44話 母の言葉
澪の姿が完全に見えなくなったのを確認してから、ポケットからスマホを取り出した。
いざって時、一人でできることなんてたかが知れてる。
リスクが高まる前に、使える駒は押さえておくべきだ。
明日、桜と加賀を俺の味方につけるため。
その第一歩として、桜に電話をかける。
ワンコールで出た。
しかも、予想以上に勢いのある声だった。
『もしもし!?』
一瞬だけ、反応に面を食らう。
いつもより声が明るくて、どこか嬉しそうだった。
「あ、アキラだけど……今、大丈夫か?」
『うん。どうしたの? アキラが電話なんて珍しいから、ちょっと驚いただけ』
驚きの裏に、少しだけ期待が混じってるような声。
こういうのに気づいてしまう自分が、少し面倒くさい。
「ああ。明日、大事な話がある。放課後、少し時間もらえるか?」
『うん、いいよ。学校じゃなくて、うちに来る感じでいい?』
声色が、柔らかくも真剣なものに変わる。
俺の言葉の重みを感じ取ったんだろう。
「助かる。そっちの方が話しやすい」
俺の声の調子だけで、ただ事じゃないと察して、先回りして答えてくる。
『じゃあ、放課後よろしくね』
「……ああ、頼む」
通話を切った後、スマホを胸ポケットに戻す。
そのための布石は、今のうちに打っておく。
動けるうちに、手を打つ。俺の基本だ。
薄暗くなりかけた空を見上げながら、ゆっくり歩き出す。
廃駅を離れ、少し人気のない路地を通る。
昔なら怖がったかもしれない道も、今となっては静かでありがたい。
思考のノイズが少ないから。
住宅街に近づくと、遠くにいつもの我が家のシルエットが見えてきた。
外観は変わらない。でも、今の俺にとってはその家が爆弾を抱えた地雷原みたいに思えてくる。
少し家の周りを調べておくか。
何か痕跡、罠の準備、あるいは不自然な気配——そういう“違和感”がないかどうか。
門の前を素通りして、歩きながら周囲を観察する。
裏手の勝手口、ゴミ捨て場、通学路から見えない角。
さりげなく目を走らせる。目立たないように、でも逃さないように。
……今のところ、外見上は何もない。
まだ、何も準備されていないか……。
放火や時限装置の場合、外でも中でも、どちらに仕掛けられていてもおかしくない。
むしろ“中に仕掛けるために、外を普段通りに見せている”可能性もある。
俺は念のため、スマホを取り出し、無言のままカメラを起動する。
まずは正面。門、壁、ポスト、植え込み。
何でもないように見えるその景色を一枚、また一枚と切り取っていく。
道路を挟んだ向かい側から、全体像を収める。
次に左右へ移動しながら、側面の窓や外壁、電気メーター周りも撮影。
最後に裏手へ回って、勝手口や物置き場。
ゴミ捨て場も。
周囲に人の気配がないことを確認しながら慎重に。
ぱっと見では何もない。けれど“今は何もない”という証拠を残しておくのは、後から比べるためだ。
……この写真を、毎日撮っていく。
少しでも位置など、細部に違和感が出れば、それが「何かが動いた」証拠になる。
痕跡というのは、動いた後にしか残らない。
だからこそ、“変化”を記録しておく必要がある。
そう計画を立てながら、俺は最後に家の屋根を見上げて一枚。
そして無言のままスマホを胸ポケットに戻した。
(次は、家の中か……)
ただ、母親がいる前で堂々と写真を撮るわけにもいかない。
不自然な動きは警戒を招くし、場合によっては相手に刺激を与えることになる。
でも、もし家の中で細工をするつもりなら——やる場所は、限られている。
誰にも怪しまれず、火気やガソリンがあっても不審に思われない場所。
そうなると、考えられるのは……かなりの確率でキッチンだ。
俺は玄関を開ける前に、一度深く息を吐く。
家の中の空気を読み違えないために、気持ちを切り替える。
あそこなら、写真に収めるスキはあるかもしれない。
料理中や後片付けの合間を狙えば、数秒の余裕は作れる。
些細な変化を記録して、日ごとに比較すれば、“仕掛け”の兆候も見抜けるはずだ。
キッチン。
火を扱う、もっとも自然に“事故”を偽装できる場所。
そこに狙いを定めながら、俺は家のドアノブに手をかけた。
玄関を空けると母親が夜ごはんの準備をしているのか料理の匂いが玄関まで届いた。
「アキラ?帰ったの?」
俺は家の中の空気を探っていたが、母親の普通の声。
それを聞いた時に少しだけ警戒を緩めた。
「ただいま~!」
いつもの通りに帰宅の挨拶を済ませていく。
とりあえず、当分はキッチンは無理だな。
ただ、料理中なら、むしろ好都合だ。
注意がキッチンに向いている今なら、他の場所を探るには絶好のタイミング。
俺はスリッパに足を通しながら、さりげなく視線を巡らせる。
リビング、廊下、階段下の収納。
目立たず立ち止まれるポイントをいくつか頭に描き、動きながらスマホを構える。
カメラアプリのシャッター音はすでに切ってある。
まるで歩きスマホでもしているような素振りで、何気なく数枚、家の内部を撮影した。
照明の影、コードの位置、足元の異物、家具の角度。
どんな細工がされても、微細な違和感を見落とさないようにするためだ。
日々、同じ構図を撮り、何か変化があれば即座に気づけるように。
それが、俺にできる最低限の“防衛”。
“生き残るための記録だ”。
そう言い聞かせながら、写真をいくつも収めていく。
キッチンからは、時折、包丁がまな板を叩く音や、フライパンの油が軽く弾ける音が聞こえてくる。
煮物らしい甘じょっぱい匂いが、ダイニングまでふわりと広がっていた。
換気扇が低く唸る音の中に、味見をするようなスプーンの音。
母親の小さな鼻歌が混じる。内容は聞き取れないが、ご機嫌らしい。
鍋の蓋が開く、湯気が立ち上る。
その温かな湿気が廊下まで届いてきて、空気に一層生活感が滲む。
カチャカチャと皿の触れる音がし始めたころ、母親が声をかけてきた。
「アキラ、ごはんできたわよー」
音と匂いの流れが、ようやく一区切りを迎えた。
料理ができた合図とともに、俺はテーブルについた。
黙って箸を動かし、出された料理を淡々と口に運ぶ。
変わらない味。変わらない日常のふり。
食べ終わる頃、母親が口を開いた。
「アキラ……大事な話があるの」
俺は一瞬で警戒モードに切り替わる。
「え? どうしたの、いきなり」
少し驚いた声で返す。
「大事な話よ。急でびっくりするかもしれないけど……」
(何を言い出すんだ、いきなり)
「う、うん」
「これからアキラは、大人になるにつれて色々大変なこともあると思うの……でも、お母さんだけは絶対に味方だから」
突拍子もない言葉だ。でも、どこか奥底には決意が見える。
正直、俺は困惑していた。
(俺を殺そうとしているやつを信じろだって?)
言っている事とあいつらの計画がまるで矛盾している。
(いったい何を考えているんだ……)
母親の本心を探るため、俺は質問のタイミングを狙う。
逆に俺から母親に切り込むチャンスだ。
少しでも情報を引き出して、俺は生き延びてみせる。
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