57話 紋章
「……桜、一つ聞いてもいいか?」
俺は、ベッドにもたれかかりつつ、彼女をじっと見つめながら、ゆっくりと口を開いた。
「あのとき、俺を抱えた警備員の手にタトゥーがあった。鷹の紋章のような……あれって、何か意味があるのか?」
桜は一瞬きょとんとしたあと、ふっと微笑みながら、こくりと頷いた。
「ああ、それね。あれは――伊集院家の内部識別印よ」
桜は一度、言葉を選ぶように視線を伏せてから、俺の目を見た。
「識別印?」
思わず聞き返した俺に、桜はゆっくりと頷いた。
「うん。アキラも、うちの門、見たことあるでしょ? 大きな鉄門に掲げられた、炎の紋章」
俺は記憶を辿る。
確かに、桜の屋敷に行ったとき――あの静寂な敷地の入り口に、門がそびえ立っていた。
“炎”を象った紋章が、堂々と刻まれていた。
あれはただの飾りじゃなかったのか。
俺が黙って頷くと、桜は少し声を落として続けた。
「実はね、あの炎の紋章……反転させると、“鷹”の姿になるの」
反転――?
その言葉を聞いた瞬間、頭の奥で何かがひっかかったような感覚が走る。
「変装や潜入をするメンバーは、表に出られないことが多いから、あの紋章で仲間と判断するの。」
その言葉を聞いた瞬間――何かが、カチリと音を立ててはまった。
脳内に、稲妻のような記憶の閃きが走る。
(……あのタトゥー、俺は知ってる)
目を閉じ、記憶を掘り返す。
(あれは……転生前、俺を牢屋に入れたあの男。あいつの首筋にあった……間違いない、同じ鷹のマーク。)
ぞわり、と肌に何かを伝う。
(じゃあ、あいつは……伊集院家の関係者だったってことか?)
だが、そこで引っかかる感覚があった。
なぜ今まで思い出さなかった?
転生直後から、記憶ははっきりしていたはず。
あれだけの恨み、憎悪を刻み込んだ相手の顔や特徴を、俺が見落とすわけがない。
(こんな重要な情報を……忘れてた?)
否――違う。
これは見落としじゃない。
明確な、空白。
(……まさか。死神が、記憶に細工を?)
自分で口に出すこともなく、頭の中でその仮説が膨らんでいく。
死神。
俺に転生の契約を与えた存在。
やけに"大事なこと"だけが曖昧だった。
(あいつは俺に何を隠した?)
桜は、俺の沈黙に不安そうな顔を向けてきた。
「アキラ…?」
俺は微かに首を振る。
「いや、大丈夫。ちょっと思い出したことがあっただけ」
そう言いながら、ベッドのシーツを握りしめる。
(思い出す。絶対に。何が真実で、何が虚構だったのか。そして、誰が俺を裏切ったのかを)
「……そうか」
俺は、桜の説明に対してそれ以上何も言わず、淡々と答えた。
ほんの一瞬だけ目が合ったが、桜はそれ以上踏み込んでこなかった。
たぶん、今の俺の顔がどこか冷たいものに変わっていたからだろう。
窓の外に視線を投げる。
ガラス越しに見える青白い空。雲はのんびりと流れ、どこか現実味がなかった。
伊集院家。
まさか、ここでその名前が出てくるとは思わなかった。
(俺をハメたのは、伊集院家――なのか?)
思考の奥に浮かんだその疑問は、すぐに自分自身の中で否定された。
いや、違う。あの頃の俺は、伊集院家の“イ”の字も知らなかった。関わりも、敵対もしていない。
なら、俺が伊集院家の怒りを買うようなことをした可能性は――極めて低い。
(じゃあ、実行部隊が伊集院家……? それとも――何者かが動かした?)
ひとつずつ、可能性を潰していく。
見えない糸を手繰るように、頭の中に過去の記憶を並べていく。
――実行部隊だけが伊集院家の所属。
なら、裏で糸を引いていた黒幕は別にいる。
そう考えるのが、今のところ一番現実的だ。
誰かが、伊集院家の中の“鷹”の紋章を持つ人間を利用していた。
もしくは、それと知らずに伊集院家が結果的に動かされていた。
そのどちらにせよ、俺が無実の罪で牢にぶち込まれたあの事件。
その背後には、もっと大きな存在が潜んでいる。
心の底では、確かに焦りがあった。
死神と契約してから、ずっと探ってきた。
だが、ここにきてようやく手がかりらしきものが出てきた。
それが“伊集院家”という巨大な組織だという事実に、心が揺れている。
けれど――
(今、俺が伊集院家に“接触”できているのは、むしろ好都合だ)
今の立場を逆手に取れる。
俺は桜の信頼を得た。彼女は俺を守ると言ってくれている。
つまり―俺は、伊集院家の中枢へ近づく“入口”を得たということ。
鷹の紋章を持つ警備員、そして首にタトゥーを彫っていたあの男。
奴らが、俺の過去とどう繋がっているのか――洗い出せる。
(裏切った奴を……絶対に見つける)
歯を食いしばった。
ぼんやりとした病室の灯りの中、過去の霧がようやく少しだけ晴れた気がした。
(――澪にも調べてもらう必要があるな)
自然と、彼女の顔が頭に浮かんだ。
あいつなら、この手がかりを渡せば必ず何かを掘り起こしてくれる。
今はまだ、ピースが揃っていない。でも、確実に“形”になり始めている。
そして――もうひとつ、心の奥に引っかかっているものがある。
桜の存在だ。
あいつは、命懸けで俺を助けに来てくれた。
加賀や護衛の目をすり抜け、トランクにまで潜り込んで――俺の命を救った。
それがどれだけの覚悟だったか、考えるまでもない。
だけど――
(……俺は、どうすればいい?)
復讐を誓ったこの人生に、誰かを“巻き込む”資格が、俺にあるのか。
彼女は、きっとどこかで壊れてしまう。
いや、むしろもう、少しずつ傾きかけているのかもしれない。
心が不意に揺れた。
俺が守られたことで、彼女の中に何かが生まれたのだとしたら。
それは俺が背負わなければならないものなのかもしれない。
(……少なくとも、利用するなら、最後まで責任は持つ)
心の奥に、小さく、苦い決意が灯った。
それが正しいかは、まだ分からない。
でも俺は、もう迷わない。――迷ってはいけない。
そして、すべての裏切りを、この手であぶり出す。
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