69話
夜の道を、俺は一人歩いていた。
荒川組のシマで見た光景――暴力ではなくシステムで管理された異様な秩序が、脳裏にこびりついて離れない。
(……帰って情報を整理するか)
そう思い、家路を急いでいたその時だった。
ポケットの中でスマホが短く震えた。
画面を見ると、通知には『M』の一文字。
澪だ。
『時間が出来た。今から会える?いつもの場所で』
あまりに良すぎるタイミングに、俺は思わず足を止めた。
まるでこちらの思考を監視していたかのような間合い。
あるいは、俺が動くのを待っていたのか。
(……食えない女だ)
俺は口元を緩め、『了解』とだけ短く返信した。
踵を返し、向かう先を変える。
行き先は、かつて小学生の俺が背伸びをして取引をした、あの廃駅だ。
錆びついた鉄骨と、ひび割れたコンクリートの隙間から伸びる雑草。
月明かりだけが頼りの廃駅に、俺は足を踏み入れた。
錆びついた鉄骨と、ひび割れたコンクリートの隙間から伸びる雑草が、月明かりに照らされている。
かつて小学生の俺が、背伸びをして情報屋と取引をした場所。
俺はホームのベンチに座り、まだ冷たい感触を確かめていた。
カツ、カツ、と足音が近づいてくる。 顔を上げると、制服姿の少女が立っていた。
「……久しぶり。生きてたんだ」
澪だ。
彼女もまた、高校生の制服に身を包んでいる。
だが、その纏う空気は数年前と全く変わらない。
ただ、その瞳の奥にある色が、より濃く、深くなった気がする。
「……そのセリフ、そっくりそのまま返すよ」
俺はベンチに座ったまま、短く返す。
馴れ合いではない。これは共犯者の距離だ。
「で? わざわざ呼び出したってことは、また『面倒なこと』始めようとしてるんでしょ?」
彼女はスマホをいじりながら、視線だけをこちらに向けてくる。
すべてお見通しといった、食えない態度だ。
「ああ。調べてもらいたいことがある」
俺は単刀直入に切り出した。
「二つある。一つ目は、聖条学園の生徒――『黒鉄牙』についてだ」
澪の手が止まり、怪訝そうな顔を上げる。
「……は? 誰よそれ」
当然の反応だ。
裏社会の情報を扱う彼女にとって、一介の高校生の名前などノイズにもならない。
「ただの同級生だよ。」
俺は昨夜見た光景を脳裏に浮かべながら説明する。
「学内じゃ、傷害事件を起こして転落した元・優等生ってことになってる。だが……昨日、あいつの喧嘩を見た。あれは、ただイキがってる不良の喧嘩じゃない」
痛みを感じず、自分自身を壊そうとしているかのような、虚無的な暴力。
ただの傷害事件の加害者というレッテルでは説明がつかない「何か」がある。
「あそこまで人間が壊れるには、相応の理由があるはずだ。警察沙汰になった表の記録じゃなくて、その裏にある『本当の引き金』が知りたい」
澪は「ふーん」と鼻を鳴らし、スマホにメモを打ち込んだ。
「物好きね。……まあいいわ、調べてあげる。聖条学園の『黒鉄牙』ね。警察のデータベースか、あるいは被害者側の周辺を洗えば何か出るかもね」
「頼む。……で、二つ目だ」
俺は少し間を置き、夜空を見上げながら、さっき見た光景を口にした。
「……さっき、荒川組のシマを見てきた」
澪が顔を上げる。その目に、わずかに興味の色が宿る。
「荒川組? あの武闘派の?」
「ああ。だが、もう『荒川組』じゃなかった」
俺は、クラブで見たことを話した。
チンピラが一掃され、ビジネスマンのような男たちが店を仕切り、完璧な効率で利益を上げている現状。
血生臭い抗争の跡もなく、まるで最初からそうであったかのように、組織がすり替わっている事実。
「……綺麗すぎるんだよ。手口が」
俺は吐き捨てるように言った。
「暴力でねじ伏せるんじゃなく、システムで管理して支配する。……俺の知ってるヤクザのやり方じゃない」
そして何より――かつて俺が実践していた「影山アキラ」の手法に酷似している。
俺がいない間に、俺の席に座ろうとしている偽物がいる。
あるいは、俺のやり方を模倣する何者かが。
それが、どうしようもなく不快だった。
俺の言葉に、澪は口の端を吊り上げた。 面白がるような、それでいてどこか冷ややかな笑み。
「へぇ……。荒川組が、ね。あそこがそんなスマートな組織に変わったなんて、初耳だわ」
澪ですら、まだ正確な情報は掴んでいないらしい。
それほどまでに、奴らの侵食は静かで、巧妙だということだ。
「りょーかい。同級生の『過去』と、荒川組を乗っ取った『正体不明』。……どっちもすぐには出ないかもしれないけど、調べておくわ」
「報酬は?」
「いつもの伊集院家の情報でいいわよ。……この先、もっと面白いものを見せて頂戴ね」
澪は背を向け、ひらひらと手を振った。
「じゃあね、アキラくん。……あんまり無茶しないことよ」
その言葉を残し、彼女は闇の中へと消えていった。
残された俺は、冷たくなったベンチに座り、思考を巡らせる。
黒鉄牙。
正体不明の組織。
二つの標的。
どちらも、今の俺にとっては「力」と「敵」だ。
(……まずは黒鉄だ。あいつの過去が分かれば、付け入る隙も見えてくる)
俺は立ち上がり、ポケットからスマホを取り出した。
画面には、俺が撮った黒鉄の暴行現場の写真が表示されている。
そろそろ、接触の時だ。
俺はスマホを握りしめ、廃駅を後にした。
夜風が、俺の火照った思考を冷やしていく。
高校生活という舞台で、次の一手を打つ準備は整った。




