第十一話
「んむ……」
お日さまの匂いが鼻孔をくすぐる。瞼の裏からチカチカと日の光が意識を浮き上がらせる。
暫くぼうっとした後、うっすらと目を開けると火傷しそうな光に体に思わずぎゅっと目を瞑る。手のひらで視界を遮りながら、反対にぐっと寝返りをうった。
そういえば明るい、と信じられない気持ちで目を擦った。ぐっと伸びをして、なんとなくはっきり目が覚めた気がした。ゆっくりと半身を起こして、カーテンを見ても確かに日は昇っている。時計を見ると時間は昼前、だった。
「あさだ……」
時間を確認して、呆然としながら首をひねる。昨日は早寝だったっけ、と。まあ確かに、夕方にベッドに入った記憶があるからいつもよりは少し早かったかもしれない。しかしその後、暫く起きていた気がするのに。
とりあえずクラリスを呼ぼうとベルを押そうとして、手が止まる。別に、起きたからと言ってわざわざ自分から着替える必要もないのではないだろうか。いつもはクラリスが起こしに来て着替えさせられるのでされるがままだったが、一日中寝巻でも別に構わないと常々思っていたのだ。
ちょっとの時間、どうせクラリスが来るまでだけ、本でも読もうかとベッドを下りた時だった。
ノック音が部屋に響く。
クラリス?とドアに視線を向ける。まさか、私が早寝したから早く起きると予想したのだろうか、と。
いつも通りノックの後ドアが開いて、見えた姿に驚く。
「…ヴィー」
「――おはようございます」
この時間にはすでに屋敷にいないことが多いのに、と首をひねる。
ベッドの上から動かない私に気にせず近寄り、彼がそっと手を差し出す。ありがたく手を伸ばして抱きかかえられて、化粧台の前に降ろされた。
「…クラリスを呼んできますね。流石に、着替えを手伝うのは嫌でしょう」
額にキスをして、離れる彼に視線を移す。別に、気にしないけれどそれを口にするのは躊躇われた。折角気を使ってくれているのだし、甘えようと頷く。寝巻で過ごす計画は頓挫したらしい。
確かに、どうせ着替えるなら慣れているクラリスの方が楽かもしれない。
後でね、と言い残して消えた彼に、何しに来たんだと更に首を捻った。
彼と入れ替わりでノックの音が響いて、ドアを開ける音が聞こえた。慌てた様子で数名のメイドとやって来たクラリスは早起きですね、と笑いながら準備をしてくれた。いつもより人手が多い分早かったかもしれない。
「クラリス、後はもういい」
「かしこまりました」
すっと後ろに下がった使用人たちが、部屋から出ていく。いつの間にかいたヴィーが隣に腰を下ろし、二人きりになった部屋に沈黙が落ちた。
暫く、無言が続いただろうか。意を決したように私に向き直った彼は、随分緊張しているようだった。
「リア、ピクニックの時に……何か飲み込んだことを覚えていますか?」
流石に覚えていたので、頷く。ファーストキスだった訳だが、その意図はなかったらしいのでアレはキスではないのだろう。キスなのだろうか。
でもあくまで、あれを渡す事が目的だった。
「その…、あれは龍珠という特別な塊なんです。龍の番が龍珠を飲み込むことで様々な影響があります。その一つが昨日の念話ですよ」
りゅうしゅ、と呟いてあの甘さを思い出す。甘くて美味しかったので、よく覚えていた。
しかしそれよりも。あの便利そうな念話を使えるのだ、と思うと俄然目が冴えていく。昨日考えた通りの展開だった訳だ。早速使えるだろうか、とヴィーを見つめてみる。
『使えてる…?』
『はい、聞こえてますよ』
笑って、無言で大きく頷いたヴィー。
思わず顔がにやついてしまって、慌て手で口元を隠す。凄く、嬉しい。
『すごい、すごいわ! ありがとう!』
本当に嬉しくて、思わず彼に手を伸ばす。そおっと抱き上げてくれた彼を、これまでにない程強く抱きしめた。私の力じゃあ違いなんてあってないようなものだろうけど、気持ちの問題だろう。
口を開かなくても会話できるなんて、なんて便利なんだろうか!
