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ep. 54 狼の背骨(3)

「父上!」

 人の姿に戻った狩莅シュリと、ハクの悲痛な叫びが、静寂を取り戻した地に響いた。

 二人はもつれる足で、同じく人の姿に戻り気を失っている父王の元へと駆け寄る。すぐ後ろから、白狼の近衛兵たちも続いた。


「父上、しっかりしてください!」

 狛が、ぐったりとした王の体を揺さぶる。

 その様子を痛みを堪えるような顔で見下ろし、狩莅は一度、大きく息を吐き出した。そして私情を押し殺した声で、毅然と周囲へ命じる。


「狛、ほか二名で父上を寝所へ。警邏けいら隊はただちに緊急事態体制へ移行。地上の被害状況の調査を始めよ」


 血と役目が、狩莅に悲嘆にくれることを許さない。王血を受け継ぐ若者は、努めて冷静に場を取り仕切った。


 その横顔へ、猪牙が声をかける。

「俺たちに何かできることはあるか?!」

「お気持ち、感謝いたします。ですが皆さんはどうか、貴国の隊の安全を第一に、地下へご避難を」

「承知しました。手が必要であれば、いつでも」

 豺狼さいろうが短く応じると、狩莅はわずかに頷いて見せた。豺狼と猪牙は凪の隊員や術師たちを伴い、安全な地下へと向かう。


 その途中、ふと豺狼が背後を振り返った。清浄な空気に戻った白い大地の上に、二つの人影がまだ残っている。ホタルと青だ。


「あの二人か……」

 技能師という人種の協調性のなさには慣れている、とばかりに豺狼は苦笑をこぼす。凪の隊員たちの誘導を猪牙に任せ、豺狼は一人、二人のもとへ駆け寄った。


「何か、気になることが?」

「あ……、峡谷上士」


 不意に声をかけられ、青が少し驚いたように振り向く。ホタルは動じず、前方を見据えたまま呟いた。


「妖魔が残っていないかと思ってね」

 白く乾いた地表に溶け込みそうな、ホタルの白い頭巾の結び目が、微風にそよいでいる。


「龍脈から漏れ出した瘴気が、妖魔のような影を象っていくのを見たわ。あれを一体でも捕まえられないかしらと思ったのだけど……白狼王の御力で、すべて消え失せてしまったようね」

「『捕まえる』……?」


 豺狼の碧い目が、どういう意味だと問いかけるように青へと向く。


「式の――」

 青が説明しかけた、その時、地下の方から「おーい、何やってんだーー!」という猪牙の遠慮のない大声が響いてきた。


「!」

 三人は顔を見合わせると、いたずらが見つかった子どものように、慌てて踵を返した。



 凪の一行には、白狼の王族によって滞在用の館が用意されていた。


 それは、東方の木造建築とは趣を異にする館だった。巨大な地下岩盤を削って築かれ、壁は白く磨かれた岩肌がそのまま露出している。


 足を踏み入れると、思いがけない広がりと柔らかな光が迎える。中央の吹き抜けには天窓から陽光が降り注ぎ、空間を穏やかに照らしていた。


 広間の中央には円形の穴が開き、遥か下を流れる地下水のせせらぎが響く。木枠に絡む花とツタは、この地には珍しい瑞々しさを帯びている。


 白い石床には深紅と瑠璃の絨毯じゅうたんが敷かれ、壁を飾る獣の角や鉱石が素朴な美を添えていた。


 そんな自然の威容と人の知恵が共存した建築様式の広間にて、その夜、凪の一行は車座になって集っていた。


「それにしても、あのとんでもねぇ嵐は、一体何だったんだ」

 開口一番、猪牙の放った疑問は、その場にいる全員の疑問を代弁していた。


「おそらくですが」

 転送術師が、床に万邦まんぽう地図を広げながら言葉を継いだ。

「この『狼の背骨』の遥か下には、巨大な地脈が流れています。この規模になると『龍脈』とも呼ばれる代物です」


 地図を囲む一行の視線が、地図の中央を西から東へとなぞる術師の指先に集まる。


「脈読みをした際、地脈の中に激しい不協音を感じました」

「――と、言いますと?」

 青の問いかけに、転送術師は地図から顔を上げて一同を見回した。


「龍脈そのものは、管や河のようなものとお考え下さい。その器に適した量が流れている分には、害はない。ですが、何らかの要因で許容量を超えたものが流れ込んだ時、初めて危険や害となってあふれ出すのです」

