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死刑囚だった俺が小学生に転生!? 裏切られて死んだけど、ここからは俺のターン。裏切り者は詰みです。  作者:
3章 高校生編

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70話

 廃駅での密会を終え、俺は夜道を歩いていた。

 冷たい夜風が火照った思考を冷やしていく。

 ポケットの中のスマホを強く握りしめ、俺は伊集院家の敷地内にある「離れ」へと足を向けた。


 一度部屋に戻り、制服から動きやすい服に着替える。

   表向きの高校生活は終わりだ。ここからは、伊集院家の影として動く時間――暗部の訓練へと向かう手筈だった。


 だが、離れの玄関を出た瞬間、俺は足を止めた。


 空気が、おかしい。


 いつもなら静寂という名の規律に守られているはずの広大な庭が、ざわついていた。

 砂利を乱暴に踏みしめる複数の足音。

 木々の間を忙しなく行き交う懐中電灯の光束。

 そして、風に乗って微かに聞こえる、押し殺したような怒号と、無線機のノイズ。


 (……何だ?)


 ただの訓練ではない。通常の警備体制の変更でもない。

 屋敷全体が、得体の知れない混乱に叩き起こされたような、ピリついた異臭に包まれている。


 俺は闇に目を凝らし、慎重に歩き出した。

 その時、母屋の方角から早足で歩いてくる人影があった。


 加賀だ。

 いつもなら氷のように冷静で、衣服の乱れ一つ許さない彼が、ネクタイを緩め、額に脂汗を滲ませている。


「加賀さん」


 俺が声をかけると、加賀は弾かれたように肩を震わせ、鋭い視線をこちらに向けた。

 俺だと認識した瞬間、その強張った表情がわずかに緩むが、すぐにまた険しいものに戻る。

 その瞳には、隠しきれない動揺が走っていた。


「……アキラ様。今夜の訓練は中止です。すぐに離れに戻り、決して外に出ないでください」


 拒絶の言葉。

 だが、その声音には命令というよりも、切羽詰まった懇願に近い響きがあった。


「何かあったのか? ただ事じゃない雰囲気だけど」


 この屋敷で、あの加賀がこれほど取り乱す事態など、記憶にない。

 組織の抗争か?それとも警察の大規模な介入か?

 加賀は一瞬、迷うように口を結んだが、周囲を警戒するように見回してから、声を極限まで潜めた。


「……緊急事態です。ですが、まだ公にはできません。とにかく、戻って――」


 その会話を切り裂くように、悲痛な叫び声が夜気に響いた。


「嫌だッ!!」


 聞き間違えるはずもない。桜の声だ。

 屋敷の母屋の裏手からだ。


 俺は加賀の制止を聞かずに駆け出した。

 手入れされた砂利を蹴散らし、植え込みを強引に飛び越え、声のした方へ向かう。

 背後で加賀が俺の名を呼んだが、構わなかった。


 たどり着いたのは、母屋のさらに奥。

 そこには、普段は厳重にロックされ、誰も近づくことを許されない「開かずの扉」がある。

 伊集院家の当主――桜の父親だけが入ることを許された、地下最深部への入り口だ。


 その重厚な鉄扉が、今は無惨に半開きになっていた。

 周囲には警備兵たちが立ち尽くし、青ざめた顔で中を覗き込んでいる。

 彼らの手にする銃口は、どこにも向かう場所がなく、ただ力なく垂れ下がっていた。


 そして、その入り口の前で、桜がへたり込んでいた。


「嘘よ……そんなわけない……お父様が……」


 桜は震える手で口元を覆い、目を見開いたまま一点を凝視していた。

 その瞳からハイライトが消え、映しているのは底知れぬ絶望だけだ。


「桜!」


 俺が駆け寄ると、彼女は縋るように俺の腕を掴んだ。

 指先が、死人のように冷たい。


「アキラ……お父様が……お父様が、いなくなったの」


「いなくなった?」


 俺は眉をひそめた。

 伊集院家の当主が、失踪?

