ep.18 事情(1)
シユウとしての初任務成功の翌日。
大月青としての勤務先で、青は隊長と再会した。
偶然にも、前日、医療班によって運ばれた先が、青の勤務する医院だったのだ。
青が配属された医院の正式名称は、「三葉診療所」。
もともとは医者の家系である三葉家の当主が「町医者」として開業したのが始まりだった。数代前に法軍と提携したことで、法軍人の救急搬送先としても選ばれるようになったのだ。
「見回りに行ってきます」
入院病棟を巡回していた青は、入院患者の資料の中に一色隊長の名を見つけた。
だが、今の青はシユウではなく、医療准士・大月青。
昨晩、緊急入院した一色上士とは、「初対面」の体でなければならない。
ちなみに、「医療准士」とは。
診察や診断といった判断や責任を伴う行為は制限されるが、医師の指示のもと、各々の資格に応じた医療行為を行える立場である。
「失礼します」
一色トモリ、と名札が掲げられた個室の引き戸を静かに開ける。
患者が眠っている場合が多いため、小声で、忍び足で。
障子が閉められた室内。障子紙越しの柔らかな陽光が、静かに注がれていた。
見回り役が病室で行うべきこと。
患者の呼吸や発汗の状態を観察し、包帯の汚れや傷の開きがないかを目視で確認する。
昨晩の任務での光景が脳裏に焼き付いているせいか、青はいつも以上に念入りに、一色隊長の様子を観察した。
中士二人を庇い負傷した後、隊長は自らの血を触媒に、大規模な神通術を連続して発動した。
血を使うことで、神通術は威力を増す。
神通術とは、術者の気や生命力を捧げることで発動する術。
その供物の一部として、血もまた捧げられるのだ。
その名の通り、「血触媒」と呼ばれる手法。
術者への負担が極めて大きく、「禁止事項」として教えられるものだ。
これまでに幾度も現場で、やむを得ずそれが使われる光景を目にしてきた。
一色隊長は、半身を妖瘴に毒された状態で血触媒を用いた。
その負担は、計り知れない。
だが、あの状況下で彼は、自らの身を顧みることなく、短期決戦を選んだ。
隊を守るために。
「異常、なし」
眠る隊長の様子に安堵し、青は小さく息を吐く。そして、手元の確認表に印をつけた。
*
「ぐだぐだうるせぇ!」
「っ……!」
胸部を強く押され、青——シユウは、二歩ほどよろめいた。
また別の日の任務。
任務依頼にあった解毒薬と防毒薬を届けに、青は待機場所へ合流した。
その効用と用法の説明をしているさなか、隊長の上士が、しびれを切らして怒鳴りつけたのだ。
その日の任務は、十数人規模の小隊による妖獣掃討。
谷間に敷かれた陣で、待機中の中士や下士たちが、「何事か」と驚いた視線を向ける。
「ごほっ……っ」
上士の掌底を正面から受け、青は一瞬、呼吸が止まりかけた。
「も……申し訳……ありません」
胸元を押さえ、呼吸を整えながら引き下がる。
青が頭を下げると、隊長は居心地の悪そうな顔をした。気が済んだのか、それとも年端もいかない若手相手に手を出したことに、罪悪感を抱いたのか。
「……もういい」
隊長は踵を返し、その場を去っていった。
経験豊富な上士にとっては、解毒薬や防毒薬の説明など、何十回と聞かされてきた話だったのかもしれない。
「ダイジョーブか? オレが預かるよ」
その時、横から声をかけられた。聞き覚えのある声だ。
「!」
振り返ると、そこに立っていたのはトウジュだった。
二年以上前に先んじて下士となって以来の再会。
だが、今の青は「シユウ」。
故に、これは「初対面」の体でなければならない。
「……あ、すみません。では、説明を」
思わず「トウジュ」と呼びそうになった声を飲み込み、
