表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/64

3話 死神

 独房の夜は静かだ。

 息を呑むほどの静寂に、時間さえ止まっている気がした。

 看守は言った。

 明日が、俺の死刑執行日だと。


 終わるはずだった。

 誰にも看取られず、誰にも悔いを吐けず。

 ただ粛々と命を断たれる予定だった。


 猛のことが頭に浮かぶ。

 あいつが死んだとき、俺は何もできなかった。

 猛が死ぬ前に俺に見せた表情を、今も鮮明に思い出す。

 弱さを隠していたのか、それとも本当に恐れていたのか。


 何もできなかった。

 あんなにも近くにいたのに。

 俺はただ、何もできないまま見ていることしかできなかった。


 これは、あいつの死を無駄にしないためにも、俺が進むべき道だ。

 全てを解き明かさなければ、俺は生きている意味がない。

 裏切り、あいつが犠牲になった理由。

 そしてその先にある真実を、必ず俺の手で掴み取る。

 猛の死が無駄にならないよう、復讐の誓いを立てる。


 ……そのときだった。

 独房の空気が、ふと重くなる。

 風もないのに、ろうそくの炎が揺れたような――そんな錯覚。


 何かが、おかしい。


 その夜、“それ”は現れた。


 何の前触れもなく、空気が変わった。


 異物……。

 そうとしか言えない存在感。

 背筋を撫でる冷気に、思わず立ち上がった。


「……誰だ」


 返事はなかった。ただ、暗闇の中に、黒い影がゆらりと立っていた。

 顔は見えない。フードの奥で光るのは、感情のない…否、感情など超越した“目”だった。


「……お迎えか?」


 その言葉に、影がゆっくりと動いた。


「そう……死神よ」


 女の声だった。

 その声音には冷たさと優美さが同居していた。

 慈悲でも同情でもない。淡々とした、運命のような声。


 全身に鳥肌が立つ。こいつは、本物だ。


「生を終える者の前に現れ、魂を刈り取る。それが私の役目」


 冷たい口調で告げる。


「そうか……じゃあ、ここまでってわけだ」


 ベッドの縁に腰を下ろし、俺は天井を見上げた。

 だが、胸の奥でくすぶる炎が消える気配はなかった。


 ……納得できるわけがない。


「冤罪だなんて言うつもりはない。俺にも手を汚した過去はある。

 だが、今のこれは俺を消すための筋書きだ。そうだろ?」


 死神はしばし沈黙し、

 黒い煙と共に、空間がひび割れを起こす。

 そのひび割れから、一枚の紙がじわりと滲み出すように現れた。


「選びなさい。ここで死を受け入れ、すべてを終えるか。

 それとも、別の生を得て……もう一度踊るか」


 その紙には、どこか禍々しい光が宿っていた。名前を書くだけ。

 ただそれだけで、俺はもう一度、生きる権利を得られるというのか。

 その紙を見つめる。指先が微かに震える。


「条件は?」


「その代償として、あなたの魂はいずれ私のものとなる」


 その言葉が、俺の心に重く響いた。

 魂を奪う……。それだけで、すべてを納得するわけではない。


 だが今は、それに賭けるしかない。


「……上等だ」


 指先が紙に触れたとき、何かが弾けるように心が決まった。


「生き延びることに意味はない。だが、“辿り着く”ことには意味がある」


 死神の目が、ほんの一瞬、揺れた気がした。


「ふふ……楽しませてもらうわ」


 死神が手をかざすと、視界が崩れた。

 音も、色も、感覚も、すべてが泡のように消えていく。

 目を閉じる間際、俺は確かに誓った。


 ―――絶対に逃さない。


 微かな熱と共に、まぶたの裏が明るくなっていく。

 遠くで鳥が鳴いている。


 ……朝が来た。

 昨夜の死神の言葉が、頭の奥で静かに響いていた。


 『選びなさい。ここで死を受け入れ、すべてを終えるか。それとも、別の生を得て……もう一度踊るか』


 恐らく俺は、契約をした……はず。

 ただし、現時点では何も実感がない。


 (極限状態の妄想か……)


 思わず乾いた笑いがこぼれる。


 重い扉がきしむ音とともに、看守の足音が独房へと近づいてくる。

 鉄の扉が開かれ、無言のまま、俺は連行される。

 廊下の空気は異様に静かで、寒さのない冷たさが皮膚にまとわりつく。


 処刑室への道は、どこか現実味がなかった。

 音が遠い。

 足音も、呼吸も、鼓動さえも。


 最後の扉が開く。

 絞首台。縄。無言の処刑人。

 すべてが無機質で、演劇のように整えられていた。


 俺は台に立ち、縄を首にかけられる。

 観念も、恐怖もない。

 ただ――静かだった。


 そのとき。


 遠くで、誰かの泣き声がした。


 嗚咽。

 でも確かに耳に触れる、壊れたような声。


 一瞬、体がわずかにこわばったが…


 処刑人の手が動く。

 俺はフードで頭を覆われ、目の前が真っ暗になった。


 悔しさも絶望も……。

 すべてを超えた先にあったのは……ただの虚無だった。


 俺は……負けた。

 ただ、その事実だけが俺に重くのしかかる。


 裏世界に足を踏み入れてから、俺の人生は常に崖の上だった。

 ギリギリを歩き続け、ようやく終点にたどり着いたと思った。

 だが、最後の最後で……踏み外した。

 いや……後ろから突き落とされたか。


 まだ……諦めきれない。

 神でも悪魔でも構わない。

 命なんて、くれてやる。死神よ――お前でもいい!


(死神……聞こえてるんだろ? 幻覚でも、妄想でもいい。もう一度、チャンスをくれ!)


 ――でも、返ってきたのは、ただの沈黙だった。

 暗闇は変わらず、音も気配も、なにもない。

 そこにあったのは、絶望を照らす光すらない、ただの闇だけだった。

 俺の思いは空を切った。


 『ビーッ!』


 唐突に無機質な警告音が鳴る……。


 『カチッ』


 なんらかのボタン音が暗闇に響く。


 その直後……俺の体は宙に跳ねる。


 首がもげるような痛み。

 息ができない。

 すべてが白く、意識が遠ざかる。


 そして、世界が途切れた。


 だが……終わりは来ない。


 俺は死んだ。……のか?


 ……なのに。

 まだ生きている感覚がそこにはあった。


 目をあけると先ほどまでは真っ暗だったのに、

 そこは真っ白な闇だった。


 感覚のない空間に、足音だけが近づいてくる。

 その音が止まったとき、女の声が響いた。


「時がきた。そして契約が果たされた」


 死神だった。

 あの夜、契約を持ちかけた女。


「さて、極上の舞台へ望む覚悟があるなら、私が連れて行ってあげる」


 俺は何も迷わずに首を縦に振った。


 ぼんやりとした感覚のなか、確かに感じる。


 俺の世界は、また始まる実感があった。


 ――意識が歪み、暗闇に包まれる。

_____________________________


お読みいただきありがとうございます。

更新は出来るだけ毎日1話1000文字~3000文字で更新していきます。

ブックマークをしてお待ちいただけますと幸いです。


もし面白いと思いましたら、リアクションや、評価やレビューをしていただけると泣いて踊って大声で喜びます。


モチベーションがあがるので、是非よろしくお願いいたします。

_____________________________

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