ep.6 術のかたち(3)
二刻ほどを費やし、大蛇を素材に変える作業を終えた。
素材を詰め込んだ袋を背にかかえ、二人は小屋への帰路へ引き返す。
「神通術の件だが」
苔むした岩を踏み越えながら、前を歩く背中がぽつりと話し出した。
「俺とて、お前くらいの年の頃は、大して使いこなせはしなかった」
「そうなの?」
「俺の戦い方を見て分かっただろう。実戦では悠長に構えて、考えて……などやっている暇はない」
学校の授業で教わった、術を発動させるまでの手順。
玄人は、それを瞬時に組み立て、状況を判断し、動き、走り、戦いながら発動させる。
「多少の相性や体質、素質も関係しているだろうが、結局のところ、すべては練習と訓練の積み重ねでしかない。たかが半月、一月足らずで、何かが変わると思うな」
「あ……」
青の脳裏に、小松先生の言葉が浮かぶ。
自分に合ったものを、これから何年もかけて探していく。
今は特士の人も、一年生から何でもできた訳ではない。
「それに」
岩の小さな段差を飛び降りると、往路で通った草の剥げた砂利と岩の一帯に戻る。
「この辺でいいか」
と先行する藍鬼が呟き、追いついた青を振り返った。
「何でも良い。術を使ってみろ」
「へ?」
「水と地は使えたんだろう? なら、授業と同じようにやってみればいい」
「は、はい……!」
唐突に学校の授業のようになった。
驚きはしたが、青は反射的に、小松先生にそうするように返事をする。
「地神……」
藍鬼の前で披露する緊張感を覚えながら、手のひらを上に向けて掲げる。
唱えとともに、土と接触する足裏から、熱が体を昇ってくる感覚が走る。
「玉」
ボコッと泡が弾けるような音がして、青の足元の土が大人の拳大に盛り上がり、弾けた。
「……」
「……」
「モグラか?」
「僕の術デス……」
青はがっくりと肩を落とす。
授業とまったく同じ失敗が再現されただけだ。
トウジュに爆笑され、小松先生とつゆりに「元気だして」と慰められた、ある日の授業と同じ。
「水は?」
「同じだよ……」
再び青は両手を顔の前に掲げ、そして唱える。
水神、の後に、玉。
またポコッと泡が弾けるような音がした。
藍鬼が音の方を向くと、二人から離れた木の根元から、わずかに水が噴出している。
玩具の水鉄砲一発程度の水量と勢いで、すぐに止まってしまう。
「……」
「……」
「なるほど」
「学校の後も練習してるんだ。でも……」
きっと師匠は、呆れたに違いない。
青は両手を力なく降ろし、また下を向く。
「みんなはできるようになっていくのに…」
「……そうだな」
何やら考え込む藍鬼へ、青は目を合わせられなかった。
「青、俺の真似をしてみろ」
藍鬼は背の荷物を下ろし、おもむろにその場へ膝をついた。
草の剥げた土の地面に、片手のひらを当てている。
「う、うん……!」
慌てて、青も倣う。
「目を閉じろ」
何の術だろう、と疑問に思いながら、青は言われた通りに片手を地面に押し当てて、そっと瞼を閉じた。
「……」
「……?」
藍鬼は無言のまま。
戸惑う青に「し……」と沈黙が命じられる。
「息をゆっくり吐く。そのまま。もっと吐け」
「……ふー……」
藍鬼の低い声に導かれながら、青は少しずつ、ゆっくりと、息を吐いていく。
吐ききった頃に、
「何が聞こえる?」
聴力に意識を集中させる。
己の心音、そこへ徐々に脈が重なっていく。
脈は体の中心から腕を通り、地面に接した手のひらへ集まり、それぞれの指先へと伝わっていく。
「もっと深く」
指先から地中へと脈が伝わり、潜り、新たな脈と重なり流れ行く。
「水神」
「水神」
「澪」
「ミオ」
言霊を口にした瞬間――瞼の裏に白く光る幾筋もの線が走った。
細い線はやがて太い線に出逢い、交わり、流れ、一本の幹を上り、集う。
「地神」
「地神」
「蠢動」
「シュンドウ」
幹に集った光が、まるで沸騰するかのように波打ち、幹を下り逆流する。
「うわっ」
突然、青の顔面に水がかかった。
たまらず尻もちをつき、目を開ける。
見ると――
手をついていた地面から、勢いよく水が噴き出していた。
「え? え?」
青が慌てふためいているうちに、噴出する水は少しずつ勢いを失くし、止まった。
唖然とする青の前に、立ち上がった藍鬼が歩み寄る。
「水がどこから来たか、わかるか?」
「え?」
濡れた前髪から滴る水を拭い、青は立ち上がる。
師の問いの意味が分からず、首を傾げた。
「視えただろう。水脈が」
「スイミャク?」
「水の流れだ。どこから来た?」
「たぶん……あっち、から」
瞼の裏で見た光の線が走った方を、指で示す。
その先には、一本の樹。
幹が鱗のようにでこぼこした、樹齢の古い針葉樹だ。
幹に、大きなウロが開いている。
「こっちだ」
「?」
手招きされるまま、ウロを覗いてみる。
そこに、水が溜まっていた。
「お前は、水の術を使って水脈を当て、ここに溜まった水を、地の術を使って引き寄せた」
「え、い、今のが……術??」
「ド派手な花火を出すだけが術じゃない。お前は今、二つの術を組み合わせて使った。一つ一つは大した力ではないかもしれないが……もたらす結果は大きい」
「え……」
「それが、お前にとっての、術のかたちなのかもしれない」
「僕の……術のかたち……」
烏の濡れ羽のような青の瞳が、微かに顫動する。
「水術で出現する水は術の消失とともに消えてしまう。だが水脈を探り、当てる……これが任務においてどれほど助けになるか、分かるか」
「助けに、なる……?」
「水は命だ。渇きを潤し命を繋ぎとめる。傷や毒を浄い熱を取る。飯、薬といった体に入れるものの素となる。森、砂漠、山、戦場――あらゆる場所で水は命綱だ」
驚くばかりの子を前に、黒い仮面は珍しく雄弁だった。
ただ、その逆もまた然り。
水を読む――これが容易に命を奪う手段にもなりうることを、師は、最期まで弟子に伝える事は無かった。




