ep. 40 一時帰還(1)
「面会不可……?」
青は医院の玄関で唖然とした。
朱鷺の見舞いに訪れたところ、面会拒絶を言い渡されたのだ。
「申し訳ありません。シユウ殿には事前にご連絡は頂いておりましたが……今朝から朱鷺様のご容態に変化があり……お話しできるご体調ではないとの医師の判断です」
白衣の医院受付は、申し訳なさそうに深々と頭を下げる。
「一目だけでも、難しいでしょうか……」
半歩踏み出して、青は交渉を続ける。
「次に任務に赴く時は、数週間か……数ヶ月か……帰還の目処が立たないのです」
「申し訳ありません。私の一存では……」
「……」
心から絞り出されるような受付係の詫びに、青は引き下がるしかなかった。
本職が医療士であるからこそ、医院側の事情や気持ちも理解できる。
「……分かりました、無理を言ってこちらこそ申し訳ありません」
青は頭を下げて一歩を引いた。
ハクロの判断であれば信じるしか無い。
「これを、お渡し頂けますか。ご体調が良い時の暇つぶしにでも」
背負っていた荷物から取り出した冊子類を、受付に差し出す。
北経路開拓の旅で見た、生物、植物、妖についてや、珍しい伝承や物語など。任務の機密情報に抵触しない範囲の「旅の記録」を纏めたもの。
朱鷺との面会で、話して聞かせたいと思っていたものだった。
「承りました」
両手で冊子を受け取り、受付は恭しくまた一礼をした。
西方の北回り経路開拓の一隊は、旅に出たら出っぱなしという事はなく、折を見て定期的に翡翠の陣守村や凪へ帰還している。
適宜、道程の報告を行い情報を共有すると共に、諜報部を交えて、次の旅程の行動方針を立てるため。
今回の西方進出においては、一隊の行動次第で国交問題の深刻化へと繋がりかねないという、繊細な状況であるからだ。
故に西方開拓が牛歩の如き――となるのは、致し方ない事なのだ。
青が凪へ一時帰還する際に必ず行う事が五つある。
一つは、藍鬼の小屋の掃除と空気の入れ替え。
一つは、次の任務に備えての薬品類や道具の準備。
一つは、三葉医院への顔出し。
一つは、友人たちへの声かけ。
そして一つは、朱鷺の見舞い。
「面会謝絶は初めてだ……」
医院を出て次の目的地へ向かう道すがら、青は前方に伸びる自分の影を見下ろして、呟く。
見舞いに行く度に、朱鷺の体力低下を目の当たりにしてきた。
朱鷺本人の口から容態について聞くことはなく、ハクロも青に語ろうとはしない。
長期の任務に赴くたびに、戻るまで生きていてくれるだろうかと、後ろ髪を引かれていた。
けれどここ最近は、そんな踏ん切りがつかなかった気持ちが、薄れつつある事を自覚している。
毒術師としての研究や学び、西方進出にあたって頭に叩き込まなければならない情報、新たな知識や情報の収集、習得、編纂――考えるべき事が膨大で、眼前の出来事に夢中になり、凪に残してきたはずの心が消えかけてしまっている。
そんな恐怖が、瞬間的に湧き上がった。
「僕は……なんて薄情なんだろう……」
立ち止まり、止まりかけた呼吸を、いま一度深く吐き出す。
私を気にしている暇はない
そう朱鷺がハクロへ語っていた事を知るよしもない青は、しばらく医院の白い影を遠くから見つめて立ち止まっていた。
*
同時刻。
同じく凪に一時帰還したキョウは、長室にいた。
隣には猪牙上士、諜報部の東雲天陽はじめ諜報部の人間が数名。
いずれも西方進出の長命を受けた面々だ。
「生け贄の慣習に、獣に鬼と書いて、獣鬼隊……か」
資料を捲る長の白い袖が揺れる。
キョウから白兎周辺での見聞報告を一通り受けたところ。
白兎周辺の北方地域の歴史、そして現在も残る生け贄の慣習。
妖討伐を自主的に行っている、獣鬼隊の存在。
安久地の村での騒動の後、キョウたちは青の怪我の回復を待つ間、獣鬼隊の臨時要員として、周辺地域における生け贄対象の妖魔討伐に加わった。
その中には、白兎の宿場町で出会った菫の姉が生け贄に差し出されるはずだった、牡丹ノ國の邪神獣も含まれていた。
