ep.7 負傷(1)
一年後。
母と別れ、凪之国の民となり、霽月院に入り、学校へ入学し――。
様々な出来事が巡ったあの夜から、二度目の春が訪れていた。
「大月君、ちょっと」
「はい、小松先生」
一時間目の授業が始まる前の、短い休み時間。
二学年目も担任となった小松先生に呼ばれ、青は教職員室へ向かった。
「おめでとうございます!」
そこで渡されたのは、二枚の証書だった。
金の箔押しで縁取られた厚紙の証書、その中央にしたためられた文字はそれぞれ、
合格証書 三級 薬術
合格証書 三級 毒術
とある。
側を通り過ぎる他の教員も、ちらりと証書を覗き込んで「すごいじゃないか」と祝辞を残して去っていく。
「すごいです、すごいです、大月君! 頑張りましたね……!」
小松先生は小さく両手を打ち合わせ、珍しくはしゃいだ様子を見せた。
「やった……! ありがとうございます、先生」
実のところ、三級の試験内容はほぼ資料室で読んだ本の通りで、応用問題も藍鬼の作業を盗み見た知識で事足りた。
合格する自信はあったが、こうして証書を手にすると、紙の厚みと箔押しの凹凸が、手触り良く感じる。
「先生のおかげです」
実際、小松先生の薦めと導きがあってこそ、青は試験に挑むことができた。
技能職の制度、試験の手順、試験勉強のコツ。
小松先生はそれらを丁寧に教えてくれた上、手続きも取り計らってくれた。
「三級を取ると、医療院や薬剤店で薬を扱うお手伝いができるようになります。でも、学校を卒業するまで、副業は禁止ですからね?」
小松先生は、大真面目に念を押す。
「しませんってば」
同じ念押しをされるのも、これで三度目だ。
どうやら、過去に手を焼いた前例があるらしい。
「それより、二級も受けたいので、勉強をがんばります!」
青の答えは、小松先生を安心させたようだった。
「小松先生、今の子、二年生ですよね?」
教職員室を去る青を見送りながら、隣にいた教師が小松先生に声をかけた。
「はい。大月青君です」
「三級合格の最年少記録って、何歳でしたっけ」
「え?」
言われて、小松先生は手元の資料冊子をめくる。
生徒の資格試験受験に関する記録をまとめられたものだ。
「十歳前後が多いですが……あ」
細い指が、ある頁で止まる。
「五歳がいました。もう二十年以上前ですね」
*
青が教室に戻ると、トウジュとつゆりが出迎えた。
二学年目も晴れて、三人は同じ組となっていた。
「合格? すっげーじゃん!」
「おめでとう!」
証書を目ざとく見つけたトウジュは、両手を高く掲げ、つゆりは小松先生と同じようにぱちぱちと拍手する。
小さな騒ぎに、教室内のあちこちから好奇心まじりの視線が集まった。
「風邪ひいたら、セイに薬作ってもーらお」
「あ、それ助かるー。苦いの嫌だから、甘ーいのにしてね」
「まだそこまでできないよ」
一年の間に、自然と三人で過ごす時間が増えていた。
今では確信を持って、二人を「ともだち」と呼べる。
トウジュはますます神通術の才能を伸ばし、いまや火・水・風・雷・地の五種すべてを操れるまでに成長していた。
加えて、抜群の運動神経を発揮し、術のみならず体術でも頭角を現しつつある。
つゆりは風術に特化し、学年で「一番の風使い」との呼び声も高い。
正義感が強く、おせっかい焼きなのも相変わらずだ。
一方の青は、水と地の術との相性を自覚してからは成功率が上がり、つゆりの指導を受けることで、最近では風も発現するようになった。
二人に比べると神通術の才は劣るが、それを補うように学問を磨いた。
「でもさ、オレらの学年でそんなん取ってる奴いねぇし、やっぱすげーよ」
入学初日に小松先生を小馬鹿にして場を騒がせたトウジュだが、あれからすっかり態度を改めていた。本来は、他人の名誉を率直に喜べる素直な性格なのだ。
「トウジュだって、飛び級するんじゃないかって、噂を聞いたよ」
