禁止事項
この村には絶対にしてはいけないことが三つある。この禁忌を犯せば村の偉い人たちにたちまち運ばれていく。そのあと、帰ってきた者はいるが口を開こうとはしなかった。だから禁忌を犯した後の怖さを知る者もいなかった。けれど誰も禁忌を犯そうとしないのは、『神』とか『しきたり』とか『帰ってこない者』があるせいだろう。ぼくもそのうちの一人。このうちの何に縛られているかは知らないが、それでも禁忌を犯そう、危ない橋を渡ろうという気は起きなかった。それでも、まったくなかったというわけでもない。一度だけ、たった一度だけその禁忌の一つを犯そうとしたことがあった。ぼくと友達のケンとナオトと一緒に。考案者はケン。
「禁忌ってさ破るとどうなるのかな……」
「そんなん知らねえよ」
「でもさ、気になるじゃん」
「やめとけって、変なことに首突っ込むもんじゃないぞ」
「えー、俺も興味あるけどなー」
「マジで言ってんのかお前ら」
「決まったな」
「だね」
「どうなっても知らねえぞ。遺書の一つや二つ用意した方がいいよ」
ぼくたちは若気の至りでどんどんと計画を進めていった。最初、反対していたぼくも計画を進めていくうちに楽しくなっていってしまって、誰もこの計画を止める人はいなくなっていしまっていた。このうちに止めておけばよかったんだ。あんなことになるなら。
ケンとナオトは二人で結束を固めてどんどんと深くて暗いところへ行ってしまうそんな気がして、二人がいなくなるのは嫌で、でも怖くて、恐る恐るその暗くて深い禁忌へ入っていってしまった。
「禁忌ってさ三つあるやんか」
「そうだね」
「どれが一番罪が重いとかあるのかな」
「えー、さすがに三つともやるのがやばいでしょ」
「そりゃあ、そうだろ。違くてさ、三つの中でどれが一番やばいのかってこと」
「うーん……」
「多分、それは三つ目じゃないかな。『掟の書』が家にあるでしょ。あれの三つ目だと思うよ」
「なんで?」
「だって、あれだけ太い文字だし、じいちゃんが三つ目だけは口を開かないんだ」
「どゆこと?」
「まあ、とりあえず三つ目だけはやるなってこと」
「じゃあ、一つ目だけでいいか」
この村には一家に一冊『掟の書』が置いてある。それはとても古くて大爺《曾祖父》に聞いても『わしのじいちゃんの時代からあった』と言うくらいだから、相当古いのは間違いないものだ。でも、なぜ一家に一冊置いてあるのかとか謎だらけの書物だった。父ちゃんに聞いてもいつも何も話さないからわからないし、じいちゃんに聞いても禁忌に触れるのは怖いからとかなんとかで話してくれなかった。多分じいちゃんもわからないんだ。そんな謎だらけの掟だ、書物だ子供の僕らが興味津々になるのも無理はない。だからこその掟だったのかもしれない。
「まず、どうやって大人の目をかいくぐる?」
「無茶言うなよ、あそこの前には民家だらけだし、いつどこで誰が見てるかもわからないよ」
「そうだよな、でもあそこを通らないと行けなくないか?」
「いや、もしかしたらあの塀なら超えられるんじゃない?」
「それこそ無茶言うな、三メートルはあるぞ。周りに何もないんだから厳しいにもほどがある」
「そうか……」
「別に、バレなきゃあの道通ってもいいんじゃない?」
「どうやったらバレずにいけるんだよ」
「さすがに厳しいんじゃ」
「じゃあ、禁忌変える?」
「二つ目にするの?」
「ありかも、少なくとも行くときにバレることはないな。あとは、帰って来る時だな」
「仕方ない。そういうときはノリで行こう。一応作戦は決めておこう」
子供ながらにバレる怖さを知っていた僕らは作戦をこれでもかと緻密に組み込んでいた。僕らの脳みそで考えるだけ考えた後に実行に移した。けど、ここからの記憶は一切としてない。
