると思う。アイツは、そう言うヤツだから。」
お兄ちゃんが、少し不機嫌な顔をしていった。
そうだ、宗ちゃんは、そう言う人だ。コンサートとか重要なときは、みんなより早く来て練習して、そこにあるピアノに慣れる。ピアノが恋人のように、音が自然に慣れるまでずっと引き続けるんだ。
「彼とも楽しみなの。桜庭さんの秘蔵っ子っていう噂じゃない?」
確かに、音楽一家で将来は期待されている。オキニスさんは、すごく楽しみな表情を浮かべてバイオリンのケースをしっかりと握った。なんか、不思議とプレッシャーがかかってしまう。わたし、こんなすごい人たちと今から音あわせをしようとしているのだ。なんか、ドキドキする。無意識に自分の胸を押さえながら、一呼吸して気合いを入れた。
「じゃ、そろそろ移動しようか?」
「あっ、はいっ。」
慌ててわたしは、社長の後に付いていった。その時、ちょうど光くんと目があって固まってしまった。ここで目線を外したら、ダメだと分かっていてもどうして良いかわからない。そんな気持ちを汲んでくれたのか、光くんは優しく笑って小さな声で「頑張って。」と言ってくれた。わたしには、なぜか不思議にそれだけで気持ちがすごく楽になった。それに応えるように、わたしの表情も自然に笑顔になる。
「音!早くホールに入れ!」
「はいっ!」
お兄ちゃんが、わたしを仕事の名前で呼んだ。だから、ぷちケンカ中でもそこは割り切らなきゃいけない。だって、“仕事”だから。




