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毒使い【最終章、始動】  作者: キタノユ
第三部 ―出立編―
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ep. 39 鬼隠し(7)

――おい…で……かわいい……子たち……


 沼の中央から、女はトウキとサユリへ手招きを繰り返す。


「あいつ沼から引っ張り出せないかな…攻撃できねーよ」

 一度、沼に引きずり込まれかけたトウキは警戒して、水辺から距離をとって双刀を構えている。


「あいつは水の妖怪だから、水の術も効かないね」

 と、サユリ。


「……」

 青は二人の会話を背中で聞く。


 二人とも、冷静に状況を把握できている。凪の初等学校の生徒の中には、戦いの場となると途端に思考も体も止まってしまう子もいたものだ。


――邪魔を……しない…で…


 女の黒目が、青をめつけた。

 直後、黒髪が一斉に迫りくる。


「天蓋!」

 頭上から矢雨の如く降り注ぐ黒髪を、岩壁が防いだ。青が発現させた地術だ。


「すげぇ!」

 背後でトウキが声を上げる。


 黒髪が岩の天蓋に突き刺さり動きを止めた隙を狙って、サユリが天蓋から抜け出た。

 地を蹴ると梟へ変化して沼の水面へ飛び、女の顔周辺で接近と離脱を繰り返しながら旋回。時おり鈎爪で女の顔や手を引っ掻いて牽制している。


 梟の妨害に気を取られてか、硬化した黒髪がしおれて落ちた。


「いいぞ」

 サユリの時間稼ぎの間に青は術を解き、懐から符を取り出し握り込む。


「水神…」

 前方に突き出した掌に顕現した水はみるみる濃緑へと変色、

「長蛇」

 唱えと共に毒の水蛇が走った。

 沼の水面全体を舐めるように滑り、渦を描く。


「凝固!」

 もう一唱えと共に、毒水で波立った沼の水面が急激に液体から固形へ変質。

 汚泥が女の足元から上半身に向かって飲み込むようにせり上がりながら、次々と凍結していった。


――アァ…ァア”ア”……


 地鳴りのような声を漏らし悶える女の錫色の肌が、半紙を水に浸したかのように黒ずんでいく。

 伸縮自在だった黒髪は、凍りついた泥に巻き込まれて固まっていた。


「沼が凍った…!」

 すかさず青の背後から飛び出したトウキが、凍りついた水面を懸け渡る。


「ウガァアアア!」

 女の正面で黒熊に変化したトウキ。右手、そして左手を交互に振り下ろし、女の顔面を力任せに殴りつけた。


――ギャァアアアッ


 耳鳴りのような表現しがたい高音の悲鳴を上げて、女は上半身を捩らせる。

 熊の腕力、さらに爪がまともに女の顔面を抉った。


「サユリ!」

 人間の姿に戻ったトウキが中空を見上げる。

 そこに、女の頭上から両手刀を逆手に握って落下してくる、人の姿に戻ったサユリの姿があった。


「よし!」

 思わず青は声を上げる。

 重力と全体重をかけたサユリの刃が、もがく女の首根っこから真下へ突き刺さった。


――ゴボォアァッ


 もはや悲鳴とは言い難い水嵩のある破裂音を上げて、女の上半身が縦に裂かれる。


「…え…?!」

 妙な手応えに小首を傾げ、サユリは着地。

 自らの手と、女の身体を二度見、三度見した。


 ぱっくりと空に向かって開いた傷口からは、出血や体液の噴出現象は起きていない。

 女の首は重力に従い真上を向いて大きく口を開けていた。縦に裂けた首の付け根の肉に、かろうじて繋がっている状態だ。


「おっしゃ! 殺ったか!?」

 動かなくなった女の様子に、トウキは片手の拳を突き上げる。


「凄いな。上手い連携だった」

 そこは素直に褒めながら、青は五感に意識を集中させた。


「……」

 眼の前の妖は活動を完全に停止させたように見える。


 生温く湿った風が、そよいだ。

 女が纏っている極彩色の着物の裾が、微かに揺れる。

 風に逆らう方向に。


「……二人とも、沼から出るんだ」

「ん?」


 青の呼びかけに、二人は素直に女から離れて岩場へ駆け戻った。


「水泡」


 沼に掲げた青の両掌が円を描く動作と共に、毒水が凝固した沼の外周側が半液体化して持ち上がり、上半身が大きく裂かれた状態の女を包みこんだ。


「え? え?」

「…見たことない…」


 子どもたち二人は口を開けて、沼の中で起きている現象を凝視している。


「封縛!」

 最後の唱えと共に、青が両拳を強く握る。


 と、妖を包む半液体の中で黒い筋が稲光のように走り、直後、半液体は再び急激に凝固。

 硬いものが圧縮される耳障りな軋音が少しずつ収まり、そして、止まった。


「……」

「……」

「……はぁ…」


 静寂の中、青の深い溜め息。

 一息ついたら傷が痛みだした。


 沼の方へかざしていた手で今度は、小さな式鳥を呼ぶ。


「皆を…キョウさ…峡谷上士を呼んでくれ…」

 浅葱色の小鳥は「チチ」と短く一鳴きして、飛び立った。


「ど、どうなってんだこれ、すげぇ」

「見たことない術…です」


 トウキとサユリは、妖を封じた塊に恐る恐る触れる。


「……」

 青も塊に手をあて、目を閉じた。

 内部に僅かな蠢動を感じる。


「…二人に、頼まれて欲しいことがある」

「な、何だよ」


 トウキとサユリの前に、青は腰を屈めて視線を合わせた。


「ここから宿場町に向かって進んだ先に、子どもたちの遊び場がある。そこでまだ遊んでいる子たちがいるはずだから、安全なところまで送り届けてやってほしい。それから、さっきここにいた男の子と女の子が無事にたどり着いたのかも、確認して欲しい」