じいちゃんが僕に怒鳴りつけているところで記憶が再開した。どうなっているのか分からないけど、僕の目にはかすかに筋になり父ちゃんの目から零れ落ちる何かが見えた。ケンやナオトはどうなっているのか。ぼくは今何しているのか。何で怒られているのか。今の状況がちっとも伝わってこない。それに、じいちゃんが激しく怒鳴りつけているのだろうけど何も聞こえやしない。そのあとに、ぎゅっと人の温かみが伝わって来る。後ろから母親の腕が僕の胸辺りに巻き付くように伸びてきた。苦しいとさえ思う程の力で何秒も何十秒もぼくを抱き寄せた。その間もじいちゃんは何かを訴えかけているが僕には一切として伝わらない。父ちゃんはじいちゃんの横で深刻そうに考え込んでいた。
少し時間が経てば、諦めたように、じいちゃんも話さなくなっていた。母親の力も弱まり簡単に振りほどけるようになっていた。ケンとナオトのところへ行かなければ。ぼくは誰にでもなく問う。
「ケンとナオトはどこか」と。
両親はまず、首をかしげる。じいちゃんは何かがつっかえている様に眉間にしわを寄せる。今度はじいちゃんに問う。
「ケンとナオトはどこ」
今度は口が開いた。何かが分かったのか。それとも何かを話しているのか。わからない。けれど、口は完全に動いている。何かを話している。けれど、わからない。ふと後ろの気配が動いた気がした。振り返ると母ちゃんがなにやら紙に書いている。十数秒の感覚の硬直の後、紙が僕の方へ向く。
『ケンとナオトって誰?』
「は?」
急いで家から飛び出して僕の家から近くにある。ナオトの家へ向かう。そこは空き地だった。何もない荒野。家があった形跡さえも残していなかった。状況を整理する前にケンの家へ向かう。ここには家があった。けれど、つい最近まで何者かが暮らしていた様子を残して人が一人もいない荒れ地になっていた。絶対に昨日まで誰かが暮らしていた。僕の青春のケンとナオトはどこへ行ったんだ。今あったことを整理するために座りこむ。まず、禁忌を破ろうとして、ケンとナオトと計画して実行に移した。そうしたら、なぜかじいちゃんに怒られていて、家に居て、何も聞こえなくて。ぐらりと地面が傾いた。そんな気が下へ。
僕は立っていた。夜が輝く、月が神々しく光る下に。ケンとナオトと共に。
「さあ、本番だぞ」
「うん、一応この時間なら誰もいないのは確認したよ」
僕は言葉を無しに彼らにただついて行く。ナオトが先導して誰にもバレない夜道を歩く。それでも、足音はなるべく立てずにゆっくり慎重にかがんで歩く。草木に身長を合わせて。ここで見つかってしまっては今まで立てた計画は無駄になり、さらにはこのメンツで勝手に会うことは不可能になるだろう。だからこそもっと誰にもバレないようにゆっくりと歩みを進めていく。なんとかついた。ここが二つ目の掟の場所だ。三人の手が急にぐっと握られる。三人がお互いに緊張を理解した様だった。
「大丈夫か?」
「ここまで来て怖気づいたか?」
一人で言葉を区切って話していたケンはみんなをなんとか持ち上げようとしているようだったがケンもめちゃくちゃに緊張していた。僕らには全て分かった。ナオトが提案をする。
「俺が先に行くよ。次にケンがついてきて、最後はよろしくね」