肩越しに、何か冷たいものがあたる。
『ヴィー…? 泣いてるの?』
「いいえ、いいえ…っ。大丈夫です、これは……場違いなうれし涙ですから」
肩から顔を上げたヴィーは、涙を流しながら綺麗な顔で、綺麗に笑っていた。あんまりに嬉しそうに笑うから、私まで嬉しくなって笑顔が浮かぶ。
なんで泣いているのか、何が嬉しいのか、何が場違いなのか。不思議に思う事なんて沢山あったけれど、何も言葉にできずに口を閉じた。
温かい体をだきしめて、新たに目尻に浮かんだ雫をそおっと親指で涙をすくった。
『庭に、行かない?』
彼が落ち着いた頃を見計らって、そう言う。
きっと彼は今、諸々の説明をしたくはないだろうから。聞きたい気もするけれど、したくもない話をさせるほど気になるわけでも無い。知らないでいいなら、知らないに越したことはないのだ。
それに、露骨な話題転換だったことは否めないが、庭に行きたい気持ちも嘘ではなかった。先日、クラリスに庭師が庭に珍しい花を植えたらしいと聞いて、見てみたいと思っていたのだ。生憎、起きる時間の関係上これまで見ることは叶わなかった訳だが、今日はまだ昼。きっと丁度良いだろう。
「庭? ああ、そういえば……新しい花を植えたんでしたか」
『そう、珍しいんですって。ね、抱き上げて』
彼の首に腕を回して、そっと体が浮き上がるのを待つ。
「喜んで。私の、私だけのお姫様」
ふわりと幸せそうに微笑んだ彼は、私の腰に腕を回して腕に乗せる。
慣れた動作に私もほっと力を抜いて答えた。そういえば、ここ最近全く歩いた記憶がない。それなのに、不思議といつもよりも元気な気がするのだ。
筋肉がないので何をするにも疲れて。何をするにも疲れるから筋肉がつかない。そんな悪循環だった訳だが、改善する気は無かった。だって私が過ごす中で全く影響がなかったから。
けれど、そのいつもよりも動いていないのに、あまり筋肉が衰えた気配は無かった。だって、いつもは重く感じるティーカップも、本も、少し歩くだけであがる息も、震える足も、鳴りを潜めていたから。
暫くそんな、難しいことを考えて、やめた。結局なるようにしかならないのだ。今はただ、少し元気になった私を不思議に思っておこう。
「食事を用意させますから、少しでも食べてくださいね」
思わず彼を見上げる。
笑ったままの彼に、強制するような様子はない。困ったような、心配そうな表情だった。
『……すこしね』
「はい。お菓子と軽食、どちらがいいですか?」
『軽食って?』
「え? ……ふふ、ふは」
それこそ思ってもいないことを聞かれたと、きょとんとした彼はそのまま堪えるように笑って、それでも笑い声が漏れ出ていた。
そんなにおかしなことを聞いたつもりはなかったのに、彼は暫くくすくすと笑みを絶えない。
「ふ、すみません。リアと、ちゃんと会話してるから。びっくりして。っと、軽食は……サンドイッチとかですかね? すみません。あまり料理には詳しくないので聞きにいかせます」
『いい。あの、昨日食べた焼き菓子がいいわ』
「勝手に口に入れた?」
『そう。ひとつめの方。おいしかったから』
嬉しそうに頷いたヴィーが、後ろの使用人に目配せをしたのが見えた。その向こうに、ガレットが控えているのを見つける。ホントに、使用人だったらしい。
私との円滑な会話が可能になったせいだろうか。
以前よりも、態度が砕けたように感じる。にこにこと笑顔の絶えない彼は、昨日の事で何か吹っ切れたらしい。
ヴィーに抱かれて訪れた庭園には、確かに綺麗な花達が咲き誇っていた。
日よけの下に用意された椅子に腰かけたヴィーが、その上に私を下ろす。名前も何も知らない花だったが、日の光の下で色鮮やかに咲くそれを見ていると、不思議と気分が高揚した。
「リアはどうして花が好きなんですか?」
彼が、焼き菓子をフォークで小さく切りながら視線を向けた。
『どうしてって言われても』
好きなことに、理由なんてあるだろうか。少し考えて、綺麗だから?と首を傾げた。というか、花が嫌いな人っているのだろうか。匂いが嫌いとか?
『ヴィーは? 花は好き?』
ぱくり、と口元に寄せられたそれを食べる。うん、美味しい。
「私、ですか……」
聞かれるとは思ってもみなかった、と瞬きをして、視線を彷徨わせる。考えるように、整えられた庭を見て目を細めた。
「そう、ですね。花は好きでも嫌いでも……。ああでも、」
ふと、視線が私に戻る。
ジッと私を見つめた後に、ちらりと花を見て、彼はとろけるように微笑んだ。
「リアの好きな花だったら好きになれそう」
ピクリ、と肩が揺れる。あまりにも聞きなれない、甘い言葉だった。
思わず漏れ出てしまったような、本音でしかないような言葉に、言葉を吐くこともない口をぎゅっと閉じる。どうにも、そうしないと顔が赤くなってしまう気がした。
そう、と小さく返して、黙る。
彼にそんな意図はなかったのだろうけど、ひどく恥ずかしさを覚えてしまった。
誤魔化すように口を開いて、すると焼き菓子が口元に寄せられる。
「これならもう少し食べられそう?」
思考が飛んでいたので、一瞬なんのことかと思ったが、頷く。
『別に、いつもの食事も美味しいわ』
「でも進んで食べたくなる程じゃない」
間髪入れずに言葉をかぶせられて、まあそうだけど、と押し黙る。だって、面倒だったんだもの。
「大丈夫、栄養の心配はしなくていいから。好きなものをたくさん食べて。なんなら三食これでいい」
『ええ…? 絶対に飽きるわ』
「そう? そっか……。でも、食べたいものがあったら本当に遠慮なく言ってください。リアはもっと食べた方がいい」
そりゃあそうだろうな、と小さく頷く。
平均より小さい身長も、体重も、弱い体も、結局はそこに起因するのだから。ただ、そこに不便を感じた事がないから。
『気が向いたらね』
「はい。……でも、今日は沢山食べましたね」
嬉しそうに笑うヴィーに、素直に頷けはしなかった。確かにいつもよりは食べたが、実情は焼き菓子一切れ。これを言ったのがヴィーでなかったら、嫌味か何かかと疑うところだった。
気分よさげに頭を撫でる彼に、そんな意図はないだろうけど。




