第十話
ガレットの言う通り、夜にはヴィーが帰ってきたらしい。
もう彼が私の部屋へ通うのも当たり前になって、動かないでいいという贅沢を堪能していた本日。まだ日も沈み切っていない時間にも関わらず、ベッドに入っていた私は小さな笑い声に目を開けた。
「おっと、すみません。起こしてしまいました?」
「――」
ベッドに腰かけて、見下ろす彼の様子に目を瞬く。
ぼやけた視界に映る、綺麗な顔。いつも通り、と言えばいつも通りの姿なのだけど、これまでに見たことがない程に疲れが顔に出ていた。
毎日朝早くから出かけているらしい彼は、意外と多忙であるらしい。それでも私が起きる頃には家にいて、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。
私は昼過ぎ、夕方に起きることもあるのでつまり一日中彼といるような気分だが、彼は違うだろう。
「ぁ――」
大丈夫、と尋ねたつもりだった。寝起きの喉は引きつって、きっと彼には伝わらなかったけれど。
「ガレットから聞きました? お話はまた明日にしましょうね」
くすくすと笑いながら、会話の合間に髪を梳く手が気持ちいい。冷たさが心地いい手の甲に、顔を寄せて、私はもう一度目を閉じた。
□
「国民へのパフォーマンスも兼ねるので、手を振ったり……できます?」
心配そうに、頭上から聞こえる声に無言で否定を返す。
短時間なら勿論可能だが、今回は難しいだろう。長時間腕を持ち上げるのは、本当に疲れるのだ。面倒以前に不可能に近いと言っていい。私の腕の筋肉は本当に終わっているので。
国民への周知を目的とするパレード。ヴィーから詳しい話をされて、当日の流れを確認していた。と言っても、馬車の中から姿を見せたりするだけだ。それ以外の華々しい催しは全て他の人がやってくれるし、適当な店なんかは民衆が勝手にやってくれるだろう。本当に、その姿が私である必要性は感じないけれど、仕事だと割り切るしかない。
ふと、ここでどうしても嫌だとごねたら、身代わりが立つことになるのだろうかと好奇心が湧いた。言葉には出来なかったけれど。
わかっていた答えだったのだろう。暫く沈黙が落ちて、ヴィーが小さく頷いたのがわかった。
「私がリアを抱き上げて、私が手を振りましょうか。それなら印象も悪くはならないでしょうし」
さらさらとペンの走る音が聞こえる。誰か使用人がメモを取っているのだろう。生憎、ヴィーの膝上で目を閉じているので答え合わせは出来なかった。
口元に何かがふれて、大人しく口を開ける。焼き菓子のカケラだ。
されるがままの私に、ヴィーがくすりと笑って頬を撫でる。
「日程は決まったら教えますね。後は……国王と王太子が挨拶をしたいそうですが、どうしますか」
もごもごと口を動かして、飲み込む。
「?」
「まずは会うかどうか。それからどこで会うか、ですね」
ガレットの言う通り、絶対に会わなければいけない訳ではないらしい。別に、会うこと自体はどうでもいいのだけど、その為に起きて、着替えて、移動して、考えて、言葉を発するのが面倒なのだ。
しかしまあ、いくら貴族らしからぬ思考で敬意を抱いていないとはいえ、ソレを無視するのも居心地が悪い。
それにしたって、行かなくてもいいというのは酷い誘惑だ。
この思考すら、面倒くさい。行かなければいけないなら諦めもつくのに、選択の余地も良し悪しだろう。
「準備は仕方ないですが、城内では抱き上げてあげますよ。あそこは無駄に広いので疲れるでしょう。……会話は、出来るだけ察して私が答えられればいいんですけど」
餌づけのようにもうひとかけら、口に焼き菓子が放り込まれる。さっきとは違う味だった。
彼の言い分を聞いていると、ガレットとは逆に挨拶して欲しいような印象を受ける。私に行ってほしくて妥協案を示している、みたいな。
私は面倒くさがりだけど、在学時代も学園をサボるようなことはあまりしなかった程度には真面目なのだ。偶に、凄く嫌な時はサボったけれど。だから、まあ、妥協をしよう。
それに、ちょっとした疑問もあった。一応私の家族は父と兄が城で働いているのだ。あんなにはっきりと合わせない、と言っていたのに。
「よんで」
「……そうですね。わかりました。予定を調整してこちらに来るよう手配します」
今日決めるべき話が終わったのだろう。後ろで、先ほどまでメモを取っていた使用人が下がる音が聞こえた。