ナオトはそう言うとケンの軽い静止を聞かずにたいして高くもない塀のてっぺんにジャンプでしがみつく。懸垂をするように体を持ち上げて足をてっぺんにかける。勢いで乗り越えることもできたがそれはせずに一度両足を持ち上げてからゆっくりと敷地に足を下す。ついでケンの番だ。ケンも軽く跳んで塀のてっぺんに手をかけるとナオトと同じ要領で片足を塀にかけたところで一筋に伸びる光が僕の顔を照らす。ぼくも塀に手を立てかけていたから逃げ出すことはできなかった。それに、ナオトはもう敷地内にいるからぼくだけ逃げ出すことなんてこの場においてはできなかった。眩しかった光を顔から外し、光のもとをたどるとケンの父親がそこには立っていた。禁忌を犯そうとしているのが僕らだと分かった途端ケンの父親は走って駆け寄ってくる。かなり焦っている様子だ。ケンの父親はぶらりと垂れ下がったケンの左足を強引に引っ張って、塀の中にいたナオトも見捨てて僕の目の前を走り去っていく。一瞬のうちに平静がやってきた夜にナオトの声が聞こえてくる。
「絶対に来るな。マジで来るな。嫌だ」
震えているのか、泣いているのかわからない声で訴えかける。
「お前だけは忘れるなよ。多分ケンもいなくなる。俺は絶対にいなくなる。頼りはお前だけだ。これから、俺はお前の返答がなくても話し続ける。俺の声がなくなったらいなくなったと思えよ、俺の存在がこの世から抹消されたと思えよ。わかったな。それじゃあ、今からお前の役割を言う。これから先、子孫にあたる人間に、禁忌に触れるようなことはさせるな。絶対にだ。俺は今怖くてちびりそうな状況の中話してるんだ。少しは聞いてくれよな。少なくともこの塀の中はこの世の場所なんかじゃない。行ったことは無いけど地獄みたいな空間だよ。足が何かに取られていくんだ。引っ張られていくんだ。何かわからない怖くて黒い空間に。マジで今までで感じたことのない恐怖だ。肝試しじゃ味わえない恐怖だよ。まあ、俺は今から死ぬ事になるんだから恐怖なんてものじゃ済まされないんだけど。けど、言葉じゃ伝わらないとしても怖い。今、俺の下半身はもうない状態だ。なんていうか地面に埋まっていくような感じで痛みはない。見えないっていうのが正しいのかな。なんていうか別の次元に行ってしまうような気もするけど、全然分からん状況だ。今、胸までなくなった。あとちょっとで俺の声はなくなる。なくなった瞬間にきっと『コイツら』はお前のことを狙い始めるに違いない。ただ、お前がビビッて小便でも漏らしてなきゃ逃げられるような奴だ。ただ、捕まっちゃだめだから……コポッ」
ぼくはナオトの話を一語一句聞き逃さなかった。今までにないくらいの真剣さで僕に語り掛けていたからだ。けれど、そのせいで『コイツら』に捕まっちゃったみたいだ。
じいちゃんが僕に怒鳴りつけているところで記憶が再開した。どうなっているのか分からないけど、僕の目にはかすかに筋になり父ちゃんの目から零れ落ちる何かが見えた。ケンやナオトはどうなっているのか。ぼくは今何しているのか。何で怒られているのか。今の状況がちっとも伝わってこない。それに、じいちゃんが激しく怒鳴りつけているのだろうけど何も聞こえやしない。そのあとに、ぎゅっと人の温かみが伝わって来る。後ろから母親の腕が僕の胸辺りに巻き付くように伸びてきた。苦しいとさえ思う程の力で何秒も何十秒もぼくを抱き寄せた。その間もじいちゃんは何かを訴えかけているが僕には一切として伝わらない。父ちゃんはじいちゃんの横で深刻そうに考え込んでいた。
少し時間が経てば、諦めたように、じいちゃんも話さなくなっていた。母親の力も弱まり簡単に振りほどけるようになっていた。ケンとナオトのところへ行かなければ。ぼくは誰にでもなく問う。
「ケンとナオトはどこか」と。
両親はまず、首をかしげる。じいちゃんは何かがつっかえている様に眉間にしわを寄せる。今度はじいちゃんに問う。
「ケンとナオトはどこ」
今度は口が開いた。何かが分かったのか。それとも何かを話しているのか。わからない。けれど、口は完全に動いている。何かを話している。けれど、わからない。ふと後ろの気配が動いた気がした。振り返ると母ちゃんがなにやら紙に書いている。十数秒の感覚の硬直の後、紙が僕の方へ向く。