「えー? でもこいつはどうするんだよ」

 こいつ、でトウキの手が塊を叩く。


「その子たちは、君たち「鬼の戦士さま」に憧れているんだ。沼の妖怪を退治した話を聞かせてあげるといい。きっと喜ぶよ」


 あえて問いには直接的に答えなかったが、トウキは顔を明るく輝かせた。


「え~~、そうなのか~、しかたねーな~」

 憧れられている、という言葉に気分を良くしているトウキの隣で、サユリは表情を変えず青の顔から視線を下に落とした。


「……」

 サユリの視線を追ってみると、足元の岩に赤色が数滴。

 再び視線を上げると、サユリのもの言いたげな視線とかちあった。


「わかりました。子どもたちを送り届けてきます」

「はあ?? サユリなんでこいつの言うこと聞いてんだよぉ」

「行こう、トウキ」


 きかん坊の弟分の手を引いて、サユリは強引に街道方面へと足早に歩いていく。

 トウキの騒がしい声が、林の中へと遠ざかっていった。


「ふー……あれくらいの年代の女の子はやっぱりしっかりしてるな」


 ようやく静寂を取り戻した沼で、青は細く長く息を吐いた。

 痛みを和らげるため数度深呼吸を繰り返しながら、衣服の上から簡易的にサラシで肩から背中にかけて縛り止血する。


 次に腰の道具入れから薬剤符を一枚取り出すと、自らの胸元に押し当てた。

 患部の直接的な治癒ができないため、鎮静効果のあるもので気を紛らわすしかない。


「サユリちゃんが察しの良い子で助かった」


 最後に再び外套を羽織り直して襟留をし、一息つく。

 まともに「逃げろ」と言ってもトウキが言う事を聞かないだろう。


「…ここで暴れられる訳にはいかない…」

 青は塊を見上げ、手を当てた。


 ここに閉じ込めた妖は、一時的に動きを封じているに過ぎないのだ。


 生け贄を捧げるほどの「邪神獣」ならば、凪で類する所の妖魔であるに違いない。妖魔は真の姿を隠しており、その姿を現した時こそ本領を発揮する。


 女の極彩色の着物の袖が不自然に揺れたのを、青は確かに見た。

 咄嗟に閉じ込めた判断は正しく、今もこうして手の平に、封印の中心部からの蠢動が伝わる。


「あの子たちの「指導者」はきっと、しっかりしている人なんだろうな…」


 トウキとサユリの戦いぶりを見て、確信した。

 確かにそこらの警吏隊よりよほど、戦える。

 だが彼らを指導する何者かが、妖魔級を避けていたであろう仮説は、あながち間違いでもなさそうだ。


「それでも、これが良いきっかけになるかもしれない」


 妖魔としての正体をあらわす前とはいえ「生け贄を食らう邪神獣を白兎の子どもらが倒した」という実績ができた。


 まだ戦力として未熟ながら、あの子らには、人を妖から救うために戦う強い意志がある。


 ドプッ…ゴボゴボ……


「!?」

 耳元で重たい水音がした。

 妖の封塊に目を凝らしてみると、黒ずんだ内部が仄かに紅く色づき、溶岩のように内部で流動している様子が微かに見えた。


「凝固させたはずが、溶け出している…」


 ゴボッ…


 大きな泡が弾けた音。

 封塊の中心で何かが旋回した。


「…魚……?」

 中心から徐々に紅が拡がっていくその様は、まるで巨大な魚卵。


「まずい…!」

 青は符を指先に挟んだ手を、封塊の表面にあてる。


「…!」

 ふと、腕に赤い筋が線を描いている事に気がつく。肩から伝い落ちてきた、血液だ。


「……」

 一呼吸ほど迷い、だが決断し、青は符ごと手で血を拭い取った。