青は持っていた紙袋を差し出した。
トウジュの後ろには、同じく下士と思われる男女が立っている。
中に説明書も入っていると前置きし、青はそれぞれの薬の効果と用法を説明した。
トウジュと二人の下士たちは、頷きながら耳を傾ける。
「あのさ」
一通りの説明が終わると、トウジュは青——シユウへと、学校時代と変わらない笑顔を向けた。
「さっきは、隊長がゴメン。悪く思わないでやってくれな」
「は、はい。もちろんです」
青の口から、ぎこちない返答が漏れる。
トウジュに対して、この言葉遣いは、まだ慣れない。
「隊長、ここんとこ任務続きでさ。あんま寝れてねぇらしくて」
「そうでしたか……。こちらこそ、配慮が足りず」
後々、任務を重ねるごとに、青も知ることになる。依頼が集中しやすい人材は、確かに存在する。そうした人物は、言葉を選ばなければ、「上にとって便利な道具」と見なされる。
それは、どの組織でも変わらぬ常だ。
「ありがとーな! これ、みんなに配っとくから」
会話を切り上げ、トウジュは薬を手に、下士仲間二人を連れて去っていく。
その背中を見つめながら——
「トウジュは、絶対に良い隊長になるだろうな」
頼もしく成長した友人の背中が、青には何だか誇らしく見えた。
「えーっと……」
まだ鈍い痛みの残る胸元をさすりながら、青は次に、陣の後方に設けられた医療班の幕へと向かった。
「蓮華二師は、いらっしゃいますか」
隊に合流している薬術師を探す。
「私だけど、何かご用?」
白い陣幕の一つが捲れ、内側から人物が姿を現した。
高い声。その務め名の通り、裾が蓮華色に染められた外套。そして、華奢な体格。
女性であることは、一目瞭然だった。
目元には、花弁を連想させる意匠の仮面。おそらく、これも蓮華の意匠なのだろう。
手甲には、獅子の銀板が刻まれている。
「毒術師・狼の位、シユウと申します。」
深々と礼をした青へ、蓮華は「あら」と小さく首を傾げた。
「毒術は、リセイ練師が派遣されると聞いていたけど?」
練師は虎を表す。つまりリセイは、毒術の「虎の位」を持つ者。虎は、狼より一つ上の位にあたる。
「はい、練師は明日合流予定です。別の任務で負傷されたとのことで、代わりに調薬とお届けを僕が……」
青の説明を聞き、蓮華は「なるほど」と口元に微笑を浮かべた。
上位の技能師を補う、それが狼の役目。
事前準備、調薬、配達、後始末、そして雑用全般——とにかく、やることは山ほどある。
「楠野隊長が不眠で調子が芳しくないと、榊下士から聞きました。」
トウジュに薬を託したことを伝えた後、青は本題を切り出した。
「あら」
「お手すきの時に、診ていただけたらと思った次第です。」
「ふうん」
「……何か?」
蓮華二師の含みのある笑みに、青は思わず半身を引いた。
「さっきは手酷くされたのに、優しいのね。」
その言葉に、近くで作業していた治療班の面々が手を止め、青の方へ視線を向ける。
狭い谷間で、あれだけ怒鳴り声を上げられたのだ。嫌でも耳に入る。
「いえ、指揮官の状態は任務の成否に関係する事ですから」
青個人の感情よりも、重要視されるべきは隊長の機嫌と健康状態である。優等生な青の返答に、蓮華はまた「ふうん」と唇を微笑みに象った。
「了解。後で楠野の点穴でも突いてきてやるわ。朝までぐっっっすりとイケるやつ」
芝居がかった蓮華の言い草に、背後で手を動かしている医療班の面々が、小さく吹き出す。
「……僕はこれで」
慣れない空気に居心地の悪さを感じながら、青は腰が引け気味に踵を返した。
「教えてくれてありがとう」
蓮華色の獅子は、まだぎこちなさの残る若狼へ、再び含みのある笑みを手向けた。




