27話 執事とお嬢様
伊集院邸の書斎に、静かな時間が流れていた。
窓の外には夜の帳が下り、柔らかな照明が部屋の隅を照らしている。
加賀は分厚いファイルを机の上に並べ、淡々と一つひとつに目を通していた。
「――やはり、間違いありません。彼は“孤児”です」
対面のソファに腰かけた桜は、紅茶を口に運びながら視線を上げた。
加賀はその視線を真正面から受け止め、続ける。
「施設の記録によれば、彼――アキラくんは数年前、児童養護施設に保護され、その後すぐに現在の家に“養子”として迎えられたようです」
「施設は?」
桜が静かに問いかける。
その表情は変わらず穏やかだったが、声の奥に微かな緊張が滲んでいた。
加賀は一度頷き、資料をめくることもせず、答えを返した。
「今はもう解体済み。行政による再編の一環のようですが……記録もかなり不自然に抜け落ちています。過去の履歴があまりにも少なすぎる。誰かが意図的に手を入れた可能性もあります」
桜は小さく息を吐いた。
予想はしていた。
だが、こうもきれいに痕跡が消えているとなると、ただの孤児院出身というだけでは済まされない。
桜の表情は変わらないが、目の奥が鋭く細められる。
「養父母は?」
桜は背もたれに軽く体を預けながら尋ねたが、その声色にはわずかな緊張が混じっていた。
目の前の加賀が持つ書類に視線を落としながらも、意識はすでにその先を読もうとしていた。
「現在調査中です。母親の方は表向き“専業主婦”ですが、周辺住民の証言ではあまり外に出ておらず、人付き合いも極端に少ないようです」
加賀の報告は冷静だったが、そこににじむわずかな違和感は、彼自身の警戒を示していた。
桜は頷きながらも、どこか胸の奥がざらつくのを感じる。
言葉を切った加賀が、わずかに息を整えた。
「問題は――父親の方です。枚数は少ないですが、発見し写真を撮ることが出来ました」
加賀は別の封筒を開き、何枚かの写真を差し出す。
スーツ姿の中年男性。鋭い目付き、写真も数枚。
「所在不明が続いていましたが、どうやら出張と称して頻繁に県外を移動しています。職業は“自営業”。だが、法人登記の記録はなし。裏の仕事をしている可能性が高い」
桜は手元のカップを静かに置き、息をひとつ吐いた。
「……アキラくんは、その両親に育てられてるのね」
「正確には、“利用されている”可能性があります。保険や行政支援、あるいは別の目的。表面上は“普通”を装っていますが、私はこの家庭環境そのものを疑っています」
加賀は立ち上がり、机の前に歩み出て、両手を軽く重ねた。
「アキラくん自身も、異常です。あの年齢であの体術、あの思考回路。何より、あの眼――戦場を知っている者の眼です。場数が違う。下手をすれば、我々すら出し抜かれかねない」
しばし沈黙が落ちる。
だが、加賀は淡々と、揺らぐことのない声音で続けた。
「しかし桜様、我々が取るべき道は明確です。彼は“利用”する。ただし、同時に“監視”する。もし、桜様にとって危険な存在となるなら――排除も視野に」
その言葉に、桜はふっと笑った。
「あなたって、ほんと容赦ないのね。でも……だからこそ、頼もしいわ」
加賀は一礼する。
「命を懸けて、お守りいたします。どのような闇にあっても、桜様に指一本触れさせはしません」
忠誠の言葉は、もはや形式ではなかった。
加賀の中でアキラという少年は、最大級の警戒対象として認識された。
だが同時に、どこかに予感もあった。
――あの少年は、ただの子供ではない。
この先、桜の未来にどう関わるのか。
それを見定めるまでは、一瞬たりとも気を緩めてはならない。
「もういいわ。少し考えたいことがあるから一人にして」
そう桜が告げると加賀は無駄のない所作で部屋を出る。
加賀が出ていった後、書斎には再び静寂が戻った。
桜はゆっくりとソファに背を預け、さっきまで口にしていた紅茶に目を落とす。
もう冷めてしまっていた。
(……孤児、ね)
その言葉が、胸の奥に残っていた。
アキラがどんな人生を歩んできたのか、ほんの少しだけ垣間見えた気がして、息苦しくなる。
いつも冷静で、少し皮肉屋で、でも根っこのところに妙な誠実さがある――
そんな彼が、そんな目に遭ってきたなんて。
(本当は……知りたかった。もっと)
ふと、学校の屋上でのやり取りがよみがえる。
『まぁ、いつか話せるときが来たら』
あの一言は、きっと本心だった。
自分の過去を打ち明けるつもりなんて、誰にでもできることじゃない。
でも彼は、それを“いつか”と言った。
だから、信じたくなる。
(……私は、あの子を信じたい)
ぽつりと、胸の中で呟いた。
信じてはいけない立場なのに。
利用するべき存在だとわかっているのに。
何より――もし、加賀の言うとおり“危険”になったら、私の判断ひとつで彼は排除される。
そういう立場に、私はいる。
(もし……もしそのときが来たら、私はどっちを選ぶんだろう)
問いかけてみるが、答えは返ってこない。
ただ、今の自分の中に一つだけ確かなのは……。
――アキラは、はじめてだった。
同い年で、対等に話せる相手。
誰かの顔色をうかがわず、頭を下げずに会話できる存在。
他の誰にも話せない“孤独”や“窮屈さ”を、少しだけわかってくれるような――そんな相手。
そんな存在が、ようやく現れた。
それが、うれしかった。
だからこそ、怖い。
(願わくば――あの子が、敵でありませんように)
誰にも聞かせることのない、心の祈り。
桜はそっと目を閉じ、冷めた紅茶にそっと口をつけた。
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