40話 伊集院家の力
加賀に送られて、俺は家の前で車を降りた。
ドアを閉めた瞬間、加賀がふと口を開いた。
「アキラ様……何卒よろしくお願い申し上げます」
きっと、桜のことだろう。
俺は親指を立てて応える。
加賀はそれを見ると、小さくうなずいて車へと戻った。
そのまま、音もなく発進していく。
あの男には、無駄がない。
まるで人生の優先順位が、ひとつしかないかのようだ。
(加賀の頭にあるのは、桜のことと伊集院家のことだけだ)
それは忠誠とも言えるし、盲信とも言える。
いずれ俺の駒にできるのか……その可能性を考えながら家の扉を開けた。
「おかえりなさ〜い」
弾んだ声が聞こえる。
母の表情には、どこか余裕があった。
その空気に、少しだけ肩の力が抜ける。
どうやら今日も、家庭の仮面劇は順調らしい。
明日までは特に動く予定もない。
焦っても仕方がない。今は体を整える時間に使うとしよう。
「中学では運動部に入ってみようかと思ってる」
リビングでそう呟くと、母は嬉しそうにうなずいた。
適当な言い訳でも、安心の材料になるらしい。
部屋に戻って軽く着替え、ストレッチと基礎的な筋トレで時間を潰す。
筋肉を育てるというより、日々のルーティンとして。
無理はしない。体はまだ成長期。焦っても骨が軋むだけだ。
窓の外が赤から黒へと変わるまで、ゆっくりと時間が流れた。
淡々とした1日──だが、どんな1日も無駄にはできない。
夜。
母が夕飯を用意し、食卓には静けさが満ちていた。
その静けさが、逆に貴重に思えるのが皮肉だ。
風呂に入り、眠る頃には体も心もほどよく疲れていた。
今日という日が、静かに終わっていく。
ベッドに身を沈め、天井を見上げる。
目を閉じるには、まだ頭が冴えていた。
──加賀。
あの男を動かすには、信念を揺るがす何かが必要だ。
今はまだ、その材料が足りない。
ただ、桜の存在が彼の急所であることは間違いない。
忠義というものは、裏返れば最大の武器になる。
伊集院家。桜。そして加賀。
三つ巴の関係──どれも、俺にとっては切り札になり得る。
だが、焦りは禁物。今はまだ、積み上げていく段階だ。
──敵の計画は、すでに近くまで迫っている。
見えないものにこそ、先に手を打たねばならない。
寝返りを打つと、薄いシーツがかさりと音を立てた。
子どもの姿を借りた俺の人生は、静かに転がり始めている。
止まるつもりなど、最初からない。
遠くで、母が寝室へ向かう足音が聞こえた。
この家の中も、俺にとっては盤上の一部にすぎない。
そして俺も死神にとっての盤上の一つの駒でしかない。
目を閉じる。
明日はきっと情報が手に入り、俺が動けるはずだ。
──気づけば眠っていたらしく、目を開けたときには、薄明かりが差し込んでいた。
今日も学校は休みだ。
夕方には、澪と会う約束がある。
リビングにはTVがついており、ニュースを流れていた。
『──速報です。今朝未明、都内各地の複数拠点に対し、警視庁による強制捜査が行われました。対象は、裏社会でも名の知られた組織で──』
母は朝食の準備をしながら、流し見するようにテレビを眺めている。
その横顔を横目に、俺は背もたれに体を預け、画面に集中した。
『また、先ほど明らかになった情報によりますと、都内の資材置き場で発見された身元不明の遺体は、同組織の幹部・鮫島透容疑者と確認されました。警察は抗争による報復の可能性もあると見て──』
鮫島……!
その名前に、俺はすぐ反応した。
画面には、警察が組織事務所に踏み込む様子が映っている。
──伊集院家が動いた。
……いや、俺の情報を受けて、即座に“潰しにかかった”のだ。
そしてそれを可能にする力──
土日に警察の稟議を飛ばしてまで、一晩で動ける力。
俺が想像していた以上だ。
こんな真似ができる組織は、日本にそう多くない。
そして鮫島の所属していた組織は、転生前の俺の組織に最後まで抵抗していた組織だった。
あの組織は過去にも同じようにガサ入れを受けて、警察に目をつけられていたからな。
だが胸の奥に、奇妙な感覚が広がった。
──俺が“はめられた”ときと、酷似している……。
原因すら把握できないまま、俺は逮捕された。
普段からかけていた警察への圧力も無視された。
伊集院家……。
もしかして、俺を逮捕に追い込んだものもお前たちなのか?
胸の内が熱を帯びながら、同時に氷のように冷えていくのを感じた。
「怖いニュースばっかりねぇ……」
母がそう呟きながら、フライパンを振るう音がやけに遠く聞こえる。
心がざわつく。
伊集院家について調べねば……最悪の場合は、また喰われる。
湧き上がる感情を押し殺しながら、俺はいてもたってもいられず、約束の時間よりも早く彼女の待つ場所へ向かうことにした。
俺は頭の中に桜の笑顔が浮かんでいた。
最悪、敵対か、もしくは俺の標的になるのか……。
今後の展開が読めない以上最悪の場合も想定していないとな……。




