52話 桜の決心
放課後、校門前で別れた後、黒塗りの車に乗り込んだ私は、しばらく何も言わず、流れる車窓の景色をぼんやりと見つめていた。
隣の運転席には、いつものように加賀がいる。
物静かで、必要以上のことは話さない彼の存在は、私にとってある種の安心材料でもあった。
だが、今日の私は、どうしても確かめたいことがあった。
「……加賀」
「どうされましたか、お嬢様」
穏やかな声で、加賀はルームミラー越しに私を見た。
「非常通報番号、その番号にかけたら、どうなるの?」
「どう、というのは?」
加賀は珍しく少しだけ戸惑ったように問い返した。
「その、私があの番号にかけた時……館では何が起きるの?どんなふうに、どうやって……誰が、動くの?」
一つ一つ、慎重に言葉を選びながら、私は問いを重ねた。
私が知っているのは『最悪のときに使える番号』ということだけ。
だけど、実際にかけたとき、どうなるのか――その先を私は知らなかった。
加賀は短く「なるほど」と呟き、小さく頷いて答えた。
「その番号は、館内の警戒システムと直結しています。お嬢様が発信した瞬間、伊集院家の警備本部に非常通報として通知されます。館内では即座に警報が鳴り響き、専属の護衛部隊が、通報者の現在地をGPSで確認し、最速で現場に向かう体制が取られます」
「……警報が、鳴るのね」
「ええ。館にいる誰もが気付くほどの、かなり大きな警報音です」
加賀は静かに続けた。
「ご安心ください、お嬢様。もしものときは、必ず最速・最短で、お嬢様と通報先の人物のもとへ駆けつけます。命令があれば、躊躇なく動きます」
「……そう」
私はふと、胸の奥がざわつくのを感じた。
警報が鳴るということは……私にも、すぐにわかる。
通報が入った瞬間、アキラが本当に危ない状況にいるということが、私に『音』として届く。
もしかしたら、そのとき私も……。
そんな考えが、一瞬、脳裏をよぎった。
私はほんの少しだけ視線を伏せ、加賀に小さく礼を言った。
「ありがとう。安心した」
「お嬢様のご不安が少しでも和らげば幸いです」
加賀はそれ以上、詮索することもなく、いつものように静かに車を走らせ続けた。
私の中で、一つの種が芽吹いていた。
(私も、あの警報を聞いたら、動けるのかもしれない)
けれど、それは私が勝手に思い描いているだけで、本来はそんなこと、してはいけないのかもしれない。
車はいつもの道を走り、伊集院家の屋敷に到着した。
「加賀、……少し一人にしてくれる?」
私は、車を降りるとき、少しだけ声を低くして頼んだ。
「……お嬢様?」
加賀はわずかに眉を動かしたが、すぐに察したのか、深く頭を下げた。
「かしこまりました。お部屋に伺う者もおりませんので、どうかごゆっくり」
「ありがとう」
私は軽く微笑んで、玄関をくぐった。
ゆっくりと、自室へと足を運ぶ。
ふかふかの絨毯の感触すら、今は意識の外にあった。
部屋に入って扉を閉めると、私は静かにベッドへ腰を下ろし、深く、深く息を吐いた。
――本当に、これでいいの?
アキラのことが、頭から離れない。
彼が言った『最悪の時は頼る』という言葉。
あの時の、どこか戸惑いを含んだ笑顔。
私に助けを求めた、あの目。
それら全てが、私の胸の中で、ぐるぐると渦を巻いていた。
もし――もし、本当にアキラが危ない状況になったら。
もし、私がその警報を耳にしたら。
――私は本当に、ただ待つだけでいいの?
館の護衛が動く。私の身は安全だ。
けれど、そんなことが、私の心を納得させてくれるだろうか。
アキラは、私を信じて『頼る』と言ってくれた。
私は……どうしたい?
窓際に立ち、夕陽に染まる街を見下ろしながら、私は考え続けた。
伊集院家の人間として、私が軽率に行動すれば――それは家の名を傷つけるかもしれない。
下手をすれば、私自身が誘拐や攻撃の対象になり、家にとって大きな損失となる。
私が動けば、家の人間も加賀も、私を守るために動かざるを得なくなる。
私一人の感情で、家族や護衛たちにまで迷惑をかけることになるかもしれない。
分かってる。
頭では、ずっと、分かってる。
だけど。
だけど――。
私はアキラを救いたい。
どうして、私はこんなにも、彼のことを考えているのだろう。
あの冷たい視線も、時折見せる幼さも、何もかもが、私の心の中にずっと居座っている。
一人で考えると一つの結論に達した。
あぁ……私は、アキラのことが、好きなんだ
ようやく、自分の気持ちに気付いた。
今まで私は、誰とも本気で関わったことがなかった。
親しい友人もいない。
家族は遠い存在で、いつも加賀を通じてしか繋がっていない。
だから、私は、誰かを「守りたい」なんて、思ったことすらなかった。
でも、今は――
私の心は、間違いなく彼に向いている。
アキラが、私を頼ってくれた。
私を信じて、助けを求めてくれた。
それだけで、私は生まれて初めて、自分がこの世界に必要とされている気がした。
私は、私自身の意思で――彼を守りたい。
その感情を、信じたい。
もし、警報が鳴ったら……私も、絶対に駆け付ける。
誰が何と言おうと、私は彼のもとへ行く。
護衛が動こうと、家がどう思おうと、そんなことはどうでもいい。
アキラを、助けたい。
私の心は、もうとっくに決まっていた。
ベッドに腰を下ろし、私はスマホを握りしめる。
画面を開くと、そこにはアキラの電話番号が、”一番上”に登録されている。
私は画面をそっと閉じた。
「……絶対、守るから」
小さく、誰にも聞こえない声で、私は静かに呟いた。
その瞬間、胸の奥に宿った熱は、確かに私の中で静かに灯り続けていた。
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