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優太は玄関ドアの脇においてある植木鉢の底からスペアキーをとりだした。『またベタな隠し場所ねー』という奏恵の小言を無視して鍵を開ける。小さな台所がある廊下を抜けて優太は部屋のドアを開けた。朝日も夕日も当たらない薄暗い部屋。点けるときに何度もちらつく蛍光灯。部屋干ししている洗濯物の柔軟剤の匂い。数日前にいたはずなのに、優太は妙に懐かしい気持ちになった。
『へぇ、ここが優太の部屋か』
「うん」
優太は部屋の奥にあるパソコンデスクをじっと見つめる。
『ねぇ、せっかくだから見回してよ』
「いや、それはちょっと……」
『どうして?』
優太は部屋に入って左にある棚に背を向けた。
『なんか隠してない?』
「か、隠してない」優太はそう言いながら、視線を向けたデスクに向かって歩いた。「ええっと、機材だっけ?」
優太はイスに座りながらパソコンと周りにある機器の電源をつけていった。
『これなに?』
「これはオーディオインターフェースって言って、ギター録音とかをするときに遅延を無くしたりとか音が割れないようにとか……まぁ俺のやつはコンプで軽く味付けしてくれるとか、そんなやつ」
『あぁこれ、オーディオインターフェースだったんだ。私のと全然違う』
「持ってるんだ?」
『うん。仮歌を入れるときに使ったから』
「そっか。そういえば、ラララのメロディで録ってたね」
優太はパソコンが起動するあいだ、自分の机の周りにある機材を順番に見た。都度、奏恵は質問をする。
『この光ってるやつはなに?』
「プリアンプっていって、真空管を通すことで録音する音をふくよかにする」
『こういうのってパソコンでできないの?』
「できなくはないと思うけど、俺は結構苦手かな……。なんかこう、機材で直感的に音作りできたほうが早い」
『なるほど』
「ピアノの打ち込みは機材周りよりも、音源ソフトの音質だよりだったりするから、あんまり馴染みないかもね」
『うん。こういうのってどう使っていいか分からない』
「まぁでも、俺も詳しい訳じゃないよ。二、三個でなんとなく満足しちゃってるし」
優太はDAWを立ち上げた。
『……なんか遅くない?』
「う……。五年前のボロパソコンだから」
優太はいつもの癖で、DAWが操作を受け付けるようになるまで机の脇に立てかけていたギターを弾いた。その音色を聞いているのか、奏恵もしばらく黙っていた。
DAWが操作を受け付けるようになったあと、優太は一通り自分が使っているソフトを紹介した。
「そういえば、コンペ曲のプロジェクトデータ持ってくればよかった」優太は奏恵の頭に合わせてヘッドホンを調整して装着した。「奏恵ちゃん頭小さいな……。全然合わない」
『ありがとう』奏恵は自慢気に鼻を鳴らした。
「ドラムとベースの音源差し替えたかったな」優太は奏恵の反応に構わず話を戻した。
『プロジェクトデータって、私が作ってた曲のデータってこと?』
「そう」優太は弾いていたギターをスタンドに立てかけた。「ちなみに、奏恵ちゃんの機材って自腹?」
『ううん、お小遣いから』
「お小遣いかぁ、そしたら――」
優太は画面を見て固まってしまった。いつもの癖で、無意識のうちに優太が作っていた楽曲のプロジェクトを開いていた。
『どしたの?』手を止めた優太に向かって奏恵が尋ねる。
「あ、いや……これ、俺が最後に作ってた楽曲」
それは、CANARIAが次にリリースするアルバムの一曲だった。
『へぇ、聴きたい』
「メンバーに聴かせるデモだから俺の仮歌だけど……」
『全然いいよ』
優太は奏恵に激しく促され、楽曲を再生した。
『あー……』Aメロが始まってすぐ、奏恵は苦笑いをした。『優太はボーカルにならなくてよかったね……』
「俺もそう思う」優太もつられて苦笑いをした。そのままシンセサイザーで作っていたガイドメロディに切り替える。
『なんか、すごく綺麗にまとまってるね』
「そりゃね。聴かせる相手がいるから」
『聴かせる相手?』
「そう。これはファンが喜びそうな感じを意識した」
『ふぅん……』奏恵は腑に落ちないような曖昧な返事をした。
楽曲を最後まで流し切り、優太はDAWの再生を止めた。
『はぁ、フルコーラスだと、またいろんな展開が作れるんだね』奏恵は感心した様子で言った。
「そうだね。メンバーといろいろ話し合ったけど、この形に落ち着いた」