凪之国の初等科は、国民の教養育成の場であると同時に、法軍にとって優秀な人材を発掘する場でもある。
特に神通術や体術の成長には個人差が大きく、飛び級は珍しくない。
「そうなったらさ、別々になっちゃうし、つまんねーよ」
「えー、さみしいの? トウジュ」
「いなくなったら僕もさみしいよ」
つゆりがトウジュをからかい、青がなだめる――。
これが、この一年で確立した三人の関係性だった。
「飛び級といえば知ってる? すごいセンパイがいるって話」
そして、つゆりは情報通だ。
「~といえば」は、彼女の決まり文句である。
「去年、七歳の時に初等科を卒業して下士に合格したんだって」
「七歳?! 僕たちと一つしか違わない時に? すごいね」
「聞いたことあるぞ。『学校はじまって以来の天才』ってやつ」
下士に合格。
すなわち、正式に軍属となったということだ。
そこから年齢は関係なくなり、階級と実績のみが評価される世界となる。
「その人、誰? つゆりちゃん、名前知ってる?」
「き、きょ……? うーんと、下の名前だけ覚えてる。なんとかサイロウって名前」
「サイロウ?」
どういう字を書くのだろうと考えているうちに、一時間目の予鈴が鳴った。
生徒たちは慌てて席につく。
小松先生は時間に厳しいのだ。
「サイロウ、か……」
教科書や資料を並べながら、青は首を傾げる。
そんな見知らぬ天才の名が、妙に心地よく耳と心に響いた。
*
森の作業小屋で藍鬼に遭う確率は、五回に一回ほどだ。
薬術と毒術の三級合格の報せを携え、いつものように転送陣を経て森にやってきた青だが、小屋は無人だった。
「師匠、任務かなぁ……」
いて欲しかったな、と肩を落としながら室内へ上がる。
最近は長期任務が多いのか、遭遇率が低い。
一刻ほど、棚の本を読んで時間を潰してみたものの、今日はもう諦めるしかないようだ。
余談だが、棚にある本は触ってもいい、と許可されている。
こっそり他のものに触れると、なぜか後でバレるのだが。
藍鬼に会えなくとも、森を通り抜けて小屋を訪れること自体が、青にとって学びの時間だった。
小屋には、霽月院の資料室にはない専門的な書物があるし、森では薬草や虫の種類を観察できる。
投擲や術の練習場所にも、事欠かない。
小屋を後にし、陣守の村へ戻る道すがら、青は足元の草を探りながら歩く。
薬になりそうな植物を目で追い、種類を確かめながら進んでいく。
「ヨモギ、こっちはドクダミ、ミシマサイコ」
三級の試験は、ほぼ暗記が中心だった。薬草の名称と効能を覚えていれば、合格できる内容だったが、二級はさらに飲み合わせ・食べ合わせ・調合の知識が求められる。
群生するドクダミに手を伸ばし、一掴みを摘む。
いたずらに調合に手をだすなとは言われているが、家庭薬として使われるヨモギやドクダミ程度なら問題ない。
実際、いくつかの安全な処方箋は、藍鬼から伝授されていた。
「まあ、ほとんどお茶とかなんだけど……」
洗って、乾燥させて、天日干しし、刻んで、すり潰し、煎じて飲む。
要するに、健康茶の範囲を超えないものばかりだ。
その中で、数少ない塗り薬の処方がある。
同じ薬草でも、乾燥させるか生のまますり潰すかで、効能も摂取法も変わる。
その事を理解させるために、藍鬼が青へ伝授してくれたのだ。
暗くなる前に霽月院へ戻り、調合を試そうと、青は目ぼしい植物を一掴みずつ採集しながら歩く。
「……?」
ドクダミの匂いに混じって、何か異質な臭いが青の鼻孔を掠めた。
群生するドクダミの茂みから立ち上がり、青は臭いが流れてきた方へ顔をやる。
風の流れを読む。
臭いは、小屋の方角から漂ってきていた。
「血……?」
手負いの獣なら、ここまで強く臭いを残すことはない。
となると、人間?
誰か、迷子か遭難者が、ケガでもして困っているのかもしれない。
以前の自分のように。




