61話
ページをめくる音だけが支配する静寂の中。
窓から差し込む夕陽が、机の上に淡く広がっていた。
彼女――不破は、まるで空気に溶け込むように静かだった。
紫がかった淡い髪に、同じ色をたたえた瞳。
まっすぐに本のページを見つめる姿は、まるで“知性そのもの”のようで、無駄が一切ない。
言葉も少なく、ただ数ページ分の沈黙を共有しただけ。
それでもなぜか、不思議な安心感があった。
と、その時だった。
「れーちゃーーん! もう~、探したんだからねっ!」
図書室の扉が勢いよく開かれ、明るく響く声が静寂を破った。
俺の視線が反射的にそちらへ向く。
入ってきたのは、鮮やかな水色の髪に、抹茶色のカチューシャをつけた女子生徒。
制服の袖は軽くまくり、腕には何枚もの書類。
明らかにこの空間に“似合わない”ほど明るく、まっすぐで――そしてよく喋る。
彼女は不破の姿を見つけると、真っ直ぐに歩み寄ってきた。
「もうさっきからあちこち探して……れーちゃん、また図書室でこもってたの? 生徒会の書類だって言ったでしょ!」
どうやら二人は、生徒会の関係者らしい。
俺は本を閉じ、そっと椅子に背を預けた。
「ミナ、静かに。ここは図書室よ」
不破の声は変わらず淡々としていたが、その声を聞いた瞬間、水色の髪の彼女――ミナと呼ばれた生徒は、ようやく俺の存在に気づいた。
「はじめまして! 二年生の南雲ミナっていいます。……って、もしかして一年生?」
そう言って目を細めた彼女は、見た目通り、いやそれ以上に明るかった。
水色の髪が陽の光を弾き、弾む声と同じように軽やかに揺れる。
ぱっちりとした瞳は、こちらをまっすぐ見つめ、飾らない好奇心を隠そうともしない。
「ああ。そうだ」
俺が答えると、ミナは一瞬、ふぅんと目を細めた。
軽く首をかしげながら、今度は一歩だけ俺の方へ寄ってくる。
その動きに、不思議と不快感はなかった。
むしろ、ある種の“人懐っこさ”が、その明るさに乗って自然に届いてくる。
「ふーん……」
彼女はじっと俺を観察するように目を細めた。
視線に悪意はないが、予想よりも鋭い。
そして、すぐに花が咲いたような笑顔で続けた。
「本、読んでたの? それとも……れーちゃんとお知り合い?」
“れーちゃん”という呼び方に、俺は軽く視線を不破へ移す。
さっきまで本の世界に没頭していた彼女は、ミナの言葉にだけ、わずかに視線を上げていた。
「いや、たまたまだ。少しだけ会話をしただけだよ」
俺が答えると、ミナは「そっか」と言いながら、今度は不破に身体を向けた。
「へぇー、珍しい! れーちゃんが初対面の子と話すなんて!」
その言葉に、不破は目を伏せたまま、本に視線を戻す。
「……ただの偶然よ。深い意味はないわ」
表情は変わらないが、その声色はどこか、ほんのわずかにだけ揺れていた。
その微細な変化を、ミナは察したのか、していないのか――また俺の方を見た。
その目はさっきまでよりも少しだけ、真剣さを帯びていた。
「なんか、面白そうな一年生見つけちゃったかも~!」
いたずらっぽく笑う彼女の声は、図書室の空気を少し柔らかく変えていた。
「……賑やかだな」
俺の言葉に、ミナはぱっと笑い返した。
「よく言われるー! でもね、れーちゃんとは正反対だけど、仲良しなんだよ。性格もテンションも全部逆だけど、それがまた面白いの!」
そう言って、ミナは不破に寄りかかるように肩に肘を乗せる。
不破は迷惑そうでもなく、ただ淡々とその様子を受け入れていた。
――この2人は、たしかに正反対だ。でも、それでもバランスが取れている。
それが今までにない不思議な空間だった。
まるで警戒心というものが存在しない。
不破の静寂とはまるで真逆の存在。
ミナとのやり取りのあと、不破はもう一度、静かに本に目を落とした。
ミナも隣に腰を下ろし、勝手知ったる様子で鞄からノートを取り出している。
俺の存在なんて、もう過去のページの一枚のような扱いだ。
(……この空気のなかに、居続けるのも悪くはない)
そう思いかけたのは、一瞬だった。
次の瞬間、誰かがドアを開ける音がして、数人の生徒が図書室に入ってきた。
その音に、俺の思考は途切れた。
(……今日は、もう十分だな)
席を立ち、鞄を肩にかける。
不破もミナも、俺を引き止めることはなかった。俺もそれを望んではいない。
図書室の扉をくぐる前、ふと後ろを振り返る。
並んで本に目を通す二人の姿が、夕陽の残光に照らされて、影を落としていた。
静かで、不思議な余韻。
今日という一日のなかで、ほんの少しだけ、別の世界に足を踏み入れた気がした。
(……やっぱり、学校というのは面白い場所だ)
そう呟いて、俺は図書室を後にした。
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