ep.4 手形(2)
都に戻った青は、身柄を寄せている施設――長が言っていたところの「孤児院」へと帰宅した。
孤児院の名は「霽月院」。七つに分かれた都の区画の一つ、白月区に位置している。
凪の都では、区画ごとに基調色が定められていた。
白月区はその名のとおり、白い石畳と石垣に囲まれ、建物の色味も揃えられている。
「おかえりなさい」
帰還した青を、施設の職員は笑顔で出迎えた。
白を基調とした長衣と、背の高い白帽を身に着けている。
帽子と腕章には、凪の紋章が刻まれていた。
ここでの暮らしに不満、不自由はない。
職員たちはみな優しく、環境も清潔だ。
だけれど、ここにいる子どもたちの瞳は、どこか遠くの景色を映しているような色をしている。
青の他にも、十人ほどの子どもが暮らしていた。
年齢は、青より幼い赤ん坊から、上は十五歳まで。
凪之国には「初等学校」と呼ばれる基礎教育機関があり、すべての国民が無償で教育を受けられる。
入学可能な最低年齢は五歳で五年制。
その後は試験に合格した者のみ、中等課程へ進学が可能だ。
中等課程を修了後、希望者は入軍試験を受け、合格すれば軍属となり、軍の宿舎へと生活の居を移す。
最年長の十五歳の子も、この春には霽月院を出ていくという。
青はまっすぐに資料室に向かった。
忘れないうちに、陣守村の衛兵から聞いた言葉を調べなければならない。
壁際の書架前に置かれた机は、青のお気に入りの場所だ。
入口から遠く、雑音が入りにくい。本の取り出しにも便利なのだ。
霽月院に入ってからの青は、とにかく多くの時間を資料室で過ごした。
寝食以外の時間を費やしているといっても過言ではない。
あまりに長時間入り浸るものだから、職員たちに心配されるほどだ。
本を開けば、見慣れぬ言葉が並んでいる。
辞書を引きながら読むが、とても時間がかかる。
意味がつかめぬまま、ただ書き写すこともあった。
だから、とにかく頭に叩き込んだ。
そうするうちに、藍鬼や周りの大人たちが話す内容、意味が理解できるようになってくる。
それが楽しくて、もっと知りたくなる――その繰り返しで、青は資料室の本を全て腹にかきこむ勢いで、読み漁った。
青が最初に読破した本は、凪之国の成り立ちを描いた児童書だった。
難民として放浪していた青の身の上を知った、資料室の管理人が、薦めてくれた本だ。
この本で、青はようやく「五神通祖国」の意味を知る。
神話の時代より、人類は長らく妖魔、妖獣、鬼らの捕食対象であった。
そんな中、七人の賢人たちが現れ、それぞれ火、水、風、雷、地、光、闇の神へ己の生命力・気を捧げ、力を得た。
これが「神通術」の始まりである。
七賢人は神通術を体系化し、汎用性の高い術法へと確立。
人々へ教示し、導いた。
七賢人たちは人々を護り暮らしを与えるために里を築き、やがて火、水、風、雷、地の五人は国を築いた。
それが「五神通祖国」の始まりである。
凪之国は、水の賢人が築いた国である。
「凪」という名には、「和ぎ(な)」と「薙」、相反する二つの意味がある。
その紋章には、穏やかな漣と、薙ぎ斬る刃が描かれている。
水の賢人は、水の神と契りを交わし、水の賢神となった。
今もなお、凪之国を見守り続けているという。
――と、ここまでが児童書の内容だ。
五神通祖国は、「五大国」とも称される。
共通の軍事機構と術法を有し、捕食種族への抵抗を続けてきた。
五大国の軍事機構を「法軍」――これは国軍を指す。
「法軍」の名は、神通術の正式名称である「神通術法」を五国の共通術法としたことに由来する。
そのため、五国では「法軍」といえば、すなわち国軍を表すようになった。
青の師、藍鬼は五大国・凪之国の法軍人だ。
特別な許可証を発行する権限を持つ、上位の者。
神通術を操り、毒と薬に精通し、針一本で妖獣を仕留めることもできる。
『運が良かったよ。拾ってくれたのがあのセンセイで』
陣守の村の店主から言われた言葉が、ふと思い出された。
その言葉は、正しかった。
青は、本の頁から目を離し、傍らに置いた通行証を見つめた。
「弟子だって、言ってもらいたい」
この人から、限りのことを、学びたい。
学ばなければならない、と強く思う。
母が凪を目指していた理由は、今となっては分からない。
無力な孤児である自分に、できることはたかが知れている。
だからまずは、学ばなければ。
知らなければならないのだ。
「青君、そろそろ夕食の時間だよ」
「!」
穏やかな初老の声に、青は顔を上げた。
窓の外はすでに暗く、資料室の室内には灯りが揺れている。
出入り口付近では、管理人が帰り支度を始めていた。
「はい! ただいま」
本を棚へ戻し、荷物をまとめ、小走りで管理人のもとへ向かう。
「今日もたくさん勉強していたね」
「はい、お腹空いた~!」
青は満面の笑みを浮かべ、好々爺の腕を軽く引いた。




