第七話
突然だが、この屋敷で一番偉いのはヴィーと決まっている。まあ屋敷、と言うよりはこの国で一番偉いのでさもありなん。
そしてその次が私、らしい。全く実感は湧かないが、そういうものだと理解はしている、つもり。次点でヴィーの使用人の執事さんで、他の使用人となる。クラリスはその使用人の中の一人だ。しかし私の専属メイドである彼女は比較的好待遇である。
まあ何が言いたいのかって言うと、クラリスの意見は意外と通る。
「リア、美味しい? こうしてみると、リアは表情豊かですね」
笑みを浮かべながら差し出すフォークには確かに美味しかった鳥のソテー。自覚は無いが、私は表情豊かだったらしい。絶対嘘だけど。何度無表情で怖いと言われたと思っているんだ。
「それで、仕事が昼前には終わるのでピクニックにでも行きませんか?」
ちら、と目の前に立つクラリスを見る。
にっこりと笑う彼女に、どう考えても彼女の提案であることは明らかだった。どうせ、怠惰すぎる私を心配しての事だろうけど、なんとも言えない気持ちにさせられる。私が自然が好きだから喜んで外出しますよ、なんて彼女のその姿が容易く思い浮かばれた。
まあ、少し複雑なだけでピクニック自体は好きなのだ。前準備とその後を考えると全く行きたくなくなるのだけど、ちゃんと好きなのだ。
「…いいわ」
「よかった。それじゃあ…そうですね、一時には戻ります」
起きれるだろうか。いや、きっとクラリスが起こしてくれる。
絶対私はロングスリーパーだと思うのだけど、睡眠時間が最低十二時間必要なのだ。どうにも、短いと頭痛がするような気がするし、気分が落ち込む。しっかり九時就寝三時起床がモットー。
睡眠は人生で一番幸せな時間。
□
「奥様!―――奥様ったら!もう十二時を過ぎてます!」
いつものように、クラリスの声でふわりと意識が起き上がる。まだ眠いような気がするし、それにまだ十二時なんていつもは寝ている時間だ、と考えて、思い出した。そういえば、予定があるのだった。
思い出してしまった約束に、仕方なく瞼を開けてベッドの横で紅茶の用意をしているクラリスを見る。
いつもより早いとはいえ、予定には時間が足らないだろう。ヴィーの事だし、怒りはしないだろうけど、とどこまでも打算的な考えを巡らせる。椅子まで手を引っ張られ、髪をいつもより慌てて梳かれる。紅茶が零れるかと思った。
顔を拭われ、着替えさせられる。最後に靴を履いて、時計を確認したら一時は既に過ぎていた。
「今日は外ですから楽にしておきましたっと。装飾品はいりませんね?」
いらない。
「では、すぐに出ましょう。旦那様がお待ちですよ」
そうクラリスに急かされて、椅子から立ち上がろうとした時だった。コンコン、とノックの音が部屋に響く。
「リア、準備は終わりましたか?」
本当に丁度いい登場にクラリスの声が聞こえていたのでは、と勘繰ってしまう程だ。ヴィーの言葉にクラリスが反応して扉を開ける。
「ああよかった。ふふ、町娘のようで可愛らしいですね」
椅子に座っていた私に合わせて膝をついて、賛辞を贈られる。あまりにも明け透けな言葉にこっちの方が恥ずかしくなってしまう。
濃い蒼がさらさらと揺れるのを間近に捉え、誤魔化すように手を伸ばす。思った通り肌触りがいい。適当に纏められているのだろう、全体的にはまとまった様子なのにサイドに流れているそれはよく見るとあちこちに跳ねている。指で梳いて、耳にかける。そのままその腕を首元に伸ばした。
意図を察したのだろう。ゆっくりと立ち上がった彼は私の方に腕を伸ばしてそのまま私を抱き上げた。
「ふ、満足ですか?」
に、と眉を上げて可笑しそうに恥ずかしそうに笑う彼に、私も気分が上向いた。
「ん」
外に出て、閑散とした様子に首を傾げる。ピクニックと言う位だから馬車か、馬でいくと思ったのだけど。因みに私は馬には乗れない。足の筋肉がないので。
不思議そうな私に悪戯が成功した子供のような顔をして、ゆっくりと地面に降ろされる。
「馬車だと時間がかかるので。ちょっとした特別待遇です」
少し離れていてくださいね、と言い残して庭の、一際開けた場所に彼が立つ。突然周りの音が消えて、周囲が広がったような気がした。
ごう、と風が舞って思わず目を閉じる。髪を抑えつつ目を開けると、まあるい金の瞳と目が合った。
『驚きました?』
楽しそうな聞き覚えのある声に、目の前のそれがヴィーであると漸く気づく。
――――巨大な蒼を纏う巨大な龍。
そういえば、彼は蒼龍様なのだった、と当たり前の事実を今更ながら突きつけられる。確かに、この鱗の色は青と言うよりは緑を感じる蒼だろう、と納得する。
『その様子だと、大丈夫そうですね。リア、乗って』
隣のクラリスはすっかり放心したように固まっている。それくらい衝撃的だったのだろう。後ろに控えていた他の使用人がクラリスを回収して、執事らしき人が前に出る。
多分、ヴィーの横によくいる人だ。
「奥様、クラリスの事はお気になさらずに。少々驚きすぎただけですのですぐに戻ります。それよりも」
蒼龍様がお待ちです、と両手に抱えていたバスケットを私に差し出す。バスケットと執事を交互に見る。笑顔で、随分重そうな物を渡すものだ。
しかし私と彼だけで行くようなので、私が抱えるしかないのだろう。大人しくバスケットを受け取って、その重さに慌てて抱え込む。
さっさとヴィーに乗って置いてしまおう、とヴィーを見上げる。
改めて見るとその大きさに驚かされる。これじゃあ外は大騒ぎだろう、と思ったが聞こえる喧騒は日常的なものだ。何か、魔法でも使っているのだろうか。
『どこがいい? 乗せられそうならどこに乗ってもいいよ』
得意げなそれに、思わず笑い声が漏れる。
「ふ、いちばん、くつろげるとこ」
『手のひらかな…?』
そっと差し出された手は随分鋭そうな爪が目立つが、大きい手のひらは確かに椀状にすれば落ちる心配もないだろう。
まずはバスケットを乗せて、膝からゆっくりと乗ってみる。冷たい。
『少しかかるので、寝ていてもいいですよ。風は感じない程度にしておくのできっと景色も楽しめます』
その言葉に、せっかくだし暫くは景色を見ていようかと頷く。こんな経験、誰も出来ない。空からの景色なんて、いつぶりだろうか!