11話 コンタクト
ダークウェブへの接続が完了した瞬間、抑えきれない興奮を感じる。
“これで、澪に届く”
……だがあと一つ、桜にバレずに澪への暗号を送る必要がある。
(バレるリスクはある。けど、あえて――そのままやってみるか……)
「じゃあ、ためしに書いてみる?」
俺はキーボードに指を乗せながら、何気ない声でそう言った。
ディスプレイの向こう側にあるのは、何が起きてもおかしくない世界。
それでも、俺はこの瞬間を待っていた。
「たとえば――こういうの、とか」
画面には、ただの文字列にしか見えない暗号がひとつ。
意味を知らなければ、ただの打ち間違いにすら思える内容。
けれど、これは本番だ。
場所、時間、合言葉。
あいつ――澪が反応する、ほんの一度きりの“招待状”。
打ち終わった手を、少しだけ震える指先で膝に落とす。
「……なにそれ。なんか意味あるの?」
桜が隣で覗き込む。
目は鋭く、好奇心に満ちている。
こいつは鋭い。だから、嘘は薄く、限りなく“それっぽく”なければならない。
「いや、適当。なんかそれっぽい感じじゃない?」
わざと肩をすくめて笑う。
ブラフ――
けど、心臓の鼓動は嘘をつかない。
(……届いてくれ、澪)
この一文が、澪の目に止まることを祈りながら――
俺は“初めて”を演じ続けた。
澪への暗号を打ち終え、俺はわざとらしく画面から視線を外す。
「ふーん、なんか変なの」
桜は口を尖らせながら、俺の仕草を観察していた。
俺は、わざとらしく普通のブラウザを立ち上がる。
「ま、こんなとこかな。本当だったらメッセージでやり取りするみたいだよ」
後々の事を考えて嘘の種をまいておく……。
そう言いながら、ブラウザで検索を開始する。
――廊下の奥。微かに、靴音。
(……来る)
自然な仕草で背もたれに寄りかかった。
「……戻ってくるっぽい」
俺が小さく呟くと、桜もすぐに理解したように頷いた。
その表情には、さっきまでの無邪気さが影を潜めている。
共犯者同士の、目配せ。
次の瞬間、ノックもなく静かにドアが開く。
「失礼します」
加賀の無機質な声が、室内に染み込む。
俺は何も知らない子供のふりをして、ニコリと笑った。
まるで――何の収穫もなかったかのように。
「おかえりなさい。お父様、大丈夫だった?」
先に声をかけたのは桜だった。自然すぎる流れに乗せて、空気をほぐす。
「ええ。……ですが」
加賀はゆっくりと歩み寄ってくる。
そして、俺の隣、モニターの斜め後ろに立った。
「何を見ていたのですか?」
あえて訊いてくる。
だが、その目は問いよりも、“確認”を求めていた。
「えっとね、星がさ、最近あんまり見えなくなったなーって思って。都会だと空が明るいんだって」
俺は無垢な笑顔を貼りつけたまま、検索結果を指差す。
「ほら、これ。光害?っていうのが原因らしくて。これ、桜が教えてくれたんだよ」
桜が、すっと頷いた。
「そうなの。加賀も昔、夜空が綺麗な場所に行ってたって言ってたでしょ? アキラにその話をしてたの」
その瞬間、桜は柔らかく微笑んだ。
目元だけが少しだけ鋭く光り、言葉とは裏腹に空気をコントロールしようとしているのが伝わる。
一歩踏み込まれた場面で、まるで前から決まっていたかのように自然な流れを作る。
“誤魔化し”ではない。“逸らし”だ。
「……なるほど」
加賀の目が、モニターからキーボードへ、そして俺の指先へ。
どこかに“痕跡”がないかを探すような、静かな探査。
「検索の履歴を詳しく確認させてもらっても?」
一瞬だけ、桜が口を開きかけた――が、俺が先に言った。
「いいよー。どこまで見ても、星と虫と、宇宙の話だけだよ」
俺はにっこりと笑いながら、マウスを渡す。
用意しておいた履歴。
“星の見え方” “夜空の観察方法” “夏の虫 東京” “宇宙飛行士になるには”
――無邪気なラインナップ。
加賀がマウスを操作し、無言でスクロールする。
沈黙が落ちる。
けれど、それは不利な沈黙ではなかった。
「……失礼しました。履歴は問題はなさそうです」
加賀がマウスを置き、ほんのわずかに頭を下げた。
だが、その目はまだ信じきってはいない。疑念の残り香が、空間にちらつく。
「……もう一つ、失礼します」
加賀がさらに一歩前に出る。
桜も、ほんの少しだけ肩をこわばらせた。
「はい?」
俺は知らぬ顔で問い返す。
「念のため、PCのアプリ起動状態を確認させていただいても?」
(来たな)
加賀は無言で近づき、ショートカットキーを叩いた。
画面に、現在動いているプロセスの一覧が表示される。
そこに、俺たちがさっきまで使っていた“あれ”に繋がる名前は――ない。
もちろんだ。
ダークウェブの掲示板ツールは、接続と同時に仮想空間上に一時展開されるだけの構造で、プロセスもキャッシュもほとんど残らない仕様らしい。
IPすら中継サーバーでねじ曲げられて、現地の履歴にすら残らない。
「……」
加賀は、ひとつひとつのプロセスを丁寧に見ていく。
目に見えないノイズや違和感を探すような動き。だが、そこには何もない。
あるのは、ただのシンプルな使用履歴だけ。
「すごく……クリーンですね。想像以上に」
「でしょ? 加賀がちゃんと管理してくれてるからよ」
桜がさらっと挟み込むように言う。
加賀の目が、俺にもう一度向けられる。
試すように――けれど確信までは踏み込めない。
俺はあくまで普通を装って、のほほんとした声を出す。
「へえ〜。なんかいろいろ動いてるんだね、裏で。知らなかった」
「……問題はなさそうです」
短くそう言うと、加賀はモニターを閉じずにそのまま席を離れた。
「じゃあ、今日はこのへんにしておく? お父様にも説明しなきゃいけないし」
桜がそう言って、椅子を回して立ち上がる。
けれど、目はまだこちらに残っていた。
「ねえ、アキラくん。明日も、またいろいろ教えてくれる?」
その声には、隠しきれない好奇心が混じっていた。
まるで謎解きの続きを見たくてたまらない子供のような――けれど、その裏に何か別の“気配”も感じる。
「うん。たぶんね」
俺は笑ってごまかす。
その笑顔がどこまで桜に見透かされているかは、まだわからない。
桜が廊下に出ようとしたそのとき、背後から一つの声がかぶさった。
「お送りします。夜道はまだ冷えますので」
加賀だった。
「お父様からも“万が一”を避けるよう言われております。特に今は、お客様に何かあっては――困りますので」
わずかな視線が、俺を刺す。
俺は、ただ静かに頷いた。
桜は仕方ないと納得したような顔で加賀へ指示を出す。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」
俺がそう言うと、加賀は無言でドアを開け、エントランスへと案内する。
桜はその背を見送りながら、小さく手を振った。
「また明日ね、アキラくん」
桜の声は柔らかかったが、その笑顔に好奇心や疑念のようなものが見え隠れしていた。
近くには、加賀がいる。
桜というフィルターを外した彼は、果たして何を見せてくるのか。
俺は、ひとつ息を吐いた。
……ここからが、正念場だ。




