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毒使い【最終章、始動】  作者: キタノユ
第四部 ―幼龍編―
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ep. 49 山吹ひらく(1)

 弥生の月が終わろうとする頃、凪では凛と咲いた寒梅かんばいが香を残しながら散り、入れ替わるように薄紅梅うすこうばいがほころび始める。


 折しも若(うぐいす)のたどたどしいさえずりがあちこちから響き始める様子から、

凛梅りんばいの 香ほの残し うぐいすく」

 という句が有名である。


 紅梅の開花と足並みを揃えるように、青の育成計画もまた、着実な成果を示していた。


 三月みつきの間に、青の課題と指導を受けた若者たちの中から、


 狼から虎へ昇格した者が二名、

 虎から獅子へ昇格した者が一名、

 法軍の目録に名を記された者が五名――鹿花も含まれている


 と、短期間のうちに一定の成果を挙げた者たちが名を連ねる。


 また、新規の毒術師志願者の数も回復傾向にあった。

 かつての水準の半分にまで落ち込んでいたところが、七分半にまで持ち直したのだ。


 長が師道選択の面談で理由を問うたところ、誰もが異口同音に「蟲之区で目にした毒術師たちの活気が、実に楽しそうであった」と語ったという。


 青は、そうした成果と「生徒」たちの成長の記録をまとめ、長をはじめ技能師道の上層部へ報告。高位の技能師、上士・特士はじめとした高位者たちにも共有した。


 そんな折、青のもとに長からの式鳥が舞い降りる。


「一師」

 急ぎ、青が七重塔の玄関広間へ足を踏み入れた瞬間、呼び止められた。


 振り向けば、背嚢はいのうを背負った豺狼が手を振っている。

 外套がいとうの汚れから察するに、任務を終えたばかりと見られ、報告書の提出を終えた帰りのようだ。


「峡谷上士。任務帰りですか、お疲れ様で――」

「一師、ちょっとこちらに」


 労いの言葉を言い終える前に、腕を引かれる。

 長室へ向かう昇降機に続く廊下とは、逆の方向だ。


「いや、僕これから長室へ」

「すぐ終わる」

 声色はいつもと変わらないが、手に込められた力が拒絶を許さない。


 たどり着いたのは、地上階の一角に設けられたいくつかの小部屋の一つだった。事前予約制の多目的室で、青も任務前の作戦会議で使用した事がある。

 誰もいない空間へ押し込まれ、引き戸が閉じられた。


「え、ちょっと」

 振り返ると目の前に豺狼の手が迫り、覆面を指で引っ掛けて下げられた。続いて、目深に装着した額当てを持ち上げられる。


「あーあ。ひどいな、クマ」

 呆れとも、叱責ともつかない声だった。

 青の素顔を目にした、豺狼の端正な目許が歪む。

 苦笑というよりは窘める視線が青を見据えた。


「ちゃんと食べて寝てるか?」

「え」

「やつれた。顔色も悪い」

「そ、そうかな……」

とおくらい老けた」

「えぇぇっ」


 青は両手で自らの顔を撫で回してみる。

 頬の肉が削げて、指先に頬骨がじかに当たる感触がした。

 指の腹でなでる肌は瑞々しさを感じられず、まるで枯葉を撫でているようだ。


 原因は分かりきっている。

 この三月みつき、食事の時間を削り、睡眠を削り、それでも足りないほど働き続けたのだ。


 結果、既に二回も倒れて寝込んだ。


「『医療士の不養生ふようじょう』は笑えないぞ」

 端正な顔が、呆れと怒りの混成した表情を形作っている。


「ご……ごめん」

 笑って誤魔化せる空気ではなかった。

 気圧されて、青の語尾が尻窄しりすぼみにかすれた。


 季節が春に転じようとしている今、いつまた西方への長期任務が再開されてもおかしくない。


 来る日に備え、豺狼は常に心身が万全に整えられている。体が鈍りやすい冬季においても任務と訓練を隙なく積み重ね、勘を研ぎ澄まし、肉体も鍛え上げていた。


 一方の青――外套で覆われた中には、疲労が染みついたからだが隠れている。


「……前から思っていたんだけど」

 少しの気まずい静寂の後、豺狼の戒めるような視線が青の顔面を真正面から見据えた。


 怒られる、と身構えていると、


「どっちか、外さない?」

「へ??」


 豺狼の指が「どっちか」で己の目元と、口元を指し示している。

 つまり目元を隠す額当てか、もしくは口元を隠す覆面、いずれかを外さないかと提案しているようだ。


「最近の流行りなのかな。若い技能師連中って、半面をつけてる子が多いよね」

「流行り……確かに」


 流行には疎い青だが、思い返せば鹿花も出流も、目元だけを隠す獣の面を装着していた。


「それが何か――」

「任務って団体競技みたいなもので」

「う、うん」


 豺狼が何を言わんとしているのか。

 青は疑問符を浮かべながら、聞き漏らさないよう耳を傾けた。


「隊員たちの状態の把握も、俺たち上士や特士の大事な役割なんだ。精彩せいさいを欠いた動きをされたら、惨事につながる場合だってあるからね」

「……!」

 青は目を瞬かせた。


「元医療士の君には余計な説法になってしまうけど。顔は分かりやすいよ。肌、瞳の濁り、唇の色、浮腫むくみ……手がかりだらけだ」

 豺狼の言葉を聞きながら、青は無意識に自分の顔へ指を這わせる。


「でも、君みたいに、無理をするくせに隠そうとする人に、そうやって顔も体も隠されると……困る。顔の一部だけでも見えてると、安心できるんだけどな」

「あ……」


 青の脳裏に浮かんだのは、朱鷺の姿。


 素顔を一切うかがわせない仮面、体をすっかり隠してしまう外套――その下に隠されていたのは、毒に蝕まれたもろい躰。


 もっと早くにハクロのもとで療養に専念させていれば、今も生き長らえられたのだろうか。


 悪夢のように繰り返し思い起こされる後悔が、胸にうずく。


「――ごめん。気を付ける」

 深く長い息を吐ききって、青は唇を引き締めた。

 額当てと覆面を元に戻して再び顔を覆う。


「検討してみるよ。確かに、その方が良いのかもしれない」

「本当にそう思ってる?」

 豺狼は疑わしげに首を傾げ、両腕を胸の前で組んだ。


「ちゃんと考える。ただ、急に見た目が変わるのはちょっと、気恥ずかしいっていうか、でもとにかくちゃんと検討するから。いつもの、技能師の同期にも相談する」

「ああ、武具工と幻術の」

「うん、庵練師いおりれんしは装備品の発明が得意で、かなめ練師は特にオシャレにうるさ――じゃなくて、服飾に詳しいんだ」


「っははは」

 腕組みを解き、豺狼は笑いながら後ろ手で部屋の引き戸を開けた。


「まずは、体調を整えろよ。今のままじゃ、顔色と人相が悪すぎて騒ぎになる」

「確かに」


 一通り笑って、幼馴染の二人は並んで部屋を後にした。

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