ep.27 姫の事情(2)
「皮下は柔らかいって訳だな」
准士が串刺しにして仕留めた大蜥蜴の遺骸を一瞥し、アザミは地を蹴った。
「峡谷君、そこを動かないで」
キョウの前に立ちふさがり、陽乃を狙い迫る大蜥蜴に向けて手を翳す。
「地神……」
目を瞑り、一呼吸。
精神統一。
「針地獄!」
刮目とともに術が発動――襲い来る大蜥蜴の足元から、剣山のごとく鋭利な土の針が数十本突き出た。土針は大蜥蜴の腹から頭部にかけてを貫く。
串刺しにされた蜥蜴は、そのまま動かなくなった。
「即死なら自爆はしないらしい」
アザミの怜悧な瞳は、始終揺らぐことがない。
「お見事です、先輩」
「残り二匹なら――」
大蜥蜴が丸太のような尾をしならせ、土の針山を薙ぎ崩した。
仲間の死骸を踏みつけ、尚も陽乃を狙い、二頭が同時に飛びかかる。
「――いけるか?」
「はい」
アザミの目配せにキョウは肯き、陽乃をアザミに押し付けた。
「峡谷様?!」
不満げな姫の声を背中で聞き流す。
「炎神……」
キョウは自由になった両手に意識を集中させた。
「煉獄柱!」
次の瞬間、獄炎が視界を覆い尽くして二頭の大蜥蜴を巻き込み、柱となって立ち昇った。
炎の中でのたうつ黒い影が揺れる。
キョウの両手が強く握られると同時に――紅蓮が燐火の色、蒼へと変わった。
凄まじい術力。
文字通りの、強火力だ。
「凄……」
離れた場所で准士の手当をしている青ですら、皮膚に炙るような熱を感じるほどに。
「もういいだろう」
アザミの呼びかけに応じ、キョウが手を下ろす。
瞬く間に、蒼い炎柱は消失した。
残ったのは、黒く変色した一帯の土。
そこに影絵のように焼きついた、二頭分の大蜥蜴の「影」だけ。
「すっげ」
静寂の中に、トウジュの素直な呟きが転がる。
「……はぁ……」
渓谷の道に転がる三頭の大蜥蜴の死体、そして二頭の焦げ跡を前に、キョウは深いため息を零した。そして、すぐに踵を返し、手当を受ける准士のもとへ駆けた。
「玄野准士の容態は」
「死ぬことは……ない……」
朱鷺の診断に、キョウは再び 「良かった、本当に……」 と深く息を吐く。
心からの安堵の吐息だった。
「けど……任務続行は……厳しいわ」
朱鷺の進言を受け、キョウは先輩上士のアザミを振り返る。
「先輩、この後のことを――」
そこへ、
「峡谷様!」
アザミの腕を振りほどき、陽乃がキョウのもとへ駆け寄った。
「恐ろしゅうございました……!」
さめざめとした声で、キョウの腕にしがみつく。
中士三人は、「ようやるわ」と言わんばかりの顔で姫様劇場を眺めていた。
「怖い思いをなさいましたね」
またも塗り固めたような微笑を浮かべ、キョウは優しく姫の背中に手を添えた。
「峡谷さ……」
「どうぞ、こちらでしばしお休みください」
背中をやんわりと押され、陽乃は受け流されるように栗毛馬の足元に座り込む侍女・檀弓の側へと押しやられた。
「先輩、救護班を呼ぶか、引き返すかですが」
面白くなさそうな顔の陽乃に背を向け、キョウは改めてアザミに向き直った。
都までの距離を考えれば、引き返すのも悪手ではない。
しかし、今回は非戦闘員が二名おり、移動速度が制限される。
「そうだな……救護班へ式を飛ばして待つか……」
隊長のアザミが結論に至りかけた、そのとき、
「ダメ」
朱鷺の声が割り込んだ。
皆の視線が、一斉に朱鷺へ向けられる。
「ここは危ない……引き返すか……とにかく、ここを離れた方が……いい」
長い嘴が、辺り一帯をぐるりと見渡した。
「なあに? あの蝙蝠のようなお方」
「お嬢様……」
栗毛馬の足元で待機する、陽乃と檀弓主従の呑気な会話が聞こえる。
側で警護にあたる中士たちは、やれやれといった顔を見合わせた。
