10話 ダークウェブ
授業中も、気がつけば時計ばかり見ていた。
頭の片隅には、桜の「ネット貸してあげる」という言葉を思い出す。
……まさか、“桜”が、こっちの誘いに乗ってくるとはな。
俺の誘いに関しては何かあるのはバレバレで確かだ。
それでも桜は、それを承知で動いた。
放課後のチャイムが鳴ると同時に、俺はランドセルを背負って教室を出た。
昇降口を出たところで、桜が待っていた。
姿勢はいつも通り整っていて、誰にも心を開いていないような雰囲気。
けれど俺の姿を見たとき、ほんのわずかに口角が動いた。
「いくわよ」
それだけ言うと、桜はさっさと歩き出す。
言葉も振り返りもなし。ただ、当然のように俺がついてくるものと決めている。
……主導権を渡したようで、実は渡していない。
車寄せに停まっていた黒塗りのセダンの後部ドアが、こちらに気づいてゆっくりと開いた。
「お乗りください」
静かにそう言ったのは、漆黒のスーツ姿の男だった。
黒髪長髪の整った髪、目元は隠されていても、只者じゃない空気を纏っている。
桜の執事――
乗り込もうとした瞬間、その男がわずかに視線を下ろし、俺を値踏みするように見た。
「安全運転で参ります。……くれぐれも、お嬢様に無礼のないように」
穏やかな声だった。だが、その奥にトゲがある。
「安心して!ネットを借りるだけだから!」
無邪気な小学生を演じる。
そう返すと、加賀は微かに眉を動かし、静かにドアを閉めた。
車内は広く、まるで応接室のようだった。
桜はシートに背を預け、外を見ている。
沈黙の時間。
けれど、どこか心地悪くはなかった。
(……さて)
この先にあるのは、“桜の家”。
情報の宝庫であり、同時に、罠の可能性もある場所。
だが――
それでも、今はこの流れに乗ってみる価値がある。
車窓に映る春の街並みを横目に、俺はふっと息をついた。
少しだけ、胸の内が騒がしい。
車はしばらく進み、まもなく大きな門が見えてきた。
その門は、まるで巨人が立っているかのような威圧感があった。
鉄製で重厚な作り、そしてその上には何かの家紋のようなものが彫られている。
明らかに普通の家とは次元が違う。
「炎のような家紋……」
西洋の家紋のようなものか……見たことがないものだった。
俺は思わず口に出して呟いたが、すぐにその言葉が無意味であることに気づいた。
目の前に広がる景色は、想像を遥かに超えていた。
門をくぐり抜けると、すぐに広がる庭が目に入る。
手入れの行き届いた広大な庭園、風が吹けば木々が揺れる音が静かに響く。
道は石畳で、足音が一歩一歩重く感じる。まるで、どこかの王宮にでも来たような気分だった。
その先に見えるのは、巨大な邸宅。
二階建て、いや、もっと高いのかもしれない。
重厚な柱と、大きな窓が並び、その全てが高貴さを漂わせている。桜の家。
その一言で片付けられるような代物ではない。
桜は、まるでこの家が自分の領土であるかのように堂々と歩き、俺もその後ろについて行く。
そして邸宅の玄関にたどり着いた時、初めてそのスケールの大きさに圧倒される。
一瞬、足を止めて視界に広がる庭園を再確認する。
今の自分の立場を整理しようとしたが、すぐに桜がまた歩き出す。
その背中を見送るように、俺は続く。
これが桜の世界――そう感じながら、俺もその一歩を踏み出す。
邸宅の中は、外観以上に静かだった。
赤絨毯の敷かれた廊下。磨かれた床に映る天井のシャンデリア。
すれ違う使用人たちは一様に頭を下げ、無言のまま通り過ぎていく。
まるで、全員が「よそ者」である俺の存在を、黙って値踏みしているようだった。
「お客様を、例の部屋へ」
桜の視線だけで、加賀が動いた。
「こちらへ」
加賀は無駄な言葉もなく歩き出す。
俺は桜の顔を一度だけ見てから、その背中についていった。
廊下の奥。何度か曲がり角を抜けて、重厚な木の扉の前で足が止まる。
加賀はノブに手をかけると、一瞬だけこちらを見た。
「最低限の通信設備は整えてあります。どうぞ、ご自由に」
その言葉とともに、扉が静かに開かれる。
中に入ると、外見こそ“応接室”のような趣だが、奥のデスクには高性能そうなノートPC。
