ep.17 初任務(2)
法軍人にとって、任務は何よりも優先される。
本職が内勤の非戦闘員であろうと
親の葬儀であろうと
妻の出産予定日であろうと
子の記念日であろうと
本人が健康であり、五体満足である限り、任務の通知は容赦なく届く。
時間も、場所も、選ばない。
式鳥は、いつでもどこへでも飛んでくるのだ。
ゆえに、青が医院での勤務中に式が来たとしても、
「すみません、三葉先生。任務の式が……」
「任務? いってらっしゃい! 帰還予定は式でも飛ばして知らせてね」
その一言で、何の障壁もなく抜け出せるのだ。
毒術師シユウに割り当てられた任務は、妖虫討伐隊への同行。
都の北部に広がる北溟地方、その奥深くに広がる黒ノ森で、人里における妖虫の目撃情報が相次いでいた。
そんな折、小さな限界集落がひとつ、壊滅したという。
次に狙われるのは、近隣の村かもしれない。
被害が拡大する前に、討滅隊を展開し、待ち伏せる。それが今回の作戦だった。
「鉢巻と覆面の用意、間に合ってよかった」
集合時間前、青は藍鬼の小屋へ立ち寄り、支度を整えた。
庵と要に作ってもらった幻術仕込みの鉢巻を目深に締め、軍支給の覆面で口元と鼻を覆う。
「僕は解呪要員ってわけか」
技能師は、任務の内容から己の役割を推測し、あらゆる事態を想定して準備を整えるもの。それは、ハクロの正弟子だった頃、任務帯同の中で学んだ教訓だった。
妖獣(虫)・妖魔討伐任務には、必ず解呪役の同行が求められる。
妖瘴を浴びる危険性が極めて高いためだ。
小規模な妖討伐任務は日常茶飯事であり、新米の薬術師や毒術師に回ってくる案件も尽きることがない。
集合時間は昼九ツ(正午)。
夜に現れるという妖獣を待ち伏せるため、夕刻前には目的地へ到着する予定だった。
北の大門前から出立した一隊は、青を含め四人。
隊長を務める上士一名、
中士二名、
そして毒術師の青。
小規模な妖獣討伐任務としては、標準的な編成である。
大門前の転送陣を使い、黒ノ森の入口にある陣守村へと飛ぶ。そこから先は徒歩で森の奥へと進むことになる。
目的地は、壊滅した限界集落の近隣にある村。
そこを拠点とし、妖虫を待ち伏せるか、あるいは先手を打って討つか。
その判断は、隊長に委ねられていた。
風術による高速移動と、気力・体力の温存のための徒歩を交互に繰り返しながら、一隊は進む。
山裾一面に広がる鬱蒼とした森。
生い茂る木々は枝や蔓を絡ませ合い、陽も、月も、星の光さえも遮っている、故に「黒」と名付けられ、恐れられていた。
「シユウ君は、新人なんですか?」
炎術で片手に灯を灯し、先頭を歩く隊長の上士が、青に声をかけた。
中肉中背、三十前後。
相手が誰であれ、口調は変わらない。
初対面の時から、穏やかな佇まいが印象的な人物だった。
「はい、一色隊長。この春からです」
任務に同行する技能職は、大抵、隊列の最後尾や端につくものだ。
技能職の下っ端は、準備・補助・後片付け役として扱われ、戦闘要員としての頭数には数えられないことが多い。
だからこそ、隊長自ら気にかけてくれるのは珍しいことだった。
「毒術って、あれだろ。麒麟を取り逃がしたっていう……」
「あ~、前代未聞だって聞いたぞ」
前を歩く中士二人が、肩越しに青を一瞥し、小馬鹿にしたように苦笑し合う。
まだ体の線が細く、身長も伸びきっていない青を、「ガキ」扱いするのは、ある意味当然だった。
法軍で重視されるのは、「戦える者」。
高位の技能職ならともかく、位の低い技能職が戦力として期待されることは、ほとんどないのだから。
「……」
流れてくる中士同士の戯言を、青は聞き流す。
この手の陰口には、とうに慣れていた。
その時。
「し……」
隊長が足を止め、振り返る。
中士二人は、その様子に気づき、「私語失礼しました」と小声で口を噤んだ。
上官が足を止めた。
それに伴い、一隊全体も動きを止める。
一色隊長が、辺りを見回した。
中士たちは、頭上に疑問符を浮かべながら上官の行動を見守る。
青も隊長に倣い、五感を研ぎ澄ませた。
静かだ。
初めて足を踏み入れる場所とはいえ、それでも違和感がある。
森の深さに反して、生き物の気配が少なすぎる。
「急ごう」
一言だけ残し、隊長は踵を返すと同時に風を呼び、木々の枝を伝い跳んだ。
何かが起こる。
青も、慌てて後を追った。
目的の村には、予定より一刻以上早く到着した。
しかし、そこで一行を待ち構えていたのは——惨状だった。
「な、これは……!」
隊長が思わず声を漏らす。
森を切り拓いた空間に築かれた人里。
その人道のあちこちに散乱する、「人だったもの」の残骸。
血だまり。
引きちぎられた臓腑。
食い散らかされた痕跡。
「遅かったのか……」
「そんなはずは」
妖獣や妖虫は、人を喰らって一度満腹になれば、しばらくは狩りを行わない。
それが、これまでの通説だった。
その習性ゆえ、太古の昔には定期的に生贄を差し出し、妖を鎮める慣習さえあったという。
「隊長、奴は村をまるごと食い尽くした後です。そんな大食漢な妖虫が存在するのでしょうか」
「ということは、亜種がいるのか……あるいは、複数……?」
中士と隊長が辺りを検分している間、青も一軒ずつ民家を回った。
茅葺の質素な家屋の多くは半壊、もしくは全壊している。
その中に、食べカスのように散らばる遺体。
村全体を包む血と脂の混じった悪臭に、さすがの青も眩暈を覚えそうになる。
「?」
積み上げられた石垣沿いの道をたどると、村の奥のわずかな高台に社と祠が見えた。
祀られているのは、氏神のようだ。
黒ノ森にふさわしい漆黒の鳥居が、社とともに破壊されずに残っている。
「……ここは無事なんだ」
鳥居の手前に立つ碑に目を向ける。
風化した石に刻まれた文字を、指でなぞるように読む。
「ヒト……ゴク、ウ……人身御供……慰霊……?」




