6話 駆け引き
教室の空気が、昼休みのざわめきで少し緩んでいる。
彼女は昼休みになっても自身が持ってきた、高校生用の参考書を使って、勉強をしている。
その視線は、確実に何度か俺の方を見ていた。
観察している、と言ってもいい。
俺は覚悟を決めて、桜の方を見直した。
「……何の用?」
静かな声。でもその奥には、明らかに警戒心がある。
「ほら、さっき約束した話の件だけど、ちょっと、お願いがあってさ」
俺はできるだけ自然に切り出した。
「お願い?」
桜が首を少し傾げた。
声は柔らかいが、目は笑っていない。
俺の顔から目を逸らさない。
「うん。ネットのことなんだけど——」
その言葉を口にした瞬間、桜の目だけがスッと細くなった。
「ネット?」
一語だけ。けれどその音の中に、いくつもの感情が交差していた。
目の奥に浮かんだ警戒心が、一瞬でその感情を整理しようとしているようだった。
驚き、疑念、そして……わずかな興味。
桜は参考書をそっと置き、肘をついて、俺の顔を改めて観察するように見つめてきた。
「俺の家、まだネット繋がってないんだ。親には“必要じゃないか”って相談するつもりなんだけど、どんなもんか実際わかんなくてさ」
一拍。
桜は表情を変えず、じっと俺の顔を見る。沈黙が重い。
「……あなたはなんで私の家にインターネットがあると思ったの」
その問いは、純粋な疑問というより、探るようなニュアンスだった。
「伊集院さんってすごいじゃん」
あえて、小学生みたいな回答をしてみた。
続けて、桜の思考を止めるように畳みかける。
「ただ、インターネットを使っている人を探しているだけ。なんとなく伊集院さんは持ってるって思ったんだ」
考えさせないように続ける。
「インターネットに興味があるだけだよ。ニュースも見られるし、勉強にも使えるって言うしさ。今って、小学生でもネットぐらい必要でしょ?」
俺はできるだけ無邪気な笑顔を作る。でも、桜の目はごまかせない。
「……ふうん」
桜は顎に手を当てて、まるで取り調べでもするような視線で俺を見つめていた。
「あなたさ、言葉の選び方が妙に大人びてるのよね」
一拍、静寂が落ちた。
桜は何気ないふりで机の端に置いてあった鉛筆を指で転がした。
コロコロと音を立てながら、鉛筆は机の縁で止まる。
その動きに意味はないようでいて、視線は俺を見逃さない。
「そう?」
俺は肩をすくめてみせるが、どこまで読まれているのか測りかねる。
「うん。あと、間の取り方とか、仕草。……違和感ある」
桜は背もたれにもたれかかり、腕を組んだ。
片眉をわずかに上げて、まるで品定めでもするように、俺を見ていた。
完全に見抜かれてるわけじゃない。でも、桜の鋭さは予想以上だ。
「まあ……変に思うのはわかるけど、これでも普通に生きてるつもりなんだけどな」
俺が苦笑気味に言うと、桜はフッと鼻で笑った。
「その“つもり”とか”なんだけどな”って言い方もね。
何を隠してるのか知らないけど、そういうのって、言葉に出るのよ」
(この子、ただのお嬢様じゃないな……)
俺は思わず、心の中で舌を巻いた。
表情、間、タイミング。全部の観察が冷静で、
しかも、それを無意識じゃなく意識してやっている節がある。
「とにかく、ネットは無理よ。私のじゃないし、貸す理由もない」
ばっさりと切られる。でも、俺はそれでいい。
どんな人間か、どういう視点を持っているか、それが見たかった。
「そうか。ありがとう、聞いてくれて」
桜は一瞬、言葉に詰まったように目を瞬かせた。
意表を突かれたような、その顔が珍しく思えた。
「……断ったのに、お礼言う人ってあんまりいないわ」
「練習中なんだ。人付き合い」
その言葉に、桜は一瞬だけ目を見開き、次の瞬間、ふっと小さく笑った。
言葉の裏を探しているのか……少しだけ好奇心に満ちた顔。
俺は席を立ち、桜の近くに歩みよった。
そして、参考書に目を落とす。
桜がさきほどから解けていなかった問題だ。
ページをちらっと見て、問題文を一読。
指先で数式をなぞるように、ほんの一瞬だけ目を細めて計算する。
「答えは、302だよ」
桜が解いていた参考書の答えを瞬時に伝える
「なんなのよ、あなた」
桜は眉をひそめ、言葉を選ぶように一瞬口をつぐんだあと、静かにそう言った。
手元の参考書は半分開いたまま、彼女の指先はページの端をつまんだまま止まっている。
視線だけが、鋭く俺を射抜いていた。
「普通の小学生だよ?」
俺はにっこりと笑ってみせる。わざとらしいほど無邪気に。
けれどその笑みの奥には、ほんの少しだけ挑発の色を混ぜて。
桜はその笑みを見て、一瞬だけまばたきを止めた。
言い返す言葉を探しているような沈黙が流れる。
俺はあえて桜の興味を引き、関心させるように示していった。
そして教室を出ようとする。
桜の興味は確実に俺にあるというのを確信しながら、最後の一押し。
「伊集院さんってさ……言葉の選び方が妙に大人びてるよね。間の取り方とか、仕草……」
席を立ちながら桜へ伝える。
桜の方を振り返らずそのまま進み、教室の扉の前で足を止めた。
背を向けたまま、少しだけ笑って、言い添える。
「何を隠してるのか知らないけど、そういうのって、言葉に出るんだよ」
それは、ついさきほど、桜が俺に投げた言葉。
そのまま、丁寧に返してやった。
桜の顔を見たかったが、大体想像できる。
次会うときは、きっとネットを借りられると確信しながら教室を出た。
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