「確かに……そうでなければ、凪にとっくに深刻な影響が出ていてもおかしくないですよね……つまりこの嵐は、西方にとっても異常事態だと」


 青の言葉に、転送術師が頷き返す。


「はい。常とは違う流量の何かが、西から流れ込んだと考えるべきでしょう」

「桁違いの何か、か……」


 豺狼が思案に沈む。


「地表へ溢れた黒い嵐や妖魔を見る限り、それは瘴気に近いものでしょう。五大国周辺においても妖魔の出没の原因の一つが、地脈から滲み出る瘴気が原因です。しかしこれだけの流量が一体どこから流れてきたのか……」


 ふと、青の視線は、部屋の壁際に設けられた段差に腰掛ける、白い頭巾の姿を捉えた。頭巾の影に隠れて表情はうかがえないが、ホタルの唇がわずかに開きかけ、何かを躊躇ためらうように、またつぐまれた。何か、思い当たることがあったのだろうか。


 止まりかけた空気の流れを再び動かしたのは、猪牙だった。


「ま、難しい謎解きは後で学者連中に任せるとして、まずは、これからどうするか、だ」


 その声に、思案に陥っていた一同が、はっと顔を上げた。


「やはり、当面は無理に事を進めるべきではないかと……」

 転送術師が、重々しく口を開く。


「嵐の余韻で、この地の地脈は酷く荒れている。これでは陣を敷いても安定しません」

「あれから揺れはきていませんが、またいつ再発するか未知ですしね」


 青の言葉に、転送術師が神妙に頷いた。


「そうだなぁ。王が倒れ、国も混乱することだろう。俺らが無理を言うべき時じゃねぇな」

 猪牙が低いため息を吐くと、皆が静かに頷いた。


 主を失いかけた国の動揺と、荒ぶる大地の脈動。

 この二つの重大な要因を前に、白狼ノ國への転送陣設置は一旦の無期限延期とする。

 一行を取り仕切る猪牙と豺狼により、そう判断が下された。


「明朝、機を見ていったんおいとまする旨を狩莅殿下にお伝えしましょう」


 豺狼の締めくくりに、一同は頷く。

 青も異論はない、が、どうしても気に掛かることがあった。


「あの……」

 話し合いが収束しかけたその空気の中、龍の手甲がおずおずと持ち上がる。


「どうしましたか、一師」

 豺狼が発言を促した。


獣鬼隊じゅうきたいが……気がかりで」

 ミツキが今、その身を置いている場所だ。


 青が知る獣鬼隊の拠点の一つは、断層の横穴を利用した隠れ家だった。それならば、あの凄まじい嵐をやり過ごせた可能性は高いであろうが、何せ子どもたちの集団である。黒鉄くろがね一人で守りきれるものだろうか。


「確かに、捨ておけないな……」

 獣鬼隊は、西方において公に属さない私的機関。凪之国にとって、西方との友好関係を築く上で重要な一手となりうる可能性を秘めている。


 事実、先の露流河での有事においては、白狼隊の支援部隊として人命救助に尽力し、ミツキは青の命も救った。蒼狼の要塞を陥落させた任務においても、彼らから得た協力は多大なものだった。


 どのような形であれ、この縁を無視することは得策ではない。


「猪牙隊長」

 豺狼の決断は速かった。隊の責任者である猪牙に向き直る。


「私とシユウ一師の残留許可を頂けませんでしょうか」

「分かった」

 猪牙の決断は速かった。


「ただし、期限は七日だ」

 そして判断も速かった。


「白狼での転送陣設置がいったん、おじゃんになっちまったからには、次を探さにゃならん。俺たちは先に戻って玄瑞げんずい様と策を練り始めておくぞ」


 期限付きで、青の提案は叶えられた。

 そこへ、すっと白い手甲が挙がる。


「私も、峡谷上士とシユウ一師の旅に、同行させてもらうわ」

「しかし――」


 危険だと、豺狼が言いかけた言葉を遮り、ホタルは悪戯っぽく微笑んだ。


「伊達に式術の龍じゃない。西方への旅の経験もある。戦力にはなるわよ。それに――私達は北を迂回した経路しか知らないから、ここいらには興味があるの」


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