壁には大型のディスプレイ、ルーターの稼働ランプがちらついている。
「わぁ~!すごい部屋~!」
お宝を見つけたような少年を演じる。
背後で加賀の気配が動いた。
「お嬢様から、貴方に“自由に使っていただいて構わない”と伺っています」
言葉は丁寧だが、その場を離れる気配はない。
むしろ、そのまま部屋の奥の壁際へ移動すると、姿勢を正して静かに立ったままこちらを見ている。
……つまり、監視役ってわけか。
「見られながらじゃ落ち着かないよ。執事さん」
無理とは分かっていても、牽制する。
「ご安心ください。必要以上の干渉はいたしません。ただ、お嬢様の安全をお守りするのが私の役目ですので」
拒否権は、最初から存在しない。
PCの前に腰を下ろす。電源はすでに入っていた。
デスクトップには一つだけ、ブラウザアプリのアイコンのみ。
(……なるほどな)
表向きは“ネットを貸す”だけ。
だが、どう動くか、何を調べるか。ここで俺がどう動くかを――桜も、加賀も見ている。
(おもしれぇ……)
まずは加賀……。こいつをどうにかしないとアクセスはできない。
加賀は絶対に俺からのアクションでは、動かない。
そうなると桜をこちら側に引き込む必要がある。
ここは、桜の飽くなき好奇心を刺激をして、こちら側につかせていくか。
加賀は部屋の隅、ピクリとも動かず立っている。
その無機質な目線が背中に突き刺さる。
とりあえず椅子に腰を下ろし、画面を開く。
キーボードの打鍵音をわざとらしく響かせながら、まずは無難なワードを並べる。
“鎌倉幕府”
“縄文時代 土器”
“自由研究 例”
「ふーん……便利だな、パソコンって」
無邪気さを混ぜて、あくまで“慣れてない風”を演出する。
桜がカップを置いた音がした。こちらに意識が向いてる。
そこからゆっくり、“段階”を踏む。
“世界の子どもの貧困”→“途上国の教育格差”→“違法労働 国”
――少しずつ、深みへ。
「なんかさ、こういう情報って、表にはあんまり出てないのかな」
ふと、独り言のようにつぶやく。
「何を探してるの?」
桜がこちらに近づいてきて聞いてくる。その声には好奇心の匂いが混じっている。
「んー……こういう裏の仕組みって、どうやって儲けてるのか気になって。ニュースでは“問題”って言うけど、“得してる人”もいるはずでしょ?」
「……得してる人、ね」
「うん。だって、戦争が起きると株が上がるとか、円安のときに儲ける人がいるとか。そういうのって、どこで調べてるんだろ」
俺は検索窓に“戦争 利益”と打ち込む。
いくつかの記事がヒットするが――内容は浅い。
「……うーん。検索しても、全部表面的だな。“なんとなく”のことしか書いてない」
わざと不満げな声を漏らす。
“俺が欲しい情報はここにない”――その空気を匂わせる。
「ねぇ、伊集院さん」
「なに?」
「……“ネット”って、全部が全部、ここで見られるわけじゃないよね?」
桜の動きが、一瞬止まる。
(来たな)
「どうしてそう思ったの?」
「実は、前にどっかで見たんだよ。“ネットの世界には表と裏がある”って。それで、普通の検索じゃ見つからない世界があるって」
わざと曖昧に、核心をぼかして投げる。
――すると、桜が微笑んだ。
「……アキラ君、もしかして、“ダークウェブ”のことを言ってる?」
引き出した!
「だーく……? ああ、それかも」
俺はあえてぼんやりとした顔でうなずく。
「“普通じゃない情報”とか、入手できるんでしょ?」
桜へ俺の意図が伝わるように、教室でやり取りしたときの温度感で話しかける。
「……そうね。入手できるらしい。けど、私にもそういうのは分からないよ」
もちろん、答えについて桜には期待していない。ダークウェブの単語だけで十分だ。
「うん、知ってる。」
PCのデスクトップからメモ帳を起動して、メモ帳に書き込んだ。
『でも……分からない場所に接続できるとしたら?』
カチッ。俺は無邪気に、視線を桜に送り桜に俺の意図を伝えた。
「だって、“周り“の人を“出し抜く”には、それくらいのことしないと、でしょ?」
桜の顔に好奇心に満たされていくのがすぐに分かった。
俺の意図が伝わるか……?
