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毒使い【最終章、始動】  作者: キタノユ
第四部 ―幼龍編―
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ep. 46 黒い眼(10)

 西側の樵場きこりばへと戻って行った蓮華と鹿花を見送り、青は一旦、村を見晴らせる高台へ引き返した。


「一師?」

 疑問符を浮かべる紅鶴を前に、青は崖淵から眼下の事象のつぶさを眺める。


「技能師には、技能師の立ち位置がある」


 鳥の視点でまず周囲の環境を俯瞰し、次に黒い靄の動き、広がり、その影響を測り、大蜥蜴の動き、特性を見極め、そして陽乃の状態――顔色、表情、些細な仕草など、そこに在るあらゆる「情報」を仕入れるのだ。


 よく見て、聞き、考え、まず状況を把握する。

 最前線から距離をとった自分にできる事は何かを考える。

 任務同行において、朱鷺から最初に教わった事だ。


「師の受け売りではあるのだけど」


 語尾を苦笑で転がしながら、青は視線を眼下から離さずに崖淵を移動する。

「技能師の立ち位置……」

 以後、紅鶴は口を噤み、青の斜め後ろから倣った。


「水神……大渦水!」

 眼下で、何者かが水術を放つ。

 術の難度からみるに上士の誰かであろう。

 うねり立つ渦が押し寄せる黒蜥蜴の群れを押し流し、そのまま陽乃を囲んだ。


 黒い靄が激流に引き込まれかけたと見えたが直後、白黒の閃光を発しながら膨張し海嘯さながらに水術を押し返して飲み込んでしまう。


「――なるほど。術は打ち消され、近づけば靄に捲かれて気や体力を削がれてしまう、と」

「……」

 紅鶴の独言を聞きながら、青は陽乃の動きを注視し続ける。


 己を守るように巻き上がる黒い靄に抱かれて、陽乃は胸元で握っていた両手を僅かに開いた。


 青の位置からは確認できないが、手のひらの中にある「何か」へ、陽乃は頬擦りする。愛おしげに、まるで赤子へ唇をそっと寄せるように。


 呼応して黒靄が大きく激しく脈動し、腹底から吐瀉するかのごとく黒い塊を立て続けに産み落とした。

 ふやけた腐卵のように歪な黒い楕円は地に落ちるや否や、手足が生え首が伸び、分厚く広い口吻を持つ顔と体長の半分を占める太い尾を形成し、大蜥蜴へと変態しようとしている。


「……もしかして……」

「一師?」

「可能性は、あるか……紅鶴佳師」

「は」

 青の呼びかけに紅鶴は背を正した。


「手段は問わない。蜥蜴『のみ』を一掃できるか」


 ほんの僅かな無音の後、

「無論」

 紅鶴は短く応えた。



「ちっ……キリがない」

 水術を放った結果を見届けた是枝上士は、何度と術で薙ぎ払おうと増殖し続ける蜥蜴の群れに、辟易したため息を吐いた。


 救援隊らと苦慮しながら何とか難民を村の北側へ避難させ、ようやくまともに戦える状況を整えられたものの、月岡上士は気を吸い取られて戦線離脱、救援隊員らは新米中士を中心に編成されており怪我人も出ていて、まともに戦えるのは上士である自分だけ。


