第十二話
この屋敷に移ってから初めてと言っていい、気合の入ったドレスを着る。
いつも通りよりも少し早めに起こされ、クラリスと他のメイドがせっせと髪を結い上げているのを背後で感じた。結い上げると、髪がまとまって頭が重くなるから好きではないのだけど今日ばかりは仕方がない。髪が長いからか、思った以上に頭を重く感じてため息を吐く。嫁いだ以上、普通は常に結っているのを自由にしていた訳だし文句は言えないけれど、どうしてもやる気が萎んでいくのがわかった。
ヴィーは別に気にしなくてもいいですよ、と言ってくれたがそれには周囲がいい顔をせず、クラリス率いたメイド達の主張から所謂正装に身を包んだ。
多分、人間の使用人はやっぱり王様に対して並々ならぬ思いがあるのだろう。
支度が全て終わり、丁度良いタイミングでヴィーが部屋に入ってくる。
私と目が合って、私の下に向かっていた足が止まる。
ほう、と息を吐いた後満足気に頷いてすっと私の下に跪く。そおっと手を取られ、触れるか触れないかの微かなキスをされる。にっこりと笑った彼はそのまま立ち上がって、手を引く。
どう見ても立ち上がらせる仕草だったが、私はそれを無視して彼の腕の少し上に手を伸ばした。
『だめ?』
「まさか!」
大げさな位大きく頷いた彼は、エスコートに差し出した腕を私の腰に回して抱き上げた。
「一段と美しくなりましたね。凄く、似合っています。貴女のお願いを無視して沢山ドレスを作らせたくなりました」
『怖い事言わないで』
珍しく冗談を口にする彼を軽く窘めてため息を吐く。ドレスは着るのも面倒だし着たあとも重くて疲れるのだ。そして脱ぐのも大変。普段着は特に軽い素材で作らせたカジュアルなワンピースを着るので余計に落差が嫌だった。
可愛いものは好きだし、私に似合うとは思うけれどうんと昔に私は学んだのだ。気分が上がるのは最初の一瞬だけ。頭は重いし体は動きづらいし、そして注目されるし、疲れて何もかもが嫌になってで徐々にその興奮は薄れて、結局悪い方向へと落ちていく。
私は学んだ。服に一番求められるのは機能性である。
私を抱き上げたまま私室を出て、応接室へ向かう。
私の数少ない予定の内、一番早く決まったのは国王陛下との謁見らしい。
□
あの日、あの時まで、いつも通りの日常だった。
毎年行う義務みたいなパーティーで、毎年特に何も変わることの無い。
毎年律儀にそのパーティーを取り仕切っていた男を見上げる。私よりもいくらか背が高い彼は、腕に少女を抱いてやって来た。
あの時ちらりと見た限り、一切姿を現さなくなった少女。薄い茶色の髪をしっかりと結い上げ、瞳は瞼の裏に隠れている。頭を男の肩に預け、こちらを一瞥もしない様子に力を抜いているのがわかった。
「――お招きありがとうございます、蒼龍様、花嫁様」
何とか椅子から立ち上がり、顔に笑みを浮かべる。
「ああ。いい、座れ」
少女を腕に抱えたまま、椅子に座った彼が淡々とした口調で私に椅子を勧める。ふと、少女から目線を外し彼を見上げて、その顔が、言葉に似合わず笑みを浮かべていることに驚愕した。長い事、それこそ私が生まれた時から知っている男だが、ここまで柔らかい笑顔を見たのは初めてだった。
固まる私をよそに、二人が不思議な会話を交わす。
「リア、せめて目を開けて顔を上げてください。……そうじゃなくて。ね、顔くらいは覚えておいた方がいいですよ」
独り言のように彼だけが言葉を発するのに、二人の間で会話は行われていたらしい。蒼龍様に促されるままゆっくりと、瞳を開けた少女はしっかりと正面の、私を見つめた。
「そう、彼が国王」
「お目にかかれて光栄です。ファルミネント龍王国の国王、ノエリス・デルカダリアです」
いつもなら握手でも求めただろうか。しかし、腕に抱かれている彼女は頭を彼の肩に預け、目線以外をよこす気配がない。握手は望んでも無駄だろうと理解して頭を下げるだけに抑えた。
少女は一言も発さず、私を見つめる。
美しい子供だった。十五歳なのでまだ、子供だろう。いくら成人を迎えたと言っても急に大人になる訳でもない。しかし、彼女は既に夫を持つ身である。それも、おそらく世界で一番高貴な者の。
この国では十五歳のデビュタントを迎えて初めて婚約、結婚を許される。それを迎えるまでは、全ての民がこの蒼龍様のものだったのだ。もし婚約、結婚していた者が龍の花嫁だったら大変なことになる。過去にそれで大きな事件が起きたので法が改められたのだ。
龍の花嫁が見つかるのは、約240年ぶりだった。
当時の緑龍様と花嫁様がご存命だとは言え、気軽に話す関係ではなかった。比較的緑龍様とは話す機会はあったが、アーマリア様とは殆ど会った記憶がない。外に出る機会も人を呼ぶこともあったと聞くが、城へ上がることは無かった。目の前の少女と同じく。
つまり、花嫁様という存在についてあまり詳しくは分かっていないのだ。
「それで? 顔を見たかっただけじゃないだろう」
「少し、花嫁様とお話が出来たらと思います。突然の事で驚きかと思いますが、流石はウェルフラン家の息女という事でしょうか…既に慣れ親しんでいる様子ですね」
確かに身分が急に上がったとは言え、国王の前でこうも寛げられるとなんとも言えない気持ちにさせられた。幼い頃から頭の上には緑龍様とその花嫁様がいたので違和感はないものの、やはり見た目の年齢というものはすこしばかりそれを強く感じさせる。
「…ええ」
