白い花
ボクを家に招いてくれた夫婦は、とても優しく明るくてよく笑っている。
ボクに色々質問をしたいだろうに、ボクが話せないこともあってかお茶を貰ったあとの朝食の時は2人が自己紹介をしてくれただけだった。
夫の名前はロニー、赤毛で肩に届かないくらいの長さで無造作に外側に跳ねている。
身長は大きくて190センチ近くあるんじゃないかと思う、がっちりとした体型で力持ちだ。
妻の名前はオリー、茶色の髪で一つに縛っている髪を右肩から前に垂らしている。
少し子供っぽく笑うことがあり、とても可愛らしい印象だ。
家事などで忙しなく働いている2人を見ながら、ボクはボクについてまた考えていた。
記憶はそんな簡単に戻るものでもないだろうし、考えても仕方ないんだけど、他にやることもない。
食後に貰った水の入ったカップを覗き込み、自分の顔を見た。
ボクは黒髪を後ろで縛っている。
黒い瞳で右目の右下に治りかけの擦り傷があり左頬はよく見ると腫れている気がする。
何があったのかはわからない、でもこれ以上考えない方がいいと思ったので、転んだのだと思うことにした。
何もしないでただ考えているだけではどんどん嫌なことを考えてしまう。
ボクは捨てられたんだ、捨てられたってことは幸せなことばかりじゃなかったのは想像がつく。
でもこれからは環境や周りにいる大人達も変わるということ、それが良い方向に行くか悪い方向に行くかはわからないけど、自分の行動で変わることも多いと思う。
ひとまず、ロニーとオリーはとても良い人そうだから頼れるなら頼りたい、ただ、魔力ゼロは邪魔かもしれない。
でもいつかはわかってしまうことだし、どうせまた捨てられるなら早い方がいい。
どうにかしてボクのことを2人に伝えたい、仕事をしている2人を呼ぶこともできないのにそう思ってしまう。
2人は文字が読めるだろうか?
セオグリフィン王国は10歳までに簡単な読み書きと計算は教会などで学べるようにはしてあるが、強制ではないし事情があって通えない者も多い。
「ロニー、休憩にしましょう。」
オリーが出入口から外で薪割りをしているロニーを呼んでいた。
2人がまたテーブルへ集まってきた。
「ロニー、手は洗った?」
「おっと、すまない。」
ロニーは椅子に手をかける寸前だったがクルッと向きを変えまた外に向かって行った。
可愛らしい印象のオリーだがしっかりしているところもあるのか、ロニーがうっかりしてしまうのか、今朝も似たようなやり取りをしていた。
あなたもね、とオリーに言われてボクはロニーに着いて行く。
入口の右側に桶が1つ置いてあり、それに持ち手付きの小さなバケツが紐で吊るされている。
それで水を掬い手をさらい流す。
今朝ロニーが汲んで来た水だと思うと大切に使わなければと思う。
手洗いを済ませたボクとロニーが戻った時にはテーブルにお茶が配られていた。
ロニーは汗をかいていてお茶を一気に飲み干していた。
朝と比べるとだいぶ暖かくなってきた、季節は春から夏に変わる頃。
「あら、あなたは飲まないの?遠慮はしないでね。」
オリーが優しい声で言った。
ボクは文字を書くジェスチャーをした。
「字が書けるのね。でもあまり紙はないのよね。」
とオリーが頬に手を当て首をかしげながら言った。
「地面に書いてもらったらどうだ?」
2杯目のお茶を飲み干したロニーが言った。
それならと、2人はお茶や椅子を持ちながら出入口の方へ向かった。
キョトンとするボクにはお茶の入ったコップを持って着いてくるように言いったので急いで着いて行く。
出入口を出て左側には二本の木が立っていて、その間には大きな切り株があり、その上に布が拡げられテーブルのようになっていた。
「置いて行ってごめんなさい、久しぶりに外でお茶ができると思って楽しくなっちゃって。」
オリーがニッコリを笑いながら言った。
「何を書いてくれるんだ?」
木の枝を差し出しながらロニーが言った。
この様子なら2人は読み書きができるようだ。
ボクは自分を指さして、2人を見た。