 血が染み込んだ符を押し込むように、血で濡れた掌で塊に手をつく。


「水神…澪…!」

 唱えと共に目を瞑り、掌を通して封塊の内部へ意識を沈ませ、符から発現した猛毒を、中へ、中へと浸透させていく。


 ゴボッ ゴボッ


 毒を感知したか、封塊の内部で徐々に、水の流動音が激しくなった。


 ゴボッ ゴボボッ


 深い水底から響くような、重たい震動が掌に伝わる。

 封じ込められた卵から、外へ、外へと、孵ろうとしている。


「簡単に破られてたまるか…」

 青は血で濡れた手に、更に血で汚れた手を重ねた。


 毒術師の自分にできるのは、仲間が到着するまでに、少しでも妖魔を弱体化させておく事だ。


 そんな時に、最初に思い浮かぶのは、キョウの顔。


「彼にばかりに負担をかけさせるわけにはいかない」

 手強い敵を相手にする時、キョウに頼らざるを得ない状況に青は常に歯がゆさを覚えていた。


「……鎮まれ!」


 一喝すると共に、術力を掌に集中させる。

 紅潮していた卵がその瞬間、墨を零したかのように漆黒を帯びた。



 一方その頃――


「痛い、痛いってサユリ!」

 トウキはサユリに腕を引かれて、雑木林を駆けていた。


「待てってば!」

 強引に腕を振り払うと、ようやくサユリも足を止めてトウキを振り返る。


「サユリさー、何であいつの言うこと聞いてんだよ!」

「……どういう意味?」


 わかりやすく顔を紅潮させているトウキと対照的に、サユリはいつも顔色に変化が無い。


「オレたち、せっかく邪神獣を倒したのにさ。あいつ手柄を独り占めしようってんじゃねーの??」


 沼の方を振り返り、トウキは頬を膨らませる。


「トウキは、シユウさんがそんな人に見えるの?」

「思ってたより…悪い奴じゃなさそーだけど…それだよ、それ。急にあいつに「はい」とか「わかりました」とか言っちゃってさ」


「はあ~…」

 子どもの駄々っ子じみた事を言う少し年下の戦友に、サユリはわざとらしい溜め息をついた。


「キョウカ様と同じよ」

「なんでそこでババアが出てくんだよ…」


 よほど苦手意識があるのか、トウキの顔がまたわかりやすく歪む。


「弱き者は、強くて良き人の言う事を、聞いたほうがいいんだよ」

「オレらが弱いってのかよ!?」

「弱いんだよ」

「え」


 にべもないサユリの即答が、トウキを硬直させた。


「シユウさんが悪い人だったら、とっくに私たちは死んでいたよ。シユウさんの不思議な術のおかげで、あの妖怪を倒すことができたんだって、トウキも分かるでしょ。沼の水を凍らせたり、敵の動きを止めてくれたり、それに…あれは毒なのかな、私の刀で簡単に妖怪の身体が切り裂けたのも、シユウさんのおかげなんだよ」


「……」


 トウキは目を伏せた。

 頭のどこかで分かっていたのだ。

 最初に対峙した時、いとも簡単にいなされた時も、敵わない相手だと分かっていた。


 けれど、負けたくなかったのだ。


「ほら、早く子どもたちを探して安全なところへ送り届けよう」

 再びサユリはトウキの手を取る。

 今度は振り払われなかった。


「そしたら、キョウカ様や、みんなを呼びに行こう」

「だから何でそこでババアが出てくんだよ…」


 サユリの瞳が、沼の方に向けられ、そして再びトウキへ向いた。


「助けにいくんだよ」


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