手の甲で頬を撫でられ、指が耳をかすった。ピクリと肩が揺れると彼の手も止まって、今度は耳をそろりと撫でられた。
別に変な意味はないはずなのにくすぐったくて、恥ずかしい気持ちにさせられる。
「――リア、ピアスを付ける気って、あります?」
急な話題転換だった。
ゆっくりと目を開けて、彼を見上げる。
返事を急かすように耳たぶを指で撫でられ、くすぐったさに身をよじる。つけて欲しそうな雰囲気が、ある。期待するような仕草に、思わず頷きそうになるのをぐっとこらえた。
顔を肩にうずめて、嫌がる。痛いのは嫌だし、その後の馴染むまでの期間も嫌いだ。耳が重くなるのも違和感がぬぐえない。綺麗なものは好きだが、ピアスはあまりつけたいとは思わなかった。
「そうですか。うーん、リア、こっちを向いて」
気落ちした様子はなく、私を抱く腕に力が込められる。
言われるままに頭を出して、目を合わせた。じっと見つめる彼は、私の瞳を観察をしているらしい。彼の瞳が雄弁なように、私の目も何か伝えているのだろうか。
「私のピアスを作りたいので、一緒に選んでくれませんか?」
ひとしきり観察を終えて、満足したのだろう。
にっこりと笑った彼に、少し迷って今度こそ頷く。選ぶくらいなら良いだろうと思えた。ちらりと彼の耳を見てみるが、ピアスもないし穴もない。今から開けるらしい。
「それならやっぱりここに呼んだ方がいいです、よね? 出来るだけ早い内に用意するのでよろしくお願いします」
嬉しそうに先手を打つ彼に、上手く転がされているなと笑った。確かに、店にまで外出したくはなかった。自分の興味ない事なら猶更だろう。
生憎、私に宝石を愛でる趣味は無い。綺麗だと思うし、可愛いと思う。勿論欲しいとも思うだろう。しかし、つける機会も無ければつけたいと思う程その煩わしさに傾倒するわけでも無い。母のくれたアクセサリーは、もう随分箱の中から出されたことがなかった。
予定ばかりが決まっていく。あのゆっくりとした数日は、準備期間だったのだろうか。それでも投げ出さずにいられるのは、あの忙しない学園生活があったからかもしれない。
学園を卒業してすぐに、この生活だったのでどうにもだらけてしまう。あの日々はあまりにも窮屈すぎた。
ヴィーが口元にもう一度菓子を入れようとして、拒む。少しだけ心配そうに唇を撫でて、掴んでいたカケラを自分の口に入れる。
ヴィーが立ち上がって、そのまま抱かれていた私の視線も高くなる。
部屋まで送ってくれた彼に礼を伝えて、別れた。
□
ベッドの中で、もぞもぞと布団を手繰り寄せる。
いつもはベッドに入ればすぐに眠れたのに、なぜか今日は目が冴えていた。
確かに、夕食を食べる時間は早かったし起きている時間も短かったけれど、いつもとそう変わりはなかったはずだ。
暫く眠る努力をしたが、一向に眠気が来ない。
クラリスに紅茶でも入れてもらおうか、とベッドの脇に手を伸ばした時だった。
『っ、あ――』
声が、聞こえた。
明らかに耳から聞こえる声ではなく、頭に直接響く。あの時のヴィーの念話みたいな声。
『ヴィー…?』
なぜか彼の声だと思った。聞き覚えがあるという程長い声だった訳でもないし、そもそもはっきりと聞こえなかったのに。
……聞いたことのある念話が彼だけだったから、だろう。
思わずベッドの上から部屋の中を見渡す。当たり前に、誰もいなかった。
『ッ――!? リア、リア?』
声だけで、彼の感情がわかるようだった。驚き、焦燥、期待、歓喜。
ああ、ヴィーだと今度こそ納得する。私の名前をこうも必死に呼ぶのも、焦がれるように呼ぶのも彼だけだったから。
『声が、聞こえる』
『今すぐ、伺っても……?』
『おやすみ』
脳内で会話が出来て、その嬉しさもそぞろにため息を吐く。
何となく、理解した。理由は分からないが私も念話が使えるようになったのだろう。確かに、あの時彼は私にも出来るようになる、というような事を言っていた気もする。はぐらかされたように思っていたので、期待していなかったのだが違ったらしい。
彼の問いには遠回しに拒否を返し、剝がしかけていた布団をもう一度引き寄せた。確かに眠くなくて、紅茶でも飲もうかと思っていたけれど。それとこれとは話が別だった。
――ひどく疲れたような気がするのは、感情が動いたからだろう。
先程までの悩みは綺麗さっぱりなくなって、ぼんやりと視界が霞む。
ああ、寝れそうだと、今度こそ目を閉じた。
『……おやすみなさい』
暫く更新ないかもしれません。よろしくお願いします。




