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死刑囚だった俺が小学生に転生!? 裏切られて死んだけど、ここからは俺のターン。裏切り者は詰みです。  作者:
4章

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89/100

88話

 洗面台の蛇口を捻ると、冷たい水が勢いよくほとばしった。

 両手ですくい、顔に叩きつける。

 冷気が皮膚を刺し、思考の熱を強制的に奪っていく。


 顔を上げ、鏡の中の自分を見る。

 水滴が滴るその顔は、若さを保ちつつも、瞳の奥だけが冷たく、酷く静かだった。


 報告によれば不破と南雲による工作は完了した。

 ターゲットへの包囲網は、もはや逃げ場のないところまで狭まった。

 警察のデータベースにねじ込まれた決定的な証拠。

 カネの流れ、人の動き、すべてを遮断し、孤立無援の状態で檻に叩き込む準備は整った。


(……終わるな)


 タオルで顔を拭きながら、俺は無感情に確認する。

 俺の美学を模倣する不愉快な偽物。

 そいつを社会的に抹殺し、すべてを奪い取る。


 そのことに高揚感はない。

 ただ、長く続いた作業に一つ、終止符を打つだけの事務的な感覚だ。


 鏡の中の俺は、微動だにせずこちらを見返していた。

 そこにあるのは、復讐という目的のために研ぎ澄まされた、ただの機能としての「俺」だけだった。


 ◇


 夕刻。

 伊集院家の広大な敷地内にある日本庭園。

 手入れの行き届いた松の枝が、夕陽を背負って黒いシルエットを描いている。


 俺は、桜の数歩前を歩いていた。

 並んで歩くような距離感ではない。

 砂利を踏む音だけが、不自然なほど大きく響く。


 ここ数日、俺は彼女とまともに言葉を交わしていなかった。

 避けていたわけではない。

 ただ、語るべき言葉がなかった。

 俺の目はすでに「敵」しか見ておらず、彼女のいる日常は、遠い背景のように霞んでしまっていたからだ。


「……アキラ」


 背後から、ぽつりと名前を呼ばれた。

 俺は足を止め、ゆっくりと振り返る。


 桜は、数メートル離れた場所に立ち尽くしていた。

 夕陽が彼女の表情を逆光で隠している。

 だが、その立ち姿からは、張り詰めた糸のような緊張感が伝わってきた。


「なんだ」


 俺の声は、自分でも驚くほど平坦だった。


 桜は一歩も動こうとしない。

 ただ、じっと俺を見つめている。

 その視線は、俺という人間を見ているようで、その実、俺の輪郭の向こう側にある「空虚」を見透かしているようだった。


「……遠いね」


 彼女の声が震えた。


「すぐそこにいるのに。……アキラが、どこにもいないみたい」


 俺は眉をひそめた。


「何を言ってる。俺はここにいる」


「ううん。違う」


 桜は首を横に振った。

 拒絶ではなく、確信を持った否定。


「私には何も教えてくれない。何をしてるのかも、何を考えてるのかも。……でも、わかるの。アキラは今、何かを決めて、どこかへ行こうとしてる」


 彼女の勘は、時として論理を飛び越える。

 俺が計画していること、組織のこと、敵のこと。

 彼女は何ひとつ知らないはずだ。

 それなのに、俺が「終わり」へ向かおうとしている気配だけを、正確に嗅ぎ取っている。


 桜が一歩、踏み出してきた。

 すがるように、俺の袖を掴む。


「ねえ。……いなくならないよね?」


 子供のような問いかけ。

 だが、その瞳は悲痛だった。


「全部終わったら、戻ってくるよね? また、普通に話して、笑って……私のそばにいてくれるよね?」


 俺の心臓が、冷たく収縮した。


 全部終わったら。

 敵を消し、クジョウを見つけ復讐を遂げたら。


 そこに残るのは何だ?

 俺という存在は、転生と復讐という矛盾の上に成り立っている。

 その矛盾が解消された時、俺はここに立っていられるのか。


 答えは、俺にもわからない。


 だから、俺は……。


「……ああ。どこにも行かない」


 俺は、袖を掴む彼女の手に、自分の手を重ねた。

 温かい。

 血の通った、生きている人間の温度だ。

 俺がこれから捨てようとしている、日常の温度。


「お前を守るって約束しただろ。……俺はそのために動いてるだけだ」


 桜は、俺の手を見つめたまま、動かなかった。

 俺の言葉を信じたのか、それとも、信じたふりをしたのか。

 彼女はゆっくりと顔を上げ、俺の目を見た。


 その瞳に映っていたのは、安堵ではなかった。

 諦めにも似た、深い悲しみだった。


「……嘘つき」


 蚊の鳴くような声。

 風が吹けば消えてしまいそうなほど、儚い響き。


 桜は、重ねられた俺の手を、ぎゅっと握り返した。

 痛いほど強く。

 まるで、今こうして繋ぎ止めておかなければ、俺が煙のように消えてしまうとでも思っているかのように。


「でも、いいよ。……アキラが決めたことなら」


 彼女は無理に口角を上げ、笑ってみせた。

 それは、泣き顔よりもずっと痛々しい笑顔だった。


「行ってらっしゃい。……でも、絶対に、帰ってきてね」


 俺は何も言えなかった。

 肯定も、否定もできなかった。

 ただ、彼女の頭に手を置き、一度だけポンと撫でた。


 それが、俺のできる精一杯の答えだった。


 俺は背を向け、歩き出した。

 背後で、桜が立ち尽くしている気配を感じる。

 だが、もう振り返らなかった。


 これ以上、彼女の顔を見てしまえば。

 この温もりに触れてしまえば。

 俺の決意が……復讐のために研ぎ澄ませた刃が、鈍ってしまう気がしたからだ。


 空を見上げると、一番星が白く光っていた。


 覚悟は決まった。

 もう、後戻りはできない。


 俺はポケットの中で拳を握りしめた。

 誰のためでもない。俺自身のために。

 過去という呪いを断ち切るために。


 嵐の前の、最後の静寂。

 俺はただ一人、来るべき「断罪」の時へと歩を進めた。

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