64話
更新が遅くなりました。
大きくプロットを変更し、最後までプロットを仕上げてます。
これからは更新頻度はあがりますので、よろしくお願いいたします。
地下訓練場に漂う空気は、重く、そして冷たかった。
他の訓練生たちが去り、鉄の扉が閉ざされる音が響くたび、静寂が層を成して降り積もっていくようだ。
残されたのは、俺と、リングの縁に立つ篠原美琴だけ。
蛍光灯の白い光が、彼女の鋭利な横顔を照らし出している。
俺は、努めて“ただの生意気な訓練生”の仮面を崩さないよう、呼吸を整えた。
だが、肌を刺すような視線が、俺の演技を見透かそうと執拗に絡みついてくる。
「……何の用ですか、教官。俺はまだ課題が残ってるんですけど」
俺はわざとぶっきらぼうに言い放ち、手袋のマジックテープを剥がす音を響かせた。
早く帰りたいという意思表示だ。
だが、篠原は動じない。
彼女は腕を組み、リングの上から俺を見下ろしたまま、低い声で言った。
「演技が下手だな、お前」
心臓が、とくんと跳ねる。
だが、表情筋ひとつ動かさない。
俺は眉をひそめ、怪訝そうな顔を作ってみせる。
「……何の話です?」
「とぼけるな。さっきのスパーリングだ」
篠原はリングロープを跨ぎ、音もなく床に降り立った。
その足運びだけでわかる。この女は、殺し合いの場数を踏んでいる。
彼女はゆっくりと、俺との距離を詰めながら言葉を続けた。
「相手の右フック。お前は避けることも、受けることもできた。……だが、お前はあえて『当たる瞬間』に首を数ミリ引いて衝撃を殺し、派手に倒れてみせた」
彼女の目が、俺の瞳の奥を覗き込むように細められる。
「さらに、倒れた後の呼吸。乱れているふりをしていたが、脈拍は一定だった。……お前、何者だ?」
一歩、また一歩。篠原が近づくにつれ、殺気にも似た圧力が強まる。
(……やはりバレていたか)
俺は内心で舌打ちをした。やはり、伊集院家の暗部を仕切る人間だ。
凡百のチンピラとは目の解像度が違う。
小学生の頃のように、ただ子供のふりをして誤魔化せる相手ではない。
だが、ここで「はい、そうです」と認めるわけにはいかない。
俺はあくまで、伊集院家に拾われた孤児であり、少し才能があるだけの高校生でなければならないのだ。
「……買いかぶりすぎですよ。あいつのパンチが重かっただけだ」
俺は視線を逸らし、荷物をまとめようと背を向けた。その瞬間だった。
ヒュッ――
風を切る音。殺気。
思考よりも先に、身体が反応した。背後から迫る掌底。狙いは首筋。
俺は荷物を放り出し、上半身を沈めるようにして前転する。
コンクリートの床を転がり、即座に立ち上がって構えを取った。
振り返ると、篠原が右手を突き出した体勢のまま、ニヤリと口角を上げていた。
「……反射神経も、反応速度も。素人のそれじゃないな」
彼女の瞳に、獲物を見つけた猛獣のような光が宿る。
「おい、教官。訓練生を殺す気か?」
俺は声を荒げたが、腹の底は冷え切っていた。
今の攻撃は、本気だった。避けなければ、頸椎をやられていたかもしれない。
「殺しはしない。……だが、試させてもらう」
篠原は再び構えを取った。今度は、訓練用の型通りの構えではない。
重心を低くし、いつでも急所を食い破れるような、実戦の構えだ。
「私を納得させるまで、ここから帰れると思うな」
逃げ場はない。扉はロックされているし、ここで騒ぎを起こせば、俺の立場が危うくなる。
俺は深く息を吐き出し、覚悟を決めた。
(……仕方ない。少しだけ、“牙”を見せるか)
完全に実力を隠すことは不可能だ。
ならば、逆にこれを利用する。“才能ある原石”として認めさせ、オーディションだと思えばいい。
俺は重心を落とし、半身に構えた。転生前の――影山アキラとしての、血なまぐさい実戦の構え。
「……いいぜ。アンタが望むなら、付き合ってやるよ」
俺の言葉に、篠原の目が歓喜に歪んだ。
「合格だ。……来いッ!」
号令と同時、篠原が踏み込んできた。
速い。だが、見えないほどじゃない。
彼女の拳が顔面を狙う。
俺はそれを最小限の動きで弾き、懐へ飛び込む。肘打ちを狙う。
だが寸前で、篠原の膝が俺の腹を狙って突き上げられた。
(読みがいい……!)
