25話 幕開き
ようやくスタートラインに立ちました。
これから色々深堀していきます。
長かったですが、これからも応援お願いいたします。
桜と加賀とのやり取りがひと段落ついて、俺は帰ろうと廊下に出かけた。
そのとき、背中から桜の声が飛んできた。
「アキラくん。本当に護衛、してくれるんでしょうね?」
その声音には冗談めいた響きがあったが、決して引く気はない圧のようなものが滲んでいた。
俺は少しだけ振り返る。部屋の中、立ち尽くす桜と視線が合う。
「……言ったろ。保証はしない。俺はヒーローじゃないって」
そう返しても、桜はふわりと笑った。
「でも、連絡先に登録してくれたじゃない。」
妙な説得力と、なぜか既成事実のような言い方に、俺は小さくため息を吐く。
「……チッ、わかったよ。動ける範囲で、な」
「ええ、それで十分よ。よろしくね、“護衛さん”」
軽く手を振る彼女を横目に、俺は再び廊下を進んだ。
階段を下りると、加賀が静かに玄関まで案内してきた。無表情なその横顔からは何も読み取れないが、何かを考えているのは明らかだった。
「お嬢様の件、今後ともよろしくお願いいたします」
加賀が頭を下げる。俺は無言で頷いた。
玄関を抜けると、背後でドアが閉まる音が響く。
伊集院家の門をくぐり、一人きりで外の道を歩き出した。あの大きな屋敷が、静かに背後に沈んでいく。
ポケットの中のスマホの重みが、妙に意識に引っかかる。
――護衛、ね。正直、気は進まない。
だが、これから先に待っているものを考えれば、桜との繋がりは決して無駄にはならない。
そう自分に言い聞かせながら門を出て、舗装された坂道を一人で下っていく。
夕方の空気はひんやりしていて、あの豪奢な屋敷の空気とは違い、現実の匂いが鼻をかすめた。
俺はポケットに手を突っ込んだまま、ゆっくりと歩を進める。
途中で、ふとポケットの中のスマホが震えた。
画面を覗き込むと、「伊集院桜」からのメッセージがひとつ。
『明日は学校に行くから、よろしくね。護衛さん』
小学生にしてこの圧。
冗談とも本気ともつかない文面に、思わず口の端が上がる。
「……はいはい」
小さく呟いてスマホをしまい、また歩き出す。
西陽に照らされた通学路は、どこか非現実的な光を帯びていた。
けれど、足元のアスファルトは、ここが確かに現実であることを教えてくれる。
この奇妙な関係も、死神との契約も、全部ひっくるめて――。
俺は、その先を歩いていくしかないらしい。
――と、もう一つのスマホが震えた。
今度は「澪」からのメッセージだった。
『情報、そろった。明日、例の場所で』
その短い一文を見た瞬間、胸の内にふっと熱が灯る。
唇の端が自然に上がった。
あの澪が、約束を守ってくれた。しかも予想以上に早い。
心の奥で何かが高鳴る。
ぞくっとする感覚。期待と緊張、そして――好奇心。
(さて、明日は忙しくなりそうだ)
脳内で情報の整理を始めながら、俺は家の角を曲がる。
やがて見えてくる、自宅の小さな玄関。
鍵を取り出しながら、スマホをもう一度確認する。
画面には、桜と澪――二人からのメッセージが並んでいた。
「……面白くなってきたじゃん」
呟いた声に、自分でも少し驚いた。
でも、その声は確かに弾んでいた。
玄関のドアを開けると、薄暗い廊下の奥からかすかな物音が聞こえた。
「ただいま」
そう言いながら靴を脱ぎ、リビングに向かうと、台所に立つ母親の背中が見えた。
小さく、何かに追い詰められているような空気を背負っている。
「おかえりなさい、アキラ」
振り返った母親は、いつものように微笑もうとしていたが、その顔には明らかに緊張が走っていた。
目が合った瞬間、何かを恐れているような曇りが見える。
「うん、ただいま」
俺は静かに答え、荷物を置いて食卓についた。
夕飯は、味噌汁と焼き魚。いつもと変わらない献立。
けれど、母親の手元は少し震えていて、味噌汁をよそう仕草もぎこちない。
「……あのね、アキラ」
ぽつりと、母親が言った。
「明日、お父さんが帰ってくるの。……久しぶりに、ね」
その言葉に、箸を止める。
「……そうなんだ。……お父さんのこと、あんまり覚えてないかも」
自然な口調でそう言いながら、横目で母親の反応をうかがう。
動揺は微細だが、確かにある……。
「そ、そうよね……小さいころから忙しくて、あんまり家にいられなかったから……」
母親は視線を合わせずに言葉を続けた。どこか、自分に言い聞かせているような響きだった。
「でも、会えるのを楽しみにしていればいいんだよ。ね?」
俺は、母親の怯えに対して遠回しに問いかけてみる。
「……それと、忘れないでね。お父さんは……ちょっと、怖い人だから。あまり逆らったり、怒らせたりしないように、ちゃんといい子でいてね?」
その言葉は自然だけど、異様な重さを帯びていた。
(……怖い? それ、普通の“父親”に言うセリフか?)
母の手は膝の上で静かに震えていた。笑顔を保とうとしているが、口元が引きつっている。
俺は表情を変えず、黙って味噌汁をすすった。
(なるほど。やっぱり、普通の家庭じゃない)
母親が怯えるほどの“父親”とはどんな人物なのか。
そして、なぜ今になって帰ってくるのか――。
答えはまだ見えないが、警戒する理由は十分だった。
箸を置いて、母さんの震える手にそっと目をやる。
「大丈夫だよ。俺、うまくやるから。怒らせたりなんて、しない。だから、そんなに心配しないで」
母さんは一瞬、驚いたように目を見開いたけど、すぐに表情を緩めて、小さく頷いた。
「……うん。アキラは、しっかりしてるもんね」
その言葉には、どこか自分を納得させようとする響きがあった。
恐らく必死に自分を保とうとしている。
「ごちそうさま。風呂、入ってくる」
俺は立ち上がり、風呂場へと向かう。湯気が立ち込めた浴室に入ると、やっと小さく息をついた。
(明日、澪と会う。情報が動いた。学校じゃ桜の“護衛”。家じゃ“父親”……)
いくつもの舞台を演じながら、裏に潜む何かを探っていく日々。
だけど、ふと思う。なんだか、これが少し楽しいんだ。
「……俺に向いてるのかもな、こういうの」
そう呟いて、湯に浸かりながら体を温める。
湯気がぼんやりと漂う中で、少しだけ心が落ち着いた気がする。
部屋に戻って、布団に潜り込む。
明日はかなり忙しい。ただ、ほんの少しだけ待ち遠しい――そんな気分で目を閉じた。
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