20話 情報
澪の目は疑いに満ちていた。
当然だ。俺のような小学生に、いきなり依頼を持ちかけられれば、誰だって警戒する。
「ある人から伝言があって。澪さんにとっても、有益な話なんだよ」
その言葉に、澪の目にわずかに熱が宿るのが見えた。
「へぇ……。適当なこと言ってるんじゃないの?」
やるしかない。
この勝負に出なければ、進展はない。
「その人が、ある場所に情報を残してる。確認してほしい」
澪の目がまた鋭くなる。
「すぐに伝えられない情報なんて、信用に値しないわ」
それでも俺は引かない。
生前に用意しておいた金庫──情報、金、証拠。すべてを詰め込んだ切り札がそこにある。
あれを掴ませれば、澪を動かせる。
「百聞は一見に如かず、ってね。場所とパスワードを書いたメモを渡すよ」
俺は授業中にこっそり書いたメモを澪に差し出した。
「……なるほど。じゃあ中身を確認して、価値があればあなたの要望、聞いてあげる」
澪は冷静にそう言ってメモを受け取る。
確約ではないが、これは大きな一歩だ。
「じゃあ先に、僕の要望も伝えておくね。ある家族の情報と、ある“単語”、それと……ある名士について」
一瞬、澪の眉間にしわが寄った。
けれど何かを納得したように、ゆっくりと頷く。
「……まあ、あなたの情報にそれだけの価値があれば、調べてあげる」
そう言って、彼女は立ち去ろうとする──が、すぐに立ち止まり、振り返った。
「連絡手段は?」
……痛恨の見落としだった。
「ごめん。なにも持ってないから……また掲示板に書き込むよ」
呆れたような顔で、澪が言う。
「……あんたねぇ。私、プリペイド式のスマホ持ってるから貸すわ。着信専用だけど、ネットは使えないから」
「ありがとう。ちゃんと返すよ」
俺は苦笑しながら礼を言い、スマホを受け取る。
「まあ、どうせすぐ返してもらうことになるから。──あ、約束破ったら殺すけどね?」
冗談めかして放たれる脅し文句。
俺は少し笑って返す。
「ありがとう。きっと、スマホだけじゃなくて、いろいろ提供してもらうことになるよ」
その言葉に、澪の表情がほんの少しだけ、苛立ちに染まった。
「……その言いぐさ。知ってる人に似ててイライラするから、やめて」
そう吐き捨てるように言い、澪はそそくさとその場を離れていった。
俺はその背中をしばらく見送る。
手応えはある。だが、不安も拭いきれない。
(……はたして、うまくいくか)
澪の姿が完全に見えなくなったのを確認してから、俺も歩き出した。
俺が調べてもらいたいのは──
俺の家族の情報、「クジョウ」、そして伊集院家のこと。
あの金庫の中身で、どこまで澪を動かせるか。
情報は引き出せるのか。そして、それがこの世界の歪みを暴く手がかりになるのか……。
──答えは、まだ闇の中だ。
澪の姿が角の向こうに消えるのを見届けてから、俺はようやく歩き出した。
空はいつの間にか茜色に染まり、風がほんの少し肌寒い。小学生の体には、季節の変わり目がやけに堪える。
家へ向かう道は、妙に静かだった。犬の鳴き声も、子どものはしゃぐ声もない。
まるで、俺の帰りを待ち構える何かが、じっと身を潜めているかのように思えた。
疑念に駆られて、周りの気配などを確認するが、追ってなどの様子はない。
(襲撃があってから、少しナーバスになっているのか)
今まで裏社会で生きていた感覚を思い出す。
そういえばいつもこんな生活をしていたな……。
過去を思い出し少し顔が綻ぶ。
玄関の前に立ち、いつもの鍵でドアを開ける。
「アキラっ! おかえりなさい!」
母親が俺の顔を見た瞬間、ほっとしたように微笑み、出迎えてくれた。
……違和感。
いつもと同じ玄関。変わらない家の中。けれど、彼女の雰囲気がどこか違っていた。
以前はどこか義務的で、温度のない「演技」のような対応だった。
それが今は、ごく自然な、母親そのものの表情だった。
(養子っていう立場は、別に気にしてなかったけど……こんなに違うもんか?)
微妙な変化。その裏に何かがある気がして、胸の奥に小さな引っかかりが生まれる。
「ただいま~っ!」
とりあえずはテンションを上げて、同じ調子で返事をしてみせた。
俺の返事を聞いた母親は、安堵したように顔を綻ばせる。
「ご飯できてるわよ! 早く手を洗って食べましょう!」
その声もまた、どこか「普通すぎる」くらいに自然だった。
母親に言われるまま洗面所に向かい、手を洗う。
流れる水の音が、妙に静かに感じた。
(……俺が神経質になりすぎてるだけか?)
食卓には、俺の好きなメニューが並んでいた。
ハンバーグに、ポテトサラダ、味噌汁も具だくさんで、まるで誕生日でも祝ってるみたいな内容だ。
「……すごいね。今日、なんか特別な日だったっけ?」
俺は嬉しそうな顔を作りつつ探りを入れる。
「え? ううん、別に。アキラ、最近頑張ってるから、ちょっとだけご褒美」
そう言って笑う母親の表情は、穏やかで、嘘をついてるようには見えなかった。
けれど俺は、目の前の料理を警戒してしまう。
(毒なんて、さすがに……な)
そう自分に言い聞かせて、ゆっくりと一口、ハンバーグを口に運ぶ。
……ちゃんと温かくて、ちゃんと美味しい。
家庭的で、どこにでもあるような“普通の夕食”だった。
「うん、おいしい」
俺がそう呟くと、母親はまた嬉しそうに笑った。
食事を終え、風呂をすませ、歯を磨き、布団に入る。
天井を見上げながら、今日の澪とのやり取りや、母親の態度の変化を思い出す。
(今はまだ全体が見えない……)
澪からうまく情報を得られることが出来れば……進展するが色々もどかしい。
ほんの少しだけ緊張を残したまま、まぶたを閉じた。
深く、浅く、意識が沈んでいく——。
……その時だった。
耳元で、まるでガラスを爪で弾くような、乾いた音が響いた。
眠りの境界線にあった意識が、ゆっくりと引き戻されていく。
「寝顔は悪くないのに、なかなか起きないのね」
聞き覚えのある女の声。
冷たく、柔らかく、そしてどこか愉しげなその声に、俺の心臓がひとつ跳ねる。
目を開けると——そこには、
月の光の中、逆光のシルエットとして佇む“あいつ”がいた。
——死神。
黒い影のような服に、血のような赤い瞳。
この世界の理からはみ出した、俺に「命の再契約」をさせた存在。
「こんばんは、アキラ。ちょっとだけ、お話ししましょ?」
その唇が笑みを浮かべた瞬間、空気が一変した。
夜の温度が、肌の奥から冷えていくような錯覚。
俺は静かに息を吸った。
——死神との第2幕が開演する。




