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教室に入る直前、優太は奏恵に教室で手を振っている女の子について説明を求めた。
『名前は石神侑子。私は石神さんって呼んでる。性格はまぁ、ノリが軽い感じで……悪い人じゃないけど押し付けがましい』
優太は教室に入って侑子に会釈する。
『私の席は窓側の……後ろから二番目』
奏恵に言われるまま、優太は席に向かう。その間も奏恵の説明は続いた。
『その、押し付けがましいっていうのは、石神さん、人に対するイメージとか印象をあけすけに伝えてくるタイプで、そういうイメージから外れた言動とかをするとすぐに気付くの。なんというか……目ざとい?』
優太は今の説明をうけて納得がいった。先ほど侑子と会ったときに奏恵が良い反応を示さなかったのは、侑子の目ざとさも影響しているのだろう。自分のイメージを偽っている奏恵にとっては、天敵のような存在だ。
優太が席に着くと、空いていた前の席に侑子が座った。
「ねぇ、一時限目自習だってさ」
「そ、そっか。よかった」
優太はなんとか微笑んで見せる。
「体調は大丈夫?」
「うん。ありがとう」
「よかったよかった」
侑子はほっとした様子だった。確かに悪い子ではないようだ、と優太は思った。
「そういえばさ」侑子はにやりと笑った。「ナギ、ギター弾けるんだって?」
「えっ!」優太と奏恵は同じように驚いた。「な、なんで知ってるの?」
侑子は教室の前の方に目配せをした。その先では千春が友達と話している。
「ちは……ち、ちーちゃんから聞いたんだ」
「ちーちゃん?」侑子は首をかしげる。
『学校では芦宮さんって呼んで!』
優太は慌てて取り繕う。
「あ、えっと、芦宮さんから、聞いたんだ?」
侑子は変わらず怪訝そうな表情をしていた。
「ナギ、やっぱりちょっと変だよ」
「そ、そうかな……」優太は努めておしとやかに振る舞った。「でも、そう、あれだよ。石神さんが急にあんなこと言うから」
「ああ、ギターのこと?」侑子の表情がようやく元に戻った。「すごいよね、ピアノだけじゃなくギターも弾けるなんて」
「ピア――」
『私、一応ピアノ弾けるから』間髪入れずに奏恵が説明をした。『知らないことを聞き返すの禁止。変に思われる』
優太は奏恵の言葉を聞きながら、会話が不自然にならないようにつないだ。
「ピアノは、それなりだけど、ギターは本当に触るくらいだから」
「へぇ、嗜む程度ってやつね」侑子は納得したようにうなずいた。「ナギはさ、作曲とかはしないの?」
「作曲は……」
優太は奏恵の返事を待った。
『作ってないって言って』
「えっと、作ったことはないかな」
「そうなんだ。やっぱり演奏と作るのとじゃ違うの?」
「うん。結構違うかな」
「へぇ……」
感心している侑子の隙をついて、優太は黒板を確認した。黒板には自習の文字の他に課題一枚とも書かれていた。
「石神さん、課題ってなに?」
「ああ、プリントやっておけって」侑子は黒板前の教卓を指差した。「でも、ナギは途中から来たし、やらなくていいんじゃない?」
「そっか……。あ、いや、一応やっておこうかな」
『ナイス判断』奏恵がつぶやく。
「ナギは本当に真面目だねぇ……。ウラ面に答え載ってるから、それ見て自己採点もしとけってさ」
「わかった。ありがとう」優太はそそくさと教卓のプリントをとって自席に戻り、プリントを机に広げた。
『……どう? 解けそう?』
奏恵は優太に尋ねる。空かさず優太はプリントの隅に〝まったく〟と書き、それを見た奏恵はふふっと笑った。
『じゃあ、私が解くから書いていって』
優太は奏恵に言われた通りの回答を書いていく。のんびりと進めた甲斐もあって、休み時間のチャイムが鳴るまで侑子に話しかけられることはなかった。
「なーちゃん、おはよー」
チャイムと共にぱたぱたと千春がやって来た。
「おはよ」
「体調大丈夫? まだ顔色悪いみたいだけど」
「うん、ちょっといろいろとね」
優太は力なく笑った。千春はその様子を不思議がることもなくにこにこと眺めている。
「ちーちゃんは天使みたいだね……」
「え? 天使?」千春は首をかしげた。
『な、なに言ってんの、優太』
「いや、なんでもない」
優太は噛みしめるように言った。優太にとって、千春は侑子よりも、場合によっては奏恵よりも話しやすい存在になりつつあった。
「あ。そうだ」優太はその場で思いついたふりをした。「石神さん、私がギター弾けること知ってたんだけど、他になにか話した?」
「え、石神さんが? 私はハルちゃんにしか言ってないけど」
「なるほど、そうなんだ」優太はうなずいた。
『ハルちゃんはちーちゃんの友達。石神さん、ちーちゃん達が話してるのが耳に入ったみたい』
「地獄耳……」優太は思わずつぶやいた。思っていたよりも侑子は強敵かもしれないと覚悟をする。
千春は聞き取れなかったのか、何も言わず奏恵が話し始めるのを待っていた。
『同感』奏恵はため息をついた。『あ。そうだ。今日はなるべくちーちゃんと居て。そしたら石神さんも寄ってこないだろうから』
優太は激しくうなずきたくなる衝動を抑え、代わりに深呼吸をした。
「ちーちゃん、今日のお昼一緒に食べよ」
「うん。いいよ」千春は笑いながら頷いた。
『いつも一緒に行ってるから、改めて言わなくていいよ』
「そ、そっか」優太は小さく言った。
そのあと優太は千春を盾にしながら放課後まで過ごし、なんとか下校までこぎつけることができた。
千春と同じ駅で降りてすぐ別れ、優太は奏恵の家までの帰路をゆっくりと辿っていた。
『へぇ、優太って隣町に住んでるんだ』
「うん。朝電車に乗るとき気付いたけど、三駅くらいで行ける」
『実家?』
優太は右耳に当てていた携帯電話を左耳に当て直す。駅を出た辺りで奏恵が思いついた、外で話しても怪しまれない会話方法だった。
「ううん、一人暮らし」
『そっか、いいなぁ』奏恵は心底羨ましそうに言った。
「今の家は窮屈?」
優太の質問に、奏恵は少し考えたあと答えた。
『まぁまぁ窮屈』
「そっか」優太は苦笑いをした。「ま、俺も昨日の夜ご飯はそう思ったかも」
『あ、優太』奏恵の声色が明るくなった。『今から優太の家行かない?』
「え、今から?」
大きな声に驚いたのか、目の前を歩いていた他校の女子生徒二人が振り向く。優太は携帯電話をこれみよがしに耳に当てて申し訳なさそうに頭を下げた。
『だって、三駅でしょ? 夜までには帰れるし』
「いいけど、なんで?」
『機材、見せてほしい』
「ああ、そういうことか」
優太は納得したあと、すぐに思い直す。
「いや、でもその……掃除とかしてないし」
『別に気にしないよ』
「じゃあせめて十分ちょうだい」
『あげてもいいけど、なにするの?』
「掃……あっ」
『私も手伝ってあげようか?』
くすくすと笑う奏恵の声に肩を落としながら、優太は駅へと向かった。