もちろん、それらの手柄はすべて「獣鬼隊」が成した手柄として触れ回っておいた。
「獣鬼隊の活動をきっかけに、白兎周辺の国々にも自発的な自衛意識が根付く事が、いずれ我々、東の……凪との友好関係に繋がるのではと、考えています」
キョウの締め括りに、長は「うむ」と頷いて書類を執務机へ置いた。
「確かに。今のままの白兎および周辺国では、傀儡から抜け出せないであろうからね」
「白兎担当の女頭領によれば、この組織は私的機関であり、いずれの国および公的機関に属するものではないとの事。よって、私から、凪の法軍による育成支援を提案します」
「なるほど…我々には都合が良い、という訳だ」
「小鞠中士、檜前准士、雲類鷲准士という前例、成功例もあります」
西方の獣血人や獣人が法軍流の訓練を受けても、何ら問題は無いはずだと、キョウは説く。
「その件に結論を出す前に」
長の瞳が、キョウの水色の瞳を見やった。
「猪牙貫路上士、峡谷豺狼上士、君たちに知ってほしい事がある」
「――はい」
場の空気が改まる。
猪牙とキョウは姿勢を正した。
長は執務椅子から立ち上がると、壁に飾られた万邦地図を一瞥してから、視線をキョウたちの背後に並ぶ面々へ移す。
「二十年ほど前の事だ。私は諜報部に、西方調査の長印直名を下した」
長印直命は特級任務の更に上に類する、国の威信に関わる重要度を持つ任務である。
現在、キョウと猪牙が西方進出を主導するよう命じられているのも、この長印直命に類する。
「その命は現在も継続中だ。彼らがもたらした成果は今まさに、君たちも実感しているであろう」
「はい、重々に」
猪牙およびキョウの両上士は、深く頷いた。
諜報部の活動が無ければ、まともな西方地図すら凪および五大国には資料として存在していなかったのだ。
「……」
隻腕の天陽はじめ、この場に招集された諜報部の上層の面々は、身動ぎする事なく長の言葉に耳を傾けていた。
「西方進出を決議した理由は、知っての通り、当時から雲行きが怪しくなり始めていた五大国間の情勢を見据えてのこと」
そして、と僅かに呼吸を挟んで、長は言葉を継いだ。
「時を同じくして、毒術師の麒麟が、凪から姿を消した」
毒術師の麒麟、禍地。
「諜報部の尽力により、禍地の存在が西方の果て、獅子國で確認された」
その後、禍地の誅殺任務より生還したハクロとホタル、獅子國出身の檜前と雲類鷲によっても、禍地が獅子國にありとの証言が得られている。
「峡谷上士」
唐突に、長の目がキョウに向く。
「君はよく毒術師のシユウ二師を指名しているようだが、この事を知っての事かい?」
「毒術の麒麟が不在である事実は知っておりましたが、獅子國に逃亡していたとは、檜前、雲類鷲両名から耳にするまで、知りませんでした」
「シユウ二師の口からは?」
「彼は私事を口にしません」
キョウは淡々と質問に答え、長は微笑の形に目を細めた。
「確かに、往々にして技能師はそういう人間が多いからね」
長の手が、執務机の端に重ねてある書類の束を手繰り寄せる。
「技能師の麒麟継承規則は、知ってるかい。麒麟が国に背いたと判断された場合、次の麒麟候補者に、麒麟誅殺命令が下る。過去に我々は一人の候補者を送り込んだ。名は、藍鬼一師」
キョウと猪牙の背後に控える天陽は、ちらと長の瞳を見やる。
「しかし、彼は帰還を果たすことができなかった」
そう語る長の瞳に、揺れは無かった。
「……続く候補者は、いるのですか」
早々に、キョウは核心を問う。
「今は、まだ。だが……」
長は手繰り寄せた資料の一枚を、手に取った。
「それは」
紙面に、キョウは見覚えがあった。
過去にキョウが提出した、任務報告書だ。
「君の報告書は、とても参考になる」
キョウが報告書で最も文字数を多く割くのは、シユウに他ならない。
今は、まだ。
シユウが龍となった暁に、長の意図が明らかになるだろう。
自分の見る目は正しかったのだと、キョウは確信した。




