23話 露見
学校の門を抜け、人気の少ない裏道に入る。
目的地は伊集院家。桜のいる場所だ。
だが、歩き出してすぐ、俺は“それ”に気づいた。
(ついてきてるな……)
背後から微かに聞こえる靴音。
普通の子どもなら気づかない。けれど、知っている。音のズレ。呼吸のリズム。
人の“気配”というものを。
――尾行だ。
相手が誰かはわからない。
けれど、素人ではない。距離感と角度が絶妙だ。
不用意に振り向けば、警戒したそぶりを見せれば、相手は姿を消すだろう。
(……どうする)
瞬間、通りの先に見覚えのある黒塗りの車が滑り込むように現れた。
助手席のドアが、スッと開く。
「乗ってください、アキラ様」
加賀だった。
あいかわらず表情を崩さず、執事服をきっちりと着こなしている。
俺は迷わず乗り込む。
直後、ドアが閉まる音と同時に、車は静かに、だが急加速で動き出した。
バックミラー越しに、遠ざかる尾行者の影。
「気づいていたのですね。尾行」
加賀がぽつりと口を開いた。
「まあね。なんかつけられてる感じがしたから」
「アキラ様は本当に不思議な方ですね。相手については詳細不明です。ただ、最近この区域に妙な動きが多い。伊集院家の関係者ではないと考えていいでしょう」
「撒けるの?」
「既に撒いております」
そう言って、加賀は交差点を二つ抜け、急な路地をいくつも曲がる。
無駄のない、滑らかな運転。
俺は軽く目を細めた。
(……やっぱり、こいつ只者じゃねえな)
外の景色が流れていく。
車内は静かで、窓の向こうにだけ風の音がある。
そして、しばらくして加賀が再び口を開いた。
「アキラ様。桜お嬢様の件で、少しお話がございます」
アキラはわずかに顔を上げた。
「……うん」
加賀が続けて神妙な面持ちで話す。
「……先日、お嬢様を狙う動きがございました。外部の“組織”からの明確なアクションです」
運転席に座る加賀の声は、静かだが張り詰めていた。
ルームミラー越しにこちらを一瞥するが、その眼差しは冷徹で曇りがない。
彼の言葉が冗談や誇張でないことを、俺はすぐに理解した。
「……この前の襲撃だね」
俺は助手席で姿勢を少し正した。
足を組んだまま、手を膝に置く。
外を流れる景色よりも、その言葉の裏にある緊張感に耳を澄ませる。
視線は加賀の横顔へ向けたまま様子を伺う。
「はい。さらに警備の網を潜り、外部通信を攪乱する機材を持ち込もうとした者が、敷地近くで確保されました。一般人ではありません」
加賀は言葉を選びながらも、一切の揺らぎを見せない。
運転操作にも狂いはなく、まるで何度もこの手の報告を繰り返してきたかのようだった。
「お嬢様の身辺が危険に晒されたと判断され、屋敷内でも警備は強化されています」
「だから、学校に来られない」
俺の声は低いが、芯があった。
まぶたの奥がわずかに重くなる感覚――それは“警戒”という名の思考のスイッチが入った証だった。
「おっしゃる通りです。近隣の学校に通わせることで監視と護衛を兼ねていたのですが……それすらも、もはや万全とは言えません」
加賀の指先がハンドルに添えられる。
まるで無意識のうちに、警備体制の不備を悔やんでいるかのように。
「お嬢様は現在、自室にて制限付きの行動を取っておられます」
「なるほどな……」
俺は腕を組み直し、天井を一瞬見上げた。天井の静かな照明の揺れに、自分の胸のざわつきを重ねる。
(桜……お前の周りは、思ってた以上に厄介な連中がうごめいているな)
そのとき、加賀がハンドルを切りながら淡く言葉を継いだ。
「アキラ様。お嬢様のことを案じてくださるのは光栄ですが……不用意な接触は、逆に火種となる恐れもございます」
「わかってるよ。けど、話がしたい。僕なりに、ね」
加賀は微かに表情を緩め、珍しく静かな笑みを浮かべた。
「……承知しました。お嬢様に確認の上、こちらで調整いたします」
重厚な門が静かに開き、車は無音のまま私道を進んでいく。
舗装された石畳の上を滑るように進む車内で、俺は窓の外に目を向ける。
広大な庭に風が吹き、木々の葉を静かに揺らしていた。
(この家に足を踏み入れるのも……2回目か。それでも、思う。異質な世界だ)
加賀が車をゆっくりと停めた。
「アキラ様、どうぞ。お嬢様はお部屋にてお待ちです。ご案内いたします」
そう言った加賀は、いつもの無表情を崩さないまま車のドアを開ける。その動きには一切の隙も無駄もない。アキラは一歩、外へ出ると、張りつめた空気を肌で感じた。
「わざわざ案内なんて……」
アキラは軽く肩をすくめる。だがその言葉の裏に、どこか自分でも説明できない苛立ちと不安が混じっていた。
