ep.24 夜戦(4)
それからの青は、ただただ必死だった。
蓮華と朱鷺の指示に応え、従い、動き続ける。
小毬中士は数か所の打撲と骨折。
同様の負傷者が二名。
その他、刀傷を負った者が数名。
そして――最も重傷だったのは、檜前中士。
腹に穴を開けられていたが、致命傷には至らなかった。
「羆に変化したことが、生死の分かれ目だった」
蓮華の見立ては、的確だった。
「も……申し訳、ありませんでした。僕が余計なことをしたために……」
「ん?」
疲労と罪悪感が入り混じり、青の声は掠れ、震えていた。
檜前の容態を報告しに来た新米毒術師に、一色隊長はふっと柔らかい苦笑を向ける。
「君がああしなかったら、小毬中士は死んでいたと思いますよ。誰も間に合っていなかった」
「でも、檜前中士が……」
「檜前中士だから、生き残った。あの時は、あれが最善だったんです」
報告ご苦労、と優しく労われ、青は居たたまれなくなる。
深く頭を下げ、その場を立ち去った。
治療用の天幕に戻ると、隅で蓮華が膝を抱えて仮眠をとっていた。
代わりに朱鷺が、静かに負傷者たちの様子を見回っている。
「おかえり……楠野隊は……戻ってきた?」
朱鷺の面がゆるやかに青を振り返る。
顔全体が覆われているため、表情を読み解くことはできないが、疲労の色は見えない。
虚弱体質かと思いきや、技能師三人の中で最も平常を保っているようにすら見える。
「いえ、まだのようです」
所在なく、青は朱鷺から一歩離れ、天幕の出口側へ立った。
負傷者たちに視線を巡らせる。
誰もが、呼吸を落ち着かせていた。
蓮華の薬と手当の妙。
そして、薬術や医療の心得を持つ毒術師が二名居合わせたこと――それが彼らの幸運 だったと言えよう。
「そう」
少しの沈黙が落ちる。
「……あの」
「……あのね」
二人が同時に口を開いた。
朱鷺に「お先にどうぞ」と促され、またわずかな間が空く。
青は小さな吐息を漏らし、静かに言葉を紡いだ。
「すみません、色々と考えたり、思い出してしまって……まだ、まとまっていないんですが……」
だが、吐き出さずにはいられなかった。
誰かに聞いてほしかった。
「思い出す?」
「……あの狐の頭は、居場所が欲しかったのかなと、考えていて」
――九尾に生まれていれば 妖狐のチカラがあれば
――シシグニにも この国にも
思い出されるのは、大狐が最後に呟いた言葉。
どのような経緯で祖国を離れ、凪へ流れ着いたのか、青には知る由もない。
だが、一つだけ確かなことがある。
青、小毬、雲類鷲、檜前。
同じように凪へ流れ着いた彼らには、良き出会い があり、居場所 があった。
「何故あの人は、逃げ出さなければいけなかったんだろうと」
――アタシを女狐と誹り、蔑んだのはオマエ達
それは、彼女の 悲痛な心の叫び だった。
「僕は本当に、恵まれていたのだなと……あ」
ふと、自らの素性に関わることを口走ってしまったことに気づく。
青は覆面の上から口元に手を当てた。
「……そう」
朱鷺にとって、その一言だけで 概ねの事情を察する ことは容易だった。
「私たちは……五大国以外を、知らなさ過ぎる、の」
天幕内の行灯が静かに揺れる。
薄闇に映る 梟のような影 も、それに合わせて揺らいだ。
世界には、神通術を基礎とする五つの神通祖国と二つの里の他に、神通術に依らない独自の力や秩序を持つ国、勢力、人種が数多く存在しているという。
「知らなすぎる……確かに、そうですね」
青が記憶する限り、初等学校や中等過程では、凪の外界について学ぶ機会は少なかった。
そして、気が付く。
自分は、凪の外から流れ着いた過去について、一度も疑問を抱かずに生きてきた。
全てを理解するには、幼すぎた。
生きること、学ぶことに精一杯だった。
そうした言い訳もできる。
だが――
今、同じように外つ国から流れてきた者たちの生に触れ、青の興味は初めて己の過去へと向かった。
母はなぜ、幼い自分を連れ旅をしていたのか。
そして、なぜ凪へ向かったのか。
「楠野隊が戻ったぞ!」
天幕の外から、声が響く。
「え」
膝に伏せていた顔を上げ、蓮華が立ち上がる。
「行きましょう……」
青、朱鷺、蓮華の三人が天幕を出ると、野営地の中央、焚き火の前にはすでに帰還した楠野隊と、それを迎える面々の姿があった。
「お前、それ……」
一色が最初に発した言葉が、それだった。
周囲の者たちも顔を見合わせ、場がにわかにざわめく。
何事かと、青たちも駆け寄った。
「拾った」
そう短く答えた楠野の腕には、二匹の子狐 が抱かれていた。
「あの狐は、こいつらの側で死んでいたよ」
「夜襲を仕掛けてきたのは……この子たちのためか……」
「かもな」
子狐たちは、楠野の腕の中でおとなしく身を寄せ合い、
丸い木の実のような瞳で、覗き込んでくる凪隊の面々をじっと見つめていた。
まだ、母親の死を理解できていないのだろう。
楠野隊の報告によれば――
狐を追跡し、賊の根城と思われる砦へとたどり着いたが、賊の姿はすでに一人も残っていなかった。
砦の最も奥まった小さな部屋で、片足を失った母狐が、二匹の子狐を護るようにして死んでいた。
「その子らは、獣血人ということになるのだろうか」
「おそらく」
一色の問いに答えたのは、雲類鷲だった。
「成長すれば、人の姿になるすべを覚えるはずです」
「そういうものなのか」
一色がなるほど、と頷く。
同調するように、周囲の凪隊員たちの間にも合点の空気が広がった。
「その子らは、どうなさるので?」
総員を代弁するように、准士が尋ねる。
楠野は腕に抱いた子狐たちを見下ろし、丸い瞳を覗き込んだ。
「そうだな……凪に連れ帰って、孤児院に入れるか、どこか里子に出すか……」
「あの」
控えめな声が上がった。
手を挙げたのは、最後尾から様子を見ていた青だった。
その場の視線が、一斉に青へと向けられる。
両隣の蓮華と朱鷺からも、「何事か」という問いかけるような視線を感じた。
「シユウ佳師?」
一色が青に発言を促す。
「す、すみません……霽月院……をご検討されてはどう、かと」
青が育った、都にある孤児院の名だった。
「霽月院?」
「長直下の管轄にある孤児院か」
特別な事情を持つ子供や、長の許可を得た者のみが入ることを許される場所。
「出過ぎたことを、すみません……」
場の空気に気圧され、手を引きかけたその時――
「そうですね」
一色の肯定が返った。
「獣血人は凪では希少な存在。私たちで長に掛け合ってみます」
「俺もか」
さりげなく巻き込まれた楠野が肩をすくめる。
だが、訓練所で獣血人三名の担当教官だった経歴が訴求力になることは、彼自身も理解していた。
短く息をつき、潔く頷く。
「クア……」
大人たちの会話をよそに、子狐たちは揃って大あくびをした。
そのまま楠野の腕の中で、ゆっくりと瞼を閉じていく。
「可愛い~!」
女子隊員たちの声が、ふわりと野営地に広がった。
「提案をありがとう、シユウ佳師」
「あ……ありがとうございます……!」
隊長と副隊長の決断に、青は心底から安堵する。
――あの子たちは、きっと、居場所を見つけられる。




