9話 友人
朝の光が差し込む。
目を覚ました俺は、真っ先に玄関を見た。
……父親はまだ、帰っていない。
時計の針は、もう朝食の時間を指しているというのに。
嫌な予感はするが、それ以上に、妙な静けさが気になる。
リビングに行くと、母親が机に向かって座っていた。
けれど、顔色はひどく悪い。目の下には濃いクマ。手元のコーヒーも、ずいぶん冷めている。
「……おはよう」
かろうじて声をかけると、母はびくりと肩を震わせ、ぎこちなく笑った。
その笑顔に、もう余裕なんてものは一切なかった。
黙って朝食を口に運ぶ。味はしない。
昨日見た封筒のことが、頭から離れなかった。
(放課後、もう一度ちゃんと調べる)
そう決めて、俺は家を出た。
通学路。春の陽気のなかを歩いていても、心は晴れない。
この世界が“捻じれた何か”である感覚は、薄れもせず、ただじっと背後から付きまとう。
「アキラー!」
突然、名前を呼ばれた。
反射的に身構える。
声の主は、同じ制服を着た男の子だった。
俺より少し背が低く、明るい髪色。どこか、馴れ馴れしい態度。
(……誰だこいつ)
記憶にはない。けれど、向こうはこちらをよく知っているようだ。
小学生としてこの世界に“ねじ込まれた”俺にとって、これはよくあることだ。
「昨日の給食、やばかったなー。アレ、絶対腐ってたって」
しゃべり方や温度感からして、ねじ込まれた先の友人ってところか。
「ああ……そうかもな」
適当に話を合わせる。自然な反応を心がけつつ、観察を怠らない。
その男の子は、どこか“猛”を思わせた。
無防備で、軽くて、けれど嘘がなさそうな雰囲気。
……少しだけ、気が緩んだ。
目の前の光景が、急に“普通”に見えた。
朝の風。横を走る自転車の音。並んで歩く小学生たちの笑い声。
俺もその一部になっているような錯覚。
だけど――
この感覚が、偽りの上に成り立っているものだと、誰よりも俺が知っている。
隣の少年が、無邪気に笑いながら歩く様子に、妙な既視感を覚える。
(……猛)
記憶の底に沈んだあの顔が、一瞬だけ重なる。
だが違う。こいつは猛じゃない。名前も、声も違う。
「……ところで、ごめん。ド忘れしちゃって、君の事は何て呼んでたっけ?」
「え? 何言ってんのアキラ。俺だよ、翔太。忘れたフリかよ~」
翔太、か。
それが、この世界での“俺の知り合い”ということなのだろう。
「ああ、悪い。ちょっと寝ぼけてたかもな」
「マジかよ~、アキラって時々ヘンだよな。でも、そーいうとこが面白いっつーか」
ケラケラと笑いながら、ショウタは給食の話や、昨日のテレビの話を続けた。
他愛のない話だ。だがそれが、妙に心地よくもあった。
そうして歩いていくうちに、校門が見えてくる。
その前に、黒塗りの高級車がぴたりと停車した。
重たい静けさが、通学路に落ちる。
「うお……あれ、伊集院の家の車じゃん!毎朝来るけど、マジで金持ちって感じだよな~」
ショウタが羨望の目で見つめている。
俺も視線を向けると、ちょうど車のドアが開いた。
中から降りてきたのは、整えられた制服、整った所作。
――そして、冷ややかな視線を持つ少女。
(……桜)
その目が、一瞬で俺を捕らえた。
感情を押し殺しているようで、ほんの僅かに敵意が見えた気がした。
けれど次の瞬間には、無表情に近い顔を保ったまま、こちらへと歩いてくる。
何をする気かと警戒していると――
「ねえ、アキラ君。今日の放課後、空いてる?」
その声は思ったよりも穏やかだった。
「……さあな。予定にもよる」
口ではそう言いながら、俺は桜の目を見つめ返す。
その視線は、静かに揺れていた。冷たく、けれど、どこか“計算”を含んだ光。
俺がどう出るのか、試している。
他人に興味がないように見えて、しっかり観察してる目だ。
挑発にも似たその間に、ほんの少しの沈黙が落ちた――
「ネット、貸してあげる。前に言ってたでしょ?うちなら速いわよ」
唐突すぎる提案。
思いがけない速さ……。
挑発に乗っていることは恐らく桜も分かっているだろう。
そのうえで、桜は俺の餌に食いついてきた。
少し迷ってから、俺は口元だけで笑った。
「……ああ、じゃあ、放課後な」
ショウタが「え!?すげぇ」と素で驚いた声を出す。
俺は、桜の目を見つめ返した。
(これは――単なる親切じゃない)
どこか試すような、計るような気配を感じた。
「……ああ、じゃあ、放課後な」
軽く応じてやると、桜はすっと微笑を浮かべ、そのまま校舎へと歩いていった。
ショウタがぽかんと口を開けたまま俺を見る。
「お、お前……桜と口を交わす知り合いだったのかよ。あいつほとんど誰とも口を交わさないんだぜ?」
(……やっぱり、ただの“お嬢様”ってわけじゃなさそうだな)
「さあな。俺にもよくわからん」
その言葉を発した直後、チャイムが鳴り響いた。
翔太が急に焦りながら俺を呼ぶ。
「アキラ、ちょっと!遅刻する!」
俺はその声を追い、大人になって遅刻か……と思いながら走る。
ふと、口元に笑みが浮かんだ。
さて、桜との駆け引きが今後どう転がるのか、少し楽しみになってきた。
お読みいただきありがとうございます。
もし面白いと思いましたら、リアクションや、評価やレビューをしていただけると泣いて踊って大声で喜びます。
モチベーションがあがるので、是非よろしくお願いいたします。