「万が一のためです。ご了承ください」
加賀は一歩先を歩きながらも、背後の気配を確実に捉えている。護衛としての訓練が染みついたその背中に、アキラは小さく舌打ちを噛み殺した。
(万が一、ね。あの桜がどれだけ危険に晒されてるか、思ってたよりずっと深刻かもしれない)
歩きながらアキラは、ポケットの中のスマホを無意識に触れる。朝、母親から渡されたばかりのそれは、今になって少し重みを持って感じられた。
一方で、加賀の横顔もまた、どこか硬く見えた。
普段は無機質なほど静かな男だが、今の彼にはわずかな緊張がにじんでいる。
何か――まだ語られていない事実があるのではないか。
そんな気配がした。
無言のまま歩く廊下には、絨毯の上を踏みしめる音だけが続いていた。
ドアを開け、車外に出ると、空気が一段と静まり返っているのがわかる。
誰も見ていないようで、すべてが見られているような、張り詰めた空気。
俺は無言のままうなずき、加賀の後について屋敷の中へと足を踏み入れた。
屋敷内は相変わらずの静けさだった。
絨毯の上を歩く音さえ吸い込まれ、空間そのものが時間を留めているかのようだった。
そして――
「お嬢様、アキラ様をお連れしました」
加賀の声と同時に、扉が静かに開かれる。柔らかな陽光が差し込む部屋の奥に、桜がいた。
窓辺に立ち、外を見ていた彼女は、振り返るとそのまま俺を見つめる。
「来たのね」
その声は、予想よりもずっと静かで、どこか安堵の色を含んでいた。
「……来たよ。顔を見にね!」
アキラが部屋に入ると、桜は小さくため息をついたように微笑む。
だが、その表情には張りつめたものがあり、彼女の瞳にはわずかに疲労の影がにじんでいた。
「無茶してないか? 閉じ込められて、ずっとこんな……」
アキラは部屋の中を見回す。清潔で整った空間――だが、どこか空気が澱んでいる。
窓のカーテンは分厚く閉じられ、外の光をほとんど遮断していた。
まるで世界から切り離された箱庭のようだった。
ベッド脇のソファに座る桜は、薄い毛布を膝にかけたまま視線を逸らす。
普段の鋭さは影を潜め、代わりに薄氷のような静けさが彼女を包んでいた。
「……平気よ。私は慣れてる。こういうのも」
そう言ったときの声は、いつもの皮肉や飄々とした響きがどこにもなかった。
言葉は穏やかだったが、その奥に押し込められた感情の痕跡が、アキラには痛いほど伝わってきた。
「それが問題だって言ってんだよ」
アキラの声が、思わず少しだけ強くなる。
だが桜はそれに驚くことなく、静かに目を閉じた。
ほんの一瞬、沈黙がふたりの間に横たわった。
言葉にできない思いがぶつかり合い、けれどどちらも踏み込みきれずに、わずかに距離を保つ。
俺の言葉に、桜は一瞬だけ目を伏せた。だがすぐに顔を上げ、まっすぐに俺を見据える。
「アキラくん。私ね……あなたと知り合えて良かった。巻き込んでしまったことは、申し訳ない。でも、後悔はしてない。だから……もう少しだけ、信じて。私は耐えるから」
その言葉は、まるで深く突き刺さる針のようだった。胸の奥に何かが沈んでいく。言葉にできない感情。俺はそれを噛み殺しながら、静かに息を吐く。
「……らしくないな。小学生のくせに、背負いすぎだよ」
桜の目が、わずかに揺れる。普段は見せない、幼さの影がにじんだ……が、すぐにそれを打ち消すように、彼女は背筋を伸ばした。
「私は伊集院家の後継者よ。この程度の騒動で立ち止まっていられないわ」
目の奥に宿る強さ。それは、意地とも誇りとも取れる光だった。しかし――
俺は、その手が震えているのを見逃さなかった。
「さすがだな。俺が見込んだだけのことはある」
わざと軽く言ってやる。いつも通りの調子で、桜の言葉に乗っかる。
「……ほんと、あなたって何者なの?今日こそ話を聞かせてもらうわ。加賀、例のものを」
桜が顎で合図すると、ドアの傍に控えていた加賀が無言で頷き、テレビのリモコンに手をかける。数回操作音が鳴り、画面に映し出されたのは――
監視カメラの映像。
「あなた、強いのね……?」
桜の顔には明らかな勝ち誇りが浮かんでいた。
映像の中で、俺は複数の男を相手に圧倒していた。投げ飛ばし、叩き伏せるその姿は、小学生の枠を逸脱している。
――こうして客観的に見ると、確かに異常だ。
「柔道……いえ、柔術。あるいは総合格闘技でしょうか、アキラ様」
加賀が興味深そうに俺へ問いかけてくる。
(……言い逃れは無理か)
どこまで話すべきか。ここから先の言葉が、伊集院家との今後を決める。
――正念場だ。