シューッ……
――間欠泉のような強い噴射音が、風に乗って届く。
「?」
皆、一斉に口を噤んだ。
最初の一音を皮切りに、爬虫類が器官を震わせる音が、左右から蝉の声のように重なり始める。
「……古暮、黒川中士は馬と後方を護って」
「しょ、承知!」
中士二人へ手早く指示を送り、アザミ、キョウ、トウジュの三人は武器に手をかけ、左右の藪や森へと鋭く視線を巡らせる。
青も朱鷺の隣で、周囲の気配を探った。
「やっぱり……呼び寄せてしまった……みたい」
朱鷺の仮面の嘴が、谷の稜線をなぞるようにわずかに揺れる。
谷を吹き抜ける風に乗り、呼吸とも鳴き声ともつかない空気音の合唱が、確実に近づいてくる。
「シユウ君。数、分かる……?」
「たくさん、という事だけは」
青の苦笑いに、朱鷺の面が「私も」と頷く。
「来たぞ、構えろ!」
アザミの警告。
朱鷺の予測通り、それは現れた。
道の先、背後、片脇の藪。
緑がかった表皮に覆われた四つ足の生物たちが、次々と姿を現す。
「また大蜥蜴か」
毒の大蜥蜴よりは小ぶりだが、それでも胴だけで若牛ほどの大きさと太さがある。
加えて特徴的なのは、胴よりも長い剃刀のような尾。
そして何より――数が多い。
「こいつらの唾液は痺れ毒です。吐き出してくることもあるので注意を。それから、尾の鱗が攻撃時に剃刀のように変化します」
「了解!」
「助かる」
青の助言に、トウジュが威勢よく応じ、上士二人も深く頷く。
かつて蟲之区で、体よりも大きな図鑑を貪り読んで諳んじていた知識が、今ここで生きた。
「峡谷君は東側と北側、榊君は後ろを頼む」
「承知!」
アザミが手早く指示を出す。
「峡谷上士、ちょっと」
飛び出そうとするキョウの背中を、朱鷺が呼び止めた。
「……朱鷺一師?」
肩越しに振り向いたキョウの目に、外套の内側から手を掲げる朱鷺の姿が映る。
「一師?」
隣に立つ青も、疑問符を浮かべた。
朱鷺の指先に握られているのは、小さな小瓶。
短い試験管状の薬品入れだ。
「シユウ君……よく、見ていて……」
短く呟くと、器用に指先で硝子管の蓋を弾いた。
「水神……玉」
唱えに応じ、硝子管を満たしていた液体が重力に逆らい管の外へと吹き出す。
それは空中で拳大の玉となり、浮かび上がった。
「長蛇」
続けて二つ目の術が発動。
朱鷺の掌から流れ出た水流が巨大な蛇となり、宙空に輪を描く。
次の瞬間、蛇が球状の液体を呑み込み――透明だった水流が、瞬く間に苔むした濃緑へと変色した。
「術と……毒薬が混ざった……?!」
「行っておいで……」
朱鷺が手を軽く振ると、それに応じるように濃緑の水流が奔る。東側の藪から現れた大蜥蜴の群れを目掛け、緑の濁流が広範囲に降り注いだ。
「水が……!」
群れを呑み込んだ濁水は、強い粘着性を持つ半液体へと変質。
大蜥蜴らを包み込み、動きを鈍らせた。
「なるほど……お見事」
キョウはにっとほくそ笑み、前へと踏み出した。
「雷神、轟雷!」
低い姿勢から、両掌に発生させた雷術を前方へ放つ。
蒼い電流が鞭のごとく光速で疾走り、強粘着の濁水へと突き刺さる。導電した雷が液体を浴びた全ての大蜥蜴へ通電した。
ゴボゴボと激しく煮立つ毒液――たちまち、十数頭の大蜥蜴が一斉に炭化した。
「よし!」
珍しく吠えるように声を上げ、キョウが拳を握る。
「うわ……すごい!」
戦いの最中であることを忘れ、青も思わず感嘆の声をあげた。
簡易な水術が、朱鷺の毒の一手によって幾倍にも効力を増したのだ。
「一師! 今のはどうやっ――」
「はい……シユウ君も」
興奮してはしゃぐ青の手元に、薬瓶が押し付けられた。
「え」
「……やって……みて」
「え」




