84話
昼休みの喧騒が、不快なサイレンの音によって引き裂かれた。
特別棟の最上階。
生徒会室の窓ガラス越しに見下ろす校庭には、場違いな赤色灯が回っていた。
パトカーが二台。
その周囲を、好奇心にかられた生徒たちが遠巻きに囲んでいる。
まるで、巣を突かれた蟻の群れだ。
その中心で、一人の男が警官に両脇を抱えられ、連行されていくのが見えた。
生活指導担当、相模。
かつて黒鉄を地獄へ突き落とし、この学園で絶対的な権力を振るっていた男の末路は、あまりにも無様で、滑稽だった。
手錠をかけられ、うなだれるその姿は、これまでの威厳など見る影もない。
俺たちがばら撒いた「毒」
不正の証拠と告発文は、瞬く間に教育委員会とマスコミ、そして警察を動かしたのだ。
社会的な死。家庭の崩壊。そして刑事罰。
不破が描いたシナリオ通り、ドミノは最後の一枚まで倒れきった。
「……へッ、あっけねぇな」
窓ガラスに額を押し付けるようにして下を見ていた黒鉄が、乾いた声で呟いた。
嘲笑うような口調。だが、ガラスに映るその顔は引きつっていた。
ポケットに突っ込まれた拳が、小刻みに震えているのを俺は見逃さなかった。
それは恐怖か、それとも興奮か。
自分の手が下した「暴力」の結果が、あまりにも巨大な現実となって目の前に現れたことへの、本能的な震えだろう。
「あら、震えてるの? 実行犯さん」
優雅に紅茶のカップを傾けていた不破蓮が、冷ややかな視線を向ける。
彼女だけは、この異常事態の中でも平然としていた。
いや、むしろ楽しんでいる。
自分の計算式が現実世界を侵食し、解を導き出したその美しさに陶酔しているようだった。
「計算通りだわ。タイミング、警察の到着時間、生徒たちの反応係数……すべてが私のシミュレーションに収束した。美しい破滅ね」
「……悪趣味すぎるでしょ、あんたたち」
デスクでノートPCを抱えていた南雲ミナが、青ざめた顔で呻いた。
彼女の指先は、まだキーボードの上で迷っているように見えた。
ハッキングという形のない犯罪が、物理的な手錠という現実を生んだことに、彼女はまだ順応しきれていない。
「本当に……やっちゃったんだ。これ、もう後戻りできないよ?」
南雲が俺を見る。すがるような、責めるような目。
だが、俺は無言で窓の外を見つめ続けたまま、口を開いた。
「戻る? どこへだ?」
俺はゆっくりと振り返り、三人の顔を見渡した。
「相模は終わった。だが、これは始まりに過ぎない。……お前たちは知ったはずだ。理不尽なルールを押し付ける側から、ルールを書き換える側へと回る味を」
俺は黒鉄の肩に手を置いた。
ビクリ、と彼の巨体が跳ねる。
「黒鉄。震えは止まったか?」
「……あぁ。武者震いだ、ボケ」
彼は強がりを吐き、ニヤリと笑おうとしたが、その頬はまだ強張っていた。
だが、その瞳の奥には、確かな熱が宿り始めていた。
戻れないことへの絶望ではなく、踏み越えた先への渇望。
俺は執務机の前に立ち、宣言した。
「単刀直入に言う。……俺たちは今日から、一つの『組織』になる」
場の空気が凍りつき、そして熱を帯びる。
誰も席を立とうとはしない。
この共犯関係という沼に、全員が首まで浸かっていることを自覚しているからだ。
「俺の目的は、この世界の『表』と『裏』、その両方を支配することだ」
妄言にも聞こえる言葉。
だが、眼下で回転するパトランプの光が、それが単なる妄想ではないことを証明していた。
「南雲。お前は俺の『目』となり『耳』となれ。ネットワークを支配し、あらゆる情報を吸い上げろ。見えない壁を作り、俺たちの痕跡を消せ」
「……はぁ。わかったわよ。一蓮托生ってやつね」
南雲は大きなため息をつきながらも、覚悟を決めたようにPCを閉じた。
「黒鉄。お前は俺の『力』だ。俺が指差した敵を喰らい尽くせ。理屈も法も関係ない。純粋な暴力で、障害を排除しろ」
「……言われなくても、噛み付いてやるよ。骨の髄までな」
黒鉄が拳を鳴らす。その音は、もはや震えてはいなかった。
「不破。お前は『脳』だ。吸い上げた情報と、行使できる暴力を計算式に組み込め。……この世界を解くための、最適解を導き出せ」
「ふふ。……最高ね。退屈しのぎには、少し刺激が強すぎるくらいだわ」
不破は満足げに微笑み、残りの紅茶を飲み干した。
役者は揃い、役割は定まった。
俺は窓の外、広がる空を見上げた。