2人は優しげな表情のまま頷いてくれた。
『ボクには記憶がありません。わかるのは10歳であることと』
ここで一度止まってしまう、深く深呼吸をして再び書き始める。
『魔力が0です。』
2人は少し驚いた顔をしていたが、怒りとか失望のような感情は感じられなかった。
「記憶がないのか、それはうーん、なんと言ったらいいんだ?大変?辛い?」
ロニーは必死に言葉を探している様だった。
「でも文字は書けるのね、しかも綺麗だし、文法も完璧よ。賢いのね。」
オリーは謎に凄く褒めてくれた。
と言うより、2人ともそこ?ボクは魔力0の方を言われると思っていたのに拍子抜けしてマヌケな顔になっていたと思う。
それに気づいたロニーが、
「魔力の事は気にするな、俺たちも魔力0だ。」
と豪快に笑って言った。
そんな軽く言えることではないと思うんだけど、この人たちどうしてこんな明るくいられるんだろうと呆気にとられているうちに、なんだかおかしくなってきてボクも笑ってしまっていた。
「やっと笑ったわね、魔力0が3人も揃うなんてそうそうないわよ。」
「最弱コンビがトリオになったな、アッハッハ」
オリーとロニーが笑いながら言った。
そんな陽気な2人が、ボクには最強に見えた。
「文字が綺麗に書けるから、きっとしっかりとした教育を受けていたのね。たぶん小さな村の教会じゃなくて、大きな街の大きな教会か王都と一部の街にある学校なんかに行っていたのかもしれないわね。」
オリーが言った。
教会や学校という施設の存在は知っているが、行った記憶はない。
ただ、自分が魔力0ということを知っているということは恐らく魔力測定の行われる教会に一度は行ったことがあるということだと推測される。
楽しそうに話すオリーと裏腹に、少し険しい顔をしているロニーがゆっくりと話し始めた。
「キミの辛くならない範囲で構わないから、キミが置いて行かれた時のことを教えてくれないか。何か今後のために知っておいた方が良いこともあるかもしれない。」
胸の奥がズキンとした、でもロニーの言う通り話しておいた方が良いこともあるだろう。
もしかしたら僕を捨てた人が迎えに来るかもしれない、そうしたらその人が本当にボクの親だったり保護者であるかを確認する必要がある。
ボクは今朝のことを思い出しながらゆっくりと書いた。
馬車に揺られて来たこと、一緒に乗っていた人は女性で顔は見えなかったが泣いていたこと、湖の畔に座らされてすぐに眠くなって眠ってしまったこと。
それからはロニーがいくつか質問をしてきた。
「馬車はどんな馬車だった?荷馬車か貴族なんかの乗る乗用馬車か?」
『椅子もちゃんとしていたし、壁も屋根もあった。馬は2頭だった。』
「じゃあ一緒に乗っていた女性は何か話していなかった?」
ボクは首を横に振った。
「その頃の記憶ははっきりしないのか?」
『馬車に乗ってる頃から少しだけ記憶があって、その前はわからない。』
「じゃあ何か持っているものはないか?」
ボクはポケットの中を探って白いハンカチを出した。
その時一緒に何か小さな石のようなものが落ちた。
「何か落ちたわよ。あら、岩塩ね。」
オリーが拾い上げてから言った。
朝は気が付かなかったがそれはブルーベリーくらいの大きさの小さな岩塩だった。
そんな物がなんでボクのポケットの中にあったのか、謎が増えただけな気がする。
「小さな岩塩とハンカチだけか。」
ロニーは少しがっかりしたように言った。
「私にハンカチも見せてくれない?」
岩塩を見つめていたオリーがボクに向き直って言ったのでハンカチを渡した。
驚いた顔をしてでも直ぐに優しい顔になり、ハンカチを返してくれた。
「このハンカチに刺繍がしてあるの、これはきっと大切に持っていた方がいいわ。」
オリーが優しく、でも少し悲しそうな顔をして言った。
その後直ぐに家の中へ行ってしまった。
ボクはハンカチをしっかりと見てみることにした。
真っ白なハンカチの1つの角に、白い糸で馬車に乗っていた女性のドレスと同じ白い花の刺繍がされていた。