『そっか。優太はバンドだもんね。ギター以外は他のメンバーに任せるの?』
「いや、結局いつも俺が全部決める」優太は申し訳なさそうに苦笑いをした。
『なにそれ、渡す意味』
「本当に全部が全部って訳じゃないけど、結局……その、俺がメンバーの意見却下したりするからさ」
『え、優太がそんなことするの?』
「なに、その反応」
『めっちゃ意外! なんか適当にへらへらして「そうだねぇ」みたいな感じでメンバーの意見否定できなさそうだもん』
「う、音楽以外はそうだけど……。でも、曲だけはどうしても納得したものをだしたいから」
『はぁぁ、ようやく優太がミュージシャンっぽく見えてきた……』
「それはなにより」優太は気まずそうに笑った。
もう一回という奏恵の声に。優太はもう一度ヘッドホンを調整して楽曲を再生する。
再びワンコーラスを聴き終えたあと、奏恵は小さく唸った。
『優太はさ、なんのためにこの曲を作ったの?』
「え?」優太は外したヘッドホンを落としかけ、なんとか掴んだ。「どういうこと?」
『あ、いや。さっきのさ、ファンが喜びそうな感じっていうのがひっかかってて……』奏恵は言葉を選ぶような間を空けて、また話し始めた。『だってさ、自分が納得したものを作りたいのに、人のことを考えてて、なんか、それって本当に納得できるものなのかなって』
「どうしたの、急に」
『音楽って自分のためにやるものじゃないの? 少なくとも私はそう。だから、優太もそうなんだろうなって思ってたんだけど……。もしかしたらちょっと違うのかもって思って』
「うーん、それは……どうだろう。自分のためは自分のためだけど」
『そうなんだよね。なんかそれで、曲を作ってる優太は特につらそうにしてないから、なんというか、単純に聞きたくなった……のかな?』
「なるほど」
奏恵からの質問に、今度は優太が唸った。
「もともと俺は、友達から誘われてなんとなくバンドを始めたから、どっちかっていうと……そうだな、自己表現も含まれてるんだけど、バンドとしてなにかやることに意味を見出してるのかも」
『うぅん……。分かるような、分からないような』
「俺もそんなこと聞かれたの初めてだから、どう言っていいのか分からないけど、あれだね、〝自分のための〟方向性が、自己表現というより、バンドっていう居場所を守りたいっていう方に向いてるのかもしれない」
『あー、そういうことか。確かに、音楽ってちょっと大雑把な言い方だったかも』
「うん。例えば、他人のために作曲してるけど、演奏は自分が楽しむためにやるとか、そういう場合もあるからね」
奏恵はため息混じりに『なるほど』と言ったっきり、黙ってしまった。
優太は手持ち無沙汰になり、もう一度楽曲を再生した。
奏恵からの疑問に尤もらしく答えられた気がしていた優太だったが、同時に本質の部分で奏恵の疑問を解消できていない気もしていた。だから奏恵も、納得したように見せただけで黙ってしまったのだろう。
楽曲を聞き流しながら、優太は考えにふける。
自分のためだけに作る音楽。確かに、初めて作った曲は誰かに聞かせるというより、自分が良いと思うものをこれでもかと詰めたものだった。自分の頭の中にあった音やメッセージが耳に聞こえる形で現実に落とし込まれる。それこそ、居場所を守るとはまた別の方向性、自己表現というベクトルでの音楽だった。
しかし、いつからか〝誰か〟を意識して音楽を作るようになっていた。きっかけは恐らく事務所を出てから、CANARIAが自分と暁人の二人だけになってしまった時期に、このバンドを残していくためにそうせざるを得なくなっていたのかもしれない。
自分たちの音楽に価値をつけようとすればするほど、自分のメッセージや作品にどんな価値があるのかを問われる。それを自問自答しているうちに、いつの間にか誰にどう届けるか、その手段ばかりに重きを置くようになっていたかもしれない。
気がつくと楽曲の再生は終わっていた。どれくらい考えていたのだろう。奏恵からの呼びかけがないところを見ると、奏恵も自分の音楽について考えているのかもしれない。
考えはまとまっていないが、優太はひとまず今考えたことだけは言っておこうと口を開いた。
「えっと、奏恵ちゃ――」
そのとき、玄関の方からドアの開く音が聞こえた。
『え?』優太よりも先に奏恵が反応をする。
少しして、ゆっくりと警戒するように優太がいる部屋のドアが開いた。
「お前、誰だ……?」
部屋に入ってきた暁人は、警戒する素振りを隠さず優太を睨みつけた。