どこまでも青く、澄み渡った空。だがその裏側には、無限の闇が広がっている。
「……名前をつけよう」
俺の言葉に、三人の視線が集まる。
「自らの尾を喰らい、死と再生を無限に繰り返す蛇。……この世界を飲み込み、循環させる完全なる環」
俺はニヤリと笑い、告げた。
「組織名は『ウロボロス』だ」
その名は、俺自身の呪われた運命への皮肉であり、同時にこの世界への宣戦布告でもあった。
ここに、俺の組織が産声を上げた。
まだ小さな火種だが、いずれ世界を焼き尽くす業火となる。
◇
放課後。
俺は黒鉄を連れ、さっそく「牙」を研ぐための場所へと向かった。
伊集院家の敷地裏手にある、地下訓練場。
初めて足を踏み入れる「本物の裏社会」の空気に、黒鉄の肌が粟立っているのがわかる。
「……おい、ボス。ここはヤバい場所なんじゃねぇか?」
「ビビったか?」
「まさか。……ゾクゾクするだけだ」
重い鉄扉を開ける。
熱気と怒号が渦巻く中、俺たちはリングサイドへと進んだ。
そこで腕を組み、訓練生たちを眺めていた篠原教官が、俺たちに気づいて振り返る。
「……来たか、アキラ。そいつが?」
篠原の鋭い視線が、黒鉄を頭からつま先まで舐めるように査定する。
黒鉄もまた、篠原から放たれる強者のオーラを感じ取り、無意識に構えを取った。
「この前話した生徒だ。腕っぷしは保証する」
俺は黒鉄の肩を叩き、前に出した。
「黒鉄牙。……あんたの手で、本物の暗部に仕上げてほしい」
篠原は鼻を鳴らし、黒鉄の目の前まで歩み寄った。
「いい面構えだ。……だが、ただのチンピラじゃここでは一秒も持たないぞ?」
挑発。
黒鉄は引かなかった。ギリ、と歯を鳴らし、篠原を睨み返す。
「……試してみるか? ババア」
周囲の空気が凍りついた。
だが、篠原は怒るどころか、愉悦に歪んだ笑みを浮かべた。
「合格だ。……その減らず口、いつまで叩けるか楽しみにしてやる」
篠原は俺に向き直り、顎で黒鉄を指した。
「預かろう。……壊れても文句は言うなよ?」
「頑丈なのが取り柄ですから」
俺は黒鉄に視線を送った。
『行け』という合図。
黒鉄はニヤリと笑い、無言で頷くと、ジャージに着替えるために更衣室へと消えていった。
これで、俺専用の武力が、伊集院家のリソースで育成されることになる。
外堀は埋まった。
組織の基盤は整い、俺の手足となる駒たちも配置についた。
(……順調すぎるな)
ふと、そんな思考が頭をよぎる。
すべてが俺の描いたシナリオ通りに進んでいる。
相模の排除、組織の結成、黒鉄の確保。
あまりに綺麗に嵌りすぎているピースに、一抹の不安を覚えるのは――なぜだろうか。
その時だった。
ポケットの中のスマホが、短く震えた。
通知音はない。ただのバイブレーション。
俺は訓練場の出口へ向かいながら、画面を確認した。
表示された名前に、足が止まる。
『桜』
心臓が、とくんと跳ねた。
ここ数日、彼女とは連絡を取っていなかった。
学園での騒ぎも、黒鉄の件も、彼女には一切話していないはずだ。
俺の裏での動きは、完全に隠蔽していたつもりだった。
俺は画面をタップし、メッセージを開く。
『先生、大変だったみたいね。……お疲れ様』
たった一行。
絵文字も、スタンプもない、無機質な文字列。
俺の背筋に、冷たいものが走り抜けた。
(……バレている?)
いや、それだけじゃない。
「大変だったみたいね」という他人事のような響き。
そして、「お疲れ様」という労いの言葉。
それはまるで、「あなたがやったことを全て知っているわ」と耳元で囁かれているような、甘く、そして底知れない響きを持っていた。
俺はスマホを握りしめ、無意識に口元を吊り上げた。
冷や汗が頬を伝うのを感じながら。
「……底が知れないな、あいつは」
伊集院桜。
守られるだけのヒロインだと思っていた少女は、いつの間にか俺の想像を超える場所に立っているのかもしれない。
俺が彼女を利用しているつもりで、実は俺の方が彼女の手のひらの上で踊らされているのではないか――そんな錯覚すら覚える。
地下訓練場の熱気とは裏腹に、俺の周囲だけ温度が下がった気がした。
だが、もう止まれない。
俺はスマホをポケットに深くねじ込み、夜の闇へと足を踏み出した。
その一歩は、今までよりも深く、重く、地面に刻まれた。
これから俺は組織を拡大していく、そのために俺の持つ力や知識やコネ全てを利用して成り上がる。