 急ぎ周辺地域へ式を飛ばしたものの、都合良く助勢が駆けつけてくるなどとは思えない。


「榊の奴……とんでもない疫病神を拾ってきてくれたもんだ」

 根はいいやつだが手のかかる後輩を思いやり、是枝は苦笑を噛み潰して辺りへ素早く視線を巡らせた。


 荒廃田の畦道や廃屋の瓦礫の上に、難民の無惨な遺体が転がっている。

 いずれも鬱屈する負の感情に取り憑かれ、救援隊の避難指示を無視して陽乃へ罵声を投げつけていた野次馬たちだ。


――わたくしの……せい……ぜんぶ……いつも

――なぜ……知らない……わたくしは………


 悪夢に魘されているような呻き声が聞こえてきた。

 陽乃の泥だらけの素足が緩慢に、半歩ずつ前進している。退避させた炬の難民たちを狙っているのか、村の北側に向かっていた。

 陽乃にまといつく黒靄はとめどなく蜥蜴の卵を産み落とし続け、それらは徐々に、続々と、蜥蜴へと形作られていく。


「是枝上士、加勢します」

 背後から若い声が近づく。

 新米薬術師の少年――出流だ。


「いいから、退がって怪我人を診てやれ」

「しかし」

「お前は薬術師だろ」

 後ろ手で押しやるが、出流は「ですが」と退かない。


 技能師にしては腕が立つ事は戦いぶりから気づいていたが、新米技能師を前線に立たせるのは上士たる者の主義に反する。


「俺が一気に片付ける」

 是枝は胸元の刃物差しから苦無を掴み上げた。

 左腕の袖を捲り上げ素肌に刃物を当てる。

 血触媒を用いて、持てる力と気の限りを尽くす。

 それでも敵わなければ、待っているのは死だ。


 刃を引こうとしたそこへ――


「我らにお任せを」

 新たな声と共に新たな手が、是枝の手首を掴んで止めた。

 手甲には、真新しい狼の銀板。


「何――……っ」

 前に立ち塞がったのは、只者ならぬ気配と殺気をもはや隠す気のない、男の背中。

 とても「新米は退がってろ」と口に出すのも憚れる。

 どう見積もっても「中身」は特士級だ。


「我『ら』?」

 是枝の疑問が解けるより前に、


「風神」

 迫り来る大蜥蜴の群れへと駆け出した男――紅鶴が唱えを発する。

天扇てんせん

 右腕を前方に振り払う。

 風が衝撃波となって蜥蜴の群れを一斉に押し戻した。


「竜の巣」

 続けて激しく巻き上げる竜巻が黒蜥蜴を引き裂き粉砕、一掃する。


「あれじゃまた再生す……なっ!?」

 是枝と出流の視界に、山裾――陽乃の背面側から天に昇る水の龍の姿が見えた。


「あれは水龍、か」

 彼らの知る「水術・水龍」と異なる事は、ただちに判明する。


 陽光を受けて煌めく透明な龍が、瞬く間に毒々しく濁った濃緑色に変化しながら急降下した。

 毒の龍はひび割れた荒田を舐めるように滑り、渦を描いて陽乃を取り囲む。

 痩せた体を纏う黒靄を足元から巻き込んで飲み込むようにせり上がった。


「きゃぁああ!」

 渦の中心からか細い悲鳴が上がる。


「打ち消されるぞ……!」

 是枝の危惧は即時に否定される。

 黒靄をおおい吸収していく毒の龍身に白黒の閃光が走り、墨壺すみつぼを割るが如く黒龍に転じた――直後、凝固ぎょうこ

 黒靄のことごとくが、凍りついた。


「一体どういう……」

「……何だこれ」

 是枝は口を開けて佇み、出流は素の口癖をこぼして目の前の事象を見上げる。


 凝固した黒い靄だった物質は、八方へ放射状に広がり緩やかな螺旋を描いて天を上向いていて、まるで開きかけた巨大な黒睡蓮のようだ。


「あ……ぁ……」

 その中央で、陽乃が震えて身を縮めていた。

 彼女を守る黒い靄は枯れ、呪具を握る手の中からも、溢れ出る様子は見られない。

 蜥蜴が生み出される現象も止まった。


「読みが当たりましたな、一師」

 山裾側へ向けて、紅鶴が声を掛ける。


「だと良いが」

 固まった黒睡蓮へ手を添え感触を確認しながら、紅鶴に呼ばれた青は是枝達の前に姿を現した。


「龍……」

 青の手甲に鎮座する神獣に、是枝の目が留まる。


「蜥蜴をはらむ前に生じる隙を狙ってみた」

 面食らった様子の是枝に会釈を手向けてから、青は陽乃へ手を差し伸べた。


「陽乃さん、手の中にあるものを、こちらに渡して下さい」

「え……」


 黒い手甲に包まれた青の手から逃れるように、陽乃は身を固くして上背を引いた。胸の前で重ねた両手を、更に固く握り合う。


「渡してください」

「……いや……また、わたくしから子どもたちを奪おうというのですか……!?」

 愛おしいものを護るように、陽乃は青たちから手元を隠して半身を捩った。


「また?」

 疑問符を浮かべる青へ、


「おそらく薬入れだと思うが、中から幼子の指らしき物が……」

 是枝が声を忍ばせた。


「指……」

 青は眉を顰めた。


 子どもの体の一部を用いた毒物や呪物の生成手法は、確かに存在する。

 五大国間の技能師道においては禁忌とされていて、それが記された禁書は龍以上の最高位者のみに閲覧が制限されていた。


 五大国の協定法上においても禁じられているが、各地辺境や隔絶地域において、生贄の風習および、それに代わる人間の肉体の欠片を供物とする呪法等は未だに現存が確認されている。

 法軍人であれば一度は、任務においてそうした禁呪の取り締まりを経験するものだ。


「なるほど……だからか……」

 青は独り言を噛み潰し、改めて陽乃へ向き直る。


「陽乃さん。それを渡してください」

 いやいやと首を振り頑なに拒む陽乃へ、

「さもなくば、貴方を討たねばならなくなる」

 最終通告を突きつけた。


 陽乃は肉が削げて落ち窪んだ瞳を剥いて、振り向いた。

 濁った色の瞳孔が、化け物に怯えるように揺れている。


「渡すんだ」

 一段言葉を強めて、青は尚も手を差し伸ばした。


 ただの脅しのつもりではない。

 そもそもが、紅鶴の力を借りて呪具ごと陽乃を始末するつもりで突破口を探るために、高台へ上がったのだ。


 黒靄の隙を見出せたのは偶然で、トウジュが救った命への、最後の情けのつもりで賭けに出た。


「いや……いやです……緋炎ひえん……灯里あかり……おかあさまを助けて!」


 叫び声に応えるように、凍結した黒睡蓮に稲光が走った。


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