17話 明日への考察
血の匂いが染み付いたアスファルトを背に、俺は足を踏み出す。
帰路につきながら、戦闘の余韻に浸っていた。
身体の節々が痛み、衣服にはうっすらと汚れと血のにおいが染みついている。
そんな状態で、家の玄関を開けた瞬間だった。
「アキラぁっ……!」
母親が飛び出してきた。
目には涙をため、声を震わせながら俺に抱きつく。
「どこに行ってたの? こんなに汚れて……怪我してるじゃない! 大丈夫? 痛い? 寒くない? お腹すいてない? すぐ何か作るから!」
怒涛のように言葉を浴びせながら、俺の服の汚れを手で払い、顔を覗き込み、身体を抱きしめ直す。
その手は優しいけれど、異様に力強かった。
「アキラは……アキラは、絶対に私が守るからね……」
耳元でささやかれた声には、妙な熱がこもっていた。
「転んだだけだって」
俺は辟易しながら答えるが、母親は首を横に振る。
信じたくない、けど信じたい──そんな子供を見るような、痛々しい微笑みを浮かべながら。
家の中には、やたらと温められた空気が漂っていた。
甘ったるくて、息苦しいほどに。
「……すぐお風呂入って。消毒もちゃんとするから」
過保護……。異常な愛情。
始めに感じていた違和感が形を見せはじめていた。
俺はため息をつきながら、脱衣所で服を脱ぎ、浴室に入る。
シャワーの音とともに、少しずつ体にまとわりついた汚れと血の匂いが洗い流されていく。
湯気が立ちこめる中、ふと気配を感じた。
「アキラ、ちゃんと洗えてる? 手伝おうか?」
脱衣所の扉の向こうから、母親の声。
そのままドアノブがガチャリと回りかけた。
「いいから!」
即座に声を張り上げて静止する。
ドアノブの動きは止まったが、向こう側で立ち尽くしている気配がしばらく続いた。
湯気の中、冷たい汗が背中をつたった。
湯から上がり、タオルで体を拭きながら、俺は小さくため息をついた。
このままじゃ、こっちまで変になりそうだ。
バスタオルを巻いたまま脱衣所の扉を開けると、母親がほとんど飛びかかるようにして近寄ってきた。
「ほら、見て。どこもケガしてないから」
俺は腕を広げ、少しわざとらしく体を回してみせる。
母親は真剣な顔で俺を上から下まで確認し、しばらく無言で見つめたあと、ふっと肩から力を抜いた。
「……そっか。よかった。ほんと、よかった」
その声は、さっきまでの異様な熱が嘘みたいに、普通だった。
心底ほっとした、そんな母親の顔だった。
まるで何事もなかったかのように、あっさりと笑う。
拍子抜けするくらい、自然な母親の顔。
「ご飯できてるから。先に着替えちゃいなさい」
俺は一瞬、戸惑ったが、無言でうなずき、急いで自室へ戻った。
着替えを済ませリビングに向かうと、テーブルには湯気の立つカレーライスが置かれていた。
母親はエプロン姿で、テレビのリモコンをぽちぽちいじりながら、気楽そうに笑っている。
「カレー、好きでしょう? いっぱい食べなさい」
俺は無言でスプーンを取った。
普通に見える、その姿。
口に運んだカレーの味は、やけに遠く感じた。
食器を片付けようとしたとき、体中の節々にじわりと痛みが走った。
無理やり平然を装いながら部屋に戻った俺は、ベッドに体を沈め、今日の一連の出来事──そして澪のことについて、改めて考えることにした。
まず、今日の襲撃について。
あれは、ほぼ間違いなく伊集院家への刺客だろう。
俺自身に恨みを持つ理由なんて、今の世界にはない。
──つまり、伊集院家と繋がっていると気付かれたことが原因だ。
それにしても、今日は動きすぎた。
相手の正体もはっきりしないまま、無謀に飛び込んだのは反省すべきだ。
伊集院家の背景と、敵の正体──どちらも、もっと慎重に情報を集めていく必要がある。
澪を使う。
──あいつなら、うまく立ち回れる。
鮫島については、当面問題ないだろう。
小学生に負けたなんて知られたら、あいつの面目は丸潰れだ。
プライドに賭けても、俺のことは口にしないはずだ。
そして、澪との接触だ。
明日、学校が終わったら、いつもの場所へ向かう予定だ。
問題は、どうやって澪を味方に引き込むか。
選択肢は二つ。
一つ目──転生について打ち明ける。
信じてもらえれば最大限の協力が得られるが、リスクも大きい。
万が一、信用されなかったら──致命的なミスになる。
二つ目──転生前の情報を使う。
こっちのほうが無難だ。
澪が知らない情報を選んで小出しにすれば、興味を引くことはできる。
信用を少しずつ積み上げるやり方だ。
一旦は正体を隠しつつ進めて、どうしても詰まったら……そのときは覚悟を決める。
ふう、と小さく息を吐いた。
体の奥に残る鈍い痛みが、今日の無理を物語っている。
──これからも、同じようなことは確実に起きる。
生き残るためにも、体を鍛えておく必要がある。
必ず、だ。
ベッドの上で天井を見つめながら、俺は静かに覚悟を固めた。
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