ここで、加賀がドアの前から口頭で割って入る。
「そのような危ないことはいけません。……あまり度がすぎるとお父様に申し伝えますよ」
その言葉を聞いた瞬間、メモ帳を完全削除した。
「ごめんなさ~い!」
子供がよく使う口だけの謝罪のフレーズ。
桜と目が合う。
ほんの少しだけうなずく。
「加賀!あたしはちょっと席を外しますので、ここを頼んだわよ。」
桜の言葉を聞き、加賀は一礼。
勢いよく部屋を出た桜を残して、加賀と二人きりの状況。
「あなたは桜様とどのようなご関係でしょうか」
静かな問い。
だが、眼光のするどさから、俺を推し量るための問い。
「友達だよ!勉強を教えて貰って仲良くなったんだ!」
加賀は一瞬驚いたような顔を見せるもすぐに冷静な顔に戻る。
「お嬢様は自身に必要のない人とはお付き合いされない方です。失礼ですが、あなたはお嬢様に必要な人に見えないのですが……」
加賀がこちらを探るように見つめてくる。
「必要かどうかは、伊集院さんが判断するんじゃないのかな?現に僕たちは仲良くしてるよ」
桜とはまだ探り合いの段階…。だがあえて仲がいいように伝えておく。
こいつに疑われるようなことは面倒だと俺の直感が言っている。
桜の性格からして、執事から言われたことをはいそうですかと認めるようなタイプではない。
その情報を元に俺になんらかの仕掛けをしてくるだろう。
少しだけの間柄だが、なんとなく想像がつく。
そこに桜が電話を持って戻ってくる。
「加賀! お父様から電話よ。なにやら緊急の用だって!」
加賀は一瞬だけ目を細め、桜と俺を順に見た。
その手はピクリとも動かない。まるで“どうせ大した用じゃない”とでも言うように、無言の圧を返す。
「……緊急というのは、どの程度の“緊急”でしょうか」
「加賀。お父様が“今すぐ出ろ”って。あなたなら、その意味、分かるわよね?」
桜の口調はやわらかいまま。でも、目だけがすっと細くなった。
その一言で、加賀の肩がわずかに動いた。
彼にとって“主”の命は絶対。それが“お嬢様経由”であっても。
「……少しだけ席を外します。くれぐれも、危ないことはされないようにお願いします」
重い口調でそれだけ告げると、加賀は受け取った電話を手にし、部屋を出ていった。
――静かに、扉が閉まる音。
その瞬間。
桜が俺のほうに、ちらりと視線を送った。
ほんの一瞬、目が合う。
言葉は交わさない。けれど、そこには確かに通じるものがあった。
(……うまく、いったな)
桜の表情は相変わらず涼しげだ。だけど、その目だけが、少しだけ楽しんでいるように見えた。
まるで「次はあなたの番よ」とでも言っているような――。
指先は自然と、慣れた手つきでキーボードを叩いていく。
まずは表層。
誰にでも見える顔。
桜の視線を感じながら、わざとらしく検索欄に小学生らしい単語を並べていく。
「……ん? それ、なに調べてるの?」
桜が声をかけてくる。
その問いかけに、俺はにやりと笑って、画面に別のウィンドウを開いた。
「今から、“本当のネット”に入る」
「……え?」
桜がわずかに身を乗り出す。
指定のURLにアクセスコードを入力する。
暗号化されたログインキー。
画面が切り替わり、そこに現れたのは、黒い背景に並ぶ無数の“何か”。
――ダークウェブ。
通常のネットでは決して辿り着けない場所。
欲望と罪と取引が渦巻く、もう一つの地下世界。
そして、そこには――
“澪”に繋がる、あの掲示板があるはずだ。
画面がゆっくりと読み込まれていく中、俺の胸の奥が高鳴っていた。
(ようやく……ここまで来た)
桜もまた、息をのんで画面を覗き込む。
――次のページに進んだとき、何かが大きく動き出す。
そんな予感が、確かにあった。
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