小さな肯定の声は、初めて聞く少女の声だった。
相変わらず蒼龍様の膝の上で、目線だけよこして、その小さな唇が震えた。
「私の治世はもう数年で終わります。その前に息子にしてやれるだけのことをしたいのです…」
ごくり、と自分の唾を飲み込む音が異様に大きく聞こえた。蒼龍様も花嫁様も何も言わない。元々蒼龍様はそう活発な方ではなかったし、無駄に会話を楽しむような人でもなかった。
未だに国王としてその座に座っているものの、私も今年62歳。そして、いくつか持病もあるのだ。息子は既に結婚しているし、34歳になった。これから彼らと長く付き合うのは息子の方になるだろう。
生憎、息子は用事があって来ることが出来なかったので顔合わせがいつになるかはわからないが。
「――この国にずっといて欲しいって、そういう話ですか?」
「え、は…」
唐突に蒼龍様が軽い口調で口を開いた。普段の彼の言動より、随分と、フランクだったので思わず口ごもる。何度か彼を見て、彼女を見て、何となく当たりを付ける。花嫁様を代弁しているのだ。
「そう、ですね。少なくとも息子が引継ぎをするまでは」
「絶対に、とは約束できませんけど。好き好んでは多分出ませんよ」
曖昧な返事にそうだろう、と頷く。彼女達にとってはこれから数百年先の話も含まれる。ここで絶対、などと制約することは出来ないだろう。
ただ今は、その言葉を貰えただけでも心がほっとした。
「その言葉で安心しました。堅苦しい入りからだったので信じられないかもしれませんが、今日は花嫁様の人となりを知るために少しお話をしたかっただけなんですよ。細かい調整や義務は蒼龍様がやっていますから」
ようやっと、ティーカップに口を付けて一息入れる。
それからは、私と蒼龍様の会話で、偶に話を振ると答えてくれる花嫁様の言葉を代弁する蒼龍様との会話だった。
食事の話や、これまでとこれからの人間の使用人の感想、要望だったりを聞くとぼんやりと答えてくれたが、予算の話や式の話になると蒼龍様が答えていたようだった。
予想していた以上に言葉少なだったが、意思疎通は不思議にも出来ていた。彼女は、随分と欲が無いらしい。
元々学園生活の様子は教師たちから報告を受けてある程度知っていた。その特異な性格を何となくは知っていたが、改めて会ってその事実を受け止めることができた。
まさか今日聞けた彼女の声がええ、という肯定の声一言とは。
あの教師や同級生達の言葉は誇張でもなんでもなかったらしい。
紅茶が一杯空になる頃には花嫁様は船を漕ぎ始めて、直ぐに蒼龍様は席を立った。
退室する彼らを見送って、私は少し不安な気持ちにさせられる。
彼女を籠の鳥として何の情報も与えず、飼うつもりだろうか、と。彼は彼女の性格をいいように利用して、何も知らせず全てを水面下で進めているらしい。少しの会話で、彼女が何も知らないことがうかがい知れた。
白が入り混じる緑の髪を撫でつけて、私も席を立った。
□
「ずっと屋敷に引きこもるつもりですか?」
国王との席から早々に去り、ベッドに降ろされた私をヴィーが見下ろす。
違和感なくベッドの脇に座って私を覗き込む彼の姿に、すっかり見慣れてしまった気がした。手で支えつつ、ゆっくりとベッドに横たわる。
『できるだけね』
実際私はこの屋敷から出なくても生活できるだろう。それくらいここは私を尊重してくれるし、なによりお金と地位がある。
「嬉しいけれど…」
困ったように笑う彼を見て、目を閉じる。
「眠りますか?」
『今日はずっといるの?』
いつもならもう、屋敷を出ている時間だった。私もまだ寝ている時間だし、今日は休みでも取ったのかもしれない。
「はい。今日は一日休みですよ」
撫でられる大きな掌にくすぐったさを覚えつつ、それじゃあ寝るのはもったいないかもしれないと思いなおす。瞳を開けて、その眩しさに目を細めた。
目ざとく気づいた彼が私を覗き込んで影を作る。
その優しさに、ふと息が漏れた。なぜか強張っていた体から力が抜けて、体が溶ける。ああ、と自分が少しわかったような気がした。王様に会って、ちょっとした義務感のような、罪悪感のようなものががあったのかもしれない。
唐突な安心感のせいだろう。頭がぼんやりして、さっきまでは微かだった眠気が強まるのがわかった。少しだけ迷って、私はそれを受け入れる。
『…一緒に寝よう?』
薄く開いたままの瞳をそのままに、ゆっくりと腕を動かして彼の服を握る。
ヴィーの肩がビクリと面白い位に跳ねる。さっきまでは優し気だった眼差しは消え、驚きのせいか瞳孔がきゅうっと開く。
揶揄いたいような気分になったけれど、既に眠気に任せた体だ。目を開けている事すら、おぼつかなくなってきてそうも言ってられない。
「…ヴィー、ねよ」
思った以上に掠れた、強請るような声に自分が驚く。多分、眠気のせい。意図的に発した言葉だったけれど、その効果は覿面だった。
「……は、ァ」
彼の、ため息とも吐息とも取れるような大きな息遣いが聞こえて、ぐっとベッドが沈む。広いベッドだとは思ったけれど、二人で寝ても随分余裕があるように感じた。
掛け布団が優しくかけられて、その温かさに包まれる。
「リア……、確信犯でしょう」
見えないながらもそう呟くヴィーの姿が容易に想像出来て、思わず声が出た。
「ふふ」
ああ、幸せだ。
きっといつか私は彼を、本当に好きになるのだろうな、という予感があった。
問題が解決したらまた別の問題が出てきたので次話も遅くなります。




