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毒使い【最終章、始動】  作者: キタノユ
第一部 ―幼少期編―
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ep.8 任務(2)

 凪之国が初夏を迎える季節は、陽射しが徐々に強く、そして風は湿り気を帯び始める。

 柔らかな水色を湛える澄んだ空の下、

「今日は、おしごと体験授業です」

 小松先生の凛とした声が響く。


 ある日の授業。

 青たち二年三組の生徒たちは、校外学習に出ていた。


 法軍のおしごと――いわゆる「任務」とは何かという、社会科目の実習回だ。

 引率には、小松先生はじめ、数人の法軍人が就いている。


 座学と学校敷地内での反復練習に飽きていた子どもたちは、期待に胸を踊らせて、落ち着きをなくしてあちこちへ興味を散らしていた。


 青、トウジュ、つゆりの三人組も例外ではない。


 しかし、冒険を夢見ていた子どもたちの期待は、到着して半刻も経たないうちに霧散することとなる。


 到着したのは、長閑のどかな農村。

「任務」として指示されたのが、畑の害虫駆除だからである。


「どこがニンムなんだよー!」

「おばあちゃん家でやるお手伝いと一緒だよぉ……」


 説明を受けた子どもたちから、不満の声が飛ぶ。

 引率の士官たちは、苦笑しながら顔を見合わせた。


「はい、いいですか?」

 小松先生のぴしゃりとした声に、いったんは場が鎮まった。


「もともと法軍が何のためにできたのか、神話のおさらいです。わかる人?」

「はい、妖魔や妖獣から人を守るためです」

 挙手した生徒が、模範解答を口にする。


 古の神話によると――七人の賢人が人々を守護するために里を築き、法軍の前身である自警団を編成したと伝えられている。


「そうです。昔は今よりも妖魔や妖獣が身近で、畑仕事も命がけだったのです。畑を荒らしたり、畑で働く人を襲ったりするだけではなく、妖瘴の影響で土が病気になったり、害虫や害獣も凶悪化するのです」


