62話
図書室を出ると、廊下の端にある窓から夕陽が長く伸びていた。
淡く染まったオレンジの光が床に溶け、その先に俺の影を静かに連れていく。
満たされた静けさの余韻が、ゆっくりと現実へと引き戻していく。
歩きながら、さっきまでの光景が脳裏を離れなかった。
不破――大人びた雰囲気の知性的な女性。
そしてそこに飛び込んできた、南雲ミナという女。
静寂と喧騒。対極のふたりが、あの空間では不思議と自然に共存していた。
(……やっぱり、学校というのは面白い場所だ)
独房の冷たさとは正反対に、人の温度を感じられる場所。
図書室のあの時間は、久々に味わった“日常”だったのかもしれない。
だが、それも長くは続かない。
靴を履き替え、校門を抜けて坂を下る。
住宅街を抜け、川沿いの道を歩き出すと、沈みかけた陽が街を金色に染めていた。
すべてが柔らかく縁取られた風景は、どこか夢の中のようで――だからこそ、記憶が滲み出してくる。
死神との出会い。最後に姿を見たのは、あの日だった。
以降、どれだけ違和感を抱こうが、どれだけ呼びかけようが、“彼女”は現れなかった。
助言も干渉もなく、ただ、ときどき――奇妙な気配だけが残される。
“見られている”ような錯覚。
風もないのに、肩にふわりと何かが触れる感覚。
誰もいないはずの道で、背後に何かの“存在”を感じる。
それを錯覚だと片づけてきたが、本当に“いない”のか、確信は持てなかった。
(……お前は、どこで、何を見てるんだ?)
問いかけても、答えはない。
それでも俺にはわかっている。あの契約は、まだ“終わっていない”。
――そしてもうひとり。
小学生の頃から、ずっと俺の隣にいる存在。伊集院桜。
最初は、俺の違和感や異質さに、誰よりも敏感に反応していた。
けれど、時間が経つにつれ距離を詰めてきて、今では“味方”であることを明言してくれている。
……だが、その代償のように、過保護さが日に日に強まっている。
学校で誰かと話しただけで「その子、どんな子?」と聞かれ、
俺の予定には干渉しないふりをしながら、登下校の情報を毎日のように把握している。
表面上は自然にふるまっていても、加賀の存在を含めて、俺の行動はある程度“監視”されているのだろう。
以前、加賀が漏らしていたように――組織の動きは活発化している。その護衛の意味もあるはずだ。
けれど、桜の行動が義務感だけではないこともわかっている。
彼女は、本気で俺を“守ろう”としている。たぶん、心から。
……だが、それが俺にとって本当に“善意”なのかは、まだわからない。
(……甘えるつもりはない)
目的がある。この命を使って、すべての真相を暴く。
そして裏切り者を、この手で潰す。
そのために、誰かに守られているだけの存在ではいられない。
だから俺は、“あの道”を選んだ。
伊集院家――桜の家に“潜る”という選択。
表向きには交友関係を続けながら、裏では“暗部”の見習いとして動き始めた。
真相に辿り着くための、最短にして最深のルート。
その活動のなかで――再び繋がった相手がいる。澪だ。
彼女は今も裏社会に通じ、情報屋として独自のネットワークを築いている。
けれど今の関係は、あの頃とは違う。
俺は、伊集院家の影――その断片的な内情や動きを定期的に渡している。
その代わりに、澪は裏社会の情勢や、組織の残党、裏切り者の痕跡について、断続的に情報を渡してくる。
友情などはない。
だが、それでいい。利用価値さえあれば、牙を隠して取引を続ければいい。
交差する情報と情報。
偽りと真実の狭間で、少しずつ浮かび上がるピースたち。
(……今日の修行が終わったら、澪に連絡を入れるべきか)
考えているうちに、自宅の近くまで戻ってきていた。
裏口から入り、夕暮れの色に染まった玄関をそっとくぐる。
家の中に人気はなかった。
母さんは買い物か、あるいは加賀に呼ばれて屋敷に行っているのかもしれない。
時計を見る。暗部の訓練までには、まだ少し時間がある。
(――さて)
鞄を置き、再び上着に手をかける。
この日常は、あくまで“表”の顔。
俺が本当に生きているのは――このあとからだ。
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