31話 いつも通りの登校
翌朝。
目覚ましが鳴る前に、自然と目が覚めた。
布団を抜け出し、静かに身支度を始める。
洗面所で顔を洗い、歯を磨いた。
リビングのテーブルには、充電器につながれたスマートフォン。
それに目をやる。
(さて……どれだけ録れてるか)
夜のあいだ、ずっと起動させていた隠し録音アプリ。
うまくいけば、奴らの本音がこの中に詰まっているはずだ。
充電器からスマートフォンを手に取る。
キッチンでは、母が一人で朝食の準備をしていた。
テーブルには、いつもと変わらない朝ごはんが並んでいる。
(父親は……いないか)
「おはよう、お母さん」
「あら、アキラ。おはよう。よく眠れた?」
母はいつものように微笑んだ。
だが、どこか疲れているように見える。
目の下には、うっすらとクマ。昨夜、眠れなかったのだろう。
「うん、ぐっすり!ねぇ、お父さんは?」
子供らしく、無邪気な口調で尋ねる。
母は一瞬だけ、ほんのわずかにたじろいだが、すぐに笑顔を取り戻した。
「お父さんなら、もうお仕事に行ったわ。朝早くから、大変ね」
仕事、ね。どうせ裏の仕事だろう。
「ふーん。お父さんってさ、ちょっと怖い雰囲気あるよね?」
さりげなく探りを入れる。
母は一瞬だけ目を見開き、それからふっと笑った。
「そうね。見た目は少し怖いけれど、本当はとても優しい人よ。アキラのことも大切に思ってるわ」
優しい人、大切に思ってる──口先だけの言葉。
その裏に、どれだけの嘘が隠されているのか。
母の目の奥には、拭えない不安の色があった。
俺にかけられた保険金。
そして、近づいている計画の実行。
「そっか!」
子供らしく明るく返す。
信じているように、無邪気に偽りの日常を演じきる。
朝食を済ませ、ランドセルを背負い、家を出る準備をする。
母は玄関まで見送りに来た。いつもの優しい笑顔で。
「いってらっしゃい、アキラ。気をつけてね」
「いってきます!」
元気よく返事をして、玄関のドアを開ける。
──その瞬間。
見慣れた黒塗りの車が、目の前に停まっていた。
運転席には無表情の加賀。
後部座席の窓が開き、桜がこちらを見ている。
(やっぱり毎日来るのか)
今日も二人がかり。
桜の護衛任務は、朝から始まる。
今は一人で考えたいことがあるのに。
貴重な時間を奪われるが、同時にそれは、この世界が俺を退屈させない証でもあった。
「おはよう、アキラくん。今日も一緒に学校へ行きましょう?」
桜がどこか楽しげに声をかけてきた。
俺は小さく息を吐き、その車へと歩き出す。
乗り込んで、異様な登校が始まった。
しばらくの沈黙。
やがて桜がこちらを見て問いかける。
「ねぇ、アキラくん。家で、何かあったかしら?」
さりげない声だが、確かな探りが含まれている。
俺は子供らしく、首を傾げて見せる。
「え? なにもないよ。いつも通りだよ」
その返答に、桜は少しだけ目を細めた。
何かを見透かそうとする視線──だが、俺は表情を崩さない。
「そう。ならいいんだけど……アキラくんは私にとって、大事な護衛だから。何かあれば、すぐ知らせてほしいわ」
少しの圧が混じった言葉。さらに、踏み込んでくる。
「それに……あなたの家族、ちょっと危ない人たちかもしれないって、聞いたことがあるの」
彼女の目が、じっと俺の反応を追ってくる。
どこまで知っている? どこまで探っている?
その言葉の裏を読む。
(……俺のことも調査済みってことか)
父のこと、母のこと。
あるいは、俺にかかる保険金のことまで……?
「いや……。何も“まだ”起きてないよ」
少し含みを持たせて返す。
「そう……。もし協力が必要になったら教えてね。できる限りのことはするわ。あなたの才能は惜しいの。何か起きてからじゃ遅いもの。異変があったら、すぐに教えて」
高圧的なのに、心配もしてくる。本当におもしろいやつだ。
思わず、少し笑ってしまう。
「大丈夫。何かあったらお願いするから安心して。でも、ある程度は把握してるつもりだし、今のところは問題ないと思うよ」
笑顔で返すと、桜もふっと微笑んだ。
「ほんと、不思議な人ね。もしその言葉に嘘がなかったら……あなた、末恐ろしいわ」
これは俺が解決すべき問題だ。
伊集院家に貸しを作るのは好ましくない。
だからこそ、対等か、むしろ恩を売る形にしなければ。
「まぁ、伊集院さんほどじゃないよ」
いつものように、皮肉を込めてからかう。
早くスマホの中身を確認して、次の計画を練らないと。
昼休みにチェックして、それを基に動こう。
思考を巡らせていると、学校が近づいてきた。
そのタイミングで、ふと先日の用務員のことを思い出す。
「あ、加賀さん。この前の下校時、学校の用務員さんがこの車をずっと見てた気がするんだ。気のせいかもしれないけど……ちょっと怪しかった」
ルームミラー越しに、加賀が反応する。
「かしこまりました。念のため、確認いたします」
加賀のことだ。可能性が1%でもあるなら、必ず調べるだろう。
そう話しているうちに、車は学校前に到着した。
「ありがとう、加賀さん」
そう伝え、桜と共に車を降りる。
念のため周囲を確認するが、怪しい人物の姿はなかった。
「さあ、お嬢様。行きましょう」
冗談めかして、桜に手を差し出す。
「ちょっ!あんた、調子に乗りすぎ!」
なぜか頭を小突かれた。
……まぁ、こういうのも悪くない。
次の行動のために、ひとまず昼休みを待つとしよう。