 だから、畑と、畑で働く農民を護ることは立派な「任務」であるという訳だ。


「……そうだけどさぁ〜……」

「つまんな〜い」

 理屈は分かるが、やはり畑仕事のお手伝いでは、子ども心はくすぐられない。

 みな不満を隠せないまま、それぞれに割り当てられた畑へ散らばっていく。


「地味すぎだっつーの」

「よっぽど田舎じゃないと、畑に妖獣なんて出ないでしょ」


 青、トウジュ、つゆりの三人も、同じ畑を割り当てられていた。

 ぶつくさと文句をたれながらも、トウジュとつゆりは指先に発現させた小さい炎で、手際よく茎や葉についた害虫を駆除していく。


「僕は妖獣なんて、遭いたくないけどなぁ」

 二人の愚痴を笑って受け流しつつ、青も野菜の葉を一つずつめくって廻った。


「父ちゃんの任務で、畑仕事なんて聞いたことねぇよ」

 トウジュの自慢の父親は、上士だ。


 凶悪な妖獣や妖魔退治、他国への戦任務など、子どもらが冒険譚のように憧れる「ホンモノの任務」を数多く成功させているという。


「妖獣退治や戦任務、か……」

 青の脳裏には、藍鬼が浮かんでいた。初めて目にした、手負いの師の姿。

 あれほど強い人が、血を流し、力尽きて倒れるほどの任務とは、どれほどの難しくて危険なのか。今の青には想像できなかった。


「いま父ちゃん、戦任務に行ってるんだ」

「戦? どこで?」

 野菜の根元を探っていたつゆりが、上体を起こす。


「どこかは分かんないけど、きっと遠いところだよ。三月みつきいなかったこともあった」

「そんなに長く帰ってこれないの……」

「最近は、戦の任務ばっかりって言ってた」

 トウジュの声が、沈む。

 威勢が良くて自慢げだった語り口が、どんどん萎れていった。


「そう……」

 からかうのははばかられた。青も、つゆりも、声を落とす。


「……そういう時は、こう言うのよ」

 立ち上がり、つゆりは片手の拳を、立てたもう片手の平に押し当てる。


「ご武運を、って」

「それ、母ちゃんもよく言ってる」

「どういう意味?」


 三人は自然と畑の真ん中に寄り集まり、小さな輪を作る。遠くで小松先生がその様子に気付いていたが、注意は飛ばなかった。


「こう?」

「そうそう」

 青とトウジュが、つゆりにならい、胸の前で拳と手のひらを合わせる。


「こう?」

「どうか戦いに勝って、そして生きて帰ってこられますようにって、お祈りなの。トウジュのお父さまに、ご武運を」


 誰ともなく目を閉じる。

 三人の小さな祈りが、風に乗って畑を舞った。

 そして誰からともなく目を開ける。


「へへ」

 頬を赤くしたトウジュが、歯を見せた。


「父ちゃんつえーし。ぜってー大丈夫だ。ありがとな!」

 稲穂のように、トウジュの明るい色の髪が風に揺れる。


「よし、続きやろ!」

 つゆりの合図で、三人はそれぞれの作業へ戻った。


「ご武運を、か」

 青は野菜の葉をめくりながら、小さく呟く。


 藍鬼に言ってみたら、どんな顔をするだろう。

 弟子が師に対して、口にしても良い言葉なのだろうか。


 だけど、嬉しそうなトウジュの顔を見たら、きっと良い言葉に違いない。


「ちょっと遠いかな」

 藍鬼のことを考えているうちに、茂みの奥に害虫の姿を見つけた。

 両手を土につき、上半身を低く屈める。


「?」


 湿った土の感触。その奥で、何かが蠢いた。

 焦げ茶の腐葉土に押し付けた指先を見やる。

 湿り気を帯びた土に、指がわずかに沈み込んでいた。


「何、だろう……?」


 その姿勢のまま、青は目を閉じた。

 少しずつ、息を吐く。

 ゆっくりと、細く、長く――


 畑で動き回る子どもたちの声が、次第に遠のいていく。


 息を吐ききる。

 音が消えた。


 直後、手のひらに伝わる、蠢動。

 左から迫り、通り過ぎ、右へとはしる。


「つゆりちゃん!」

 青は叫ぶと同時に駆け出した。


「え?」

 七歩分ほど離れた場所で葉をめくっていたつゆりへ、青は横から体当たりする。

「きゃっ!」

 二人の体が横へ転がった瞬間――つゆりがしゃがみ込んでいた場所が激しく隆起し、太く長い鋸が、頭上高く突き出した。


「え……?!」


 突き出した鋸が、直角に折れ曲がって地に刺さる。それを力点に、周辺の土が半球状に膨張したかと思うと、爆ぜた。飛び散る土埃、粉々に砕かれた根菜、引き裂かれた葉菜。

 その向こうに現れたのは、紅い八つ目。

 その下にのぞく、二本の牙。

 巨大蜘蛛。


「きゃーー!!!」

「うわああっ!!」


 藁小屋のような巨体が、青とつゆりの眼前を塞いだ。


「つゆり! セイ!」

 地中から蜘蛛が体を持ち上げると同時に、横から威勢のいい声が響いた。


「炎神!!」

 赤い閃光が躍り出る。トウジュだ。

「壁!!」


 炎の壁が立ち昇った。蜘蛛と、腰を抜かした二人の子どもたちの間に、灼熱の障壁が生まれる。壁越しに、鋭い金切り音が響いた。あれは、蜘蛛の悲鳴なのか。


「伏せろ!」

 引率の士官が滑り込み、トウジュ、青、つゆりの三人を抱え上げた。


「やぁあ!!」

 一喝と共に、その上を飛び越える影。白刃が閃く。小松先生だ。

 長刀が、大蜘蛛の顔面へ突き立てられる。


『ギィイイイィシャァアアア!』

 悲鳴のような、金切音のような、神経に触る断末魔が轟き、泥のような緑色の体液が噴き出した。


「下がるぞ」

「承知!」

 子ども三人を抱えた引率の士官が飛びずさり、畑から離脱。それを見届け、小松先生も長刀を引き抜いて素早く後退した。


「大丈夫ですからね……!」

 悲鳴をあげたり、泣き出す子どもたちを、先生や引率者たちが優しくなだめる。


 畑にいた他の子どもたちはすでに、土手上へと避難させられていた。


「せ、せんせぇ、あれ、あれなにぃ……!?」

「妖虫です。虫たちが駆除されて、臭いをかぎつけたヌシですよ」

 引き攣った泣き声の子どもたちと対照的に、小松先生はあくまでも冷静で、穏やかだった。


「大丈夫、いま、中士や准士の皆さんが退治してくれますからね」

 先生は子どもの数を確認すると、合図を出す。

 それを受け、引率の士官たちが抜刀しながら畑へと飛び出していった。


 大蜘蛛は巨大な黒い鋸のような八本の足を無尽蔵に振り回し、振り下ろし、金切り声を上げながら、人間たちを威嚇する。


「如月さん、大月君、榊君、大丈夫?」

 小松先生が三人の元に駆け寄る。

「…………」

「大月君?」

 青が唖然と見つめる先、畑には、すでに息絶えた巨大蜘蛛の姿。

「あ、は、はい……!」

 先生に肩を支えられ、青やようやく立ち上がる。

 畑では、いつの間にか大蜘蛛討伐は終わっていて、士官たちが遺骸を検分しているところだ。

「どこか痛いところは?」

 小松先生の問いかけに、青は首をふるふると横に振った。

 むしろ、隣で座り込んだまま震えているつゆりが心配だ。


 トウジュが中腰で、つゆりの顔を覗き込んでいる。

 咄嗟に高度な術を使った直後とは思えない、普段通りの様子で。


「トウジュ、助けてくれてありがとう」

 青は、言わずにはいられなかった。


「ん?」

 顔を上げたトウジュが、一瞬きょとんとした後、


「へへ」

 と、いつもの調子で笑う。


「つゆりを助けたのはオマエだけどなー」

 そうは言うが、トウジュの炎術が大蜘蛛の足止めをしたからこそ、先生たちの助けが間に合ったのだ。


「如月さんを助けたのは、君たち二人ですよ」

 小松先生の細い腕が、青とトウジュの肩を抱く。

 軽く三度、ぽんぽんと、撫でる。

 そして、座り込んだつゆりをやさしく引き上げ、震える小さな背中を包み込むように抱きしめる。


「三人とも……本当に、無事で良かった……」


 珍しく、小松先生の声が揺れていた。


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