俺は肘を引いて膝をガードし、その衝撃を利用してバックステップで距離を取る。
重い衝撃が腕に残る。この女、体重の乗せ方が上手い。
見た目以上の破壊力がある。
息つく暇もなく、篠原が追撃してくる。
急所のみを的確に狙う、無駄のない殺人術。
俺はそれを捌き、いなし、時に被弾しながらも致命傷を避ける。
訓練場に、肉と肉がぶつかる鈍い音と、シューズが床を擦る音だけが響き渡る。
汗が目に入る。呼吸が熱くなる。だが、思考はクリアだった。
篠原の動きには癖がある。攻撃の終わり際、右肩がわずかに下がる。
次の攻撃への予備動作だ。
(……そこだ)
篠原が回し蹴りを放ち、体勢を戻そうとした一瞬の隙。俺は踏み込んだ。
防御を捨て、相手の懐、ゼロ距離へ。
驚愕に見開かれる篠原の目。
俺の右手が、彼女の喉元を――掴む直前で止まった。
同時に、篠原の指先も、俺の眼球の手前で静止していた。
静寂。互いの荒い呼吸音だけが、地下室に反響する。
汗が鼻筋を伝って落ちた。
「……ここまでですね」
俺は静かに手を下ろし、距離を取った。心臓が早鐘を打っている。
まだまだ鍛えが足りないのか、スタミナの消耗が激しい。
篠原もまた、手を下ろして大きく息を吐いた。
その顔には、先ほどまでの殺気はなく、代わりに奇妙な満足感が浮かんでいた。
「……ああ。十分だ」
彼女はタオルを投げ渡してくると、パイプ椅子にどっかりと座り込んだ。
「お前、どこでその技術を覚えた?」
水筒の水をあおりながら、篠原が問う。想定していた質問だ。
「……生きるために必要だったんですよ。スラムみたいな場所で育てば、誰だって覚える」
半分は嘘で、半分は真実だ。
この世界での幼少期も、決して安穏としたものではなかった。
だが、それ以上の技術は、前世という地獄で培ったものだ。
「ふん、嘘くさいな。だが……まあいい」
篠原は深く追求しなかった。
裏の世界では、過去よりも「今、何ができるか」が全てだ。彼女もそれを知っている。
「お前の実力は認める。ただの訓練生枠に収めておくには惜しい」
彼女は立ち上がり、壁際のロッカーから一枚のカードキーを取り出した。
それを俺に見せつけるように指先で遊ばせる。黒く、無機質なプラスチックカード。
「それは?」
「アクセスキーだ。……通常の訓練生は立ち入れない、色々な場所へ入れる」
俺の中で、歓喜と警戒が同時に湧き上がった。
もし情報が眠っている部屋に入れることになれば……。
そこに、暗部の名簿や過去の任務記録があるはずだ。
喉から手が出るほど欲しい「扉」の鍵が、今、目の前にある。
「……くれるんですか?」
俺は手を伸ばしかけたが、篠原はニヤリと笑い、カードを胸ポケットにしまった。
「まさか。どこの馬の骨とも知れない小僧に、いきなり組織の権限を渡す馬鹿がいるか」
彼女の冷徹な視線が、俺を射抜く。
「欲しければ、実力で奪い取れ。『特待生』として私の直轄部隊に入れ。……そこで成果を出せば、権限を与えてやる」
ただの勧誘ではない。これは値踏みだ。
俺を利用価値のある道具として使い潰すか、あるいは飼い慣らすか。
俺は内心で舌打ちをした。足元を見られている。だが、今はその提案に乗るしかない。
「……条件は?」
「汚れ仕事だ。学園生活とは真逆の、ドブさらいのような任務。……できるか?」
俺は篠原を睨み返した。
ドブさらい。
……上等だ。
俺は元々、ドブの中で生まれ、ドブの中で死んだ男だ。
綺麗な場所を歩こうなんて思っちゃいない。
「……わかりました。引き受けます」
「よし。話が早くて助かる」
篠原は満足げに頷くと、出口の方を顎でしゃくった。
「今日は帰れ。……近いうちに招集をかける」
俺は一礼し、地下室を後にした。
階段を上り、外の空気を吸い込むと、夜風が火照った体を冷やしていく。