『ケンとナオトって誰?』
「は?」
急いで家から飛び出して僕の家から近くにある。ナオトの家へ向かう。そこは空き地だった。何もない荒野。家があった形跡さえも残していなかった。状況を整理する前にケンの家へ向かう。ここには家があった。けれど、つい最近まで何者かが暮らしていた様子を残して人が一人もいない荒れ地になっていた。絶対に昨日まで誰かが暮らしていた。僕の青春のケンとナオトはどこへ行ったんだ。今あったことを整理するために座りこむ。まず、禁忌を破ろうとして、ケンとナオトと計画してあの場所へ、ナオトが敷地へ入ってケンが足をかけたところでケンの父親にバレて、いなくなって、僕とナオトは何かを少しの間何かの話をしていた。その話が終わったらなぜかじいちゃんの怒られていて、家に居て、何も聞こえなくて。ぐらりと地面が傾いた。そんな気が下へ。
記憶の片鱗は埋め込んだ。
僕にはもうかれこれ十年は音が聞こえない。何も聞こえない日々はとてもつまらない日々だった。けれど、その日々に残月をさしてくれたのは。
僕に愛する人が出来た。この人さえ幸せにできれば僕はどうだっていいと思えるほどのそんな人が出来た。僕の暗い夜に明かりを射してくれた存在だ。僕にはこの人がいなければ生きていけない。そんな人だ。
愛する人が増えた。幸せと呼べる日々が訪れた。今までの夜はやっと明けた。昼の明るい陽でも見える月だ。彼女は月、この子は太陽。僕はたまに映る夜。彼女らがいなければ僕はきっとやっていけないだろう。そんな存在に出会えたんだ。幸せさ。未だに声は、音は聞こえないけれど、愛する者の笑顔がここにある。ぼくは幸せ者だ。僕の目に映る彼女らにはいつも救われる。子供はまだまだ上手ではないけれど少しだけ僕に伝わる言葉を覚えた。一つは飛び切りの笑顔。二つ目は思い切りのハグ。三つ目はしどろもどろの手話。彼女はこれらを使い分けて僕に愛情を分けてくれる。僕も生き残った声と、温もりのある全身で愛情をアピールする。この腕の中でこの二人が幸せであればそれでいい。それだけで何もいらない。何も知らなくていい。
「逃がしはしないよ」
何かが聞こえた。聞こえるはずのない声が。
ぐらりと地面が傾いた。そんな気が下へ。
宵闇に立つ僕は恐ろしさを覚えた。僕の目には、はっきりとあの敷地がある。僕を手招いている。黒い影が僕を手招いている。地面からはナオトがゆっくりと浮かび上がってくる。地面に埋もれていたせいか、全体的に泥まみれで頭に髪の毛らしいものはなかった。それに頭は乾燥しきった砂漠のようにひび割れて目も真っ白くてとてもじゃないがこの世のものではない。怖い。少しずつ後ずさるが、ナオトだったモノが僕へ向かってゆっくりと歩いてくる。
「君は……俺の言うことを……聞いていれば……よかったのに……」
そう言うナオトの声はかすれて聞き取りにくいものだった。
「俺は……つらかったのに……お前だけ……」
やっと思い出してきた。ナオトのことも、ナオトと約束したことも。適切な言葉をと探す思考も絡まって仕方がない。後ろへと下がる歩幅もどんどんと狭まっていく。しかし、ナオトの歩幅は反比例するように広がっていく。行き場を失くした僕の足は歩みを止め、息をのんだ。
「いいか君たち絶対に禁忌は犯してはならんぞ。一度犯してしまえば、犯そうとしてしまえば、大事なものを全てなくす。わしも全てなくした。だからこの村の宝までなくすわけにはいかんのじゃ」
「なにそれこわーい」
「怖いじゃろう。わしも本当に怖い。今でも思い出すわ、少しだけ昔話をしてやろう」
「おー、じっちゃんの昔話だー」
「一つ、広目天にある森には民
二つ、村を牛耳る長の上は龍
三つ、勝手な出入り口を禁ず
これらを犯す、即ち亡羊の嘆」