 そんな馬鹿な話はない。

 あの男は、この国の影の支配者の一人だ。それに、ここは要塞のように守られた伊集院の本拠地だぞ。


 遅れて追いついてきた加賀が、苦渋に満ちた顔で俺たちの横に立った。

 呼吸を整えようとしているが、その手は微かに震えている。


「……アキラ様。見たことは、他言無用でお願いします」


 そう言って、加賀は顎で扉の奥を指し示した。

 俺は桜の肩を支えながら、その「開かずの間」の中へと足を踏み入れた。


 鼻をついたのは、濃厚な鉄錆の臭い。  そこは、異様な空間だった。


 コンクリート打ちっぱなしの冷たく無機質な部屋。

 壁一面には見たこともない複雑な紋様が刻まれ、床には幾何学的な図形が描かれている。

 部屋の中央には、巨大な機械のような、あるいは祭壇のようなものが鎮座していた。

 最新鋭の電子機器の冷却音と、何か古い儀式的な装置の威圧感が混ざり合う、不気味な光景。


 だが、俺の目を釘付けにしたのは、それらではなかった。


 ――血だ。あまりにも、多すぎる。


 部屋の中央。祭壇のような場所を中心に、大量の血液がぶち撒けられていた。

 床に広がる赤黒い水たまりだけではない。

 壁、天井、そして精密機器の隙間に至るまで、何かを内側から破裂させたような飛沫がこびりついている。


 それなのに。


 誰も、いない。


 死体はおろか、肉片ひとつ落ちていない。

 ただ、大量の血痕だけが、つい先ほどまでそこに「生きた人間がいた」という事実を残酷に証明していた。


「……これは」


 俺は息を呑んだ。

 この出血量だ、助かるはずがない。人間の致死量を優に超えている。

 だが、死体がない。運び出された形跡も、引きずった跡もない。


 まるで霧のように消滅している。


「密室、か」


 俺が呟くと、加賀が重く、沈み込むように頷いた。


「はい。この部屋のセキュリティは、伊集院家の最高機密です。生体認証、虹彩スキャン、物理的な厚さ五十センチの鋼鉄製扉。内側からしか開けることはできず、外部からの侵入は、物理的にも電子的にも不可能です」


 加賀の声は、事実を述べながらも、現実を受け入れ難いという響きを含んでいた。


「当主様は、今夜ここでお一人で入られました。モニターでバイタルは確認していましたが……突如、反応が消失。慌ててセキュリティを強制解除して踏み込んだところ……この惨状です」


 俺は、血だまりの中央に目をやった。

 そこには、主を失った一丁の拳銃と、破り捨てられたような数枚のレポート用紙が、赤く染まって落ちていた。インクが血に滲み、判読不能な文字の羅列と化している。


 (……何があったんだ)


 桜の父親。

 冷徹で、合理的で、圧倒的なカリスマ性を持つ男。

 その男が、こんな訳のわからない状況で蒸発した?


 誘拐?暗殺? いや、誰ができる?

 日本のトップに君臨する男を、この厳重な要塞の、さらに深層の密室から、跡形もなく消し去るなんて芸当が。


 俺の思考は空転する。

 理解できない。俺がこれまでに培った裏社会の常識や「知識」では、説明がつかない現象だ。


 桜が、ふらりと血だまりの方へ歩き出した。


「お父様……どこ……?」


 夢遊病者のように呟きながら、高価なドレスが汚れることも厭わずに、血塗れの床に膝をつこうとする。


「桜! やめろ!」


 俺は慌てて彼女の腕を掴み、強く引き留めた。


「離して! お父様が……まだそこにいるかもしれないの! 探さなきゃ……!」


 桜は半狂乱で叫んだ。

 いつも気丈で、凛としていた「伊集院の令嬢」の姿はどこにもない。

 ただの、父親という絶対的な庇護者を失った、無力な少女がそこにいた。


「いないんだよ! 見ろ、この状況を!」


 俺は彼女の両肩を掴み、無理やり顔を上げさせた。


「落ち着け。今、お前が取り乱してどうする。……お前は、伊集院家の娘だろ」


 残酷な言葉だとは思った。

 だが、今ここで彼女が崩れれば、この場を収める人間がいなくなる。

 当主が消えた今、この巨大な組織を繋ぎ止めることができるのは、その血を引く彼女しかいないのだ。


 桜は、涙で濡れた瞳で俺を見つめた。

 唇を血が滲むほど噛み締め、呼吸を整えようと必死にあがく。


「……っ……うぅ……」


 嗚咽を漏らしながら、彼女は俺の胸に顔を埋めた。

 俺は、その小刻みに震える背中を抱きとめることしかできなかった。


 加賀が、痛ましげに目を伏せる。

 周囲の警備兵たちも、動揺を隠せずに立ち尽くしている。

 主の不在。

 それは、この絶対的な帝国にとって、終わりの始まりを意味していた。


 俺は、桜の髪を撫でながら、血なまぐさい部屋の中央を見つめ続けた。


 (……何が起きたかはわからない。だが)


 背筋を走る冷たい直感が告げていた。

 この事件は、俺の計画にも致命的な影響を与える。

 黒鉄や荒川組どころの話ではない。

 伊集院家の当主が消えたことで生まれる巨大な空白。


 そこに流れ込んでくる混沌は、俺の復讐の計画をも、根底から覆すだろう。


 あるいは――好機となるか。


 俺は、腕の中の桜を少しだけ強く抱きしめた。

 彼女を守るという約束。

 それは今、これまでにない重さと危険を孕んで、俺にのしかかっていた。


 この瞬間から、伊集院家は変わる。


 そして俺の立ち位置も、それにあわせて変わらざるを得ない。


 濃厚な血の匂いが充満する密室で、俺は静かに覚悟を決めた。

 当主の座が空いたこの巨大な力を、どう利用し、どう生き抜くか。


 混沌の幕開けだ。

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