空を見上げると、月が雲に隠れようとしていた。
(……簡単にはいかないか)
握りしめた拳の中には、何もない。
だが、ルートは確保した。
「直轄部隊」に入り込み、内部から信用を勝ち取れば、いずれあのカードキーに手が届く。
情報が手に入れば、調べなきゃならないことは山ほどある。
転生前の俺を陥れた「裏切り者」。
そして――処刑場にいた「鷹のタトゥー」を持つ男たち。
遠回りだが、確実な道だ。
――待っていろ。必ず、お前たちの喉元に食らいついてやる。
屋敷の敷地内を歩き、俺と母さんが暮らす「離れ」へと戻る。
玄関を開けると、静寂が迎えてくれた。
リビングの明かりは消えていたが、テーブルの上にラップのかかった夜食が置かれていた。
その横に、小さなメモ。
『お疲れ様。無理しないでね』
見慣れた文字。
かつては歪んでいた家庭、偽りだった親子関係。
だが、あの火事の夜、俺たちは“共犯者”として生き残った。
今の母さんの平穏は、俺が守り抜いた成果だ。
俺は冷めた味噌汁を一口すすり、椅子に深く腰掛けた。
どっと疲れが出る。
肉体的な疲労よりも、常に神経を張り詰めている精神的な摩耗だ。
表の高校生活では、将来の手駒となる優秀な生徒を品定めし。
裏の暗部では、実力を隠しながら牙を研ぐ獣を演じる。
俺の本性は、一体どこにある?
今の俺は……復讐のために蘇った亡霊だ。それだけでいい。
(……くだらないこと考えてる暇はないな)
俺は残りの飯をかきこみ、食器を洗うと、自室へ戻った。
机の引き出しから、一冊のノートを取り出す。
そこには、これまで集めた情報が暗号のような走り書きで記されている。
・クジョウ(俺をハメた黒幕?)
・伊集院家(力、暗部、鷹の紋章)
・死神(傍観者、認識阻害)
ここに、今日得た新たなピースを加える。
・篠原美琴(暗部教官、鍵を持つ者)
ペンを走らせながら、思考を整理する。
カードキーは手に入らなかった。だが、標的は定まった。
篠原を利用し、のし上がり、権限を奪う。
そして手駒がいる。
図書室で接触した不破。彼女は使えるはずだ。
しかし、決定的に足りないものがある。
俺の代わりに手を汚す「力」だ。
加賀のような洗練された強さではなくていい。
この学園のどこかに、そういう“素材”が転がっていないか探す必要がある。
ノートを閉じ、引き出しの奥に隠す。
ベッドに倒れ込むと、天井の木目が歪んで見えた。
かつて死刑台に立ったあの日。
あの絶望と無力感を、俺は片時も忘れていない。
二度と、あんな思いはしない。
これからは俺が、盤面を支配する側だ。
目を閉じると、篠原の鋭い蹴りの残像が浮かんだ。
今の高校生の肉体では、まだ全盛期の動きには程遠い。
もっと鍛えなければ。技術で補える範囲にも限界がある。
明日もまた、学校がある。
新たな手駒探し。そして、暗部での任務。
休まる暇はない。だが、それが心地よかった。
生きている実感。復讐へと進んでいる確かな手応え。
俺は、暗闇の中で静かに笑った。
死神よ、見ているか。お前の描いた筋書き通りになんて、踊ってやらない。
この舞台の主役は、俺だ。
意識が闇に溶けていく直前、スマホが短く震えた。
重いまぶたをこじ開け、画面を見る。
『明日、放課後。大事な話がある』
送信者は――桜。
その短いメッセージに、俺は微かな予感を覚えた。
彼女もまた、何かを決意しようとしているのかもしれない。
小学生の頃、俺を守ると誓ったあの時から、彼女の想いは変わっていないのか、それとも――。
俺たちの運命が、少しずつ、しかし確実に絡まり合い、大きな渦になろうとしている。
スマホを握りしめたまま、俺は深い眠りへと落ちていった。
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